-表象の森- 酔いの二重奏
昨夜は久しぶりに浄瑠璃世界を堪能。
文楽の初春公演、そのチケットを2枚、知人の厚志にあずかり頂戴したので、夕刻より日本橋の国立文楽劇場へと出向いたわけだ。
友人のT君を誘ったのだが、初老男性ふたりが連れ合って、劇場の客席に身体を沈め、たっぷりと4時間、語りに人形に、聞き入り見入りしている図は、余所目には些か奇異なものに映ったかもしれない。
映画であれ芝居であれ、大抵ひとりで、連れがあるとすれば妻か或いは特段の理由などあって別の異性と出かけることはあっても、むくつけき男同士でお行儀よく隣に座りあって鑑賞するなど、とんと私には憶えがない趣向で、昨夜の文楽鑑賞は、その意味でも特筆に値するひとときだったといえそうだ。
中日を過ぎて昼夜入替となった演目は、チラシの第1部のもの。
「花競四季寿-はなくらべしきのことぶき」はいかにも新春に相応しい趣向の演目。
万歳・海女・閑寺小町・鷺娘とそれぞれのエッセンスを初春・夏・秋・冬の景として並べた、いわゆる新作物だろう。太夫も三味線も人形の遣い手も賑々しく打ち揃って舞台をつとめた。
中狂言の「御所桜堀川夜討-ごしょざくらほりかわようち」の「弁慶上使の段」は、
「菅原伝授手習鑑」の松王や、「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋の段」のように、いわゆる身代わり物だが、今の世ならアナクロとしか言い得ぬ残酷な物語展開、その荒唐無稽さに驚くが、弁慶登場から務めた竹本伊逹太夫の語りが、口跡に難はあるものの、綿々と情を盡して見事に客席を引き込んだ。出だしの抑揚を抑え過ぎたかともみえた語り振りに、こんなに陰々滅々と長くやられてはとても堪らないなと抱いた厭な予感もなんのその、弁慶の荒武者振りと重なるように矢継ぎばやに急展開していく場面の数々、そして一気呵成に愁嘆場へと、まったく破綻なく、些か大袈裟にいえば充分に酔い痴れさせていただいた。
口跡の解り難さについては、近頃は舞台上の一文字幕にその都度字幕が映し出されているから、それがしっかりとフォローしてくれて問題はない。字幕を採用した所為で鑑賞する側は、太夫の語りに、三味線の音に、人形の振りにと、初見でもどっぷりと浸りきってゆける。
切狂言は「壷坂観音霊験記-つぼさかかんのんれいげんき」、お馴染みお里沢市の世話物的霊験譚。。
人間国宝の竹本住太夫が聞かせどころのお里のクドキの場面を語ってファンを満足させる。私にすれば少ない出番で些か不満だったが‥。
人形遣いでは吉田玉男を昨年9月に亡くして寂しくなったが、それでも吉田簑助と吉田文雀、なお二人の人間国宝を擁している。ところが今宵の演目で簑助の遣い振りを観られず、いかにも残念。次にお目に掛かれるとすれば、はていつのことになるやら‥。
国の助成で文楽にも技芸員研修生制度ができてすでに30有余年。太夫に三味線に人形にと計40名が巣立って現在活躍しているといい、その人たちが全体の半数近くを占めるほどになっているともいう。
若手・中堅の層が厚くなって文楽の行く末に翳りを払拭できたのはまことに結構なことではあるが、観客層の薄さと相俟っていかにも上演機会の少ないのが悩みの種だろう。技芸員たちの日頃の研鑽も多くの舞台を積み重ねてこそ磨きがかかるというもの。文楽を担う技芸員たちの量における趨勢は悦ばしいとしても、現況では質の止揚になかなか届きえないだろう。
門外漢ながら、伝統芸能から現代様式のものまで数ある語り芸のなかで、浄瑠璃語りをもっとも高度に昇華したものと見る私などの眼からすれば、人形浄瑠璃という世界は、太夫にせよ三味線にせよ人形遣いにせよ、それぞれの芸においてそれが達意の芸にまで実りゆくには、いかにも細くて長い、果てしのない道程のような気がするのだ。
観終えて、こんどは居酒屋で向き合って談論すること2時間あまり、遙か遠く高校時代以来の文楽鑑賞となったT君の心身に満ちた深い余韻が私にもよく響き、酒も進んで二重の酔い気分、久しぶりに重しのある意義深い一夜となった。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<冬-43>
玉の緒のみだれたるかと見えつるは袂にかかる霰なりけり 道命
道命阿闍梨集、或所に歌合するに、千鳥。
邦雄曰く、玉散るはすなわち「魂散る」の意であることは、古歌に明らかだが、命である玉が緒に貫かれて、その緒の切れることによって散乱する幻想は珍しかろう。降り紛う霰をそれと見た作者の心眼は奇特といえよう。結句の「なりけり」は自らに言い聞かせ、納得する感あり、今日の眼にはうるさい。第三句も同様だが、これも一つの体であった、と。
見し秋の尾花の波に越えてけり真野の入江の雪のあけぼの 惟宗光吉
惟宗光吉集、冬、左兵衛督直義卿日吉社奉納歌に、雪中望。
邦雄曰く、金葉・俊頼の「鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波寄る秋の夕暮」を模糊たる借景として、雪景色の幻を鮮やかに描き出した。本歌の風景を初句「見し秋の」一語につづめたあたり、思わず息を呑む感。「越えてけり」の感慨はいかにも14世紀的な嫌いもあるが、調べの上では悪くない。作者は医家、第十六代集続後拾遺の和歌所寄人を勤めている、と。
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