山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

寒空の鶏をたゝかはせてゐる

2010-04-26 23:55:59 | 文化・芸術
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※表題句は、2月1日記載の句

-世間虚仮- アメリカの貧困化

堤未果の「貧困大国アメリカⅡ」-岩波新書-を読む。

米国の構造的な貧困化問題を現場から丁寧に取材したルポではあろう。
全体を4章に分かつ。1にビジネス化した学資ローン問題、2は崩壊する年金等社会保障制度、3は医療保険問題と巨大化する医産複合体の実情、4に労働市場化していく民間刑務所の実態。

1と4が明快でストレートに分かり易いのは、構造的にあまり輻湊しないからだ。2と3は、問題の具体性はあるが、構造的問題を射程深く捉えきるには、紙数不足だろう。

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-表象の森- 清代諸家-古代への憧憬-5
石川九楊編「書の宇宙-22」より

・楊峴-Yohken-1819-1896

「隷書七言聯」
楊峴の書を象徴する隷書体。力のこもった伸びやかな傑作。
小刻みに震える無限微動筆蝕によって、字画が一次元的な線ではなく二次元的な面に広がり、また三次元的に奥行をもって立体的に広がり、さらにはうねりをもって紙-対象-に堀りこむようなリアルな速度を髣髴させる。<且>の最終横画、<就>の最終画、<同>の第一画、<盡>の最終画、<我>の旁部の右ハライと左ハライ、<此>の最終画など、長く長く伸びるのが楊峴のスタイルである。<同>の潤-滲み-に対する<游>の渇-かすれ-の対比も鮮明化している。

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/且就同游盡佳客。
/我知此公無棄材。

・虚谷-Kyokoku-1821-1896

「行書五言聯」
この隷書風の書では、一つの字画を往復運動で切り削るようなリズム法が仮構されている。
<石>の第一画を逆筆で起筆し、いっきに送筆・収筆まで掻き削り、それだけに終らず、隷書の波磔や右ハライのように、いったん左に戻り、ややベクトルを変えて再度ひきはらう。いわば往復書法とでもいうべきものだが、このリズム書法は、日本の戦後の書家青山杉雨らの書に継承された。

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/奇石貴一品。/好華香四時。

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街はづれは墓地となる波音

2010-04-26 04:23:34 | 文化・芸術
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-日々余話- Soulful Days-35- 子の罪、親の罪

つ-じ-blogとタイトルしたブログがある。プロフイール欄には、先ず氏名-これは間違いなく本名だ-を載せ、つづけて「大阪生まれのぐうたらなウエイクボーダーです。今年でプロ3年目です。ぼちぼちがんばってます。」とある。

更新ペースはいたって気まぐれでのんびりしたものだが、このブログの主、誰あろう、RYOUKOを死なしめた事故の相手、T.Kその人である。

ブログの存在を知ったのは偶然ではない。彼の父親と初めて面談-この折もちろん彼自身を伴ってのことだったが、彼は殆ど言葉らしい言葉を発していない-した時だったが、学生時代からウエイクボードなんてスポーツに嵌って、一年ほど前にプロ資格を取った、とそんなことを父親から聞かされたものだから、どんなスポーツかも知らなかったし、ネツトをググってみたら、当のブログに出会した訳である。
少しばかり拾い読みするだけで、まあ彼というその人となりはおよそ察しがつくし、生活習慣なども見えてくる、それ以上に何か情報を得ることもないから、以後は滅多にこのブログを覗くことはなかったのだが‥。

2.3日前に、ふとそんな気になって久しぶりに覗いてみたら、-イヤ、驚いた、魂消てしまった!

彼の刑事処分が略式とはいえ起訴と決したのは3月19日、簡易裁判所において30万円の罰金と略式命令があったのは3月23日だ。おまけに医師国家試験の合否発表は3月29日であった。
かような大事が連続している渦中に、彼は、このヤツガレは、なんと海外に、アメリカのフロリダで、のんびりと海に遊び呆けていたのである。それも3月16日に日本を発って、まる1ヶ月のあいだ遊びに遊んで、ようやくこの17日ご帰還になった、らしいのだ。

彼は12月に誕生日を迎えてすでに御年29歳だ、もうガキじゃない。それどころか新築高層マンションの46階でペットの犬1匹と優雅な独り住まい、むろん親名義の物件らしいが、4年前に竣工なったばかりのクロスタワー大阪ベイだ。おそらくこのマンション、7.8000万はしたろう代物だ。どこまでも脛かじりのトンデモ坊やだが、この件は先刻承知だったからこの際措くとして、この時期の1ヶ月のフロリダ・バカンスには、もう開いた口が塞がらない、子どもが子どもなら、親も親、どこまでも我が子を世間様の風雨に曝せないこの親の罪は深く、あまりあるというものだろう。

やはりどうしても、この子と親には鉄槌を降さねばならない、-けっして憎悪からではなく。

―山頭火の一句― 行乞記再び -41-
2月2日、雨、曇、晴、4里歩いて、大村町、山口屋

どうも気分がすぐれない、右足の具合もよろしくない、濡れて歩く、処々行乞する、嫌な事が多い、午後は大村町を辛抱強く行乞した。

大村-西大村といふところは松が多い、桜が多い、人も多い。
軍人のために、在郷人のために、酒屋料理屋も多い。
昨日も今日も飛行機の爆音に閉口する、すまないけれど、早く逃げださなければならない。
此宿はよい、しづかで、しんせつで、-湯屋へいつたがよい湯だつた、今日の疲労を洗ひ流す。
何だか物哀しくなる、酒も魅力を失つたのか!

-略- 大村湾はうつくしい、海に沿うていちにち歩いたが、どこもうつくしかった、海もわるくないと思ふ、しかし、私としては山を好いてゐる-海は倦いてくるが山は倦かない-。
歩いてゐるうちに、ふと、梅の香が鼻をうった、そしてそれがまた私をさびしい追憶に誘ふた。--略-

※表題句の外、1句を記す

大村町-現在は大村市だが、その海岸から2km先に浮かぶ簑島には長崎空港とともに海上自衛隊の大村航空基地がある。その前身は大正12-1923-年の大村海軍航空隊の開設に始まり、日中戦争における海軍航空部隊の重要な出撃基地であった。降って昭和20-1945-年には特攻隊の出撃基地ともなっており、島尾敏雄が奄美群島の加計呂麻島に赴任する前に志願し入隊したところでもある。

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Photo/当時の大村海軍航空基地

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Photo/大村市から望む大村湾夕景

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Photo/海の見える大村市松原の棚田風景

市内西本町の国道43号線沿、古くから町民に親しまれた、その名も「山口屋」という老舗の中華料理屋があるが、はたして山頭火が泊ったという旅籠と関わりがあるのかどうか‥。

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Photo/国道沿の中華店山口屋

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