―表象の森― 日本語とはどういう言語か-06-
・漢語、漢詩、漢文と和語、和歌、和文-二併の平安日本語
平安時代中期は、歌合、詩合、詩歌合、絵合、貝合、さらに和漢朗詠集などの「合-あわせ-」の時代であった。
「合」とは、漢字を媒介として漢語-音語-と和語-訓語-を合わせる二併性の象徴である。漢語と和語、つまり音と訓を背中併せに貼りつけた漢字=日本文字-女手の書きぶりを忍び込ませ、もはや漢字とは思えぬ軟性の姿で現れた漢字-と漢字・漢語の中に収めきれない意識の結晶、露岩体である女手、さらには漢詩、漢文を日本語として開く文字である片仮名の三種類の文字が生まれ、二重複線言語たる日本語が姿を現した。
平仮名-女手-は、片仮名やハングルとは異なり、漢語からはみ出す部分を定着せんとする文字-これは片仮名で足りる-ではなく、それ自体が語をなし、詩文をつくらんとする自立的指向性をもった野心的な文字である。それゆえ日本には二つの仮名文字があり、平仮名は、語をなさんとして連続する姿をとどめている。つまり漢文、漢詩、漢語とは異なるもう一つの文と詩と語をつくらんとするところに、片仮名やハングルとは異なった女手-平仮名-の特異な性格がある。訓文、訓詩、訓語をつくらんとしたところが女手成立の意味である。誤解なきよう触れておけば、訓はむろんあくまで裏側にある漢字-音-を前提として存在している。
この女手その名称から女性の意識の表出の文と詩と語をもたらし、性愛-エロス-の文学と、四季賛美の歌と、女手の延長線上に派生的に生まれた仮名文字葦手に象徴されるところの、絵画的具象に関わる言語の豊穣という日本語の特質を生むことになったのである。
-石川九楊「日本語とはどういう言語か」より
/伝藤原公任「葦手古今集切」-11世紀中 頃-
―山頭火の一句― 行乞記再び -82
3月23日、雨后曇、休養、漫歩、宿は同前
小降りになったので、頭に利休帽、足に地下足袋、尻端折懐手の珍妙な扮装で、市内見物に出かける、どこも水兵さんの姿でいつぱいだ、港の風景はおもしろい。
プロレタリアホールと大書した食堂もあれば、簡易ホテルの看板を出した木賃宿もある、一杯5銭の濁酒があるから、チョンの間50銭の人肉もあるだらう!
安煙草はいつも売切れだ、口付は朝日かみのり、刻はさつき以上、バツトは無論ない、チエリーかホープだ。
塩湯へ行つた、よかつた、4銭は安い、昨日の普通湯4銭は高いと思つたが。
佐世保の道路は悪い、どろどろしてゐる-雨後は-、まるで泥海だ、これも港町の一要素かも知れない。
同宿は佐商入学試験を受ける青年二人、タケ-尺八吹-、そして競馬やさん、この競馬は面白い、玩具の馬を走らせるのである、むろん品物が賭けてある、1銭2銭の馬券で1銭から10銭までの品を渡すのである。
※表題句のみ記す、佐世保駅凱旋日と註がある
Photo/佐世保市内中心部の四ケ町商店街入口
Photo/佐世保市内を完全武装で行進する、戦前の水兵さんならぬ、西部方面普通科連隊-有事即応の対テロ特殊部隊の隊員
-読まれたあとは、1click-