山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ねられぬ夢を責るむら雨

2008-10-24 23:57:14 | 文化・芸術
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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」


―世間虚仮― 台風とドル破綻の嵐と…

10月も最終週に入ろうとして、列島を掠っていったものはあったものの、今年、台風は一度も本土上陸をしていない。このままいくと、統計を始めた1951-S26-年以来、4度目の上陸ゼロということになるそうだが、58年間に4度というのを稀有と受けとめて、気象変化に凶兆をみるかみないか、そのあたり微妙といえばいえそうだ。

「DAYS JAPAN」の11月号を見ていると、「マネーゲームの果てに」と題した、サブプライム・ローンに端を発した世界金融危機に関して、短いプロテストの文があった。
これによると、この新しいローン制度のお蔭で、98年から06年までに建てられたマイホームは総数144万戸だったが、金融破綻からすでに差し押さえを受けた物件は、なんと237万戸に達しているというのである。なんのことはない、サブプライムなる新制度登場のずっと以前から、小市民の夢ともいえる住宅を喰いものにしたマネーゲームのバブルは始まっていたのだ。

そのドル破綻の嵐に、福田辞任から麻生新総理誕生で、そのまま解散必至の筈だった政局は、経済の立て直しこそ緊急課題とばかり、麻生政権は解散を先送り。かってない規模の住宅ローン減税を声高に叫ぶが、どうも矛先がトンチンカンなのではないかと思えてしかたがない。そんなことではどのみち世界恐慌にもひとしいこの危機はとても乗り越えられまいにと素人目にも映り、タナボタよろしく舞い込んできた権力への執着ばかりが透けてみえて、どうにもいただけない宰相殿であることよ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」-36

  北のかたなくなく簾おしやりて  

   ねられぬ夢を責るむら雨  杜国

次男曰く、北の方の慕情、興奮にこと寄せて、せっかくの興の盛上りをこのまま終らせるのはまことに心残りだ、と云っている。挙句の常とは一味違う、と。

「炭俵の巻」全句

炭売のをのがつまこそ黒からめ   重五 -冬   初折-一ノ折-表
 ひとの粧ひを鏡磨寒       荷兮 -冬
花荊棘馬骨の霜に咲かへり     杜国 -冬
 見るまどの月かすかなり    野水 -秋・月
かぜ吹ぬ秋の日瓶に酒なき日    芭蕉 -秋
 荻織るかさを市に振する     羽笠 -秋
賀茂川や胡麿千代祭り徽近ミ    荷兮 -雑   初折-一ノ折-裏
 いはくらの聟なつかしのころ   重五 -雑
おもふこと布搗哥にわらはれて   野水 -雑
 うきははたちを越る三平     杜国 -雑
捨られてくねるか鴛の離れ鳥    羽笠 -冬
 火おかぬ火燵なき人を見む    芭蕉 -冬
門守の翁に帋子かりて寝る     重五 -冬
 血刀かくす月の暗きに      荷兮 -秋・月
霧下りて本郷の鐘七つきく     杜国 -秋
 冬まつ納豆たたくなるべし    野水 -秋
はなに泣桜の黴とすてにける    芭蕉 -春・花
 僧ものいはず款冬を呑      羽笠 -春
白燕濁らぬ水に羽を洗ひ      荷兮 -春   名残折-二ノ折-表
 宣旨かしこく釵を鋳る      重五 -雑
八十年を三つ見る童母もちて    野水 -雑
 なかだちそむる七夕のつま    杜国 -秋
西南に桂のはなのつぼむとき    羽笠 -秋・月
 蘭のあぶらに〆木うつ音     芭蕉 -秋
賤の家に賢なる女見てかへる    重五 -雑
 釣瓶に粟をあらふ日のくれ    荷兮 -雑
はやり来て撫子かざる正月に    杜国 -夏
 つゞみ手向る弁慶の宮      野水 -雑
寅の日の旦を鍛治の急起て     芭蕉 -雑
 雲かうばしき南京の地      羽笠 -雑
いがきして誰ともしらぬ人の像   荷兮 -雑   名残折-二ノ折-裏
 泥にこゝろのきよき芹の根    重五 -春
粥すゝるあかつき花にかしこまり  野水 -春・花
 狩衣の下に鎧ふ春風       芭蕉 -春
北のかたなくなく簾おしやりて   羽笠 -雑
 ねられぬ夢を責るむら雨     杜国 -雑


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北のかたなくなく簾おしやりて

2008-10-23 23:32:15 | 文化・芸術
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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」


―表象の森― 場違いなアトピー

「アトピー」という語は、「ア・トポス」からきたそうな。
人間に特有な遺伝性過敏性症候群なるアトピーが、トポス-場所-と関係のある語だとは、いかにも意外である。
「リズム」に対して「ア・リズム」、「シンメトリィ」に対する「ア・シンメトリィ」というように「a」は「not」と同じような語だから、「アトピー」の原義はさしずめ「場違いなもの」とでもいえようか。

「アレルギー」という語も元はといえば、変わるという意味の「アロス」と、力の意味の「エルゴン」の合成語だという。エルゴンというのは反応力という意味だそうだから、「アレルギー」の語に元来、負のイメージはない筈だが、いつのまにか変わり果ててしまった訳だ。

多田富雄の免疫理論がおもしろい。
いま、対談集の「生命へのまなざし」-95年初版-を読んでいるが、興味尽きない生命科学の話題が平易な語り口で披瀝されている。

―今月の購入本―

・高橋悠治「音の静寂 静寂の音」平凡社
「複雑性の科学は 複雑性を単純なパターンに回収しようとしているのではないか。カオスもフラクタルも単純なものほど美しいと感じる論理の経済から出られな いようだ。哲学はと言えば、科学よりさらに後を歩いている。計量化されない、一般化されたり抽象化されない、音の流れを分析してアルゴリズムを作ることは できても、アルゴリズムから作られた音は貧しい。美学からアートを創ることはできない。色や音を通してさわる、一回だけのこの世界との出会いは、数学や哲学のはるかさきを歩んでいる。」-「反システム音楽論断片ふたたび」より

・折口信夫「日本芸能史六講」講談社学術文庫
「人の住む近くにはものやたま-スピリットやデーモン-がひそむ。家や土地につくそれら悪いものを鎮めるために主は客神-まれびと-の力を借りる。客神至れば宴が設えられ、主が謡えば神が舞う。藝能の始まり。」
「歌舞伎でも能でも田楽でも、何れも何でもかでも取りいれた一つの藝能の大寄せみたいなものなのです。だから吾々の藝能に対する考へは、まだ自由に動いてゐる時代だといふことが出来ると思ひます。」

・折口信夫「かぶき講」中公文庫
「なまめける歌舞伎人すら ころされていよゝ敗れし悔いぞ 身に沁む」と折口信夫が詠んだのは昭和21年。彼は戦中から戦後、歌舞伎について度々論ずるようになる。防空壕の中で死んだ中村魁車、上方歌舞伎の美の結晶実川延若、さらには六代目尾上菊五郎。

・島尾敏雄「魚雷艇学生」新潮文庫
1986年に島尾敏雄が亡くなった時、文芸各誌はこぞって島尾敏雄追悼の特集をしている。そのなかで生前の島尾を知る作家や批評家が追悼文を書き、もっとも評価する島尾作品を挙げていたのがあったが、「死の棘」-6票、「魚雷艇学生」-7票、「夢の中での日常」-2票、といったものであった。概ね批評家たちは「死の棘」を挙げ、作家たちは「魚雷艇学生」を選んでいた。
巻末で解説の奧野健男は、「晩年の、もっとも充実した60代後半に書かれたこの作品は、戦争の非人間性の象徴ともいえる日本の特攻隊が内面から実に深く文学作品としてとらえられ、後世に遺されたのである。それはひとつの奇蹟と言ってもよい」と。

・多田富雄「免疫の意味論」青土社
自己と非自己を識別するのは、脳ではなく免疫系である。「非自己」から「自己」を区別して、個体のアイデンティティを決定する免疫。臓器移植、アレルギー、エイズなどの社会的問題との関わりのなかで、「自己」の成立、崩壊のあとをたどり、個体の生命を問う。

・多田富雄「生命の意味論」新潮社
私はどうして私の形をしているのか。遺伝子が全てを決定しているというのは本当か。男と女の区別は自明なのか―。「自己」とは何かを考察して大きな反響を呼んだ「免疫の意味論」を発展させ、「超システム」の概念を言語や社会、都市、官僚機構などにも及ぼしつつ、生命の全体にアプローチする。1997年初刊、中古書。

・広河隆一編集「DAYS JAPAN -格差の底辺から-2008/11」

・他に、CD2点、高橋悠治「サティピアノ作品集③」と、
タルティーニ、バッハ、ヴィヴァルディ等の作曲による「名器の響き ヴァイオリンの歴史的名器」

―図書館からの借本―

・ジョセフ・メイザー「数学と論理をめぐる不思議な冒険」日経BP社
ユークリッドからカントール、ゲーデルまで、数理論理学に関わった数学者を中心に、幾何学、解析学、代数学、確率などの幅広い分野に題材を取り、数学のさまざまな分野の魅力を知らしめる啓蒙の書。

図書館からの借本がこの一冊のみとなったのは、ひとえに突然降りかかった災厄に呑み込まれた、このひと月余りの心身もろともの揺動に因るもので、先月借りた3冊を読了するのに、大幅な期限延長をもたらす結果となってしまった所為である。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」-35

   狩衣の下に鎧ふ春風  

  北のかたなくなく簾おしやりて  羽笠

次男曰く、前を出陣と見て、男女の別れの場景に仕立てているが、「かつすすぐ沢の小芹の根を白み漬げに物をおもはずもがな」という西行歌が恋の歌だった、と改めて思い出させるように響かせた余韻が、ここにきて利く。因みにここは花の定座の空である。

作りは、「狩衣の下に鎧ふ」-狩衣で鎧を隠す-と云えば「簾おしやりて」-簾の陰に身を隠さぬ-と応じ、「鎧ふ春風」と云えば、「北の方泣く泣く」と応じ、襷掛けの手法を以てしたなかなか手の込んだ人情の相対付である。掉尾の見せ場にふさわしいだろう。芭蕉と羽笠による付合6つの内、芭蕉の短句に羽笠が長句で付けた唯一の箇所でもある、と。


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狩衣の下に鎧ふ春風

2008-10-22 09:24:14 | 文化・芸術
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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火


―表象の森― 近代文学、その人と作品 -2-

吉本隆明「日本近代文学の名作」を読む。

森鴎外と「高瀬舟」
文学者としての鴎外は、生涯素人であるかのように、自分で抑制してなるべくprofessionalとして振る舞わないようにした。小説も翻訳も当時の第一級、作品としては優れた出来映えだが、自分では素人の文学に固執する。つまり余技でやっているという形を崩さない。

鴎外の代表的作品は「雁」だと思う。これは鴎外が玄人として振る舞っている作品で、しかも歴史小説と同様に丁寧に書いて、優れた作品だ。
鴎外の歴史小説では、自分は小説家ではなく考古的な記録係だというふりをしている。「高瀬舟」もそうだが、武家社会の義理や倫理に対する関心であり、武家の持っている独特の倫理への関心が強くあった、と。

芥川龍之介と「玄鶴山房」
初期の芥川は歴史小説のなかに近代の心理主義を導入したといえよう。いわば近代心理を持った平安朝人たち。女性心理の奥にひそむ奇怪さにたいする好奇心が歴史小説家としての芥川を支えた。

芥川は娑婆苦の人であった。中産下層の出自と知的世界にいることの乖離が彼を終生脅かし続けた。

晩年の作「玄鶴山房」は、若く才気走った頃の芥川が、非難してやまなかった田山花袋の作品に似ているといえよう。彼は出自と現状の乖離から生まれるニヒリズムを深化させ、エゴイズムが渦巻く世界を描き出した。人間が抱える闇の描写は圧巻、文学的な成熟を充分に見せている、と。

宮沢賢治と「銀河鉄道の夜」
賢治の宗教と文学、作品全体から現れ出てくるものが宗教的な雰囲気を含んでいるということが、賢治の童話の最大の特徴だ。異常なほどのスピードで、最も真剣に白熱したところで書かれているから、文学と宗教が渾然一体となって、童話作品だが宗教的にもよめるものになっている。

彼の童話世界が翻訳され読まれるのは、宗教的な情操は仏教的であり、作品の倫理も自然観も仏教的だと言えるのに、熟した作品の全体性はエキゾチズムの要素を特徴にしているのではなく、一つの宇宙性が国際的に通用するものになっており、西欧の文学と全く等質なものとして受け容れられるのだと思う、と。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」-34

  粥すゝるあかつき花にかしこまり  

   狩衣の下に鎧ふ春風  芭蕉

次男曰く、「狩衣の下に鎧ふ、春風」とも、「狩衣の下に鎧ふ春風」とも読める。
前者なら「春風」は連句特有の投込みの季のあしらいで、狩衣の下に具足を着けていても春風が心地よく感じられる、という句、後者なら、花に「かしこまる」という表現の可笑しみを咎めて、春風を「鎧ふ」と、いかめしく、滑稽に遣ったか。

公達などの出陣もしくは陣中と考えれば、前のように読んで二句見易い作りだが、芸がない。せっかく引き上げた「花」も生きぬ。名残のはこびも末とはいえ、芭蕉とも有ろう者がと考えたくなる。

こういう作りは、両義に渉って頭をひねらせる狙いが味噌に違いない。鎧うのは具足ならぬ春風だ、と告げたいのだ。さては、慣れぬ戦か、それとも初陣か、緊張してるな、と読者にさぐらせることは面白くなくはないが、芭蕉が云いたいのはそれだけではないらしい。

「弓馬の事は在俗の当初なまじひに家風を伝ふと雖も、保延三年八月遁世の時、秀郷朝臣以来九代の、嫡家相伝の兵法は焼失す。罪業の因たるに依って、其事会を以て心底に残し留めず。皆忘却し了んぬ。詠歌は、花月に対して動感の折節、僅に三十一字を作す許りなり、全く奥旨を知らず」-吾妻鏡-、文治2年8月、陸奥へ赴く途中の老西行が鶴ヶ岡宮で頼朝の問に答えたことばである。

重五・野水の付合に西行の俤があれば、「狩衣の下に鎧ふ春風」はこのパロディと読むことができる。蕉句の大切な見どころかもしれぬ。因みに、この興行の巡りは先に述べたとおりだが、以下三句efcに変更、つまり杜国が芭蕉に「花にかしこまる」人物の見定めを譲っている、気配りの見える点だ、と。


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粥すゝるあかつき花にかしこまり

2008-10-21 08:28:46 | 文化・芸術
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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」


―表象の森― 近代文学、その人と作品

一昨夜、昨夜と、よほど疲れていたのか、貪るほどに眠った。
9月9日の夜、RYOUKOがその生死を以て私の胸中深く飛び込んできて以来、すでに40数日‥。

吉本隆明「日本近代文学の名作」を読む。
本書は2000年4月から2001年3月まで週一回、毎日新聞文化面に連載された「吉本隆明が読む近代日本の名作」の文庫化という。

夏目漱石と「こころ」

「こころ」の主人公の自殺は、乃木希典夫妻の殉死がきっかけとなっていた。明治天皇の後追自殺をした乃木夫妻の事件は漱石にも鴎外にもショックだった。

漱石の倫理観には、江戸時代からそう変わっていない儒教的な部分と、西欧に留学して得た近代的なものと両方があった。漱石は乃木夫妻の明治近代になってからの殉死に、自分のなかのこの二つの倫理性を揺さぶられ、「こころ」の主人公自殺に託したのではないだろうか、と。

高村光太郎と「道程」

 「勝てば官軍」ほれたが因果
 馬鹿で阿呆で人様の
 お顔に泥をばぬりました   -「泥七宝」より

欧米留学から帰った頃の高村光太郎のデカダンス生活の自嘲と自虐をこめた述懐になっている。

優れた仏像彫刻の大家であった父光雲は、‥、西欧近代の彫刻が芸術として追求したモティーフの垂直性、いいかえれば素材の本質から出ながら素材を超えた抽象の宇宙に到達する方向をもたない。作品は円く閉じるが、無際限な拡がりをもたない。光太郎が折角学んできたものは、父光雲やその弟子たちの世界ではけっして解放されない。

「どんな眼かくしをされても磁極は天を指すのだ」という自覚に、光太郎が達したのは、智恵子と結婚同棲の生活に入ってからだった。

昭和20年4月、空襲でアトリエを全焼した光太郎は、「自己流謫」と彼自身が呼んでいるように戦争責任を引き受け、山林の独居自炊の生活に服する。

 彫刻家山に飢える。
 くらふもの山に余りあれど、
 山に人体の饗宴なく
 山に女体の美味が無い。
 精神の蛋白飢餓。
 造型の餓鬼。
 また雪だ。
 ‥‥
 この彫刻家の運命が
 何の運命につながるかを人は知らない。
 この彫刻家の手から時間が逃がす
 その負数-モワン-の意味を世界は知らない。
 彫刻家はひとり静かに眼をこらして
 今がチンクチェントでない歴史の当然を
 心すなほに認識する。    -「人体飢餓」より

西欧近代の芸術を腹中に容れた東洋の意味が、負数であるのか正数であるのかは、まだ本格的に問われるほど、この詩人・彫刻家は読み切られていない、と。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」-33

   泥にこゝろのきよき芹の根  

  粥すゝるあかつき花にかしこまり  野水

次男曰く、春二句目、挙句前の「句の花」を、二句上げたのは羽笠の野水に対する挨拶である。

名古屋衆の興行にたまたま相伴として加わることのできた謝意には違いないが、花の定座を間近にひかえ、春季のはこびに西行らしき俤の作りを示されて、「花」を以て継がぬ法はない。月と花は西行にとって修行の枝折りである。

作りは、白粥一椀の清浄を暁の花に取合せ、二句、僧尼の勤行とでも見ておくべきか。次句に改めて人躰の見定めをもとめる軽い遣句である、と。


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泥にこゝろのきよき芹の根

2008-10-18 23:56:09 | 文化・芸術
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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火


―世間虚仮― Soulful Days-15- ある朝突然に

今朝、すでに返本期限が過ぎてしまっていた李禹煥の「時の震え」-みすず書房刊-、60年代末から現代美術における「もの派」を理論的に主導してきた著者が折節に書きとめたごく短いエッセイ群の集成本なのだが、これを走り読みしていると思わず眼を釘付けにされる箇所に出会した。

「ある朝突然に」と題された一章は、16歳になった高校生の娘が自転車で通学途上、自動車に撥ねられる事故に遭うという、まさにタイトルどおりの不幸事、その顛末について綴っている。

あらましはこうだ。

朝7時、近所のおばさんから「お宅のお嬢さんが倒れています」という電話を受け、彼と妻がすぐさま現場へと駆けつければ、娘は地面に叩きつけられた蛙のように投げ出されている。強く頭を打ったようで、髪の毛は血塗れ、耳からも口からも赤い液体が溢れていて、すでに意識はなかった。

救急車で運ばれ救急治療が施されたのだが、CT検査では、頭蓋骨が大きくひび割れし、潰れた脳は腫れと酷い内出血で何処が何だか判別がつかない。医師は「最善は尽しますが72時間持つかな」と言った、という。

その夕刻、娘は少しの間だけ意識が還ったらしく、辛そうに呻きだした。妻が大声で名を呼び「しっかり、頑張るのよ、パパとママが傍に付いてるから大丈夫よ」と叫んだら、なんとかすかな声で「二人そこにいても何も出来ないじゃないか、‥誰にも出来ない‥」と。彼と妻は思わず呆然と立ち尽くすばかり。
娘はそれきり再び昏睡状態に陥った。二人はまる4日の間、眠りつづける娘のベッドの傍を離れなかった。

そして5日目の朝を迎えたが、若い生命力なのか、それとも医学の威力なのか、いくらか眼を開けるようになり、さらに7日目からは、確実に回復の兆しが見えはじめた。誰よりも医師が喜んで、自分の腕自慢と若い生命の再生力の凄さを称えながら、「光が見えてきましたよ」と、初めて明るい顔をした。

これが奇蹟というものだろうか。

意識が還って娘が真っ先に口にした言葉が、「わたしの御守り持ってきて」の一言だった。カトリックの学校だから、つねに身に着けているべきマリアのメダイユのことだとすぐ判り、「いますぐ取ってきてあげる」と、妻は羽が生えたように病室を飛び出していった。

日頃はませた文学少女のちょっぴり懐疑派だったはずの彼女、神とか宗教には強い抵抗感を抱いていた女の子が、机の引き出し奥深くにしまってあるらしいマリアを探すとは‥。

「神なんか信じていなかったんじゃないのか?」と、娘につい口を滑らせると、「じゃ、パパがわたしを助けたとでもいうの?」と,きっぱりとした口調で返されてしまった。

この瞬間、父と娘は、本来の他人同士、隔たりのある別なる存在に、還り得たのだった。

今日はRYOUKOの五七日、午後からは満中陰の法要を行った。それも概ね無事終わった、たったひとつどうにも不快事が起こってしまったけれど、これもまた我が身の不徳ゆえ避けがたき事‥。

その日の早朝、かような一文が我が眼に飛び込んでくるとはなんたる廻り合わせ。文中に見るかぎり、彼女の場合は幸いにして脳機能の後遺障害もなかったのではないか。察するに20年余り以前の事であろうが、結果において彼我の違いはあれど、奇蹟の降り来たった彼女の僥倖を慶びつつも、ひととき泣き濡れた私だった。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「炭俵の巻」-32

  いがきして誰ともしらぬ人の像  

   泥にこゝろのきよき芹の根  重五

芹-せり-

次男曰く、打越に「地-つち-」とありまた「泥」と云ったところが気にかかるが、浄域に小流れを作り季を春-芹-と持たせた、あしらいの付である。

「何事のおはしますをば」を自ずと思ったか、「かつすすぐ沢の小芹の根を白み漬げに物をおもはずもがな」-山家集・恋-を下に敷いた作りのようだ、と。


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