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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」
―世間虚仮― 蟹工船ブームで‥
文化後援会-大阪文化日本共産党後援会-という名称で私宛に時折送られてくる書面に、このたびは何故だか連合い殿と連署になっていたのが目に付き、少しばかり怪訝な気持にさせられながら開封してみたものの、なんのことはない、いつものように共産党の宣伝パンフ類。
その小さな冊子の裏表紙に「蟹工船ブームで1万人新規入党」と、毎日新聞などが採り上げた記事が紹介されていた。どうも眼にとまった記憶がないのでその記事を追ってみると、9月1日付に同じ見出しのものがある。昨年9月以降からの10ヶ月間で約1万人が入党、あるいは、京都府トラック協会が京都1区の穀田衆議院議員の来訪を初めて迎え入れたことや、地方の保守系首長や議員との接触も新たに生まれていること、などが報じられている。
また産経新聞の伝えるところでは、蟹工船ブームの火付け役となったのは、1月9日付の毎日新聞に掲載された高橋源一郎と雨宮処凛の格差社会をめぐる対談記事で、雨宮が「蟹工船を読んで、今のフリーターと状況が似ている」と思ったと言い、これに高橋が「僕が教えている大学のゼミでも最近読んでみたところ、意外なことに学生の感想はよく分かる」と応じたものだった。
既成政党のどの党よりも高齢化が目立ち、組織内部の世代交代が積年の課題でもある日本共産党、その古い党人たちは時ならぬブームに懐疑的だというが、蟹工船を介した若い世代からの共鳴が幾許かの実を結ぶことを、他人事ながら願ってやまないものである。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「炭俵の巻」-31
雲かうばしき南京の地
いがきして誰ともしらぬ人の像 荷兮
次男曰く、「いがき」は斎籬、忌籬、瑞籬と云っても同じ。本来は神域の垣だが必ずしもそれに限らず、ここもただちに神垣と考えぬほうが面白い。
前句の注文どおり「南京」を奈良と読替え有りそうな嘱目を付けただけで、祭祀とは名のみの、廃寺業祠であってよし、祀ってある人もわからぬ、それ以上解を須いない句である。
あるいは、句案の背後に伝西行の「何事のおはしますをばしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」があったかと思うが、俤付というわけではない。歌は延宝2年の板本「西行法師家集」に「太神宮御祭日よめるとあり」と詞をつけて収め、伊勢参宮の記や案内にも載せるものだ。
はこびの凝りをうまくほぐした、素直な佳句である。この巻の芭蕉と羽笠の付合は6ヶ所-蕉・笠が4、笠・蕉が2-、これは客二人をefに配した興行の趣向によるもので、、偶然とはいえない。蕉・笠のからみもめでたく赤壁の攻防に終った。あとは帰心の工夫のみ、と荷兮は云いたいのだろう。
はこびはいよいよ名残裏入である、と。
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