山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

花咲けば芳野あたりを駆廻り

2009-03-21 11:54:26 | 文化・芸術
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―世間虚仮― 阪神なんば線今昔

以下は昨夜書いてupしようとしたのだが、Internetの接続トラブルで出来ず、一日遅れのup。

暖かいが風吹き荒れ模様の春分の日、イランの暦では元旦にあたるという。
開通した阪神なんば線、今朝の午前4時50分、初発の奈良行普通電車が尼崎駅から発った、と。なにしろ50年越しの難波延伸計画がやっと完結を見たのだからおめでたいというべきか。

昔は伝法線と呼ばれていたという阪神電車の西大阪線、難波延伸計画の第1期工事-千鳥橋-西九条間-が着工されたのは私が高一だった1960-S35-年のことだから遙か遠い昔だ。その完成が64-S39-年で、併せて同じ時にJR環状線が全線複線化され名実ともに環状線となっている。

その後67-S42-年に第2期延伸工事の西九条-九条間が一旦は着工されたのだが、九条新道の商店街を中心に地域住民の反対の声にすぐさま中止され、大阪ガスの工場跡地に大阪ドームが誕生する97-H9-年頃までこの延伸計画が再燃具体化することはなかった。

その30年間における九条界隈の変容、商店街を中心に鉄工所が林立していたこの街の衰微は相当なものである。
この街で生まれ育った者のひとりとしても無関心でいられる問題ではなかったし、おまけに新しく生れた九条駅の地下出入口は我が実家の道路を挟んだ真向かい、旧NTT西局であったから尚更のことであった。

つい昨日もちょっとした所用があったので実家近くを通ったのだが、九条南交差点の角地のビル、古くは戦前からのもので以前は三菱銀行九条支店だったのだが、それがいつのまにか取り壊されコンクリートの残骸ばかりとなっていたのには、車を走らせながら、あの大阪空襲にも焼け残って生き延びてきたビルがとうとう消えゆくかと一瞬感慨がよぎったものだ。

そういえば、毎日新聞の連載シリーズ「わが町に歴史あり-知られざる大阪」ではこのところずっと西区の話題で、今朝も前回に続いて松島新地の由来譚だったから、折しも新旧交錯した九条界隈の噺のタネ、阪神なんば線は50年余を経ての噺だが、後者松島のほうは明治初期の頃まで遡ろうというもので、人住む街のさまざまに折り重なる記憶や痕跡というもの、そういう匂いがするものに触れると我知らずなにやら温もりが身内に生じてくるのが感じられ、こんなのが茫とした生の実感とでもいうものであろうかと思われる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-35

   医者のくすりは飲ぬ分別  

  花咲けば芳野あたりを駆廻り  曲水

次男曰く、名残の花の定座である。巡りでは珍碩に当るが、譲ってcb入替った所以は先に説いた。

「分別」をどう読取ったかはわからぬが、其人の付である。その他に解を須いぬ。しいて云えば、一巻の起承転結に西行の俤があるか。

「旅に死ぬるは行脚の本意也と、此花は発句に花見と言題に匂て、斯くは附たり」-秘注-、露伴も「遙に花見と題したる発句に呼応して好し」と云っている、と。


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医者のくすりは飲ぬ分別

2009-03-18 23:55:40 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 生命の春なれど‥

連日夜なべで追われた仕事もやっと一息。
昨日今日と連日20℃を越す陽気、各地で桜の開花宣言が相次ぎ、桜前線は一気に加速した模様だ。

そういえば日曜日の新聞だったか、一面トップに「桜前線100年後暴走」などと穏やかならぬ見出しで、思わず眼を奪われてしまったが、記事内容は、九大の気象学教授が九州の鹿児島から本州北端の青森まで温暖化影響下の各地について100年後の開花予測をつぶさにモデル化したもので、近く開催される日本農業気象学会で発表されるという論文を下敷きにしたもの。この説によれば、東北の、それも山里ほど開花時期が早まり、現在に比べて4週間近くも早くなるそうな。

そのバカ陽気とともに大陸飛来の黄砂が列島を覆って空から降りかかっては、折角咲かせた花の色も幾許か色褪せようし、ただでさえ短い花の命がさらに縮まろうというもの。花粉症に悩む多くの人々にとって苦しみは倍加しようし、陽春に誘われそぞろ野や山へなど以ての外、昔懐かし夢のまた夢だろう。

そういえば軽いとはいえアレルギー性小児喘息を患う幼な児のKAORUKOも、この2.3日はいつもより痒がっているようだしなんとなく不調の兆しがみえる。
思えば、西欧近代の、文明の行きつく果て、21世紀に生きるなどということは想像の埒外にあった我が身だけれど、いつのまにかそれも幾年ぞ‥。
そうだ、KAORUKO自身、01年の生まれ、彼女こそ苛酷な新世紀を生きる人であった。暴走の果ての新世紀を否応もなく生きねばならぬ人であった。

母親がB勤とやらで未だ帰らぬ今宵、少しだけ勉強を見てやり、夕食を済ませてからは「スピード」なるトランプ遊びの相手をしてやり、明日は学校の卒業式とやらで、その連想からだろうか、「賞状ごっこ」をしようなどと言い出したものだから、キーボードを叩いてちょっぴり本格的なのを作ってやった。

「賞 状  KAORUKO殿
  あなたは、四方館のダンスカフェで
  とてもよい演技をされ
  りっぱな成果をあげられましたので
  ここに感謝の言葉とともに
  これを賞し、記念とし本状を授与します。
   平成21年3月18日  四方館亭主 林田鉄」

声を出して読み上げたうえで、式次第よろしく手渡してやったら、なにやら感きわまったか、彼女の眼はウルウルときているようだった。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-34

  一貫の銭むつかしと返しけり  

   医者のくすりは飲ぬ分別  翁

次男曰く、気味で付けた会釈-あしらい-である。必ずしも同一人と読む必要はないが、前と合せて「唯四方なる草庵」の主を自ずと指す作りになっている。珍碩を世に出すための興行なら猶更である。

「分別の門内に入る事をゆるさず」とうそぶく人間にも「医者のくすりは飲ぬ」という分別があるではないか、とからかっている。旅人芭蕉の自画像でもあるだろう。

「雁がねの巻」両吟-貞享5年9月興行-に、「なに事も長安は是名利の地-芭蕉、 医のおほきこそ目ぐるほしけれ-越人」という付合があった。そういう時代風潮に対する諷刺とも取れる。因みに、珍碩も医を見過ぎとしたと伝える。それなら、医者の不養生とも、珍碩輩の処方した薬はうかつに飲めぬとも、「分別」の意味が拡がる。

蕉門に所謂医家は多い。其角・去来は名家の出だが荷兮・尚白・風国・凡兆・木節・朱拙なども町医と伝える、と。


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一貫の銭むつかしと返しけり

2009-03-16 20:28:22 | 文化・芸術
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―四方のたより― 勿体ない!

休日の昼に、Dance caféなどとは、あまり似合わないのかな?
リハーサルのために朝から繰り出して
準備万端とは云えないまでも
まあ、とにかく、仕上がりはわるくはない筈だったのだけれど‥
客席は、お寒いかぎりの閑古鳥
いやはや、なんとも、勿体ない会であったことよ
些か自棄気味に
終わったあとの虚脱感を埋め合わそうとした訳じゃないけれど
関係者みんなで、階下のカフェに陣取っては
珈琲一杯で、駄弁ること延々2時間近く
それのみが意外にも、結構素敵な時間なのでした

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-33

   唯四方なる草庵の露  

  一貫の銭むつかしと返しけり  曲水

次男曰く、一貫は銭一千文、貫緡-かんざし-とも云い実際には960文を穴繋ぎにして一千文に用いた。明治4年制定の円単位制では十銭として換算した。

「むつかし」は厭わしい、「と返し」たというのだから、貸そうと云ったか呉れると云ったか知らないが、「唯四方なる草庵」住いにはそれさえ煩わしい、と人物の見定めを付けている。


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唯四方なる草庵の露

2009-03-14 22:46:04 | 文化・芸術
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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― あか色々-承前-

いよいよ明日、本年第1回のDance Café、Reding -赤する-、乞ご期待!といったところ。

・韓紅/唐紅-からくれない-
紅花の濃染による紅赤色、奈良時代「紅の八塩」と呼ばれた。八塩とは8回染重ねることの意で、濃染のこと。呉の国からやってきた染料ということから「呉藍-くれあい-」と呼ばれ、その読みがそのまま「くれない=紅」と日本語の色名となったといわれる。舶来の意とともに色の美しさを強調して、濃い紅花の赤を韓紅、唐紅と記されるようになった。

・蘇芳-すおう-
蘇芳はマメ科の落葉小高木、インド南部やマレー半島が原産。心材を蘇芳木といい、古くから赤色や紫系の染料に用いた。媒染剤に明礬や灰汁を使って発色させるが、やや青味のある赤色をしている。媒染剤に明礬を使った赤を赤蘇芳と呼んだ。また紅花や紫に代えて染色に用いられたため、似紅-にせべに-、似紫と呼ばれた。

・蘇芳香-すおうこう-
ややくすみ気味の赤褐色だが、香の字が示すように元は香りの良い丁字で染めた「香色」を真似たもの。丁字は高価なため代わりに支子と紅花が用いられたのだが、この蘇芳香は紅花の代わりに蘇芳で染めたもの。

・真朱-しんしゅ-
天然産の良質な「朱砂」の色のような、黒味のある赤色。朱は水銀の硫化物のことで、天然産の硫化水銀の原鉱は朱砂という。

・甚三紅-じんざもみ-
かすかに黄味を含んだ中程度の濃さの紅赤色。紅花染が高価なため、茜または蘇芳を用いた代用紅染だが、「京、長者町桔梗屋甚三郎というもの、茜を洩って紅梅にひとしき色を染出す」との由来から生れた色名。

他に・一斤染/聴色-いっこんぞめ/ゆるしいろ-・紅梅色・退紅-たいこう-・鴇羽色/鴇色-ときはいろ/ときいろ-・桜鼠-さくらねずみ-・長春色-ちょうしゅんいろ-・曙色/東雲色・臙脂色-えんじいろ-・黄櫨染-こうろぜん-・代赭色-たいしゃいろ-・赤白橡-あかしろつるばみ-・紅鬱金-べにうこん-・牡丹・撫子色-なでしこいろ-・躑躅色-つつじいろ-・鴇浅葱-ときあさぎ-・銀朱・紅樺色-べにかばいろ-・今様色・苺色・灰桜色・宍色-ししいろ-/肉色、等々。
  -平凡社刊「日本の色」より

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-32

  花薄あまりまねけばうら枯て  

   唯四方なる草庵の露  珍碩

次男曰く、いつから、どのあたりからともなく、少しはしゃぎ過ぎたようだ、と芭蕉は自戒をこめて云っている。地珍碩の句はそれに応じた反省。「四方-よほう-」は四角、方形の四隅、以て結界となす意を含むから、規を越えずと読んでよい。むろん「草庵」の形容で、「露」にかかるのではない。

「露」は、季を持たせるため、連句特有の投込の手法だが、「人目見し野べの気色はうら枯れて露のよすがにやどる月かな」-新古今、寂蓮法師-を含みとして思付いたのかも知れぬ。三句を見渡してそう思う、と。


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花薄あまりまねけばうら枯て

2009-03-13 21:49:58 | 文化・芸術
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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―世間虚仮― Soulful Days-20- Drive Recorder

昨日の午後、事故時の記録画像を、やっと見ることができた。
MKタクシーのK氏やT氏を煩わして2.3週間前から要請していたことだが、ご丁重にもT氏自らの送迎付で大正営業所内の応接室にて、ドライブ・レコーダーに記録されていたという事故時の画像、それは衝突の瞬間に前後するほんの数秒間の記録なのだが、件のビデオと対面したのである。

画像は、RYOUKOを乗せたM氏運転の車が辰巳橋南交差点へ右折しようと進入するあたりから、対向車線を走行してきたT運転の相手車と衝突した直後まで、6.7秒程度のもの。
その短いビデオ画像を何度も繰り返し見た。徐行速度がコンマ秒でわずかに揺れ動くのを、コマ送りで何度も行きつ戻りつしては、克明に脳裏に焼付け、またメモもしてみた。

車は阪神高速の16号大阪港線の高架下を9.8km/hでゆっくりと右折途中、対向車線を走ってきた1台の軽自動車を見送っているのが判る。その軽自動車通過直後から衝突の瞬間まで3.8秒、高架下側道の右折車線に車の先端がかかりだしたかと見られる時点からなら2.44秒程かと推定される。
車は右折して直進横断行為になるあたりから徐々に加速していき、コンマ秒単位で12.7km/h、16.9km/h、21.1km/hを示すが、衝突時より0.5秒直前にほぼ停止状態-5.6km/h-となる。

このことは相手方が供述しているとされる「右折車が横断途中に突然停車した」というものとたしかに符合する。
だが、この主張が矛盾なく成り立つのは事故時から遡って1.0秒乃至1.1秒というほんの短い時間だけのことだ。少なくともその数秒以前、2.7から3.0秒程は右折しようとしている車のヘッドライトが交差点路面を照らしつづけているのだが、相手方はどの時点で右折車の存在に気がついたのか、それが問題だろう。

相手車は衝突時、70km/hの速度だったとタイヤ痕などから計測されている。制限時速60km/hの道路で速度違反としては咎め立てするほどのものではないと担当検事は曰われたが、右折車の直進横断をしつつある車の存在に気がついていながら、速度も落とさず走行しようとするのは危険があまりあるし、自ら事故を呼び込むような行為に等しいというものだろう。

この記録画像から、やはり、どうしても推測されるのは、相手方Tはその走行斜線上に右折行為にあるRYOUKOの乗った車が停止するその時点まで、まったく視認していなかったのではないかということであり、その視認の遅れは直前の脇見運転の疑いをいよいよ大きくさせるものなのだ。

偶然にしても出来過ぎているようだが、昨日の同じ時刻頃、M氏は3度目の呼出しとかで検察庁に出向いていたらしく、私は帰りの車の中で彼からのMailを受け取った。

その報告によれば、検事はこの記録画像を見ていること、さらに本日でもって取り調べを終結し、略式起訴で刑の確定をする意図であったが、Mは弁護士と相談のうえ後日返答したいと申し出た、ということであった。

敢えて裁判へと持ち込むことが、M氏にとって有利にはたらくか、雉も鳴かずば撃たれまいにと、却って刑を重くすることになるか、その判断は微妙で難しいところだが、事故原因の実相に些かなりとも迫るには懼れず火中の栗を拾わざるを得なくなるのではないか。遺族の一人である私との接点を強めれば強めるほど、彼と彼の家族を窮地に陥れる結果を招くことにもなりかねないのだが‥。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-31

   月夜々々に明渡る月  

  花薄あまりまねけばうら枯て  翁

次男曰く、名残の裏入である。
秋三句目で、夜明と覚しき末枯れた野の嘱目を寄せただけのように見えるが、そうではないらしい。花薄は穂に出たススキ、尾花の別名だ。前-端句-の作りを見咎めて、季語取出しにも一工夫があれば、作意にも観相がある。

「あまりまねけばうら枯て」は手詰りとなった前句を衝いた云回しで、ことの起りは珍碩にあるから、窘められているのは珍碩だとも云える。-「招く」は踊の付合-。
ともあれ、月の座も招き過ぎれば末枯れるしかあるまい、と冷かしている。尾花に托した、裏起しの場でのこの捌きはうまい。

中村俊定は「あまりまねけばの詞が月夜々々にに対応してひびいており、この擬人化された表現がこの句の作であるが、同時に景の句の中に人情をこめたおもしろさが出ている」、と。


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