山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

街はづれは墓地となる波音

2010-04-26 04:23:34 | 文化・芸術
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-日々余話- Soulful Days-35- 子の罪、親の罪

つ-じ-blogとタイトルしたブログがある。プロフイール欄には、先ず氏名-これは間違いなく本名だ-を載せ、つづけて「大阪生まれのぐうたらなウエイクボーダーです。今年でプロ3年目です。ぼちぼちがんばってます。」とある。

更新ペースはいたって気まぐれでのんびりしたものだが、このブログの主、誰あろう、RYOUKOを死なしめた事故の相手、T.Kその人である。

ブログの存在を知ったのは偶然ではない。彼の父親と初めて面談-この折もちろん彼自身を伴ってのことだったが、彼は殆ど言葉らしい言葉を発していない-した時だったが、学生時代からウエイクボードなんてスポーツに嵌って、一年ほど前にプロ資格を取った、とそんなことを父親から聞かされたものだから、どんなスポーツかも知らなかったし、ネツトをググってみたら、当のブログに出会した訳である。
少しばかり拾い読みするだけで、まあ彼というその人となりはおよそ察しがつくし、生活習慣なども見えてくる、それ以上に何か情報を得ることもないから、以後は滅多にこのブログを覗くことはなかったのだが‥。

2.3日前に、ふとそんな気になって久しぶりに覗いてみたら、-イヤ、驚いた、魂消てしまった!

彼の刑事処分が略式とはいえ起訴と決したのは3月19日、簡易裁判所において30万円の罰金と略式命令があったのは3月23日だ。おまけに医師国家試験の合否発表は3月29日であった。
かような大事が連続している渦中に、彼は、このヤツガレは、なんと海外に、アメリカのフロリダで、のんびりと海に遊び呆けていたのである。それも3月16日に日本を発って、まる1ヶ月のあいだ遊びに遊んで、ようやくこの17日ご帰還になった、らしいのだ。

彼は12月に誕生日を迎えてすでに御年29歳だ、もうガキじゃない。それどころか新築高層マンションの46階でペットの犬1匹と優雅な独り住まい、むろん親名義の物件らしいが、4年前に竣工なったばかりのクロスタワー大阪ベイだ。おそらくこのマンション、7.8000万はしたろう代物だ。どこまでも脛かじりのトンデモ坊やだが、この件は先刻承知だったからこの際措くとして、この時期の1ヶ月のフロリダ・バカンスには、もう開いた口が塞がらない、子どもが子どもなら、親も親、どこまでも我が子を世間様の風雨に曝せないこの親の罪は深く、あまりあるというものだろう。

やはりどうしても、この子と親には鉄槌を降さねばならない、-けっして憎悪からではなく。

―山頭火の一句― 行乞記再び -41-
2月2日、雨、曇、晴、4里歩いて、大村町、山口屋

どうも気分がすぐれない、右足の具合もよろしくない、濡れて歩く、処々行乞する、嫌な事が多い、午後は大村町を辛抱強く行乞した。

大村-西大村といふところは松が多い、桜が多い、人も多い。
軍人のために、在郷人のために、酒屋料理屋も多い。
昨日も今日も飛行機の爆音に閉口する、すまないけれど、早く逃げださなければならない。
此宿はよい、しづかで、しんせつで、-湯屋へいつたがよい湯だつた、今日の疲労を洗ひ流す。
何だか物哀しくなる、酒も魅力を失つたのか!

-略- 大村湾はうつくしい、海に沿うていちにち歩いたが、どこもうつくしかった、海もわるくないと思ふ、しかし、私としては山を好いてゐる-海は倦いてくるが山は倦かない-。
歩いてゐるうちに、ふと、梅の香が鼻をうった、そしてそれがまた私をさびしい追憶に誘ふた。--略-

※表題句の外、1句を記す

大村町-現在は大村市だが、その海岸から2km先に浮かぶ簑島には長崎空港とともに海上自衛隊の大村航空基地がある。その前身は大正12-1923-年の大村海軍航空隊の開設に始まり、日中戦争における海軍航空部隊の重要な出撃基地であった。降って昭和20-1945-年には特攻隊の出撃基地ともなっており、島尾敏雄が奄美群島の加計呂麻島に赴任する前に志願し入隊したところでもある。

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Photo/当時の大村海軍航空基地

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Photo/大村市から望む大村湾夕景

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Photo/海の見える大村市松原の棚田風景

市内西本町の国道43号線沿、古くから町民に親しまれた、その名も「山口屋」という老舗の中華料理屋があるが、はたして山頭火が泊ったという旅籠と関わりがあるのかどうか‥。

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Photo/国道沿の中華店山口屋

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黒髪の長さを汐風にまかし

2010-04-25 19:29:01 | 文化・芸術
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-四方のたより- 小さな拍手

2週間ぶりの稽古、AYAがイギリスに発って、JUNKOだけの独りっぼっちの稽古が、この先2ヶ月ばかり続くことになる。

だが案ずるよりも産むが易し-、10分と12分半ほどの即興をやらせてみたが、やはりJUNKOの場合は、解放度の問題だということをつくづく思い知らされた時間だった。

理-ことわり-を意識下に沈ませ、ただ心身の感覚にゆだねるがごとく動くのが、彼女の場合ベストだ。そうして動きを綴っていったとしても一定の長さや質量に及んでくれば、おそらく場面の意識なり構成への志向なりが自ずと生れてこよう、そのときはそこへと心身-意識を投じていく‥。

2度目の即興をやり了えたとき、小さく拍手を贈ってやった。

-表象の森- 清代諸家-古代への憧憬-4
石川九楊編「書の宇宙-22」より

・何紹基-Kasyouki-1799-1873
「山谷題跋語四屏」
黄庭堅の「題跋」の語を書いたこの四屏は、何紹基の代表傑作。行書体だが、明代までの王羲之を典型とする行書体の姿とは、相当に異なっている。初唐代の楷書と較べて、<雨>や<軒>の横画の起伏が逆入し、かつ送筆が長く、そのため字形が方形に収斂する。行書を書いているにもかかわらず、隷書の書法が入り込んでいるからだ。隷書体を基盤とする筆蝕を、行草書体のように連続しつつ書字するところに生れた書である。

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/荊洲沙市舟中。久雨初霽。/開北軒。以受涼、王子飛兄
/弟來週。適有田氏嘉醞。/問二客。皆不能酒。而予自
/贊曰。能因濯古銅瓢。満/酌飲之曰。飲此即為子書
/匹帋。子予一挙覆瓢。因/為落筆不倦。 何紹基

・何紹基「西狭頌五瑞図題記」
隷書体で書かれているにもかかわらず、画一的で窮屈な感じはしない。「山谷題跋語」が隷書体の筆蝕を基調にして行書体を書いているのに対して、本書は隷書体に行草書体的連続性の筆脈を注いで書いているからだ。自然な筆脈による強弱の抑揚を見せる<治>、<龍>の偏部、<圖>などは見所。隷書体を書こうが、行書体を書こうが、碑学に硬直せず、逆入平出法など特殊な筆法至上主義に陥っていないところに、何紹基の独創的な位置がある。

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/君昔在黽池。脩治崤嶔
/之道。徳治精通。致黄龍
/白鹿之瑞。故圖畫其像。


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水音の梅は満開

2010-04-24 21:44:04 | 文化・芸術
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-日々余話- 寡黙なる巨人の訃報

  おれは新しい言語で
  新しい土地のことを語ろう
  むかし赦せなかったことを
  百万遍でも赦そう
  老いて病を得たものには
  その意味がわかるだろう
  未来は過去の映った鏡だ
  過去とは未来の記憶に過ぎない
  そしてこの宇宙とは
  おれが引き当てた運命なのだ

   -「新しい赦しの国」-詩集「歌占」より-

多田富雄の訃報を知ったのは22日の朝刊だった。それは全国版の社会面だったが、その記事の、意外に小さなことに、少しばかり驚かされた。
'01年に脳梗塞で倒れ、重い右半身麻痺と言語障害の後遺症を抱えた闘病生活のなかで、エッセイなど多くの著書を世に出した。

「免疫の意味論」と「生命の意味論」は、免疫学者として優れた業績を残した彼の生命理論だが、共に好著。

他に、私自身の読書録を振返れば、「生命へのまなざし-多田富雄対談集」、中村雄二郎と共編の「生命-その始まりの様式」、柳澤桂子との往復書簡「露の身ながら」、それに少年時代から小鼓を嗜み、晩年は数本の新作能をものした彼の能関連のエッセイ「能の見える風景」や「脳の中の能舞台」などがある。

―山頭火の一句― 行乞記再び -40-
2月1日、雨、曇、行程4里、千綿-長崎県-、江川屋

朝風呂はいいなあと思ふ、殊に温泉だ、しかし私は去らなければならない。

武雄ではあまり滞留したくなかつたけれど、ずるずると滞留した、ここでは滞留したいけれど、滞留することが出来ない、ほんにこの世の中はままにならない。

彼杵-ソノギ、むつかしい読みだ-まで3時間、行乞3時間、また1里歩いてここまできたら、降りだしたので泊る、海を見晴らしの静かな宿だ。

今日の道はよかつた、山も海も-久しぶりに海を見た-、何だか気が滅入つて仕方がない、焼酎一杯ひつかけて誤魔化さうとするのがなかなか誤魔化しきれない、さみしくてかなしくて仕方がなかつた。-略-
私はだんだん生活力が消耗してゆくのを感じないではゐられない、老のためか、酒のためか、孤独のためか、行乞のためか-とにかく自分自身の寝床が欲しい、ゆつくり休養したい。

新しい鰯を買つて来て、料理して貰つて飲んだ、うまかつた、うますぎだった。
前後不覚、過現未を越えて寝た。

※表題句の外、2句を記す

長崎県の大村湾東岸に沿って大村線が走る。路線距離47.6㎞、駅数は13、開業は明治31-1898-年だ。

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Photo/大村線の松原~千綿間の風景

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Photo/彼杵~千綿間を走る汽車

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Photo/彼杵の本陣跡、今は彼杵神社


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城あと茨の実が赤い

2010-04-23 23:29:29 | 文化・芸術
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※表題句は1月24日記載の句

-日々余話- Soulful Days-34- 若い検事と弁護士と

一昨日は、大阪地検へ参上して若い気鋭の検事と面談、午前10時から1時間半に及ぶ。
二日おいて今日も午前10時から、これまた若い国選弁護人と面談、此方は被告のMとともにだったからさらに時間を要してほぼ2時間。

被告Mの自動車運転過失致死傷事件の刑事裁判は、すでに第1回公判期日を5月7日に行うと決まっている。
まず検事と面談したのは、公判への被害者参加制度に則り、被害者遺族として裁判に臨むことを意思表示していたからだ。電話の声で察していたようにW検事は、審理段階の検事とはうってかわって、とても若い。少壮の青年検事という雰囲気だけに正義感に燃える理想家肌、原理原則を尊ぶといった気概が、言葉を交わすあいだに充分感じられた。

私がこの裁判に積極的に参加しようというのは、被害者遺族の立場から被告Mを強く告発したいからではなく、その真逆、彼を弁護し、なんとしても量刑の軽減を計らねばならぬ、むしろ被告席に立つべきはもうひとりの相手Tでなければならぬと、そう確信しているからだ。

地検の審理段階で、Mには減刑の嘆願書を出し、事故の重大な過失はTの無灯火と脇見にあると主張し、Drive Recorderを証拠資料として詳細に分析せよと、Tを告訴したにもかかわらず、結果は、事故当初から西署によって作成された調書がなんら見直されることもなく、この告訴によって動いたことといえば、検察当局としては審理の初期において、Tを不起訴に、Mには略式起訴で罰金刑に、と予断されていたにもかかわらず、Tを略式起訴に、Mには公判請求を、と相対的に量刑が嵩上げされるという、われわれ遺族が望みもしない結果を招来してしまったのだった。この結果については忸怩たる思いに囚われるのみで、一旦出来上がってしまった捜査当局の調書に改変を迫ることなど願うべくもなく、やはり捜査の壁、検察の厚い壁を前に、こちらの無力感ばかりがつのってはやり場のない思いに立ち往生といった躰だった。

そんなところへ届いたのが5月7日の公判期日の知らせ、ならば私に残された為すべきことといえば、なんとしてもMに下される刑を軽微なものにしなければならぬ、これに全力を注がねばならぬと思い定めての、一昨日と今日、検事と弁護人、相反する二者との面談だった。

今日会った若い国選弁護人、彼は、私のこうした振る舞い自体、本来ならMを訴追する検事側に立って、厳罰をと望むはずの被害者遺族が、まったく逆の立場で執拗に発言を繰り返すのに、戸惑いを隠せぬといった様子だった。考えてみればそれも無理はない。検事のほうは、審理段階から私が何を言い、どういう立場を採ってきたか、検察内部での申し送りもあれば、私が出した書面などの資料もあるから、予め予備知識がある。かたや現在のところ弁護人が知り得る材料は、検察より裁判所へ提出された訴追資料しかないのだから、面喰らうばかりというのも肯けることではある。ではあるが、事前にMを通して私も同席するからと伝えてあったのだから、もう少し想像力を働かせてしっかり腹を据えておけ、と言ってみたくもなるほどに、彼の応接はテキパキともせずまだ理解がついてこぬといった感に終始した2時間だった。

それにしても、交通事故における甲乙二者の過失に対する相対主義というあり方、それ自体が私には解らぬ、どうしてそうでなければならないのか。

これがたんに民事における損害賠償問題を解決しなければならない場合、過失割合を云々し、それに応じた賠償責任を互いに負担し合わなければならぬから、相対主義にならざるをえないだろうが、刑事責任を問おうとする場合、もちろん双方に過失が存在するであろうことはまちがいのない事実ではあろうけれど、警察の捜査や検察の審理が100%の事実関係を洗い出せるはずもないのに、帳尻を合わせるかのごとく合理性を求めて相対主義になぜ固執するのか。だからこそ、その結果、却って関係者各様に堪えきれぬような不条理な結末を負わせることになるのではないか、そう思えてならぬ。

ことここにいたって、私の思うところはこうだ。
Tの無灯火や脇見は、たしかに非常に疑わしい、疑わしいにちがいないが、これを完全に立証することは、これまた非常に困難でもあろう、さらにいまさら彼の供述を覆させることもまた難しい、したがってTに対しては、疑わしきは罰せずと落着させるしかない。彼が事実とは異なる軽微な罪で済んだとしても仕方がない、彼には別の反省の機会を求めようと思う。

さてMは、無灯火も脇見も疑わしいとはいえ立証ならず、Tが軽微な罪で落着したのだから、やはりMの過失は重く、その罪も過失相当に重くならなければならぬと、事態はこう運んでいるわけだが、そんなバカなことはない、相手には無灯火や脇見の疑いがどうしても残るのだ、ただ罰せないだけなのだ、当然に彼の問われるべき罪は軽微なものにならなければ、それこそ冤罪にも等しいことになるではないか、こんな不条理はとんでもないというものだ。


-表象の森- 清代諸家-古代への憧憬-3
石川九楊編「書の宇宙-22」より

<逆入平出法>
無限折法=無限微動筆蝕は、<逆入平出>というひとつの定法を獲得することになった。
<逆入平出法>とは、字画を書くときに、起筆部は逆筆にし、字画の前半部は「押し-筆尖先行、筆管後行の力と筆蝕の態様をいう-」、後半部は「引く-筆管先行、筆尖後行の力と筆蝕の態様をいう-ところの、一般的な書字法とは逆の書字運筆法である。
この書法を用いて、粘着質の強靱な筆蝕からなる、いわば脂っこい重々しい書が生れてくる。趙之謙の「楷書五言聯」などはその代表例である。

この逆入平出法によって筆尖と紙との間に生じる筆蝕の微細な劇を生き生きと想像するためには、セルロイドの下敷を手にして、机にひとつの字画を描くことを想像するとよい。「引く」ことに主律される「前半引き・後半押す」の一般的な順法においては、下敷は机を撫でるように進み、押し込むように終る。これに対して、「押す」ことに主律される「前半押し・後半引き」逆法においては、下敷は強くたわみ、「押す」ことによってガタガタガタと常法では生じない振動を始め、引き抜くように終る。いわば、この逆入平出法なるものは、筆尖を細かに振動させる無限折法=無限微動筆蝕を作りあげるための、一種の自動装置である。この書法に従えば、自動的に苦もなくきめ細かく微動する無限折法=無限微動筆蝕に近い筆蝕が得られるのだ。

・陣鴻寿-Chinkouju-1768-1822
「隷書五言聯」
水平や斜めに直線的に大胆に伸びる筆蝕が快い、魅惑的な隷書の作。
書の構成は、金農-伊秉綬-陣鴻寿のつながりで考える事ができる。それでも痩せた書線、水平に長く伸びた構成は、固有の表現。逆入蔵鋒などの小うるさい書法に拘泥せず、伸び伸びと書かれている。<蘊>などの艸部の軽やかな筆蝕、
糸部の愛くるしい図形的構成。<真>の第2画の収筆から第3画の起筆へ連続する滑らかな筆蝕、同第8画や<遇>の最終画のさっとペンキを刷毛塗りしたような伸びやかな筆蝕が見所。

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/蘊真陿所遇/振藻若有神


「蘇軾詩」
1960年代、日本の書壇で陣鴻寿風の書が流行したことがあるが、この書などいかにも現在の書展で条幅作品としてお眼にかかるような世界。構成は王羲之を拡張した宋代の黄庭堅らの構成を基盤にしながら、これをさらに拡張させている。たとえば<繁枝>に見られるように、潤渇-とりわけ極限に近い渇筆-の意識的構成に、現代書に通じる企図的表現が覗える。

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/湖面初驚片〃飛。尊前吹折
/最繁枝。何人會得春風意。
/怕見梅黄雨細時。

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枯山越えてまた枯山

2010-04-22 17:05:21 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 4月穀雨の雪

郡山で雪が降る、とニユース映像が流れる。
強い寒気と低気圧などの影響で、福島県内は郡山市や白河市などで朝から雪が降っている。気温も上がらず午前11時々点、郡山市で0°4、白河市で0°6など真冬並みの寒さ、白河では11時現在3㎝の積雪を観測したらしい。東北山間部でも各地で雪だという。

昨今の異常気象つづきに、さして驚きもしなくなった自分自身に、ニュースを聞きながら、ふと思いが走った。

―山頭火の一句― 行乞記再び -39-
1月31日、曇、歩行4里、嬉野温泉、朝日屋

一気にここまで来た、行乞3時間。
宿は新湯の傍、なかなかよい、よいだけ客が多いのでうるさい。
飲んだ、たらふく飲んだ、造酒屋が2軒ある、どちらの酒もよろしい、酒銘「一人娘」「虎の児」。
湧出量が豊富だ-武雄には自宅温泉はないのにここには方々にある-温度も高い、安くて明るい、普通湯は2銭だが、宿から湯札を貰へば1銭だ。
茶の生産地だけあつて、茶畑が多い、茶の花のさみしいこと。

嬉野はうれしいの-神功皇后のお言葉-。
休みすぎた、だらけた、一句も生れない。
ぐつすり寝た、アルコールと入浴とのおかげで、しかし、もつと、もつと、しつかりしなければならない。

※表題句は、1月26日記載の句

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Photo/嬉野温泉、シーボルトの足湯

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Photo/井手酒造-2軒あったという造酒屋は1軒残るのみ

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Photo/その店の軒先にある山頭火の記念碑

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