時々小雨がちらつく天候の中、舞鶴へ行ってきました。
京都を離れるに従って、次第に北部独特の、どんよりした、暗い空、今にもザーッと雨が来そうな天気になってきました。
舞鶴では、「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉があるくらい、今日のように、どんよりとした、急に雨になりそうな天気の日が良くあります。
雨は小雨が降ったりやんだりでしたが、風が強く、「強風注意報発令」や、「横風注意」の文字が、京都縦貫道や、若狭自動車道に、表示されていました。
この強風にあおられて、高速道路の左右にある竹藪の竹が、「いらっしゃいませ」とか、「こんにちは」、又は「お気をつけて」といっているように、お辞儀していました。
又、ススキや、恋に忍びなく草などは、もう季節が終わって、まっ茶色になり、髪の毛をふり乱したような感じで、秋には、最も美しい姿だったのに、厳しい冬の季節を耐え忍び、人生の終わりを迎えたような、厳しく、又哀れを感じさせるように目にとまりました。
京都縦貫道が終わり、和知から今度は若狭自動車道へ入りました。
2時に東舞鶴市役所の農林課へ、市役所の職員さんと、地元の農業委員会の方と、話し合いの予約になっていましたので、西舞鶴で高速を降りずに、東舞鶴ICまで行きました。
途中、綾部パーキングエリアで、ちょっと一休み。
綾部パーキングエリアで咲いていた、かなり、老木に見える梅の木に咲いていた白梅。
同じく紅梅
何だか年老いた木で、木や花に勢いがなく、あたりも寒そうに閑散としていて、何だか物の哀れを感じさせられました。
ここの駐車場の片隅に、黒く汚れた雪が残っていました。
2時少し前に、市役所の農林課に入りました。
地元の農業委員さんも、3月8日に、農業委員さん19名で、審査され、果樹が、何本か植えてあるので、やはり農地として成り立っているので、これを非農地にするには、無理があるとのことで、(果樹園とみなされる)今後、この農地をどのように使いたいかなどの希望を聞かせて欲しいと言う事でした。
柿の木は、先祖代々の物で、私たちが生まれる前から、あったもので、他の果物の木は、山からの吹き下ろしの風よけとして、私たちの子供の入学や、何かの節目に記念に植えたもので、果樹園として採れたものを売ったりと言う事はありません。と報告しました。
そして、今申請している農地(屋敷内)のほかに、農地がありますかと聞かれました。
「ありません」
「木が、既に切ってあれば、すぐに非農地として認められますが、その場合、木は切り
ますか?」
「切ります」「根っこは残っていてもいいのですね?」
「かまいません」「非農地と認められたのちに、根から又芽が出て育つのは、かまいません」(変な理屈)
要するに、農業に従事しないものには、農業規定により、売ったり、貸したり、名義変更は出来ないと言う事です。
今3姉妹の名義になっているのを、後を継ぐと言っていた者が、口だけで、もう今は、放棄状態で、こちらに押し付けようとしていますので、今のままではだれも手入れをしません。
それで、こちらの名義にする為、非農地申請を出したのです。
農業委員さんが言われるには、今日ここで、私が判断を下すのは、責任が重いので、もう一度、来月の農業委員さんの審査会ではかってから、又連絡します。
中には、申請する前に、資材置き場にしたり、又駐車場に用途を変更したりしてから、申請する人もありますが、これらは、非農地申請が通ってからでないと出来ない事なんです。
今回は、未だ、以前のままの状態での申請ですし、他の場所に農地もないし、果樹も先祖からの分もあり、売ったり、貸したりの意思がないので、希望に添えるとは思いますが…とのことでした。
母が、生前に言っていたように、7代続いた、家や土地を、人に貸したり、売ったりしないで、どんな方法でもいいから、○○ちゃんたちで、(我が息子たち)管理して欲しいと言っていたのをかなえてあげたいと思います。
母も、この家に嫁いで、自分の代(7代目)で、家や土地をなくしてしまうと言う事は、先祖に申し訳ないという気持ちがあったのだろうと思います。
市役所での話し合いで、疲れました。
緊張もあったので、終わった途端、のどもカラカラ。しゃべりにくいほど、のどが渇きました。
ああ、やれやれと、いつものお気に入りの喫茶店に直行しました。
いつものメニュー(コーヒーセット)を注文しました。
ケーキは、自分で選べるようになっていますので、今日は、どれにしようかなと思いましたが、注文を聞いて下さった店員さんが、「今日から新しいメニューに加わった、桜餅風ケーキはいかがですか?」と言われましたので、それに決めました。
ケーキに、桜の葉と、小さな花が付いています。
今日のお皿の絵は、チュウリップが描かれていました。
帰りは雨がきつくなり、あたりの景色は、墨絵の世界のようでした。
京都を離れるに従って、次第に北部独特の、どんよりした、暗い空、今にもザーッと雨が来そうな天気になってきました。
舞鶴では、「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉があるくらい、今日のように、どんよりとした、急に雨になりそうな天気の日が良くあります。
雨は小雨が降ったりやんだりでしたが、風が強く、「強風注意報発令」や、「横風注意」の文字が、京都縦貫道や、若狭自動車道に、表示されていました。
この強風にあおられて、高速道路の左右にある竹藪の竹が、「いらっしゃいませ」とか、「こんにちは」、又は「お気をつけて」といっているように、お辞儀していました。
又、ススキや、恋に忍びなく草などは、もう季節が終わって、まっ茶色になり、髪の毛をふり乱したような感じで、秋には、最も美しい姿だったのに、厳しい冬の季節を耐え忍び、人生の終わりを迎えたような、厳しく、又哀れを感じさせるように目にとまりました。
京都縦貫道が終わり、和知から今度は若狭自動車道へ入りました。
2時に東舞鶴市役所の農林課へ、市役所の職員さんと、地元の農業委員会の方と、話し合いの予約になっていましたので、西舞鶴で高速を降りずに、東舞鶴ICまで行きました。
途中、綾部パーキングエリアで、ちょっと一休み。
綾部パーキングエリアで咲いていた、かなり、老木に見える梅の木に咲いていた白梅。
同じく紅梅
何だか年老いた木で、木や花に勢いがなく、あたりも寒そうに閑散としていて、何だか物の哀れを感じさせられました。
ここの駐車場の片隅に、黒く汚れた雪が残っていました。
2時少し前に、市役所の農林課に入りました。
地元の農業委員さんも、3月8日に、農業委員さん19名で、審査され、果樹が、何本か植えてあるので、やはり農地として成り立っているので、これを非農地にするには、無理があるとのことで、(果樹園とみなされる)今後、この農地をどのように使いたいかなどの希望を聞かせて欲しいと言う事でした。
柿の木は、先祖代々の物で、私たちが生まれる前から、あったもので、他の果物の木は、山からの吹き下ろしの風よけとして、私たちの子供の入学や、何かの節目に記念に植えたもので、果樹園として採れたものを売ったりと言う事はありません。と報告しました。
そして、今申請している農地(屋敷内)のほかに、農地がありますかと聞かれました。
「ありません」
「木が、既に切ってあれば、すぐに非農地として認められますが、その場合、木は切り
ますか?」
「切ります」「根っこは残っていてもいいのですね?」
「かまいません」「非農地と認められたのちに、根から又芽が出て育つのは、かまいません」(変な理屈)
要するに、農業に従事しないものには、農業規定により、売ったり、貸したり、名義変更は出来ないと言う事です。
今3姉妹の名義になっているのを、後を継ぐと言っていた者が、口だけで、もう今は、放棄状態で、こちらに押し付けようとしていますので、今のままではだれも手入れをしません。
それで、こちらの名義にする為、非農地申請を出したのです。
農業委員さんが言われるには、今日ここで、私が判断を下すのは、責任が重いので、もう一度、来月の農業委員さんの審査会ではかってから、又連絡します。
中には、申請する前に、資材置き場にしたり、又駐車場に用途を変更したりしてから、申請する人もありますが、これらは、非農地申請が通ってからでないと出来ない事なんです。
今回は、未だ、以前のままの状態での申請ですし、他の場所に農地もないし、果樹も先祖からの分もあり、売ったり、貸したりの意思がないので、希望に添えるとは思いますが…とのことでした。
母が、生前に言っていたように、7代続いた、家や土地を、人に貸したり、売ったりしないで、どんな方法でもいいから、○○ちゃんたちで、(我が息子たち)管理して欲しいと言っていたのをかなえてあげたいと思います。
母も、この家に嫁いで、自分の代(7代目)で、家や土地をなくしてしまうと言う事は、先祖に申し訳ないという気持ちがあったのだろうと思います。
市役所での話し合いで、疲れました。
緊張もあったので、終わった途端、のどもカラカラ。しゃべりにくいほど、のどが渇きました。
ああ、やれやれと、いつものお気に入りの喫茶店に直行しました。
いつものメニュー(コーヒーセット)を注文しました。
ケーキは、自分で選べるようになっていますので、今日は、どれにしようかなと思いましたが、注文を聞いて下さった店員さんが、「今日から新しいメニューに加わった、桜餅風ケーキはいかがですか?」と言われましたので、それに決めました。
ケーキに、桜の葉と、小さな花が付いています。
今日のお皿の絵は、チュウリップが描かれていました。
帰りは雨がきつくなり、あたりの景色は、墨絵の世界のようでした。