大阪天満宮へ初詣がてら出かけました。
天満宮へはJR尼崎駅から東西線一本でいけますし、駅から近くなのでとても便利です。
おなじみのt天満繁盛亭の前を通り境内に入ると、そこは受験生やその家族の方などでいっぱいでした。奉納された絵馬にはそれぞれの願いが書かれ、おみくじをくくり付けた木々は花が咲い
たようです。
おみくじは地元で引いたのが大吉だったのでここでは引かず、絵馬も身近に受験生がいないので参拝だけしました。
菅原道真の生涯を博多人形で表現した一画では人形が天神さん(道真)の一生の場面を表現していました。写真は百人一首で有名な「紅葉の錦 神のまにまに」と詠まれた場面を表したものです。
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アルカイック広場(都ホテルニューアルカイックの西側の芝生広場)にイルミネーションが点灯されています。12月7日(金)に点灯式が行われ毎晩2月17日(日)まで午後5時ごろから10時ごろまで点灯されます。
点灯式では三菱自動車販売の協力によりEV車から電源を引き点灯したそうです。LED照明1万個が使われ期間中「ECO未来都市・尼崎」の趣旨により環境への取り組みのPRもするということです。
12月25日(火)の夜5時15分より「あまらぶクリスマスコンサート」といって吹奏楽やマリンバの演奏が予定されています。その後6時15分から先着250名の中学生以下の子どもたちにサンタクロースがメイドイン尼崎の「タカオカチョコレート」を配られます。
市長の記者会見の資料によるとこのチョコレート企画は市職員が一口1000円の募金を集めたお金と高岡食品の協力で実行され、サンタさんに扮するのも職員有志だそうです。
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JR尼崎駅南東徒歩約4分のところにある天然温泉「あま湯」の南側に「ハッピードリームサーカス」のテントが建てられ来年2月12日まで公演中です。
サーカスがこの近辺で公演することは珍しく、しかもテントということで懐かしさもあって行って来ました。
平日の10時半からの公演ということで「もしかしたらガラガラでは?」とも思ったのですが小学生が団体で見学に来ていたため場内はほぼ満員でした。
演目は南米コロンビアからのチームによる空中ブランコなどのパフォーマンスと、上海雑技でよく見られる皿回しや空中シルクなど、また大がかりなバイクのスタントショーや三輪の大車輪などバラェティに富んで楽しむことができました。
しかも会場がこじんまりしていて、演者の緊張の表情なども間近に見ることができました。
このサーカスについてはこちらのブログに座席などの紹介があり、できれば正面側の席がいいかと思いますが、とりあえず一回は足を運んで見て下さい。おススメです。
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庄下川と国道2号線の交わるところにかかる玉江橋。そのそばに建つアルカイック・ホール(2012~2015の3年間はネーミングライツを取得した尼崎信用金庫の名前を冠してあましんアルカイック・ホールと呼ばれています。)
かつてこの地には尼崎市の社会公共福祉施設として尼崎文化会館がありました。ホールや会議室、結婚式場などを備えたものでしたが、1975年に今の総合文化センターが建設され、1982年にその横に音楽・演劇などのためのホールが出来上がったのが、今のアルカイック・ホールです。
アルカイックという言葉は古代ギリシアの彫刻に見られるアルカイックスマイルからとられたそうです。その後1993年にホテル・ニューアルカイックがオープンしこの辺りは尼崎の文化・芸術の発信地になっています。
このアルカイック・ホールは日本音響家協会が優良なホールを称賛するという「音響家が選ぶ優良ホール100選」に選ばれています。全国2500以上あるホールから設備、技術、運用などが優れていると評価されているのは嬉しいことです。オペラの公演も多く、結構遠くからファンが訪れるということです。
オペラやバレエの公演に先立って行われるゲネプロ(公開リハーサル)を市民が申し込むと鑑賞することもでき、普段はハードルの高いものも身近に感じられる機会があってお得です。
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尾浜町にある八幡神社。こちらには名月姫ゆかりの宝筐印塔が境内にあります。名月姫の墓とも言われていましたが最近では供養塔と言われているようです。
名月姫は子宝に恵まれなかった父母が大日如来に祈り満月の夜に生まれ、長じては容姿の美しさだけではなく、聡明で信仰も厚く、遠く京都からも求婚されるようなお姫様だったそうです。14歳の時、姫の美しさに惹かれた能登の蔵人家包(いえかね)に略奪されました。父国春は悲嘆にくれ出家し巡礼の旅に出ました。
その頃平清盛は神戸・大輪田の泊の工事に難航しており、陰陽師の「三十人の人柱が必要。」という占いにより、神戸・生田の森にて行きかう人を捕らえていました。
国春が三十人目の人柱として捕らえられた時、能勢の家包夫妻の夢枕に大日如来のお告げがあり、急ぎ助命嘆願に赴きました。清盛の寵童の松王丸が親子の情愛に感じ、また多数の人命を犠牲とすることを悲しみ、一人身代わりとなって人柱となりました。国春、家包、名月姫の三人は再び会うことができ、松王丸の供養塔を建立し信仰深く余生を過ごしたというのが名月姫伝説のあらましです。
地元では「名月姫保存会」があり中秋の名月のは観月の夕べ、また名月姫コンテストなどもあるようです。また「名月姫」という名の和菓子もあります。しかしこの名月姫伝説は市内でも地元以外ではあまり知られていないのは残念です。
能勢には名月姫の別の話(名月姫が清盛の招きを拒み自害する)が伝わっているようです。
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