俺の愛はお前に届かないことを知っていた。
なぜか、なぜか、なぜか、俺はわかっていた。
俺はお前の闇を愛していたはずなのに。
なのに、なのに、なのに、お前は俺から去っていった。
この胸の奥に、髑髏が住んでるみたいだ。
俺はもう何にも感動できない人間になってしまった。
嗚呼、お前が忘れられない。
お前のエクスタシーが俺をあの場所へと誘う。
エスがタクシーを運転する。
エスがタクシーを運転してお前のいるところへ。
お前の愛によって毒殺されたかった。
お前の愛はpoison。
お前の愛は食虫花。
お前の死はmineral。
お前の死は真空性。
俺はお前の死体を育てよう。
俺に愛されないと死んだお前を育てる。
お前の死体を土と肥料にし、俺は育てよう。
花を。
花を。
花を。
咲く花を。
咲く花を。
咲く花を。
一人のビジュアル系バンドのボーカルのHYDE似の男が、そうギター片手に熱唱していた。
真夜中に。
誰かの家の窓の前で。
ぼくはそれを通りがかったときに、偶然見掛けたんだ。
なぜだかはわからないけれど、とても胸の底が熱くなって、感動の涙が気付くとぼくの頬を濡らしていたよ。
その歌は、如何にもビジュアル系バンドの歌って感じで、語尾をセクシーに伸ばすような歌い方だったし美化されたような歌だと想ったけれど、人の心髄を激しく震わせる何かがあった。
ぼくはたった一人の彼のコンサートを斜め45℃後ろの方からずっと観賞していた。
すると突然、そこの家のドアを開けて、禿げ上がった白の薄い肌着とステテコ姿の肥えたおっさんが物凄い形相をして飛び出てきて、「どらぁ!じゃかあしい!ええ加減にせえや、おんどれ!殺すど!」と激憤して叫びながら男の襟首を思いきり掴んで後ろに引き摺った。
驚いたのが、彼はそれでも熱唱をやめなかったことだ。
熱く熱唱しながらおっさんに後ろに引き摺られてそしてサイレンを鳴らしながら到着したパトカーの中から出てきた三人の体格の良い警官にパトカーの中へと彼は熱唱しながら連れ込まれ、そして彼の姿は見えなくなった。
印象的だったのは、その肥った禿のおっさんが、明らかにバカにするような口調で「何がビジュアル系やっ」と吐き捨てるように言って家の中に入っていったことである。
ぼくはあのおっさんは、多分ビジュアル系バンドの人に、とんでもない恨みがあるんやろなと想った。
あとでこの事件の真相をぼくは知ることができた。
彼はビジュアル系バンドのボーカルとしてそこそこ人気のあるアーティストだったのだが、二十年近く愛し続けてきた女が、彼からの愛を信じなくて、他の男との間に子供を作って死んだ。
しかし彼はそれを信じようとしなかった。
その子供はその娘は、実は自分の娘ではないのかと想ったからである。
いや、彼はそれを信じた。
俺に子供がいるとわかったファンは、離れていくかもしれないと懸念した彼女が、そんな嘘を言って俺を護ろうとしたのだと。
彼は彼女の愛を信じ続けた。
現に、その幼い娘は、彼女の死んだあと彼女の父親しか引き取り手がないというではないか。
彼は何度と彼女の父親に自分が実は彼女の娘の父親なのだと確信の内に訴え続けた。
しかし父親はそれを信じようとはせず、しまいにこんなことを言い放った。
「にいちゃん、百歩譲って、あんたさんがあの子のほんまの父親やったとしようやないか。それでもなあ、わしは手渡すことはできひんわ。わしはビジュアル系バンドを遣っている男にあの子を渡すことはできひんな。男が女みたいな格好して、女みたいな化粧して、女みたいな歌い方して、あんたさんはそれでも男か。女みたいに華奢で白い肌して、そんなあんたさんにあの子を護れるはずがあらひんわ。常識を考えてみい、常識を。わしは四十年漁師を遣ってきたが、周りの男全員、あんたさんの百倍は男らしい男やった。男やったら、もっと男らしく生きたらどうなんや。なんやその指輪とイヤリングと首輪は。え?イヤリングやのうてピ、ピアスぅ?知るかあっ。なもん、どうでもええわ。何を装飾品をちゃらちゃらちゃらちゃら着けてるんや、男がみっともない。わしの前にようそんなふざけた格好で来たな、ワレ。何やその目は。何メンチ切ってるんや。しばこか?殴られたい?ワレみたいな人間に絶対に可愛い孫娘を遣れるかぁっ。あほんだら。はよ去んで、女の腐ったような面を二度と見せんでくれ。」
その娘は今年5歳になったという。
彼は自分の娘と信ずる少女に、自分の亡き彼女への愛の歌を聴かせたかったのである。
なんという感動的な話だろう。
この話を知れば、ビジュアル系バンドの書いた歌を馬鹿にする人間など、あの腐ったような性魂のおっさんくらいだろう。
そう言えば 、ぼくは好きなビジュアル系バンドの曲があった。
バンド名も曲名もわからない。
もう二十年前くらいかも知れないが、テレビで何度かそのプロモーションビデオが流れていて、とても幻想的な良い曲だと想った。
確か歌詞が、こういう感じの歌詞だった。
『花は 何処へ行ったの?
美しい(名も無き)娘が 摘んでいた。』
草原の風景のなかに佇む線の細い美しい女性的な青年が歌っている映像だった。(この曲の記憶の真相は定かではないが、ピート・シンガーの「花はどこへ行った」のカバーをしたmodern greyというバンドの「花は何処へ行った」をまたまたカバーした曲だったのかもしれない…音楽はそのままであるような記憶だが、PVとテンポが全然違う。もっと静かで暗い曲だった。それとも自分の見た夢の記憶であったような気がしている…)
花は何処へ行った
懐かしいな。94,95年くらいに聴いていたとしてぼくが13,14歳の頃だ。modern greyの曲は当時よくテレビやラジオで流れていた。
ぼくはまた想いだしたのだが、多分2000年か2001年の頃、LUNA SEAが解散したあとにそのギタリストであったINORANという人に惹かれて、彼の写真やインタビューが載っている雑誌を買ってうっとりと眺めていたことがあった。
彼はビジュアル系バンドの中で一番その存在感が、雰囲気がぼくを魅了した。
彼も本当に女性的な繊細さ、いや女性以上に繊細で儚げな美しさのある男性だ。
彼のソロはビジュアル系の音楽では確かなかったと感じた。
GLAYのギタリストのJIROも、radioでレディオヘッドを流したりしていたし、彼らが好きな曲はビジュアル系ではないようだ。
ぼくはこの前書いた記事がビジュアル系みたいだと馬鹿にされたが、一体あの人間はビジュアル系の音楽をどこまで知っているのだろう?
ぼくのblogもほんの少し読んだだけで馬鹿にしてくるような人間だったから、ビジュアル系の音楽もほんの少し聴いただけで判断しているのではないか。
そんな人間に、ぼくは何の魅力も感じない。
そんな人間は何一つ、成功できないだろう。
馬鹿にしたり差別するのなら、その人間をどこまでも知ろうとしなくちゃならない。
何故ならそこにある嫌悪感、差別意識とは、同属嫌悪であるからね。
ぼくはビジュアル系バンド以上のものを表現できているなんて口が避けても言わないし言う必要もない。
でもあの人間は、自分が彼らやぼく以上の人生を生きてそれ以上の表現ができているとでも想っているのだろう。
それが自分自身の価値を下げ続けることだとわかっているのだろうか?
ぼくは自分の表現を読んだ人から涙が溢れたと感動の感想をもらったことが何度かある。
あの人間は、自分にしかできない仕事によって誰かをそんな風に感動させられたことがあるのだろうか。
もしあるのなら、何故それでも他者を馬鹿にし続けるのだろう?
どちらにしろああいう人間は自分にしかできないことを一生懸命に遣り続けるなら、きっと前進できるだろう。
一生懸命に頑張っている人間を一生懸命に頑張っていない人間が馬鹿にする。と中島みゆきも歌っていたではないか。(正しくは「闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう。」である。)
あいつはきっと自分自身と闘い続けて生きていないから人のことを馬鹿にしてばっかりいるのだろう。
俺はどんなに人から俺の表現を馬鹿にされようとも、俺はたった一人で、俺にしかできない表現を頑張って死ぬまで遣り続けてゆく。
お前に馬鹿にされる筋合いなんかないよ。虚無。
お前もお前にしかできないことを死ぬ気で頑張ってくれ。
もうお前には、返信する気も完全に失せたからね。
俺はお前に何を言われようとも、決して倒れない。
神が俺を、支えてくださるから。
INORAN - Gravity ( Last Night Live DVD )
この曲も俺は好きだった。実に懐かしい。こんな素晴らしい曲をあいつはきっと馬鹿にするんだろう。
全作詞・作曲・編曲:LUNA SEA
- gravity
- INORAN原曲[1]。 映画『アナザヘヴン』主題歌に抜擢され、同時期にテレビ朝日系で放送されたドラマ『アナザヘヴン~eclipse~』主題歌にもなった。
詞はINORANが書いたものにRYUICHIが補作したという。
このシングル発売前の「START UP GIG 2000」(2000年1月1日、Zepp Tokyo)で新曲として初披露された。
終幕後、INORANがこの曲を自身のソロライブでセルフカバーしたことがあり、その模様はINORANのライブビデオ/DVD「THE LAST NIGHT」で見る事ができる。INORANは「春に発売されたが、どっちかというと秋っぽい曲」と語っている。