『ジョニーは戦場へ行った』は、アメリカの作家であるダルトン・トランボが、自身でメガホンを取り1971年に公開された映画です。
第1次世界大戦に従軍したジョニー青年は、戦争により四肢を失い、視力聴力も無くし、口をきくこともできない。ただ生きているだけの「モノ」と化してしまう。
しかし意識だけははっきりしており、ジョニーは自分の意思を伝えようと、わずかに動かせる頭部を使ってモールス信号を打つのですが、医師も看護婦もただの反射だとして、鎮静剤を打つばかり。
そんな中、一人の若い看護婦がジョニーの意思を受け止めます。ジョニーは「殺してくれ」と伝え、哀れに思った看護婦は生命維持装置を外そうとするのですが......。
ダルトン・トランボ自身は、アメリカ共産党員だったこともあり、その反戦的で反体制的な内容はしばしば発禁の対象となった。発禁と再出版を何度か繰り返した後、自身で念願の映画化を叶えたということらしい。
メタリカの曲『ワン』は、この映画をモチーフにして書かれた曲です。
ちなみにOneとは「モノ」という意味です。
まあだからと言って、メタリカが共産主義者ということではないです。メタリカのメンバーはこの曲について「特に反戦という意味合いはない。ただこのような状態に陥った人間の恐怖と絶望を描いた」と言う意味のことを語っていましたね。
日本では江戸川乱歩の小説に『芋虫』というのがありますね。こちらも戦争で四肢を失い、五感もほとんど感じなくなってしまった元兵士と、その妻の物語で、こちらも「反戦とかいう意味は特にない。ただ人間の身勝手さ、醜さというものを描いた」という意味のことを、乱歩自身が語っているようです。
なんかね、すぐに「右」とか「左」とか分けたがる人いるでしょ。なんなんだろうね、あれ。人間って、そんな簡単に分けられるものなのか?
右とか左とかではない。アーティストというのは、今起きている現状に触発されて、それを自分なりに表現する。そういう人たちなのですよ。
確かに共産党支持者のアーティスト、表現者もいますけどね。誰とは言いませんけど。
でも少なくともメタリカは違う。
いや、別に共産主義者でもいいんですよ。いいんですけど、そうじゃないのにそう思われちゃうのは嫌でしょ?
誰だって戦争は嫌です。表現者はその思いを、その表現者なりのかたちで表す。
乱歩もメタリカも、アーティスト、表現者だというだけのこと。
「表現者」メタリカの曲「ワン」を聴け。そして
戦慄せよ。