このシリーズ、基本構造は『子連れ狼』だと思うんですよね。
『子連れ狼』では、主人公拝一刀の奥方が裏柳生の手によって殺され、尚且つ幕府を呪詛したという無実の罪を着せられ殺されそうになる。
で、怒った一刀は冥府魔道の刺客(殺し屋)道に堕ち行って、たった一人で巨大な裏組織、裏柳生に立ち向かう。
一方ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は引退した凄腕の元殺し屋で、奥さんと幸せな生活を送っていましたが、その奥さんが病気で他界してしまう。悲嘆にくれるジョンでしたが、その奥さんがジョンに一匹の子犬を贈ってくれており、その子犬と生活することで日々の暮らしの活力を取り戻しつつあったのですが…。
その子犬が殺されてしまう。
子犬を殺したのは、ロシアン・マフィアのボスのバカ息子。
怒り心頭に達したジョンは、そのロシアン・マフィア組織をたった一人で全滅させてしまう。
その後、ジョンの敵はどんどん大きくなっていき、ついに世界中の殺し屋を束ねる裏組織「主席連合」から賞金をかけられ、世界中の殺し屋たちから狙われる身になってしまう。
拝一刀もまた、裏柳生から賞金をかけられていたし、それでいろんな連中から命を狙われることになってるし、なんかね、物語の構造が似てるんですよ。
まあ、意図したものなのかどうかはわかりません。偶然似てしまったということもあるでしょう。
ただね、私が思うに、この映画の持つ荒唐無稽なファンタジー性は、時代劇に思いっきり通じているなということは、強く感じる所であります。
この映画はファンタジーなんですよ。思いっきり荒唐無稽なファンタジー。
こんな思い切りのいい荒唐無稽さは、今どきは時代劇でも難しいと思えてしまう。それほどに
世は「リアル。リアル」と喧しい。
でもこの作品はそんな今どきな壁を乗り越え、ぶち壊し、とんでもない高みに到達してしまってる。
それを達成させている要因の一つが、ワン・カットの長さですね。他のアクション映画に比べて、ワン・カットが長いんです。
その長いカットの中に、沢山のアクション情報が満載されていて、その凄まじさに観客は圧倒されてしまう。
このアクションが、なんというか、迫力があって「美しい」んですよ。
主演のキアヌはじめ、出ている方々皆相当の鍛錬を積んだ方々ばかりを世界中から集めており、その方々の織り成す数々のアクションはすべて見ごたえがある。動きに無駄がなく、カッコよく迫力があり尚且つ「美しい」としか言いようがないんです。
その中には日本から参加した方々もおられ、真田広之さんと一緒になって素晴らしいアクションを見せてくれています。ちゃんとした日本人ですから、日本語のセリフにも変なところがなく、安心して観ていられる。
その真田さんとドニー・イェンとのチャンバラ・シーンも素晴らしかった。でもやっぱり真田さん、ああなっちゃうんだよなあ。そこが残念と言えば残念ですが、その真田さんの有りようが後半生かされていくことになるので、真田さんの演じた役も良い役です。
いやあキアヌ、とんでもないねあの人。柔術と拳法と銃撃とを組み合わせたアクションが、見事に無駄がなく、流れるように展開されてゆく凄さね。
このキアヌ演じるジョン・ウィックというのが、とにかく死なないんだ。殴られ蹴られ、撃たれ刺され突き落とされ、ボロボロにはなるけれど絶対死なないんだな。一体どんだけ強い身体してんねん!?て感じだけど、でもそれを納得させちゃうだけの「力」を、この作品は持っているんですよね。
だからいいんだよ。ジョン・ウィックはこれぐらいじゃくたばらない。やられてもやられても、まるでブギーマンのように復活する。
ホント、とんでもないわ!
カー・スタントやバイク・スタントも、キアヌ本人がほぼ吹き替えなしでやってるし、220段の階段を転げ落ちる「階段落ち」のシーンも、吹き替えなし合成なしCGなしで、キアヌ本人がやってのけてる。なんだろうねえ、ジョン・ウィックって役もとんでもないけど、キアヌ本人がそれ以上に
とんでもないわ!
それとドニー・イェンがメッチャ良かった!裏社会で生きる男の悲哀、ジョンとは親友ではあっても「渡世の義理」故に戦わねばならない苦悩。
真田広之を斬った後の悲し気な顔とか、良かったねえ。
で、そのドニー・イェン演じるケインとジョンとの決闘シーンに流れる音楽が、明らかなマカロニ・ウエスタン調だったのには思わず笑ってしまった。
なるほど、と納得させる部分が多々あって、もう楽しくて仕方がない!
この映画には日本の時代劇の影響の他にも、明らかにマカロニ・ウエスタンそれも『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』からの影響、あるいはオマージュと思われるシーンが随所に見られるし、日本の時代劇とマカロニ・ウエスタン、あるいは任侠映画辺りからの影響もあるかもしれない。
とにかくその辺り、往年の荒唐無稽ファンタジー・エンタテインメント映画の要素を大量にぶち込んで、現代劇という難しい縛りのなかで、超一級のエンタテインメント映画を作り上げてしまった、その監督の手腕に
惜しみない拍手を送りたい。
このシリーズで主人公ジョン・ウィックが殺した人の数は数百人。大変な人殺し映画であるかのように思われるでしょう。いや、確かに人殺し映画であることは間違いないのですが。
まあ、これも、「時代劇」だと思ってしまえば、そんなに大変でもない、かもしれない。
往年のテレビ時代劇『桃太郎侍』では、毎週約30人の侍が桃さんに斬られてる。これを月に換算すると1か月で約120人、年単位でいったら千人台の侍が1年間に斬られたことになります。
こんなんやっとったら、江戸から侍がいなくなってまうわ!
でもね、桃太郎侍は、時代劇という名の、荒唐無稽なファンタジーなんです。
だからこれは許容範囲、なんです。
それと同じ、ジョン・ウィック・シリーズもまた
荒唐無稽なファンタジー、だから
許容範囲、だということも可能。
かろうじて、ね。
それと、映画を最後の最後まで、エンド・ロール明けまでちゃんと見ていれば、わかることがあります。
この映画のタイトルがなぜ
コンセクエンス(報い)なのかということが。
因果応報、己の行いの報いは、必ず自分に帰って来る。
私はあのラスト・シーンに、チャド・スタエルスキ監督の「良心」を感じます。
この映画の登場人物たちは決してヒーローなんかじゃない。
殺し屋なんて所詮は
悪党、なんですよ。
そんな監督のメッセージが、聞こえてきそうなラストでした。
でもこの映画、これで本当におしまいなのかな?
なーんかまだ、続きがありそうな
そんな気がするねえ…。
面白かった!!!!