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流れに任せて

志和彦神社参拝

2024-10-18 04:13:39 | 歴史、民俗

鹽竈神社の社殿の隣に鎮座される志和彦神社。御祭神は志和彦大神。

 

 

記紀には登場しない御神名ですが、農業の神であり国土開発の神とされているところから、東北に入植し、開発に尽力した人々を神として祀ったもの、かもしれません。

 

 

しわ、志和、志波、紫波などの地名は一説によると「国境線」という意味だそうな。つまり「しわ」の地名のあるところは、各時代ごとの「国境線」だったのではないか、ということです。

 

 

志和彦神社より北、宮城県栗原市には志波姫神社があり、さらに北、岩手県一関市には配志和神社。

 

 

坂上田村麻呂によって造営された志波城跡があるのは盛岡市、その盛岡市の南には紫波郡。などなど。

 

 

国境線が徐々に北上していったことが、「しわ」の地名からわかるわけです。

 

 

ところでこの志和彦神社。延喜式神名帳にも記載されている式内社であり名神大社でしたが、時代の推移とともに廃れ、江戸の頃には岩切村(現・仙台市岩切)の冠川(七北田川)の辺に鎮座される牛頭天王社(現・八坂神社)境内に、小さな祠でひっそりと祀られていたそうです。

 

 

明治の世になり、国幣中社に列せられたことから、もっと広い場所で改めてお祀りしようというところから、鹽竈神社境内に御遷座されることとなったそうです。

 

 

 

この御遷座、明治天皇直々の思し召しであったそうです。

 

 

大霊覚者とも言われる明治帝直々の思し召し。なにやらとても

 

 

”深い”ものを感ぜずにはおられません。

 

 

 

 

 

鹽竈神社に参拝される際には、まず志和彦神社に参拝してから、鹽竈神社を参拝するという順番があるそうです。もっとも宮司さん方は「自由に参拝してください」とおっしゃっておられますので、そんなに気にすることはないのかもしれませんが。

 

 

いずれにしろ、鹽竈神社と志和彦神社はセットのようなもの、どちらのお社にも参拝するのが、ベストでしょう。

 

 

ご参考になれば、幸いです。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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