「原爆の父」と言われた物理学者、オッペンハイマーの物語。
映画はオッペンハイマーを英雄とも善人とも、悪人とも描いてはいない。
学者としては人並外れた優秀さだが、自信家で独善的で、アインシュタインのことを「過去の人」と言ってのける傲慢さがある。
ただ科学と国家に対しては出来る限り誠実であろうとする純粋さがある。しかし純粋である一方で、若干の虚栄心や名誉欲のようなものも入り混じっており、そのせいか行動や言動に一貫性がないところもあったりして
女好きだし…。
まあ、人間なんてものは、一人の中に色々な面が渦巻いているものだと思う。そういう意味では「人間」オッペンハイマーを描いた映画だと言えるでしょう。
でもそんなに複雑な映画というわけではないです。むしろわかり易いとさえ言える。
時系列が行きつ戻りつするし、登場人物が多すぎて誰が誰やらわからないといった批評もあるようですが、私はそんなに気にならなかったなあ。
時系列については、観客を飽きさせずに画面に釘付けにする作用があって、最終的にあのシーンとこのシーンが繋がることによるある種のカタルシスがあるし、登場人物云々は全員分かる必要はなくて、この人物は大体こんな感じの人だな、くらいに捉えておけば十分。
なんかね、変に難しく捉える必要はないです。一人の人間の、世界をある意味変えてしまった人間の栄光と苦悩、没落の物語だと捉えれば十分。
彼オッペンハイマーが成してしまったことをどのようにとらえるかは、その物語を観た上で、観客一人一人が各人各様に解釈すればいい。
科学者は理論上の流れを読み解くことはできるけれど、人の世の流れを完全に読み解くことなどできない。
観ていて思ったのは、昭和29年版『ゴジラ』の登場人物、芹沢大助博士(平田明彦)は、このオッペンハイマーへのアンチテーゼなんだな。博士がゴジラと運命を共にしたのは、オッペンハイマーのようなことを再び起こしてはならない。そんな想いから
だったのだろうね。
科学は人類に光と闇の両方を齎す。大概の科学者は光を齎そうとして研究と実験を繰り返すけれど、光と闇は
表裏一体のもの。
その点を思うと、なんだか切ない。
とはいえ、実際に原爆を落とされた国の国民としては、色々言いたいこともあるだろうし、言うべきだとも思う。まあですから
やはり実際に映画を観てもらって、各人各様に思うところを言うべきではないかな、なんてことを
思わせる映画でした。
3時間を超える映画なので、正直かなり疲れました(笑)。ただそれは決して不快というわけではなく、心地よいというわけでもない。
なんだか、途轍もなく「凄い」映画を観たなという充実した疲労感を得られた映画でした。
こんな映画滅多にないです。これは是非にも観るべき。
強く強くおススメします。
山崎貴監督が、日本人としてこの「オッペンハイマー」へのアンサーとなる映画を撮りたい、撮らねばならないという意味のことをおっしゃっていたとか。
これは是非とも、実現して欲しいですねえ。
最後の、山崎貴監督が、この『オッペンハイマー』に関して、アンサーを作りたいと、仰られたので、一気に興味が湧きました。
それを観たいから、やはりこれも観なきゃ!ですよね。
アインシュタインの存在がまた、物語の中で凄く利いていて、特にラストシーンとか、結構なスパイスとして効いているなと思います。
長いですけど、ずっしりと心にくる映画です。おススメ!