「タワマンの街、町内会が解散へ 15年で人口2.5倍、でも「地域の崩壊」」(朝日新聞2025-2-3夕刊)という新聞記事が興味深かった。タワーマンションが相次いで建てられた川崎市の武蔵小杉駅近くの小杉町3丁目の町内会が3月末で解散するという。タワマン3棟(計約1400戸)が建ったことで町内の人口は2009年の2214人から2024年には2.5倍になった。だがタワマンの住民で町会にはいっているのは10世帯ほどで、それも主に以前から町内に住んでいた人たちというから、新住民は全く入会していないことになる。町会の会員はむしろ650世帯に減少した。そのうち半分ほどはマンション住民で、町会活動にはほとんど参加していないという(古いマンションでは入居者が全員町会に加入するが、形だけで、活動に参加することはないと聞く)。
町会長は「タワマンができるとき、市は『地域のためになる』と説明したが、これでは地域の崩壊だ」と嘆くが、(「地域のためになる」との説明が妥当だったかどうかはさておき)問題はタワマンだけではない。PTAもそうなのだが、自治会・町内会もかつては専業主婦がいつも家にいて地域のことは担ってくれることが前提で回ってきた。男女ともに仕事をもち、さらに「結婚して家庭をもつ」ことをしない非婚さえもが一般化する現代にあって、PTAも自治会・町内会も意義やあり方を考え直す時期にきている。
自治会役員の義務が負担で、自治会にはいりたがらない人の問題はかねてからあった(過去ブログ)。小杉町3丁目でも盆踊りは10年以上前から実施できなくなり、コロナ禍の前後には神社のお祭りでのみこしや地域の清掃、防犯パトロールも中止したという。活動の縮小で、会費の徴収もやめたという。
残っている活動は区役所や学校などの式典に役員が出席することくらいだというが、皮肉なことに、庶民感覚としては、最も不要な儀礼的な仕事だけが残ったように思えてならない。同じように役員負担のため加入率低下に悩まされるPTAでも、学校・地域レベルで一定の意義はあるにしても、上位組織との関連で会員に意義が見いだせない例が多いと何度か書いた(たとえば過去ブログ)。区役所や学校の式典への参加はそれほど重要なことなのだろうか。
残念ながら、やり手がいなくて維持できない活動を中止するのはやむを得ない。自治会・町内会は何のためにあるのか。欠かすことのできない活動は何なのかを考えるべきだが、今回の例のように解散できるとしたら、不可欠ではなかったということになるのだろうか。
自治体の広報誌の配布なども町内会・自治会が担っていると聞いたことがあるが、町会が解散したらこのあたりはどうなるのだろう。地域のごみ集積所の管理も自治会・町内会が行うところが多いと思うのだが、それはどうなるのだろう。町会が解散しても不都合がないのだとしたら、上記過去ブログでも述べた、自治会・町内会の非会員に(集積所の清掃当番を受け入れても)ごみ出しをさせないというのはなんだったのか。
庶民感覚としては、地域の祭りなどは無理なくできるのであれば続けてほしい気がする。小杉町3丁目の場合、今年正月の獅子舞は行われたが、集まった親子連れ約50人のうち町会の子はほとんどいなかったという。このことはむしろ、町会の加入とは別に、こうした行事があれば参加したいという需要は一定数あることを示している。住民に持ち回りで役員を強制するのではなく、行事に意義を見出す人たちが毎年、行事の運営を担う形にはできないだろうか。もちろんボランティア頼みでは限界があるから、たとえばNPOみたいな形で進めることはできないのだろうか。
と思ったら、記事にもタワマン内で自治会と似た役割をはたすNPO法人が2007年にできたという(現・一般社団法人武蔵小杉エリアマネジメント)。だが、2016年に国土交通省がマンション管理規約の「ひな形」を改定したことで、タワマンの管理組合が全世帯から会費を集めて資金を拠出するというやり方が難しくなったという。だがその結果、会員は約5000世帯だったのが今では約70人になってしまい、活動は大幅に縮小したという。(PTA(過去ブログ)もそうだが、「強制ではありません。任意参加です」というのは正しいのだが、そのことを徹底すれば、自主的に参加する人が激減するのは目に見えている。)
だが、災害時のためのネットワークというのも、やはりある程度は必要だろう。記事では識者が、災害時の住民の安否確認や避難所の運営は「行政だけでは対応しきれない」もので、町内会・自治会の役割として想定されているという。識者は、「災害時に備えてエリマネや町内会、地元企業などの関係組織が連携するネットワークづくり」は自治体の責任だという。それはそうだが、自治体も予算不足で人を手当てするのはたいへんだろう。今の自治会・町内会が災害時の対応を行える組織になっているのかどうかはなはだ心もとない。災害時に最低限近隣で連絡を取り合える関係を築くことを中心に、活動の簡素化を図ることが時代の流れなのかもしれない。
町会長は「タワマンができるとき、市は『地域のためになる』と説明したが、これでは地域の崩壊だ」と嘆くが、(「地域のためになる」との説明が妥当だったかどうかはさておき)問題はタワマンだけではない。PTAもそうなのだが、自治会・町内会もかつては専業主婦がいつも家にいて地域のことは担ってくれることが前提で回ってきた。男女ともに仕事をもち、さらに「結婚して家庭をもつ」ことをしない非婚さえもが一般化する現代にあって、PTAも自治会・町内会も意義やあり方を考え直す時期にきている。
自治会役員の義務が負担で、自治会にはいりたがらない人の問題はかねてからあった(過去ブログ)。小杉町3丁目でも盆踊りは10年以上前から実施できなくなり、コロナ禍の前後には神社のお祭りでのみこしや地域の清掃、防犯パトロールも中止したという。活動の縮小で、会費の徴収もやめたという。
残っている活動は区役所や学校などの式典に役員が出席することくらいだというが、皮肉なことに、庶民感覚としては、最も不要な儀礼的な仕事だけが残ったように思えてならない。同じように役員負担のため加入率低下に悩まされるPTAでも、学校・地域レベルで一定の意義はあるにしても、上位組織との関連で会員に意義が見いだせない例が多いと何度か書いた(たとえば過去ブログ)。区役所や学校の式典への参加はそれほど重要なことなのだろうか。
残念ながら、やり手がいなくて維持できない活動を中止するのはやむを得ない。自治会・町内会は何のためにあるのか。欠かすことのできない活動は何なのかを考えるべきだが、今回の例のように解散できるとしたら、不可欠ではなかったということになるのだろうか。
自治体の広報誌の配布なども町内会・自治会が担っていると聞いたことがあるが、町会が解散したらこのあたりはどうなるのだろう。地域のごみ集積所の管理も自治会・町内会が行うところが多いと思うのだが、それはどうなるのだろう。町会が解散しても不都合がないのだとしたら、上記過去ブログでも述べた、自治会・町内会の非会員に(集積所の清掃当番を受け入れても)ごみ出しをさせないというのはなんだったのか。
庶民感覚としては、地域の祭りなどは無理なくできるのであれば続けてほしい気がする。小杉町3丁目の場合、今年正月の獅子舞は行われたが、集まった親子連れ約50人のうち町会の子はほとんどいなかったという。このことはむしろ、町会の加入とは別に、こうした行事があれば参加したいという需要は一定数あることを示している。住民に持ち回りで役員を強制するのではなく、行事に意義を見出す人たちが毎年、行事の運営を担う形にはできないだろうか。もちろんボランティア頼みでは限界があるから、たとえばNPOみたいな形で進めることはできないのだろうか。
と思ったら、記事にもタワマン内で自治会と似た役割をはたすNPO法人が2007年にできたという(現・一般社団法人武蔵小杉エリアマネジメント)。だが、2016年に国土交通省がマンション管理規約の「ひな形」を改定したことで、タワマンの管理組合が全世帯から会費を集めて資金を拠出するというやり方が難しくなったという。だがその結果、会員は約5000世帯だったのが今では約70人になってしまい、活動は大幅に縮小したという。(PTA(過去ブログ)もそうだが、「強制ではありません。任意参加です」というのは正しいのだが、そのことを徹底すれば、自主的に参加する人が激減するのは目に見えている。)
だが、災害時のためのネットワークというのも、やはりある程度は必要だろう。記事では識者が、災害時の住民の安否確認や避難所の運営は「行政だけでは対応しきれない」もので、町内会・自治会の役割として想定されているという。識者は、「災害時に備えてエリマネや町内会、地元企業などの関係組織が連携するネットワークづくり」は自治体の責任だという。それはそうだが、自治体も予算不足で人を手当てするのはたいへんだろう。今の自治会・町内会が災害時の対応を行える組織になっているのかどうかはなはだ心もとない。災害時に最低限近隣で連絡を取り合える関係を築くことを中心に、活動の簡素化を図ることが時代の流れなのかもしれない。