LGBTの権利が言われるようになっており、負担の大きい性転換手術をしなくても本人の自己申告に基づく性別が認められるべきだとの考え方が広がりつつある。へんなところで保守的な私は、そういう話を聞くと「男性が『私は女性だ』と言いさえすれば女風呂に入ることができるのか」と疑問に思っていた。数年前、そんな内容で当ブログの記事を書きかけたのだが、「そんなのは屁理屈だ」と批判されるのがオチかなと思って下書きも消してしまった。そんなありえないような例を持ち出すことが、トランスジェンダーに対する無理解を露呈していると。(一度だけ新聞紙上でその話題に触れている記事を見たように思うのだが、その記録もなくしてしまった。)
だがそんな事例が実際にロサンゼルスのサウナで起こり、SNSで議論を巻き起こしているという(朝日新聞2021-7-17夕刊)。
6月26日のこと、身体は男性だが女性を自認している客が、サウナの「女風呂」にはいったらしい。ある女性客が、その客が男性器を少女たちの前で晒していると店に訴えた。だが従業員は「性別、宗教、人種を問わず、いかなる差別もしてはならない」というカリフォルニア州法に則って対応していると答え、女性客の訴えには対応しなかったようだ。女性はこの様子を撮影してインスタグラムにアップしたという。
LGBTの団体は女性の抗議は「トランスジェンダー差別」だとして批判したが、保守派はこのサウナやカリフォルニア州の法律こそおかしいと攻撃している。日本では、「少なからぬ女性」が女性客の抗議に同調しているが、やはりそれを「トランス差別」とする批判もあるという。
だが私はやはり、抗議した女性に賛同したい。男性器をもつ「性自認が女性」の客が女風呂にはいってくるようでは、女性たちは安心して風呂やサウナを利用できなくなる。
新聞記事の筆者(文芸評論家)はどちらの立場なのだろう。「トランスジェンダーの人たち…は決して悪魔的な存在ではない」とか、「トランス女性」と偽って悪用する人は存在するだろうが「少数への怒りや憎悪が、そうではない大多数に向く状況」はよくないというのは、極論を否定して見せているだけで当たり前だ。トランスジェンダーを悪魔的だなどと言うつもりも、憎悪するつもりもないが、女風呂にはいるのは遠慮してほしいというのは、異常でもなんでもないと思う。筆者は「冷静に、どちらのニーズも満足させる方策を考えるべきだろう」と結んでいるが、私もその通りだと思う。
日本の場合、温泉やプールでは他の客に配慮して「タトゥーお断り」にしているから、他の客のことを考えればトランスジェンダーお断りも当然だろう…と思ったが、タトゥーについてもいろいろ議論があるようで、特に町の銭湯では生活上必要なものとして規制していないところが多いようだ。性自認は生来のものだからタトゥーと同列には論じられないという意見もあろう。
だが「権利」だといってとことん主張するだけでなく、他者の気持ちも配慮して一定の譲歩をすることも必要だ。全く次元の違う話だが、エスカレーターの片側を空けずに立つのは認められてしかるべきだが、空いているエスカレーターで静かに歩いて上る人を非難する必要まではないのではないか(過去ブログ)。もっと重要なところでは、言論の自由が脅かされる事件が相次ぐ昨今(過去ブログ)、他者の言論を封じることは言論の自由に含まれないことを心得ておくべきだ(過去ブログ)。
自分の権利を主張するときにも、他者のことも常に考える―そうした配慮により権利と権利の衝突が避けられるのではないか。
追記:風呂ほどではないが、トランスジェンダーのトイレについてはアメリカでも日本でも裁判になっている(朝日新聞2021-7-27)。アメリカの事例では、トランスジェンダー男性(生物学的には女性)が男子トイレを使うことの是非が問われていてへえと思ったのだが、指摘されている問題はやはり「認識する性別のトイレ使用を認めれば、男性が悪意をもって女性トイレを使用する」という不安だった。
追記2:実はトランスジェンダーのことがなくても、性自認はパンドラの箱を開くことになる。同性に裸を見られてもいいというのは、同性なら性的な目で見ないということが前提になっているからだ。だからトランスジェンダー女性の性自認を認めて女風呂に入れるのを認めるならば、レズが女風呂に入ることは拒否するのが論理的ではないか。このあたりLGBTの理解が深い方々はどう思っているのだろう。
追記3:ふと思った。逆に、トランスジェンダー男性が、女性の体で男風呂にはいったら。本人が気にしなくても、周囲の男性客から好奇の目で見られるのではないだろうか。そして追記2のロジックからすると、やはり問題なのではないだろうか。
追記4:
二人の識者の談話を読んだが、どうもまだよくわからない(朝日新聞2023-8-17夕刊)。
弁護士の女性は、「男性器を持つ人が女風呂に入ってくる」といってトランスジェンダー受け入れを批判するのは、自分でもすぐにはわからなかったが、「トランスジェンダーへの誤解と偏見に基づく差別的な言説」だという。だが談話を読んでも、なぜ差別的になるかは理解できなかった。(トランスジェンダーの人々は日常的に苦労しているのだからわかってあげなくては、と言っているようにしか見えなかった。)
また、「トランスジェンダーは性別にかかわらず使える『オールジェンダートイレ』を使えばいい」という意見については、トランスジェンダーであることを公表したくない人に「アウティング」を強いることになると注意している。だがこれは簡単に解決できる。男女共用トイレを例外でなく、普通にしてしまえばいい。現に、スウェーデンではトイレは男女共用が普通だという(GLOBE+ 2023-6-27)。私(男性)は、他人はともかく、知り合いの女性の前で小便器を使うのには抵抗があるが、スウェーデンではどうなっているのだろう。
「男性器を持つ人が女風呂に入ってくる」という言説について、「LGBT法連合会」事務局長は、「トイレや公衆浴場、更衣室などに違法な目的を持って入れば、性別にかかわらず現行の刑法で罪に問わます」という。もちろん問題はそこではない。現状では身体的な特徴で「おかしい」とわかるのに、そのような判断ができないことになってしまうのが問題視されているのだ。
事務局長はさらに言う。「公衆浴場は『男女』で区別することが国の管理要領で定められており、身体の特徴に基づいて判断することは合理的とされています。男性的な身体に見える人が「心が女性」と言って女湯に入れるようになることはありません。」これは驚いた。性自認を認めようということは、「身体の特徴に基づいて判断することは合理的」という社会の共通認識を変えようという運動ではなかったのか。「LGBT法連合会」というのはたぶん、トランスジェンダーに対する理解を深めようとする立場の人々だと思うのだが、「性転換手術を強制せず、自分が感じる性別で何でもできるようにしよう」という運動ではなかったのか。「身体の特徴に基づいて判断することは合理的」という点は変えなくていいという立場なのか。
トランスジェンダーへの理解を深めようとする人々が何を目指しているのか、今回の記事でわからなくなった。
だがそんな事例が実際にロサンゼルスのサウナで起こり、SNSで議論を巻き起こしているという(朝日新聞2021-7-17夕刊)。
6月26日のこと、身体は男性だが女性を自認している客が、サウナの「女風呂」にはいったらしい。ある女性客が、その客が男性器を少女たちの前で晒していると店に訴えた。だが従業員は「性別、宗教、人種を問わず、いかなる差別もしてはならない」というカリフォルニア州法に則って対応していると答え、女性客の訴えには対応しなかったようだ。女性はこの様子を撮影してインスタグラムにアップしたという。
LGBTの団体は女性の抗議は「トランスジェンダー差別」だとして批判したが、保守派はこのサウナやカリフォルニア州の法律こそおかしいと攻撃している。日本では、「少なからぬ女性」が女性客の抗議に同調しているが、やはりそれを「トランス差別」とする批判もあるという。
だが私はやはり、抗議した女性に賛同したい。男性器をもつ「性自認が女性」の客が女風呂にはいってくるようでは、女性たちは安心して風呂やサウナを利用できなくなる。
新聞記事の筆者(文芸評論家)はどちらの立場なのだろう。「トランスジェンダーの人たち…は決して悪魔的な存在ではない」とか、「トランス女性」と偽って悪用する人は存在するだろうが「少数への怒りや憎悪が、そうではない大多数に向く状況」はよくないというのは、極論を否定して見せているだけで当たり前だ。トランスジェンダーを悪魔的だなどと言うつもりも、憎悪するつもりもないが、女風呂にはいるのは遠慮してほしいというのは、異常でもなんでもないと思う。筆者は「冷静に、どちらのニーズも満足させる方策を考えるべきだろう」と結んでいるが、私もその通りだと思う。
日本の場合、温泉やプールでは他の客に配慮して「タトゥーお断り」にしているから、他の客のことを考えればトランスジェンダーお断りも当然だろう…と思ったが、タトゥーについてもいろいろ議論があるようで、特に町の銭湯では生活上必要なものとして規制していないところが多いようだ。性自認は生来のものだからタトゥーと同列には論じられないという意見もあろう。
だが「権利」だといってとことん主張するだけでなく、他者の気持ちも配慮して一定の譲歩をすることも必要だ。全く次元の違う話だが、エスカレーターの片側を空けずに立つのは認められてしかるべきだが、空いているエスカレーターで静かに歩いて上る人を非難する必要まではないのではないか(過去ブログ)。もっと重要なところでは、言論の自由が脅かされる事件が相次ぐ昨今(過去ブログ)、他者の言論を封じることは言論の自由に含まれないことを心得ておくべきだ(過去ブログ)。
自分の権利を主張するときにも、他者のことも常に考える―そうした配慮により権利と権利の衝突が避けられるのではないか。
追記:風呂ほどではないが、トランスジェンダーのトイレについてはアメリカでも日本でも裁判になっている(朝日新聞2021-7-27)。アメリカの事例では、トランスジェンダー男性(生物学的には女性)が男子トイレを使うことの是非が問われていてへえと思ったのだが、指摘されている問題はやはり「認識する性別のトイレ使用を認めれば、男性が悪意をもって女性トイレを使用する」という不安だった。
追記2:実はトランスジェンダーのことがなくても、性自認はパンドラの箱を開くことになる。同性に裸を見られてもいいというのは、同性なら性的な目で見ないということが前提になっているからだ。だからトランスジェンダー女性の性自認を認めて女風呂に入れるのを認めるならば、レズが女風呂に入ることは拒否するのが論理的ではないか。このあたりLGBTの理解が深い方々はどう思っているのだろう。
追記3:ふと思った。逆に、トランスジェンダー男性が、女性の体で男風呂にはいったら。本人が気にしなくても、周囲の男性客から好奇の目で見られるのではないだろうか。そして追記2のロジックからすると、やはり問題なのではないだろうか。
追記4:
二人の識者の談話を読んだが、どうもまだよくわからない(朝日新聞2023-8-17夕刊)。
弁護士の女性は、「男性器を持つ人が女風呂に入ってくる」といってトランスジェンダー受け入れを批判するのは、自分でもすぐにはわからなかったが、「トランスジェンダーへの誤解と偏見に基づく差別的な言説」だという。だが談話を読んでも、なぜ差別的になるかは理解できなかった。(トランスジェンダーの人々は日常的に苦労しているのだからわかってあげなくては、と言っているようにしか見えなかった。)
また、「トランスジェンダーは性別にかかわらず使える『オールジェンダートイレ』を使えばいい」という意見については、トランスジェンダーであることを公表したくない人に「アウティング」を強いることになると注意している。だがこれは簡単に解決できる。男女共用トイレを例外でなく、普通にしてしまえばいい。現に、スウェーデンではトイレは男女共用が普通だという(GLOBE+ 2023-6-27)。私(男性)は、他人はともかく、知り合いの女性の前で小便器を使うのには抵抗があるが、スウェーデンではどうなっているのだろう。
「男性器を持つ人が女風呂に入ってくる」という言説について、「LGBT法連合会」事務局長は、「トイレや公衆浴場、更衣室などに違法な目的を持って入れば、性別にかかわらず現行の刑法で罪に問わます」という。もちろん問題はそこではない。現状では身体的な特徴で「おかしい」とわかるのに、そのような判断ができないことになってしまうのが問題視されているのだ。
事務局長はさらに言う。「公衆浴場は『男女』で区別することが国の管理要領で定められており、身体の特徴に基づいて判断することは合理的とされています。男性的な身体に見える人が「心が女性」と言って女湯に入れるようになることはありません。」これは驚いた。性自認を認めようということは、「身体の特徴に基づいて判断することは合理的」という社会の共通認識を変えようという運動ではなかったのか。「LGBT法連合会」というのはたぶん、トランスジェンダーに対する理解を深めようとする立場の人々だと思うのだが、「性転換手術を強制せず、自分が感じる性別で何でもできるようにしよう」という運動ではなかったのか。「身体の特徴に基づいて判断することは合理的」という点は変えなくていいという立場なのか。
トランスジェンダーへの理解を深めようとする人々が何を目指しているのか、今回の記事でわからなくなった。