リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

ヘイト規制と言論弾圧の境界はどこに

2018-10-05 | 政治
言論の自由は大切だがヘイトスピーチは許されない,というのが世界の流れになってきている.川崎市ではヘイトスピーチを禁止する条例ができて,同様の動きは他の自治体にも広がっている.だが,右派に言わせればヘイトスピーチ規制条例は「言論弾圧」ということになる.ヘイトスピーチ規制は必要だと思うが,「言論弾圧」に悪用されないためのきちっとした線引ができるのだろうか.そう思っていたところ,東京都で成立見込みのヘイトスピーチ規制の条例案に,表現の自由への影響が懸念されているとの記事があった(朝日新聞2018-10-4).
川崎のときには右派を除いて今回のような声はなかったと思うのだが,どこが問題なのだろう.

東京都のヘイトスピーチ規制を含む条例案の正式名称は「オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例案」.差別的な言動の可能性が高く危険性が明らかな場合に,公園やホールの利用を規制するというものだ.だが具体的な利用制限の基準は条例では定められておらず,条例制定後に都議会を経ずに決められる.東京ではデモの出発地を制限する話も話題になったが,そもそも政府を批判する団体に施設を利用させないという政府への過剰な「忖度」が各地で見られる.基準を条例に明記しない今回の東京都条例では,知事の腹一つで政府を批判する団体への利用を制限できることになるのではないか.

ヘイトスピーチに関しては言論の自由を制限する必要はあるだろう.だが何が制限されるのかは,恣意的運用ができないよう厳格に定めておく必要があるのではないか.

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関連する新聞記事:
「Media Times)侵害懸念の「通信の秘密」とは 海賊版サイト接続遮断めぐり紛糾」朝日新聞2018-10-5
「(いちからわかる!)海賊版サイト対策、接続遮断の何が問題?」朝日新聞2018-10-5

追記:朝日社説2018-10-7では,通信の自由や通信の秘密の侵害に関する懸念は指摘されているものの,都条例は肯定的に捉えているようだ.私としては「要件が厳しく,実際に制限するのは難しい」という施設利用に関する川崎市のガイドラインくらいがちょうどいいような気もするのだが.
一方,「氏名の公表」に関する問題提起が興味深かった.都条例でも,投稿された文章・動画の投稿者の氏名の公表など,差別的言動を拡大させない措置をとるという.ただ,大阪市条例も「氏名の公表」を定めているが,市が投稿者を特定するのは事実上無理だという課題が浮かび上がっているらしい.
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追記2:京都市長選に際して「大切な京都に共産党の市長は『NO』」と書かれた広告が新聞に大きく掲載されて問題になった。掲載したのは当選した現職(公明、自民、立憲民主、国民民主、社民の相乗り推薦)の支持母体だそうだが、ネット上で「排除の広告」、「特定政党への蔑視」といった批判が相次いだという。(朝日新聞2020-2-13
たしかに自分をアピールするのではなく、相手候補を貶める広告で、それも政策ではなくイメージに訴えるだけというのは違和感がある。共産党などは「ヘイト広告」と批判したというが、やはり識者のいうとおり、共産党自身の「安倍政権NO」といった広告と同様で、ヘイトスピーチとして規制することはできないだろう。また、公職選挙法の規定も「特定の候補者の氏名や氏名が類推されるような事項を記載すること」という要件があって同法違反にもならないという。
この記事の少し前にオピニオン面で指摘されていたと思うが、「ヘイト」を理由とした抗議を安易に行なうことは、逆に権力の側が「ヘイト」を口実に言論規制をするのを正当化する土壌を作りかねない。私も気持ちの悪い広告だとは思うが、「ヘイト」だとして批判するのは慎重になるべきだろう。
では何が問題なのだろう。政策でなく名前を連呼して訴える、逆に批判する場合も中身ではなくイメージ戦略に頼るというのは残念ながら昔から横行していることだと思う。今回の場合、識者もいうように、与野党相乗りの現職候補が資金力にものを言わせて大々的なイメージ広告を打ったという点に問題があるのではないか。

追記3:仮に逆の立場であっても同じことを主張できるかと自省する態度を、井上達夫教授はこうまとめている。「自分の他者に対する行動が、たとえ相手の視点に立ったとしても、正当化できるか、その反転可能性を自己批判的に吟味してみることである」(朝日新聞2021-5-27)。教授はこれが民主主義の基盤「答責性」の本質だという。(ちなみに「答責性」というのは「アカウンタビリティー」の訳で、「説明責任」の訳が定着する前に豊永郁子教授が作った訳語だそうだ(朝日新聞2017-11-18(pdf))。)


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