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37- 平安人の心 「若菜下後半:柏木の密通 光源氏は柏木に怨恨を抱く」

山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  紫の上は病状が重く六条院から二条院に移されて、光源氏は看病にかかりきりになる。その間に六条院では、柏木が結婚してなお女三の宮への思慕を止められずにいて、女三の宮の寝所に忍び込み、密通の罪を犯していた。意に沿わぬ不倫に女三の宮はうちのめされる。
  いっぽう二条院では紫の上が息絶え、光源氏が慌てて加持をさせると、調伏(ちょうぶく)されてあの六条御息所の死霊が出現。紫の上はかろうじて蘇生した。

  六月、紫の上がようやく小康を得た頃、女三の宮が懐妊する。光源氏は多少の不審を感じつつも特に気にせずにいたが、柏木から女三の宮への恋文を発見し、密通の事実を知る。かつて光源氏が藤壺と犯した罪を思い出しながらも二人を許せない光源氏。いっぽう柏木と女三の宮も、光源氏に知られたと悟り、それぞれに罪の意識におののく。

  光源氏は苛立ち、女三の宮にくどくどと当てこすりを言う。光源氏にはこの密通が、若い柏木と女三の宮による老いた自分への裏切りと見えていたのだった。柏木とは怒りから半年間交際を絶ったが、朱雀院の御賀の試楽で柏木が久しぶりに六条院を訪れると、光源氏は怨恨を抑えがたく、じっと見据えて「老いた自分を笑っているのだろう」と悪意に満ちた皮肉を放つ。柏木はうろたえ、気を病んで衰弱していく。年末になってようやく催された朱雀院御賀も、柏木の病のために興の削がれたものとなってしまったのだった。
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  「源氏物語」には医者の姿が見えない。平安時代には医者はいなかったのだろうか。

  そうではない。現代の医者に当たる人々は、朝廷の「典薬寮(てんやくりょう)」なる役所で要請され、貴族や庶民のために診療を行っていた。丹波氏・和気(わけ)氏という二つの家から代々名医が輩出し、その一人、丹波康頼は「医心方」という三十巻の大著も残した。ただ、彼らの地位は低い。役所トップの典薬頭(てんやくのかみ)でもやっと従五位下相当。つまり貴族としては最下級だ。医者はこの時代、セレブではなかったのだ。

  説話集の「古今著聞集」(295話)に、面白い説話がある。藤原道長が物忌みで家に籠っていたところ、よそから瓜が贈られてきた。道長はこれを怪しみ、まず陰陽師の安倍晴明に占わせた。晴明は瓜の中から一つを取り出し、それに凶相があるという。そこで僧が加持をすると、瓜は動き始めた。邪気が現れたのだ。ならばその邪を治せと道長が言う。ここで医者の出番だ。瓜を矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)見て、二カ所に針を立てると、瓜はもう動かなくなった。最後に武士が刀で瓜をすぱりと割ると、中には小さな蛇がとぐろを巻いていた。これが邪の正体だったのだ。針は正確にその左右の目に刺さっていたという。つまり医者とは、要人を守るいわばSPチームの一人だった。そしてその仕事は、僧の加持祈祷によって邪気が姿を現した後に、それを鎮めることだった。
  「源氏物語」で病気というと即座に登場するのが僧であって医者ではないのは、加持祈祷のほうが優先順位が先だからなのだ。加持祈禱で治ってしまえば、医者の出番はない。

  だが治らない場合も「源氏物語」にはあるのに、それでも医者が描かれないのは、おそらくその仕事内容のせいだろう。医者は病人の側近く仕える。僧もそうだが、こちらは出家している。だが医者は生身の人間のままで患者の身に密着し、時にはその肌を見たりさわったりすることすらある。貴族階級には、これは無礼とも感じられることだった。特に姫君たちなど、他人には顔すら見せることを恥じた時代で、羞恥心は計り知れない。実はそのため、医者はイメージ自体あまり芳しいものではなかった。
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