「死ぬならガンに限る」というネーミングだったかなぁ、
中村仁一さんという医師と近藤ナンタラさんという医師の対談本をこの前読んだ。
それぞれの他の本を読んだことがあるので、
ちょっと予想はしてたけど、やはり・・という内容だった。
殆どのガンは切らずに放置すると死ぬまで痛みがほとんど無いし、
切らないことで快適に過ごせ、生きる時間も長いようで、
ガン検診はこの二人とも受ける気はさらさらないそう。
予防医学が最近盛んだけど、アレは患者を“呼ぼう医学”だという文章もなかにあって、
読むとなるほどと納得した。
この本のことを夫や友人にしたとき、
自分に随分力が入っている、と感じた。
なんかムキになっていた自分だった。
今の時代でガンは切らないで放置したらいいなんて言うと無視されることが多いとは思う。
なので、自分がそういう内容を夫や友人に納得“させたい”、
というのが強くあった。それで力説してしまったなぁと思った。
でも、なんでそんなに力説したんだろう???
なんで本の内容を納得してもらいたいと思ったんだ???
と、布団に入ってから自分を観た。
夫がガンと宣告されたり、そうかもしれないとなったとき、
夫はかなり不安状態になるのではないか、という不安が私にある。
そんな不安に怯えるようになってほしくない、という願いが私にあることに気づいた。
ひとを思える自分だということに気づいたことは嬉しかった。
けど、実際夫がどうなるかはわからない。
夫が不安に駆られて心が苦しむことのないように願ってしまったけど、
苦しむかもしれないし、苦しまないかもしれないし、
苦しんだとしても、それが良くないとも言えないと思った。
私も娘のことで、心配や不安で心が破裂しそうになった経験があるけど、
それがあったからこそ、不安の無い心になれた。心配の無い心になれた。
そんなふうに思いが行ってから、
夫のことは夫に委ねよう、となった。
友のことは友に委ねよう、となった。
実際は委ねることしか出来ないのに、委ねられない自分を発見した。
委ねられない自分が在ってよかった。
委ねられる自分を見つけられた。
そして、夫や友が不安で心が苦しいことがあったら、そのとき、それに寄り添える自分で居たいと思った。
ま、これは今の心境で、実際そんなふうになったとしたら、どうなるかはわからないけど、
こういう思いを経験できたことはきっと悪くないだろうな。
中村仁一さんという医師と近藤ナンタラさんという医師の対談本をこの前読んだ。
それぞれの他の本を読んだことがあるので、
ちょっと予想はしてたけど、やはり・・という内容だった。
殆どのガンは切らずに放置すると死ぬまで痛みがほとんど無いし、
切らないことで快適に過ごせ、生きる時間も長いようで、
ガン検診はこの二人とも受ける気はさらさらないそう。
予防医学が最近盛んだけど、アレは患者を“呼ぼう医学”だという文章もなかにあって、
読むとなるほどと納得した。
この本のことを夫や友人にしたとき、
自分に随分力が入っている、と感じた。
なんかムキになっていた自分だった。
今の時代でガンは切らないで放置したらいいなんて言うと無視されることが多いとは思う。
なので、自分がそういう内容を夫や友人に納得“させたい”、
というのが強くあった。それで力説してしまったなぁと思った。
でも、なんでそんなに力説したんだろう???
なんで本の内容を納得してもらいたいと思ったんだ???
と、布団に入ってから自分を観た。
夫がガンと宣告されたり、そうかもしれないとなったとき、
夫はかなり不安状態になるのではないか、という不安が私にある。
そんな不安に怯えるようになってほしくない、という願いが私にあることに気づいた。
ひとを思える自分だということに気づいたことは嬉しかった。
けど、実際夫がどうなるかはわからない。
夫が不安に駆られて心が苦しむことのないように願ってしまったけど、
苦しむかもしれないし、苦しまないかもしれないし、
苦しんだとしても、それが良くないとも言えないと思った。
私も娘のことで、心配や不安で心が破裂しそうになった経験があるけど、
それがあったからこそ、不安の無い心になれた。心配の無い心になれた。
そんなふうに思いが行ってから、
夫のことは夫に委ねよう、となった。
友のことは友に委ねよう、となった。
実際は委ねることしか出来ないのに、委ねられない自分を発見した。
委ねられない自分が在ってよかった。
委ねられる自分を見つけられた。
そして、夫や友が不安で心が苦しいことがあったら、そのとき、それに寄り添える自分で居たいと思った。
ま、これは今の心境で、実際そんなふうになったとしたら、どうなるかはわからないけど、
こういう思いを経験できたことはきっと悪くないだろうな。