ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ガンとストレス ストレスと人生

2015-03-19 17:21:40 | 本を読んで
同じ「神秘」という小説なんだけど、

これ何か月か前の毎日新聞の書評に載っていて、

どうして読みたいと思ったのかすっかり忘れてしまったのだけど、

この前やっと読み始め、読み終えた。

この小説の主人公は膵臓がんの末期とある日突然言われて・・・

そこから始まる。

結末は書かないね。

主人公が興味深く読んだ本として出てたのが「奇跡的治療とは何か」。

・・・ストレス学説の提唱者である科学者のハンス・セリエは

網状細胞肉腫というガンに罹って、余命何年とか言われた・・・

一年を泣き暮らすか、そうではないか、

人生最大の闘争のチャンスをガンは与えてくれたと彼は思った。

泣き暮らさないことを決めると不思議なことが起こった。

三年経ってハンスはラッキーな例外になっていたという。

ストレスとガンの関係はかなり複雑で、

ガンは肉体が自分自身の肉体を拒否する病気だと説明する人もいるようで、

ハンスはその前提をさらに一歩進めて、

人間が基本的な要求をひどく拒否するとき

ガンになる可能性がより高いと言えないだろうか?と考えた。

言葉を換えると、

“人間が自分自身の要求をはねつけると身体が身体に反抗する”

と言えないだろうか?と彼は言っている。

自分自身の要求をはねつけるって、自分が在りのままでいることをしないで、

無理しちゃうことなんだろうなと思う。

さっき書いた、否定的に評価するとストレスになる、って奴。

あれ?恐いと思って狭い所を通ること自体ストレスになるんだろうか??

いや、やっぱりどんな肉体的に辛いことでも、

それをしたくてしてればストレスにはならないんじゃないか・・な。


こういう記述もあった・・・肉体的疾病の非常に多くが、程度の差こそあれ、

もとをただせば心身相関に源を発するということだ。

・・・そうなんだろうなと私も思ってる。

日本には病は気からという言葉があるけど、

同じことだと思ったよ。

心身相関というので分かりやすい例として

梅干しを見ただけで唾が出ることがその証拠だと

海原純子ドクターが新聞に書いてた。

梅干しが身体に物理的に入らないのに身体に作用してしまうんだもんね。

梅干しだ、って心で思うだけなのにね。

若いかっこいい男が担任のクラスでは、

女の子は月経になる時期が早いとかいうデータもあるとかいうのも読んだ記憶があるよ。




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白石一文「神秘」の中・・他人の利益優先・・

2015-03-19 16:50:22 | 日々の暮らし・思い出
白石一文の「神秘」という小説を読んだ。

面白かったわ。

大筋とはそれほど関係のない文章だとは思うけれど、

その本の中にストレスについてこんな記述があった。

「他人の利益を優先する人生を歩んでも、

それを自分が肯定的に評価している限りは

決してストレスにならないのだ。・・・」


人生の歩みとは行為の連続だと思うので・・・

他人の利益を優先する行為をしても、

それを“自分が肯定的に評価している”限りストレスにはならない・・

これはどういうことか?

超簡単な行為について考えてみる・・・

そこを通りたいのに、その人が恐くて、「ちょっとどいて」と言えず、

自分に無理をして狭い所を通ったが為に、

自分が大変な思いをしたりすると、

ストレスを感じる例。

これなんか、自分がその行為を否定的に評価している、ということだろうか・・・

・・・と、考えた。

ストレスを感じるのは、

“他人の利益を優先”させて、そこを通らなかったことを

その人のせいにしてる、ということからかと思う。

自分の行為を自分で納得していない、とも言える。

そのことは、その行為に対し自分が否定的な評価をしている、と言えないかな。


見た目、他人の利益を優先させている、といった同じ行為をしても、

ストレスを感じなかった場合は、

そこを“通れなかった”ではなく、

“通らなかった”という意識状態なのかと思う。

その人が恐い自分だから、そこを通らなかったと、

自分の行為に納得がある。

恐いからそのように行為したということを

ダメだとか思わず、肯定的に評価している・・んじゃないかと思う。


この前、“出来ないことをしようとしてるんじゃない!?”と友人が言ってくれたことが

最近の私にぴったり来た、というのをここに書いたけど、

あの後、また一つ楽になったことがあった。

同居の夫に対して、

こういうことはコレコレこうしてほしい・・みたいな願望が私にはあったみたいで、

(それがあったことにやっと気が付いたんだった・・んだけどね。)

その願望があったから、そういう行為をしない夫に不満があった。

けれど、その行為を今のところ夫はしないのだとやっとわかった。

私は出来ないことをしようとしてた・・・のだ。

自分の願うような、思うような、行為をしてほしい・・・

けど、彼がその行為をするという希望を捨てた。

そうしたらすごく楽になった。

考えてみれば、夫は既に私が出来ないいろんなことを諦めてくれていると思う。

いつか夫が他の人に言ってた・・・

夫婦はいいところだけを見てやっていけばいいって。
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