「色はにほへど 散りぬるを 我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」
・・・という『いろは歌』について。
12世紀の高僧、新義真言宗の祖である覚鑁(かくばん)は
『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中でいろは歌の注釈を記し、
いろは歌は『涅槃経』中の無常(むじょうげ)
「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」
(諸行は無常であってこれは生滅の法である。
この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると説明した。
もっとわかりやすい意訳は・・
・・牡丹の花(例えば)もあんなにきれいだったのに、散ってしまった。
このように我々の命も露と散るのだなぁ。
「どこまで行っても我々が勝手に作りあげた価値観、
勝手に作り上げた時間と存在を生きていくしかない。
そういう人生を今日終えた。浅い夢みたいだったなぁ。
今までの見方はなんて夢みたいだったんだろう。
今になってみると、なんてはっきり見えるのだろう。
これまでのように酔っ払ったような見方はするまい。」
・・以上。ネットと本より。
「いろは」がいつの時代に誰が創ったものなのかわからないらしい(多分)
・・考えると凄いことだなぁと思う。
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」
・・・という『いろは歌』について。
12世紀の高僧、新義真言宗の祖である覚鑁(かくばん)は
『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中でいろは歌の注釈を記し、
いろは歌は『涅槃経』中の無常(むじょうげ)
「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」
(諸行は無常であってこれは生滅の法である。
この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると説明した。
もっとわかりやすい意訳は・・
・・牡丹の花(例えば)もあんなにきれいだったのに、散ってしまった。
このように我々の命も露と散るのだなぁ。
「どこまで行っても我々が勝手に作りあげた価値観、
勝手に作り上げた時間と存在を生きていくしかない。
そういう人生を今日終えた。浅い夢みたいだったなぁ。
今までの見方はなんて夢みたいだったんだろう。
今になってみると、なんてはっきり見えるのだろう。
これまでのように酔っ払ったような見方はするまい。」
・・以上。ネットと本より。
「いろは」がいつの時代に誰が創ったものなのかわからないらしい(多分)
・・考えると凄いことだなぁと思う。