今朝の毎日新聞、五百旗頭 真さんという防衛大学校長先生のもの。
「世界文明フォーラム」という催しに参加しての話だった。
インド生まれの世界的学者さんや世界の英知を聞きながら、
日本の大きな方向性を考える場となった、とあった。
今回のメーンテーマは「世代間の公正」
印象的だったのはスウェーデンの話。
高い税金の下で何故高い経済成長ができるのかとか、
何故人口減少が反転したのか、などの?に対して、
スウェーデンの財務相が言ったこと・・
「公的部門の腐敗が少ないこと。
オープンな議論を行なって政治が社会的信頼を築いたこと。
政策内容として徹頭徹尾人間に投資したこと
(保育園の充実、教育施設の無料化、社会全体が育児休暇を受け入れていること、
失業は個人の不幸であるだけでなく、社会の人的損失であるとの見方から
失業保険だけでなく、再就職のための再教育の充実など)
こんなふうにどこまでも人材重視らしい。
研究開発への投資も経済成長の要件であると共に
将来世代を支える方策でもあるらしい。
ひと が尊重されているんだなぁと思った。
そして一番に書いたように腐敗が少ないこと。
これはひとがあまり未熟じゃないということだろうと思うけど、
社会がひとを尊重するものであるがゆえに、
人として成長できる、とも言える。
社会と人がいい循環になっているんだろうなと思う。
日本の被災地の若い大学院生、人材である一人が
形の見えない「心」の財こそ本当の豊かさではないかと提起し、
「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」生き方を震災体験を通じて悟り、
「世代間の公正」を世界の論客に劣らす雄弁に表現した、とあった。
地震という災難に遭って、
そういう心境になったというのは素晴らしいなぁと思った。
そういう心境になるのに震災は大きな機会だったとも言える。
「艱難汝を玉にす」という諺のようだ。
可愛い子には旅をさせよとか、苦労は買ってでもせよとか、
そういう言葉があるけど、
苦しみを感じてその苦しみを我慢する術を覚えるなんていうのは、
“玉”にならない気がする。
ただ鈍感になるだけだ。
艱難の何が汝を玉にするのか、
苦労の何が人を成長させるのか、
よくよく目を見張り“経験”しないといけない。
苦しみがただの苦しみだけならそんなもの経験しない方が楽だ。
「世界文明フォーラム」という催しに参加しての話だった。
インド生まれの世界的学者さんや世界の英知を聞きながら、
日本の大きな方向性を考える場となった、とあった。
今回のメーンテーマは「世代間の公正」
印象的だったのはスウェーデンの話。
高い税金の下で何故高い経済成長ができるのかとか、
何故人口減少が反転したのか、などの?に対して、
スウェーデンの財務相が言ったこと・・
「公的部門の腐敗が少ないこと。
オープンな議論を行なって政治が社会的信頼を築いたこと。
政策内容として徹頭徹尾人間に投資したこと
(保育園の充実、教育施設の無料化、社会全体が育児休暇を受け入れていること、
失業は個人の不幸であるだけでなく、社会の人的損失であるとの見方から
失業保険だけでなく、再就職のための再教育の充実など)
こんなふうにどこまでも人材重視らしい。
研究開発への投資も経済成長の要件であると共に
将来世代を支える方策でもあるらしい。
ひと が尊重されているんだなぁと思った。
そして一番に書いたように腐敗が少ないこと。
これはひとがあまり未熟じゃないということだろうと思うけど、
社会がひとを尊重するものであるがゆえに、
人として成長できる、とも言える。
社会と人がいい循環になっているんだろうなと思う。
日本の被災地の若い大学院生、人材である一人が
形の見えない「心」の財こそ本当の豊かさではないかと提起し、
「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」生き方を震災体験を通じて悟り、
「世代間の公正」を世界の論客に劣らす雄弁に表現した、とあった。
地震という災難に遭って、
そういう心境になったというのは素晴らしいなぁと思った。
そういう心境になるのに震災は大きな機会だったとも言える。
「艱難汝を玉にす」という諺のようだ。
可愛い子には旅をさせよとか、苦労は買ってでもせよとか、
そういう言葉があるけど、
苦しみを感じてその苦しみを我慢する術を覚えるなんていうのは、
“玉”にならない気がする。
ただ鈍感になるだけだ。
艱難の何が汝を玉にするのか、
苦労の何が人を成長させるのか、
よくよく目を見張り“経験”しないといけない。
苦しみがただの苦しみだけならそんなもの経験しない方が楽だ。