昨日の毎日新聞書評欄に「菌の声を聴け」という本が出ていた。
その欄の一番最初にその本のことが。
とても興味深く面白かったよ。
自然の中から調達する菌でパンやビールを作っている人が書いた本のよう。
自然の中から調達する!?菌・・・
蒸した米を竹筒に入れてひたすら「降りてくるのを待つ」
・・・のだという。
麹菌はいつもやって来るとは限らず、黒いカビしか降りて来ないときもあり、
どうもそれは農薬の空中散布や車の排気ガスが関わっているらしい。
そういう経験なんかで大切なことは、環境を整えること、菌がやって来る器になることだという。
菌も含め、生き物全てそうなっているのだなぁと思う。
人間だって勿論そうだ。
かつて、私は環境です、という言葉を知ったけど、そういうことだ。
菌についていろいろな経験を経て、
「・・・発酵の失敗は、必ずしも一つの要因に還元出来ず、
大きな視点から複雑な絡まり合いを見ていかなければならない・・・
発酵は『因果』ではなく、『縁起』で捉えるべき」
との文章にそういう分野になんの知識もない私だけど、
うんうんと頷く私だよ。
「菌のあり方は人間のストレスとも呼応し、
スタッフの精神的な調子が崩れているときは青カビが出たりするのだという。
菌はまるで精霊のような存在だ」
・・・こんな文章もあった。
うちでカスピ海ヨーグルトをずっと作ってずっと食べているけど、
欲しいという人にそれをもらって貰うことがあって、
どうしても出来ないという人もいたことがある。
室温とか消毒とか(私は面倒くさいからしてないけど)時間とかをちゃんとしても、出来ないこともあるよう。
うちでも一度、出来なくなってしまったことがあり、その後、
又友人にそのヨーグルトを頂いて、作ったことがある。
出来なくなった時も同じようにやったつもりだったけど、
他の何かそうならない、発酵に至らない訳があったんじゃないかと思った。
上に紹介した文章のように、何か精神的なストレスが
動的平衡のバランスを乱した、というか、そういうことだったのかと思う。
「・・・発酵の失敗は、必ずしも一つの要因に還元出来ず、
大きな視点から複雑な絡み合いを見ていかなかければならない。
発酵を生み出す『縁起』に目を凝らしたとき、
セオリーとされてきた枠組みが崩れ、新たなイノベーションが起こる・・・」
とあった。
たった一つの原因で何かが起こった、みたいに観てしまうことがあるけど、
その一つの他にも認識出来てない何かが起こって起こって・・・
生き物はその時そうなっている。
少しもじっとしてない。
・・・生きてるものは動き続けて変わり続けていく。
私の肉体がその動きを止めた時、ドクターが死亡届け?をかくけど、
何で死んだか正確な事実なんて、わからないんだろうなぁ。
息が止まった、ということがわかるんだろうけど。
そして、
土葬にしたら、
土の中でその物は瞬間瞬間周りの菌を含めて生きてる物と関わり合って
変化し続けていつか土の一部になって、
その時も他の何かと関わり合って永遠に生きて行くのかもしれないね。
火葬でも同じことだろうね。
全てのものは形は変わるけど、生き続けて存在し続けて行くのではあるまいか・・・・・
なんだかこんな展開になってしまったよ。
在るものは無くなることはあり得ない・・・
だって在るんだから。
前にこんなことばかりここに書いていたね〰️