「知らぬが仏」という言葉の意味は本来どんなことなのか、知らないでいた。
広辞苑を見たら、
「知ればこそ腹が立つが、知らなければ仏のように平穏な境地でいられる。
転じて、当人だけが知らずに平気でいるさまをあわれみ、
あざけっていう語」だそう。ということは・・・?
“知らない方が幸せ”という幸せは完全な幸せと言えないと広辞苑は云ってる・・・?
この言葉はこう使われています、というのが辞書なんだろうから。
謂わば、辞書にあるのは経験知。経験則。
知らないで平穏でいるさまを嘲けなくてもいいと思うけど、
知っても知らなくても平穏で居るのが真の仏だと昔の日本人は知っていた、と言える。
知って腹が立つ、知らないから腹が立たない、というのは相対的境地で、
知っても知らなくても腹立たない、というのは絶対的境地だと、
この言葉は云ってるのかと思った。
お釈迦さま、という言葉があるけど、
「釈迦」は古代インドの一種族の名前で、
釈迦牟尼(しゃかむに)とか、ゴータマ・シッダールタという名前の人のことを
通称、釈迦と云ってるようだ。
そのシッダールタが35歳の時、菩提樹の木の下で悟りを開いたという。
その悟りを開いたことを、
『仏陀になった』とか、『覚者(梵語buddha 仏陀の訳)になった』とか云うわけだ。
(ヘッセの「シッダールタ」という本、あれもすごく面白く読んだ)
覚者の意味は「自ら覚り(さとり)他を覚らせ、覚も行も完全な者をいう。」だという。
この広辞苑の意味からすると、
仏陀・覚者とは絶対的境地にならんとしてなった者・・
24時間(完全)そういう境地(覚)で行為をする(行)人のことを云っているということか。
『覚も行も完全な者をいう』・・
ようするにこれは彼の云う十人のメンバーのことじゃないか。
彼が釈迦と気が合うといったのもホント、ガッテンだ。
10年ちょっと前、天外伺朗という人が書いた本を古本屋で見て、
ちらっと立ち読みしたことがあって、(題は忘れた)
それには世界が幸福状態に成るのは人が覚ることによってだ、
とかいう文章があって、すごくそれに同感した覚えがある。
その本は買わなかったけど、他の本を何冊か読んだことがある。
この人はソニーのロボット、アイボを開発した人のようだ。
広辞苑を見たら、
「知ればこそ腹が立つが、知らなければ仏のように平穏な境地でいられる。
転じて、当人だけが知らずに平気でいるさまをあわれみ、
あざけっていう語」だそう。ということは・・・?
“知らない方が幸せ”という幸せは完全な幸せと言えないと広辞苑は云ってる・・・?
この言葉はこう使われています、というのが辞書なんだろうから。
謂わば、辞書にあるのは経験知。経験則。
知らないで平穏でいるさまを嘲けなくてもいいと思うけど、
知っても知らなくても平穏で居るのが真の仏だと昔の日本人は知っていた、と言える。
知って腹が立つ、知らないから腹が立たない、というのは相対的境地で、
知っても知らなくても腹立たない、というのは絶対的境地だと、
この言葉は云ってるのかと思った。
お釈迦さま、という言葉があるけど、
「釈迦」は古代インドの一種族の名前で、
釈迦牟尼(しゃかむに)とか、ゴータマ・シッダールタという名前の人のことを
通称、釈迦と云ってるようだ。
そのシッダールタが35歳の時、菩提樹の木の下で悟りを開いたという。
その悟りを開いたことを、
『仏陀になった』とか、『覚者(梵語buddha 仏陀の訳)になった』とか云うわけだ。
(ヘッセの「シッダールタ」という本、あれもすごく面白く読んだ)
覚者の意味は「自ら覚り(さとり)他を覚らせ、覚も行も完全な者をいう。」だという。
この広辞苑の意味からすると、
仏陀・覚者とは絶対的境地にならんとしてなった者・・
24時間(完全)そういう境地(覚)で行為をする(行)人のことを云っているということか。
『覚も行も完全な者をいう』・・
ようするにこれは彼の云う十人のメンバーのことじゃないか。
彼が釈迦と気が合うといったのもホント、ガッテンだ。
10年ちょっと前、天外伺朗という人が書いた本を古本屋で見て、
ちらっと立ち読みしたことがあって、(題は忘れた)
それには世界が幸福状態に成るのは人が覚ることによってだ、
とかいう文章があって、すごくそれに同感した覚えがある。
その本は買わなかったけど、他の本を何冊か読んだことがある。
この人はソニーのロボット、アイボを開発した人のようだ。