「この味ちょっと酸っぱいね」と言う。
そう言えるということは以前にそのような味を味わったことがあって、
それを酸っぱいと捉えた経験がある、ということだろう。
遡れば、まだ言葉を話せないような頃、
ミカンを口にし、味を感じ、顔をしかめると、
周りの大人が「酸っぱいね~」という言葉を発した。
その言葉を聞いた赤ちゃんは「こういう味を酸っぱいと言うのだな」
と認識したことから始まっている。
認識したという自覚はないだろうけど。
成長してミカンを味わうとき、自分にある無数の経験の中から、
この味は「ちょっと酸っぱい」と表現する類のものだと
無意識のうちに判断し、そう発するようになる。
けど、「この味」を味わって、それをどう表現するかは、
人や時と場合により様々だろうと思う。
ミカンその物についての感想だけが言葉になるわけじゃない。
その味を味わっても、
その言葉を発するとき、相手が上役か、仲の良い友人か、
家族か、この前言い争いした人か、
過去に嫌な思いをさせられたと思ってるところの人か、
・・等々で、
又それらの人のたった今の状態によってや、自分の虫の居所なんかや、
場とか全体の雰囲気によって、出す言葉は変わってくる。
ひとは瞬時にそういった場を全体的に捉え、言葉を発する。
例えば、昇進したいと思ってる部下である人が
昇進を左右する人事権を持ってる上役からミカンを出された場合、
味わう前からどんな言葉を出すか、
無意識のうちに決まっているようなことも世の中にはあると思う。
こういう意識の状態がベンジャミン・リベットの実験で
証明されたことなのかしらん・・・。
そうしようとなる前から脳では運動が始まっている、という奴。
そう言えるということは以前にそのような味を味わったことがあって、
それを酸っぱいと捉えた経験がある、ということだろう。
遡れば、まだ言葉を話せないような頃、
ミカンを口にし、味を感じ、顔をしかめると、
周りの大人が「酸っぱいね~」という言葉を発した。
その言葉を聞いた赤ちゃんは「こういう味を酸っぱいと言うのだな」
と認識したことから始まっている。
認識したという自覚はないだろうけど。
成長してミカンを味わうとき、自分にある無数の経験の中から、
この味は「ちょっと酸っぱい」と表現する類のものだと
無意識のうちに判断し、そう発するようになる。
けど、「この味」を味わって、それをどう表現するかは、
人や時と場合により様々だろうと思う。
ミカンその物についての感想だけが言葉になるわけじゃない。
その味を味わっても、
その言葉を発するとき、相手が上役か、仲の良い友人か、
家族か、この前言い争いした人か、
過去に嫌な思いをさせられたと思ってるところの人か、
・・等々で、
又それらの人のたった今の状態によってや、自分の虫の居所なんかや、
場とか全体の雰囲気によって、出す言葉は変わってくる。
ひとは瞬時にそういった場を全体的に捉え、言葉を発する。
例えば、昇進したいと思ってる部下である人が
昇進を左右する人事権を持ってる上役からミカンを出された場合、
味わう前からどんな言葉を出すか、
無意識のうちに決まっているようなことも世の中にはあると思う。
こういう意識の状態がベンジャミン・リベットの実験で
証明されたことなのかしらん・・・。
そうしようとなる前から脳では運動が始まっている、という奴。