ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

2013-02-18 10:36:29 | ひとの幸福
小さな子供が車の運転席に座りたがる。こういうことはあるもんだ。

なんでもやりたがる。なんにでも興味が湧く。

けれど、実際の運転中に運転席に座らせたらいけない。

膝に乗せたらいけない。

ハンドルに触らせたらいけない。

こういう時に、やる気があるということだし、近い距離だし、

他の車も通らないし、歩行者も居ないし・・とかいって

運転席に座らせないという自分の意志を曲げるのはいけない。

こういうことが「躾」という名前の内容なのかと思った。

今まで「シツケ」という言葉に違う解釈をしてた自分だったよ。


いくら座りたいといって泣き叫ぶ、意志が強い子供でも、

その子供の安全のため、私のため、今と未来の周りのため、未来のその子のため、

今、ダメ!という意志を曲げたらいけない。

こういうとき言葉も体罰も要らない。

座らせないという強い意志の下の実力行使だけでいいのかと思う。

幼児期にこういうことを周りの大人がちゃんとすること、

自分の気持ち・意志で自覚的に生きること、をしてたら、

12才くらいからは脳波も大人と同じようになるということのようだし、

なんでも本人の意志に任せるのがいいのかと思う。

周りの人みな、自分の思うこと、自分のすることにこういう意志があるという自覚があるなかで育ったら、

あーしろこーしろという言葉も体罰も要らなくなるんじゃないか。

大人になっても本人の心以外のそういう何かが要るということは、

子供時代に周りの大人がするべきことをしていないことの現われなんだろうなぁ。

でも済んだ事は済んだことで仕方ない。

これからのことは今ここから始められる。

体罰のことが話題になっていること自体とてもいいことかと思う。



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