bb】反省的な歴史の第二種は、実用的歴史(die pragmatische Geschichte)である。我々が過去を問題にし、遠く離れた世界を研究する場合、精神に対して一つの現在が現われてくる。この現在は、精神が自分の努力の褒賞として、精神自身の活動によって獲得したものである。
それぞれの出来事はいろいろに異なっているが、そこに内在する普遍的なものと内的なもの、すなわち連関は一つである。そしてこれが過去を止揚し、出来事を現在のものとする。実用的反省はそれがどんなに抽象的であっても、実際は現在的なものであって、過去の物語に今日の生命を吹き込むものである。a
ところでこの種の反省が真実、興味のあるものであり、生気を吹き込むものであるかどうかということは、ひとえに作者自身の精神によるものである。だが、ここでは特に道徳的反省と、歴史を通じて獲得されるところの道徳的教訓とについて述べておかなければならない。実際、歴史はしばしば道徳的教訓のb
ために編纂されたのであった。しかし、善人が心情を高めること、また児童の道徳的教育に当たって立派なことを児童の頭に染み込ませておくために、善人の例を用いるべきだということは言いうるとしても、民族や国家の運命、それらの利害、それらの状態や葛藤などは道徳とは領分がちがうのである。c
人々は君主、政治家、民衆に向って、歴史の教訓から汲むべきだと説く。けれども経験と歴史の教えるところこそまさに、人民や政府がかって歴史から何ものをも学ばなかったということであり、また歴史から引っ張り出されるような教訓にしたがって行動したこともなかったというそのことなのである。d
各時代はそれぞれ特有の境遇を有し、それぞれ極めて個性的な状態にあるものであるから、各状態の中で各状態そのものによって決定されなければならないものであり、またそうしてのみ決定され得るものである。世界のいろいろな出来事の雑踏の下では、一般原則もいろいろな類似の関係への回想も
各時代はそれぞれ特有の境遇を有し、それぞれ極めて個性的な状態にあるものであるから、各状態の中で各状態そのものによって決定されなければならないものであり、またそうしてのみ決定され得るものである。世界のいろいろな出来事の雑踏の下では、一般原則もいろいろな類似の関係への回想もe
何の役にも立たない。なぜなら色褪せた回想などといったものは、現在の生命と自由に対しては何の力も持たないからである。この点から見ると、革命時代にフランス人の間でしきりに云われたところのあの合い言葉のように、ギリシャやローマの例を引き合いに出すことほど皮相なものはない。f
なぜならそれらの古代民族の本性と我々の時代の本性とほどに相違するものはないからである。ヨハンネス・ミュラーはその一般史においても、スイス史においても、君主、政府、および人民に対して、とくにスイス国民に対して、このような教訓を与えようという道徳的な企図を持っていたが、g
それが彼のやった仕事の中の最良のものに数えることは出来ない。これらの反省に真理を付与し、関心を起こさせるようにする所以は、それぞれの状況についての根本的で、自由な、視野の広い眼と、理念(イデー)についての深い感覚(例えばモンテスキューの「法の精神」におけるような)とだけである。h
だから、一つの反省的な歴史が他の反省的歴史に取って代わられることにもなる。史料はどの歴史家にも自由に解放されているから、各自はそれを整理し、構成する能力があると信じ、自分の精神を時代の精神として主張することになりやすい。そこで人々はそんな反省的歴史に嫌気がさして、i
あらゆる観点から書き直された出来事の原像へと帰って行くことになる。確かにこの種の歴史にも相当の価値はあるが、それはたいてい史料を提供するというにとどまる。我々ドイツ人はそれで満足している。これに反してフランス人は手際よく一個の現在を創り上げ、過去を現在の状態に関係づける。s 29
cc)批判的歴史
反省的歴史の第三種は批判的歴史(die kritische Geschichte)である。これはとくに現在のドイツで行われている歴史のやり方であるから、一言触れておく必要がある。この批判的歴史において講じられるものは、歴史そのものではなくて、歴史の歴史であり、a
歴史的叙述の評価であり、その真理と確実さとの吟味である。この場合、批判的歴史がもちまた殊にそれが持つべき特色は、それぞれの物語を評価するところの著者の炯眼にあるのであって、事柄そのものの中にあるのではない。だが我々ドイツ人の間では、いわゆる高等批評なるものが文芸学一般のみならずb
歴史書をも支配してしまった。すると今度は、この高等批評は勝手な想像力のやるどんな非歴史的な妄想をも許さざるを得なくなった。それは歴史的事実の代わりに主観的な思いつきを入れることによって歴史の中に現在を見出すという、歴史の中に現在を持ち込むというやり方、とは別の行き方である。c
dd)専門的歴史
反省的歴史の最後の種類は、専門史(die Spezialgeschichte)
といわれているものである。確かに、この歴史も抽象的ではあるが、しかし、一般的な観点(例えば芸術史、法律史、宗教史など)を取っている点において、哲学的世界史への橋渡しとなっている。a
現代では、概念史のこの面が却って発達し、重きを置かれるようになってきた。このような各部門(憲法の歴史、科学の歴史、所有権の歴史、航海の歴史など)は、その民族史の全体に関係をもつものである。その場合に大切なことは、その各部門の中に全体への連関が見られるか、b
それとも、全体の連関が内的ではなく、単に外的に並列されるものに過ぎないか、という点にある。後の場合には、各部門は諸々の民族のまったくに偶然的な個別性という形を取る。しかし、反省的な歴史が一般的な観点を追求するようになるとき、そこで注意すべきは、そうした一般的な観点が c
本物である限り、それは単に外的な導きの糸で、つまり、偶然的な秩序であるに留まらず、むしろ、諸々の出来事と行為との内的な指導的精神そのものであるということである。というのも、理念(イデー)は魂の指導者、神話のマーキュリーの神のように、真に民族と世界との指導者であって、この指導者のd
理性的で必然的な意志、すなわち精神こそ、これまで世界を導いてきた当のものであるとともに、また現に導いているものだからである。そして、この歴史における指導的な精神を認識することが、今や我々の目的である。(ibid s 30 )
(C)哲学的歴史、歴史哲学
ここに歴史の第三種が、すなわち哲学的歴史が登場する。先の二種の歴史(資料的歴史と反省的歴史)はその概念が自明であるから、とくに説明する必要もなかったが、この最後の哲学的歴史についてはちがう。といっても一般的に言うなら、歴史哲学とは、歴史の思考的考察をa
意味するに他ならない、と言うことに尽きる。元来我々は思考をお座なりにすることはできない。この点でこそ我々が動物と区別されるのであり、感覚の中であれ、知識と認識の中であれ、衝動や意思の中であれ、それが人間のものである以上は、それらの中には「思考」がある。b
確かに、ここで思考を引き合いに出すのは、奇妙で不審に思われるかもしれない。と言うのも次の理由に拠るのである。つまり、歴史においては思考は所与の事実と存在物に従属するものであり、思考はそれらを自己の根底とし、それらによって導かれるものだからである。それに反して、哲学の根本をなすのは
存在物を顧慮することなく、思弁が自分で作り出すような独自の思想だからである。だから、もし哲学がこのような思想を携えて歴史に向うことになれば、哲学は歴史を材料のように取扱い、歴史を在るがままにしておかないで、むしろ歴史を思想に合うように案配し、いわゆるアプリオリに歴史を
構成するということになるだろう。そもそも歴史は現にあるもの、また過去にあったもの、つまり、諸々の出来事と行為を、ただあるがままに把握すべきものであって、事実に即すれば即するほど、それだけ真実でありうるのだから、哲学の仕事というものは歴史の研究とは矛盾するようなものとも思われる。