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ポンチとポール

2010-12-02 17:25:17 | 洛中洛外野放図
 最近はどうだか知らないけれど、京都の喫茶店ではほぼ確実に甘ったるいアイスコーヒーが出てきたので、『ガム抜き』を明言しておかないと後悔の臍(ほぞ)を嚙むことになるが、『無理です』と言われることも結構あった。何度目かで懲りたので、喫茶店では暑い時期でもホットコーヒーを飲むことに決めた。

 高瀬川のほとりのソワレはレトロを絵に描いたような店で、昭和23年開店というのでそれはそうなんだが、『ゼリーポンチ』という冗談みたいなメニュウがある。何が冗談みたいかって、グラスに注いだサイダーの中に1cm角くらいの、色とりどりの立方体のゼリーがコロコロと入れてあり、光を透かして見るとそれが綺麗なのだ。喫茶店にはコーヒーを飲みに行くので、同席の連れが注文すればそれを向かいで眺めているだけだけれど、甘いものは得意でないし、なんといってもぷにゅんぷにゅん、ぷるんぷるん、にゅるんにゅるんと形容できそうな食感は苦手なので、ゼリーなんどはもってのほかだ。あれは眺めておくメニュウである。そこから四条通を渡って南側に行くとフランソアがある。昭和ヒトケタから続くと聞いた。内装は豪華客船の船室を模してイタリアバロック調でまとめてあるというが、そんなことはわからないけれどもゆったりと落ち着いて過ごすことができる。河原町三条から少し下がった東側にある六曜社珈琲店も戦後間もない頃から営業しているという古い店で、一階と地下に店舗があり、夕方には地下がバータイムになる。マッチ箱のデザインがかわいらしくて、書かれている手書き文字の店名の『曜』の字は日偏に玉を書く略字になっている。自家製のドーナツがおいしいらしい。らしいというのは、喫茶店にはコーヒーを飲みに行くので、同席の連れが注文すればそれを向かいで眺めているだけだからだ。

 淳久堂だとか、今はもうなくなっているらしい河原町の丸善だとかに出かけて、ここの話になると大概の人が梶井基次郎『檸檬』の話題を持ち出して『果物屋を探した』と言う。モデルとなったのは『フルーツパーラー八百卯(やおう)』というところで、2009年に閉店された*1そうだが、買い物はしなかったけれど見物はした。ともあれ繁華街周辺の大型書店で近所の書店では扱ってないような本をいろいろと見て回ったり、メディアショップで細ごまとした買い物をしたり、骨董店Wright商会をひやかしたり、ここは喫茶もやっていて、昆布茶をたのむとかりんとうがついてきた。カルピスやアイスコーヒーには同じもので作った氷を入れてくれるので薄まることがなく、『最後までおいしい』らしい。らしいというのは―、もういいね。

 祇園会館で見たい映画がかかると、出かけたついでに上記のあたりその他をいろいろと物色してまわる。映画は一人で観ることにしていたが、たまに誰かと誘い合って行くことがある。または映画の好みの似通った人にばったり出くわすこともある。そんなときは『すんだらメシ食いに行きましょか』ということになるのだが、不思議と四条河原町近辺や新京極など、繁華街界隈で『食事』をしたという記憶はあまりない。おそらく夕方までぶらぶらして居酒屋に入ってお酒を呑んでいたからだろう。相手によってそれまでいろいろと散策をしたり、大学近辺まで戻って本腰を入れたりした。おかげでうわさに聞いた新京極ムラセの『わらじとんかつ』も食ったことがない。

 祇園会館の前から三条通に向かっていくと、左手、東大路通の西側に当時は何の紛糾もなかったハンドメイドのかばんメーカーがある。キャンバス地で丁寧に縫製されたかばんは飽きが来ないデザインで、20年近く愛用してもまだ現役で活躍しているほど頑丈にできている(それだけに現在の休業が惜しまれる)。さらに進むと同じ並びに古い木造家屋があって、南の細い通りに面した黒い板壁の、二階の高さのところにいくつか水車が引っ掛けてあり、その下には植木鉢だか火鉢だか、大きな焼き物の壊れたのやら壊れてないのやらが山と積まれていて、時代劇でしか見ないような木製の大八車も立て掛けられている。東大路通に面した玄関と思しき開口部の軒下には古ぼけたコートや着物が所狭しと吊るされ、柱時計もいくつか掛かっていようかという『混沌』の二文字を具現化したかのような古道具屋があった。ぶら下がっているものの重みでいつ崩れるかとはらはらするので、ここはいつも東大路通の対岸から眺めた。そのまま三条通まで行くとまだ地下鉄東西線の影も形もなかった頃で、路面を軌道が走っていた。それを渡って東へ3筋目を左へ、そのまま細い川に沿った小道を進むと、左側に国立近代美術館、その奥に府立図書館、右側に京都市美術館などがあり、その向こうに平安神宮の鳥居を眺めながら右に折れると岡崎動物園にたどりつく。

 何の目的があるわけでもなく、ただ動物を眺めによく通った。正面入り口を入って右側のキリンを見上げ、そのまま反時計回りに園内をうろつく。当時サル山は上から見下ろすようなつくりになっていて、元気に暴れまわるのを眺めていると『あぁ、そのとおりだ』という気になって、少々の気がかりなんぞはどうでもよくなってくる。ホッキョクグマのポールくん(当『洛中洛外野放図』では、私人については原則仮名としているが、動物園内の固有名詞はすべて実名である)は毎年夏になると『大津市内の会社員』から大きな氷を寄贈してもらって、それを抱いたままプールで泳ぐさまがKBS京都テレビをはじめ夕方のローカルニュースで映し出される。寒いところの出身者には京都の夏は気の毒なほどで、そのニュースを見てちょっとホッとしたりする。しかしその『会社員』も毎年毎年、ご奇特なことであったのだが、残念なことにポールくんは2009年に34歳で亡くなってしまったという*2。生前の彼は見に行くと必ずプールサイドで長ーくなっていた。この動物園で生まれたゴリラの京太郎くんと目が合うことが多くて、何度目からか『をっ』と声をかけられることもあった。威嚇されていたのかしらん。日中は隣同士のトラもライオンもやる気がない感じで、『オシッコを飛ばすことがあります』という、注意の仕様のない注意書きが立てられていた。同じネコ科でもなぜか離れたところに檻の置かれているジャガーのほうがずっと凛凛しかった。 たぶん午後2時ごろだったか、アシカのお食事ショーが見られたと思う。それから象を見て、最後はかばの継美ちゃんでシメた。でっかい図体して目がかわいいのである。ただしほかのかばとの見分けなんぞつくべくもないが。

 連れがあるときはここにたどりつくまでの間にどこで呑もうかという相談がまとまっていて、上記のルートの逆を辿って夜の巷へと紛れ込んでいくのであった。

参考 *1:http://www.news.janjan.jp/area/0902/0902016647/1.php
*2:京都市動物園公式サイトhttp://www5.city.kyoto.jp/zoo/