センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

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さわらぬ神に罰当たりな行いを

2010-12-27 12:39:44 | 洛中洛外野放図
毎月25日は『天神さん』の縁日で、北野天満宮で市が立つ。下宿からも大学からも徒歩10分足らずで、しょっちゅう足を運んだ。下宿から行くときは中立売通沿いに今出川通まで出て(中立売通は七本松通を過ぎたあたりから北に向かって湾曲し、北野天満宮の正面で今出川通にぶちあたる)、正面の大鳥居から、大学からの場合は西大路から平野神社を通り抜けて天満宮北側の門から境内に入る。千本通沿いの市バスのバス停に、毎月25日には北野天満宮前を通るバスを増発する旨のお知らせが貼られ、最後は「せいぜいご利用ください」と結ばれている。京都では「せいぜい」という言葉が「目一杯」の意味をあらわすようで、使い方が面白い。毎月21日には東寺で『弘法さん』と呼ばれる縁日が開かれ、こちらはメディアでも多く取り上げられて広く知られているようだが、東寺は普段の生活圏にないので縁が薄かった。それよりも天神さんのほうが馴染み深い。

 平日は授業が済んでから午後遅く出かけたが、ごくたまにお昼休みに覘(のぞ)くこともあった。正面の鳥居をくぐる手前のところに大きな天幕が張られてテーブル席が並べられており、毎回そこのおでんとビールでスタートする。昼間のビールは効くので、平日の昼に連れ立った連中は一蓮托生、午後が自主休講となった。参道に沿って楼門まで、りんごあめだの焼きイカだの風船釣りだの、ごく普通の縁日屋台が並べられる。毎回お約束のように誰かが何かを食って、「なんかこんなところで食う焼きそば/焼きイカ/たこ焼き/その他諸々は不思議と美味い」かなんか言って、それか銀玉鉄砲とかシャボン玉とか、何すんだそんなもん、というものを買っている。この楼門をくぐると本殿があるのだが、楼門のところで東に折れ、参道の東側の店を見てまわる。そこと天満宮の東側に接する御前通に並んでいる露店が面白い。古着、古本、古い調度類、それらが渾然一体となって店ごとのジャンル分けがあいまいで、とにかく「古道具」を扱う店が並んでいる。中にはラッパのついた蓄音機、耳に当てて聞く部分だけ別になっていて本体に向かって話しかけるようになっている電話機など、店のおっさんに「ちゃんと使えるでぇ」と言われたところでソフトがない、モジュールが合わないといった理由で使い道のない家電を扱っているところもある。ある25日、忠馬だったか樽尾だったか、一緒に行った奴が道具屋のおっさんと火鉢の値段交渉をしていた。
「なんや、そんなん買うのん?」
「おぉ、お前の部屋に似合うやろ」
「わしトコかい!」
あぶないところだった。下宿の契約条項に石油ストーブを始め火気を使う暖房器具を使用しないことが盛り込まれている。すんでのところで契約違反をするところだったが、その前にあれだけ酔っ払いが出入りするところにそんな扱い慣れんもんを置いといたらどんなことになるか。「それもせやなぁ」一応納得してくれたようだ。

目を離すと何を持ち込まれることやらわからない。上着の襟首を摑んで引っ立てていった。その後も「あんなん似合うと思うねんけどなぁ」とかぶつくさ言っている。そら似合うけども、ちゅうかどっちか言うたらハマりすぎやけども、そういう問題とちゃうわ。ただしこれが自分の部屋でなく他人の部屋のことだったら、無理にでも買って帰っただろうけれど。

 明治、大正期の販促ポスターだとか、当時の日用品のパッケージやマッチ箱を額に入れたものを並べている店がある。当時はそういったものが復刻されたり、廉価な画集・写真集としてまとめられたりすることがまだ珍しかった。使われている字体や色使いなどが新鮮でほしい物も少なくなかったが、どれも結構な値段がするのでいつも物欲しげに眺めるだけだった。他に、店のおばちゃんによると「使わんほうがええ」そうだが、パッケージだけではなく缶入りの粉末歯磨きとか石鹸とか、昔の日用品そのものを売っているところもあった。その中に、鮮やかな青をバックに下着姿の女性のモノクロ写真がプリントされ、たぶん『カルミン』の商品ロゴと同じフォントで『衛生乳バンド』と書かれた箱がある。『ちちばんど』、身も蓋もない直球勝負の商品名にちょっと心がざわつきかけていると、横にいた裏鋤(女)が「つけてみようかなぁ」とつぶやいた。いややめときて。

 この縁日で竹久夢二の詩画集文庫の初版本や創刊当時の現代用語の基礎知識など、面白い古書をびっくりするような安値で手に入れた。ある日陶器を扱っている店で、食器類や壺に囲まれて白いゴジラがぽつんと立っている。大きさは30センチほど、純白と言うよりごく薄い灰色で、上薬がかかった焼き物特有ののめのめとした感じの光沢があって、見た目涼しげで上品なたたずまいがある。ゴジラなのに。その横手のかごにこれまたイイ感じのぐい飲みがごろごろと入れてあって、手にとってみるとしっくりなじんで呑みやすそうである。値段を聞くとゴジラが3,000円、ぐい飲みは元々揃いのものの一部で「3つ1,000円でええわ」だそうです。交渉の末、ゴジラの言い値でぐい飲みを3つつけてもらうことになった。「これ今はもう手に入らんモンやから」ゴジラを新聞紙で包みながらおっさんが言った「ニィちゃんエエ買いモンしたな」。その後メディアショップだかソニープラザだかに行ったら同じモン売っとったぞ。でも値段が5,000円くらいだったから、まぁ、よしだ。

 このゴジラが呼び水となったか、いつの間にやら我が家にはもう1体ゴジラが増え、本物の藁でできた蓑(みの)をまとった信楽焼の狸が大福帳を下げてボーとつっ立っている、福助がお辞儀している、なんかどっかの飲み屋で見たぞ、というものを含めて買った覚えのないフィギュア類が増殖していった。うちに来た奴がぽつぽつと置いて帰るらしい。どれも30cm~50cmくらいの大きさでかさばってしょうがない。テレビの上も本棚の上も統一感のないままいろんなものが所狭しと犇き合っている。エエ加減にせぇ。

 毎年12月25日は終(しま)い天神、1月25日は初天神と呼ばれる。落語『初天神』の中では「はってんじん」と発音されるが、同じ大阪でもキタの露天神社の通称『お初天神』は「おはつてんじん」と読まれる。人の名前だからか。京都では「はつてんじん」と言われていた。いつもより露店の数も種類も増え、参道は立錐の余地もないほど人で埋まる。両脇の屋台を取り除けたらヒトのバッテラができていそうで、とてものことに身動きが取れないのでこの2回は遠慮したが、学問の神様でもある天満宮は、年末年始にかけて受験生の参拝も多い。毎年、この時期のニュースで取り上げられる北野天満宮の盛況ぶりを見て、毎月のように通いながら一度も参拝をしたことがないと気づいて年の瀬を迎える。