センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

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Le Tour de Senbon

2010-12-09 08:59:44 | 洛中洛外野放図
 以前の京都をご存知の人に住んでいるあたりを説明すると、必ずといっていいほど『千中ミュージック』に行ってみたかどうか尋ねられた。千本中立売の少し北にあったストリップ劇場で、大学に入学する前年に火事があってなくなってしまったそうなのでどんなところなのか知る由もない。話に聞いてたぶんこのあたりだろうと思われるところをぶらついてみると劇場があって、看板には『薔薇族ショー』の文字、表の掲示板にはエナメルのホットパンツ姿のにいちゃんやらおっさんやらのステージ写真が貼ってある。扉の向こうには未知の経験が約束されているのだが、いかんせんその一歩を踏み出す勇気がない。思わず後ずさりをして横歩きのまま路地を抜けた。千本通の東側一筋目の細い道に出てみると1個20円から80円くらいで地鶏の卵をばら売りしている卵屋があって、同じ筋には銭湯もあったと思う。また千本通に面して小さな焼肉屋があって、その裏手の方にも小ぢんまりとした店が並んでいた。それらの店のどこに用があってもかまわないんだけれど、一時期、千本通から細い路地へと姿を消していく男の人を見ると、妙に勘繰るようになった。下宿の近所に古い食堂があって、ガラスケースの中に入っている惣菜をとり、ごはんと汁ものを注文する。京都風の淡い味付けで、値段は安くておいしいときた。ただし問題がある。物腰の柔らかいおじいさんが二人でやっておられるのだが、片方が柔らかすぎるのである。奥の厨房が見通せるテーブルがあって、料理人が調理をしているところを眺めているのは好きなのでずっと見ていると、仲睦まじい感じで立ち位置の距離が近い。もう触れ合わんばかりに並んで立ち、調理をしながら耳打ちをしてくすくすと笑い合ったりもする。どうやらめくるめく深い世界をお持ちの様子だったが、おちおちメシ食てられへん、ええ歳して客の前でイチャつきなっちゅうねん。

 下宿には個人の洗濯機があるが、物干し台が共同なのでそうそう独占するわけにもいかない。すぐ近所、六軒町通から一筋東の通りにコインランドリーがあって、洗ったものを持って行って乾燥機にかけた。その斜め向かいに千本日活という映画館がある。常時ロマンポルノを3本立てで上映していて、ビデオレンタルショップにいけばえげつないのがたくさんあるし、もっとえげつないのを持ってる奴もいたので今更ポルノ映画もないもんだが、入場料は文庫本1冊分くらいのもので、石井隆監督とか神代辰巳監督とか、名の知れた監督の作品は名画座でのリバイバル上映ともなるとその3倍ほどの値段を取られる。乾燥を待つ間何度か入ったけれど、平日の昼間でも必ず何人かおっさんがいる。中には営業の途中かと思われるスーツ姿もいる。桂米朝師匠の『あくびの稽古』の中に、横町(よこまち)に新しくできたあくびの稽古屋に付き合わされた男が、先生と連れの稽古を見ながら『世間の人みな働いてんねやで』とぼやくところがあるが、平日の千本日活がまさにその状態だった。

 さてこの千本日活である。松須先輩は豪放磊落を以て任ずる四国は高松の人で、若い頃には誰もが陥りがちな『漢(おとこ)』幻想を追い求めているようなところがある。入学から5月の連休明けくらいまでは連日のように新歓をしてもらって、何度目かのコンパの折にどういう経緯(いきさつ)があったか、松須さんが帆立の貝殻を握り割った。すると掌が切れて血が出てきたが、そのあと酒のあてがないとなったときに『ん、わしゃこの血ィなめもって呑むからええで』と言って自分の手をなめなめ杯を重ねていく。なんだかエライところに仲間入りをしたような気がした。ある朝学食横のソフトドリンクコーナーの前でうずくまる人がある。見ると松須さんで、青白い顔をして聞こえるか聞こえないかくらいの声で『うぅぅ』とうめいている。相当に呑み過ぎたというのは一目瞭然である。それはそうだ。その現場に同席していたんだから、こっちも少し大変なことになっている。放っておくわけにもいかないので声をかけると『うおう』と言って立ち上がり、『んっ、松ちゃんはもう大丈夫や、んぬははは』と言いながらいずこへともなく去っていく。口さがない石地先輩によると『実はガラスのハート』なんだそうだが、そのときもなんだかエライところに仲間入りをしたような気がした。松須さん主催で、1回生の『通過儀礼』があるという。躊躇する女の子も有無を言わさず参加させ、千本日活で映画鑑賞の後、千本通沿いの飲み屋ではしごするというセクハラまがいの『千本ツアー』がそれである。千本通沿いに全部で何軒あるのか知らないが、そう何軒も回れるものではなかろう。

 決行の日、自宅待機を命ぜられた。少し前に松須さんとか石地さんとか何人かの先輩が飲み会のあとウチに来たとき、『あぁ、お前の部屋はええなぁ、なんや落ち着くわぁ』といたく気に入った様子、嫌な予感がしないでもなかった。しょうがないので部屋でつくねんとしていると、石地さんが来る、会津さんが来る、宇津平さんから古邑さんまでやってきて、綿部さんもいただろうか、酒が持ち込まれ、あてが広げられた。電話が鳴ると誰が出たのか『OKですよ』とか答えている。誰や?『OK』てなんや?

 そんなことは一言も聞かされてはいなかったが、築数十年木造の元置屋が歴史遺産として千本ツアーに組み込まれたらしい。やがてがやがやと人声が聞こえて、『わっしやぁ』という声と共にノックの音がした。ドアを開けると松須さんを先頭に何人かの同期がヌボーっと立っている。ほかに学生はいない下宿屋の廊下で騒がれるわけにいかないので即座に招き入れたのはよかったが、いくら京間で間取りが広いといえども、たかだか三畳と四畳のふた間である。十人以上に入ってこられてははたまったものではない。それが思い思いに酒を呑み、だべり、タバコが切れたと言えば表の自販機に降りて行き、酒が切れたと言えば買出しに出かけるなどやりたい放題である。こっちも酒が回るにつれて、もうどうにでもなりやがったらええがな、てなもんでぐずぐずになっている。バスがなくなるまでに女の子を帰らせ、会津さんと古邑さんが嵐電の終電で帰っていって、そのあたりでお開きになった(と思う)ので、それほど深夜に及んだというわけではないが、始めたのがまだ明るいうちだった。何人かはぶっ倒れて雑魚寝状態となり、何人かはちびちびと呑んでいた。
「あぁ、やっぱりこの部屋はえぇなぁ」
「な、せやろ」
賃貸契約を結んでいる本人以上にくつろいだ先輩たちによる綿密な相談の結果、なぜか自分の部屋に自分のものではない酒がキープされることになり、以降わが家は先輩、同期、後輩と代々宴のあとで落ち着く場所として重宝されることとなる。そういうのは嫌いではないので結局卒業まで引っ越さずにいたが、防音など一切施されていない木造家屋でのこと、相当迷惑だったはずなのに叩き出されることもなく過ごせたのはありがたいことである。