履 歴 稿 紫 影 子
北海道似湾編
古雑誌と次郎 7の4
そうした船が、対岸に着くと私達は、隣村厚真村の知決辺へ通じて居る道を、パカポコパカポコと馬を駆けさせて二粁程の道を行った。
「オイ、此処が野苺の有る所だぞ。」と言って、次郎は馬を止めた。
馬を路傍の立木に、それは形式的(その頃の馬は、敢て繋がなくとも移動をしなかった)にではあったが手綱で繋いで、「オイ、野苺の有るのは此処だぞ。」と次郎は、私を道の左側へ誘った。
其処は立木と言う物が全部伐採されて居た平坦地であったが、その地積が二反歩程の一面に野苺が蔓を伸ばして逼って居た。
次郎と私は、その延びた蔓から蔓へと苺の実を探し求めて歩いたのだが、白い可憐な花をつけた蔓はあっても真赤な実は一つも見当たらなかった。
「オイ次郎、苺は未だ早いのでは無いのか、実と言う物が一つも無いじゃないか。」と私が言えば、「ウン、少し早かったのかなあ、義章さん、お前にはすまないことをしてしまったが、勘弁しろよなあ、俺は只お前を馬に乗せて遊びたかったもんだから、苺の時期のことなんか考えて居なかったもんなあ。」と次郎は言ったが、私にはその次郎を憎む感情は微塵も無かった。
そうした私は、「ウン、そんなこと俺何も気にして居ないぞ、只実がついて居ないと言っただけだ、気にするなよ次郎。」と私が言った時であった。彼が右手を振って「シッ、シッ」と私を制したので、「ウウン、次郎の奴、どうして俺を制したりなんかするのかな。」と不審に思った私は、彼の様子を凝視した。すると次郎は、何者かに忍び寄ると言った姿勢で、二、三歩私の立って居る右側の方へ歩き始めた。
その頃の愛奴の少年は、何時も桜の皮を鞘にした中身が十糎程の小刀を持って居た。そしてその小刀のことを彼等は「マキリ」と称して居た。
次郎達が「マキリ」を持って居たのは、それを護身用と言うような大袈裟な意味のものでは無かった。彼等は、このマキリを使って色々な場面で実用に具して居た。例えば、川辺で遊ぶ時には川の岸辺に生えて居る野生の蕗や、三つ葉と言った野生の野菜を採取する時に、また山遊びの日には、榀の木がある所へ行くと、その皮をマキリで剥ぎ取って家への土産にして居たのであった。そして其の榀の皮は、細く適当に引裂いて縄をなうととても強靭な物が作られた。
「シッ、シッ」と手を振って、私を制した次郎がそのマキリを引抜いて何者かに立向かった。私は彼のそうした不審な行動をじいっと見据えて居たのであったが、彼はマキリの刃部を下に向けて何ものかをじいっと見据えて居たようであった。
それは一瞬の行動ではあったが、次郎がその何者かに脱兎のような勢いで飛びついて襲いかかった。
次郎が何故そうした行動に出たのか、と言う不審から私は「オイ、治郎何をやって居るんだ。」と彼に声をかけた。
と彼は、はずんだ声で「俺なぁ、今蝮捕ったんだ。」と言って、「見れや、これだ」と私にその取った蝮をぶら下げて私に見せた。
私は北海道と言う寒い国にも蝮と言う猛毒を持った蛇が居ると言うことは聞き知って居たのだが、その日まで、ついぞ見たことの無い蝮であった。
「オイ、次郎危く無いのか、噛まれたらお前が死ぬのと違うか。」と、それが毒蛇であると言うことから起る一種の不安と恐怖心から、私は次郎に尋ねた。すると次郎は、「イヤ、何も心配すること無いんだよ、こうなったらこっちのものさ、見て居れ、俺が今皮を剝いて見せるから。」と言って、その蝮の頭の首の所を足で踏まえて、蝮が自然に口を開けて飛びつこうとする気魄の鋭い目を怒らせて、三角形の頭を左右に激しく振って居るのを、上下の顎に手をかけた次郎が、刃部を下に向けて居たマキリを、そうした蝮の口に噛ました。
勿論蝮の口は自由を失った、その瞬間上下の顎にかけて居た手に力をいれて、さっと引裂くと、蝮の皮は綺麗に剝けて、薄桃色の身の部分と内臓が別々になった。
その時、皮を剝かれた内臓の無い蝮が、まだその薄桃色の胴体をくねらして居たのには、私は驚いたものであった。
「オイ義章さんよ、お前これを丸呑みにすれや、体にとても良いんだぞ。」と言って、次郎は引裂れた蝮の内臓の中から金時豆程の大きさがあって、半透明の袋に何か液体が這入って居る物を選び出したのを、私に差出した。そして彼はそれと略ぼ同じ大きさの肉塊ようの物を選び出して、それを丸呑みにした。
「お前が呑んだのがなあ、蝮の胃なんだぞ、そして俺が呑んだのが蝮の肝よ。」と次郎は平気で言ったが、私は目を白黒させて漸く呑み込んだものであった。