1月6日 3時。。深夜の奉仕の合間にふと思う。。
写真は、1月4日夕方、おぢばへ向かう時の光景です。
この様子を見て、疑問が湧きました。
光は直進すると、学校で習いました。
それなのに、雲の隙間からの光は広がっているのです。
光をプリズムの中を通すと、屈折する事は習いました。
しかし、この様子からすると、プリズムでの事とは違うのです。
本部の神殿奉仕をしている時に、ある先生から質問された事があります。
それは、南礼拝場の障子の上にある格子から入る光が、格子を見えなくする時があり、どうしてだろうかと。
私はその時、直感的に、光は広がるからと思い、そのように返事をしました。
つまり、この写真の光の様子と同様に、広がると言うことの意味あいが思い浮かんだのです。
光が直進するのならば、太陽はとても遠くにありますから、物を通り抜けた光が曲がる事はないはずです。
そして、格子は常にハッキリと見えなければなりません。
質問された方は、実際には教えられたのとは違う現象を見て、その理由を探していたのだと思いました。
先ほど真夜中の着座を勤める中、この事に思いを巡らしながら座っていました。
すると、音について思い浮かび、音波、波を考えました。
水面で起きる波は、格子をすり抜けると、そこからまた扇状に広がることを思い出したのです。
そして、光も波長であるとの話を思い出しました。
そして、欄間の格子から見える雪洞の光が、光源に近い所の格子はぼやけて、遠いところの格子はハッキリと見える様子から、光は波と同様の伝わり方をしていると思いました。
光は直進すると教えられた事が、間違いであり、それを信じていることで、実際とは異なる考え方をしていたと気がついたのでした。
そしてこれに気がついたとき、
ここでもう一つその直進すると思い込む原因となった、プリズムを通した光を考えてみました。
この、光の屈折を見せられた光は、スポットライトと同じように、レンズを使って真っ直ぐに成るように作られた光だったと思い出しました。
また、プリズムで分解された7色の光をも思い出しました。
私には、近頃の太陽の光がとても強く、眩しく見えています。
そして、
これまで理解できなかったことが理解でき、新しい楽しみを与えて貰えるような気がしています。
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