神奈川新聞社から発行していた横須賀日日新聞は、今日の第78号を持ちまして休刊します。

2013年5月より新聞社の市民記者講座を受講し、その学びの発表の場が、新聞でした。
新聞の発行は2013年10月からですので、丸5年間でした。
最初の頃は月2回発行していましたが、あのペースでしたらこんなに長く続かなかったでしょう。
オールカラーで、広告なしの文字は大きめ。
奇跡の新聞
と思っていました。
介護施設の夜勤専従をしながら今の仕事の研修をした1ヶ月間だけ記事をお休みしましたが、あとは掲載していただきました。
記事数は数えていませんが、だいたい1号につき2~3本でしたので、150本は超えているようです。
読み返してみますと、どれも取材をしたときの情景が浮かんできますし、なつかしさが込み上げてきます。
それは、学びの発表という立ち位置だからかもしれません。
もし仕事だとしたら、義務感が加わってこのような気持ちでは書けなかったような気がします。
編集長や素晴らしいメンバーと共に歩めた5年間。
感謝でいっぱいです。


わたしたち市民記者は、この休刊とともに解散
ということにはなっていなくて、集まって学び続けていくことになっています。
近いうちにまた横須賀や三浦半島の元気を発信できるように、情報収集や発見を続けていきます。

2013年5月より新聞社の市民記者講座を受講し、その学びの発表の場が、新聞でした。
新聞の発行は2013年10月からですので、丸5年間でした。
最初の頃は月2回発行していましたが、あのペースでしたらこんなに長く続かなかったでしょう。
オールカラーで、広告なしの文字は大きめ。
奇跡の新聞

介護施設の夜勤専従をしながら今の仕事の研修をした1ヶ月間だけ記事をお休みしましたが、あとは掲載していただきました。
記事数は数えていませんが、だいたい1号につき2~3本でしたので、150本は超えているようです。
読み返してみますと、どれも取材をしたときの情景が浮かんできますし、なつかしさが込み上げてきます。
それは、学びの発表という立ち位置だからかもしれません。
もし仕事だとしたら、義務感が加わってこのような気持ちでは書けなかったような気がします。
編集長や素晴らしいメンバーと共に歩めた5年間。
感謝でいっぱいです。



わたしたち市民記者は、この休刊とともに解散

近いうちにまた横須賀や三浦半島の元気を発信できるように、情報収集や発見を続けていきます。