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あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「尖閣開戦」できない 中国海軍、日本の海保・海自に及ばず

2012-08-02 23:11:12 | 日記

堕ちた天使 さんより転載です。

 

【石平のChina Watch】                                産経新聞


尖閣諸島の“領有権問題”をめぐる日中間の緊張が高まる中、中国政府が果たして今後「尖閣奪取」のために武力行使に踏み切る可能性があるのかどうか、との問題が浮上している。

 それに対し、筆者自身の答えはやはり「NO」である。今年秋の共産党大会と来年3月の全国人民大会開催までに政権 移譲という国内最優先日程を控え、南シナ海ではベトナムやフィリピンと紛争している最中の中国は、現時点で近隣大国の日本とコトを構える余裕はない。7月 31日に中国国防省の報道官が記者会見で尖閣問題について「軍が職責を果たしていく」と述べたことが大きく報道されたが、これは記者から質問をされ「一般 論を述べたに過ぎない」と筆者は思う。


 確かに中国政府の中から「武力行使」の声が上がったこともある。同月11日、国家海洋局が所管する「海監総隊」の孫書賢副総隊長が、「もし日本が釣魚島(尖閣諸島の中国名)問題で挑発し続けるなら、一戦も辞さない」と発言したのはその最たる例である。

 しかし彼は軍の関係者でもなければ軍を指導できる党の幹部でもない。たかが「海監総隊」の一副隊長が国家の大事で ある「開戦」を口にするとは滑稽にも見える光景だ。おそらく中国政府は、そういう人物に恫喝(どうかつ)的な言葉を吐かせて日本側に揺さぶりをかけなが ら、政府と軍としてはいっさいの責任を負わなくて良い、と考えているのであろう。


その一方、国防大学の教授で軍所属の著名軍事評論家である張召忠氏は同月8日、「尖閣問題で日中間戦争が勃発する可 能性は大きくない」と語ったことが注目されている。そして環球時報の電子版である環球網が同19日に伝えたところによると、中国海軍装備技術部長だった鄭 明少将は、日中間の「尖閣紛争」に関連して「今の中国海軍は日本の海保、海自の実力に及ばない」と発言したという。


 中国の軍人がそれほど「謙虚」になれるのは珍しいことだが、考えてみればそれは、彼我の実力の差を強調することに よって「今は開戦すべきでない」との世論形成を狙った一種の国内工作であると理解すべきであろう。今の時点では戦争なんかやりたくないというのは、どうや ら政権の本音のようである。


 それどころか、尖閣問題で自国民を刺激するような大騒ぎを起こしたくない気持ちさえ今の中国政府にはある。中国浙 江省寧波市で7月中旬、尖閣諸島の中国領有権を主張する「保釣」(釣魚島防衛)運動活動家20人が漁船をチャーターして尖閣海域に向かおうとしたところ、 同市当局に阻止されたことは香港と日本の一部メディアによって報じられているが、中国政府の抱えるジレンマはそこからも見てとることができる。


中国政府はとにかく、尖閣諸島が「自国の領土」だと主張している。しかしそれは今、日本の固有領土として日本の実効 支配下にある。武力行使でもしない限り中国側がこの現状を打破することは不可能であるが、「対日開戦」がそう簡単にできそうもないのは前述の通りだ。そう すると、「尖閣問題」で何か大きなトラブルでも起きれば、苦しい立場に立たされるのはむしろ北京政府の方であろう。自国の「領土・核心的利益」である尖閣 を「奪還」できない中国政府の無力さが逆に国民の前で露呈してしまうからである。


 したがって今の中国政府は、尖閣への実効支配を強化する日本側の動きに対して、言葉による恫喝や監視船による短時間の領海侵犯などの象徴的な抗議行動以外に、本格的な強硬姿勢はなかなか取りにくい。日本にとってチャンスはまさに今なのである。
 
【プロフィル】石平
 せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
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「厚情」に生きる

2012-08-02 23:02:39 | 日記

法友Fさんからのメールを掲載します。

添付の文章は以前、父の二十五回忌法要に施主としてなにか粗供養でもと考えましたがいい品物がうかばず、父との思い出話を冊子にして親戚に配布した原文です。父は名の知れた者ではありませんが今の日教組の批判や「愛国心のない世の中をどうしたら良くなるのか」を考えた時、一考にしていただければと思いました。

「厚情」に生きる

 65歳で父が急逝してから、母はよく父との思い出話をして聞かせてくれました。

父を懐かしむ思いで、寂しさを紛らわせるのには、誰かに話さずにはいれなかったのでしょう。

それは、この人と一緒になれたことの自慢話でもあるようでした。

 終戦後、ベトナムで抑留されていた父が帰国してから、二人は結婚して、しばらくしてからの事でした。

夫婦二人で、田畑の耕作仕事に精出していたときに、突然、父は鍬を放り出して、大変な勢いで駆け出しました。

ぬかるんだ畦道を、一目散に道路の方に駆けて走って行きました、

遠くの方に人影を見つけて、、

向かった相手の人に、勢いよくぶつかるように駆け寄って、お互いの肩を抱き寄せて、「オオーー」とそれは大きな声で、こちらの方まで嗚咽が聞こえるほどに、涙をながして、再会を歓びあっていました。

 

相手の方は、父が終戦時にベトナムで、フランス軍の占領で抑留された時、自ら志願してで、「一緒に残らせてください」と申し出てくれた、常に身の回りの世話を引き受けてくれていた部下の戦友の山越さんでした。

今、お互いに、無事に帰国出来た喜びの再会でした。

 

もう数年間も戦中を過ごし、ようやくの終戦の知らせ。

トップの上官は、様子を察知して、早々に帰国をしてしまいました。

残された部隊には、父の位より上の上官は、もはやそこには居ませんでした。

復員を待ちわびて随分月日がたちましたが、帰国命令のもと、部隊の者全員は、港の桟橋の埠頭には帰国船が横付けされ、乗船する寸前でした。

皆なの心の中には、ようやく帰国できる喜びに、満ち溢れていたことでしょう。

鉄塔のある兵舎にて、フランス軍の占領下、視察官の検閲を待っていました。

 

父は、福井師範学校での外国語選考でフランス語を少し習っていました。

「アメリカは敵国だから英語は嫌いやった、フランス語ならいいやろう」といった理由からだったようでした。

 

フランス軍の指揮官がなにやら、命令している様子でした。通訳の言っている言葉で、はっきりと理解できました。

「今、ここにいる部隊員のなかで、最高責任者は誰だ」

暫らく沈黙が続きました。

そして、何人かの上官の名前が呼ばれました。

だいぶ後でしたが、「藤田」とたしかに聞こえました。

身体を一歩前に傾けかけようとしたとき、横に整列していた戦友が、服の裾をひっぱって止めようとしました。

小声で、「黙っていても、誰が責任者か判断できません。そのままにしていたほうがいい」とささやいているのが聞こえました。

随分、悩んだとおもいます。刻々と時間がたつばかりです。皆なじっと沈黙が続いています。

 

突然、父は一歩前に進み出て、「私が藤田です。この部隊の内で、今残っている全員の中で、私が最高責任者です。私がここに残りますので、どうか他の者は乗船させてください」と申し出たのでした。

部隊員の帰還の許可は出ましたが、父は戦犯の疑いが晴れるまで抑留されることとなりました。

皆の乗った船の出港を桟橋から見送ったときの寂しさは思いようもなかったことでしょう。

傍には一人だけ帰国船に乗らなかった人がいました。

「藤田さんの為に、ご一緒させてください、私もここに残ってお世話します」

山越さんでした。

父はこの戦友の方の心に随分と励まされたことでしょう。いや、父よりもむしろ、勇気のいる行動だったと思います。

 

無常にも、船は桟橋を離れて東の方に向けて出航しました。

 

かねてからかくあるものと念(おも)へども

       持ち物没収(とら)れ囚人(とらわれ)の身となる

 

ベトナム抑留での監獄生活は随分と困難な状態であったと思います。

母から聞いた話ですが、

外の方から “チチチッ” と小鳥の鳴く声が聞こえてきます。それを聞いて、「ああ、もう朝なんだ」と判断したそうです。時計もなにもなく、ゆっくりと時間が過ぎてゆきます。

父は短歌をしたためる趣味がありましたので、短歌を詠んで、退屈のないように時間を過ごしたようです。

父は母にポツリと、「腹がへっていると、頭の記憶力が良くなって、詠んだ歌がそっくり良く憶えられるんや、そして、それを紙をもらったときに、全部書き写しておいたんや」と話していたようです。

それらを持ち帰って後に残してあったのを、私の弟によって冊子印刷製本をしたのが「紫花(チーハ)日誌」です。

この短歌集の歌の中には、父のその当時の心境が込められているのです。

皆さんも今一度、父を懐かしんで、「紫花日誌」をひらいて見てください。

 

抑留中にはよくベトナムの現地の方が訪ねて来てくれたようです。

戦時中にも、現地の方との親交は、けっこう多くあったようです。

そのお陰で、随分と助かったようでした。

私の弟が聞いた話ではご当地のお祭りなどの日には敵方に伝令をして停戦日を決めて休戦中は隊員も村のお祭りに参加して交流の機会を設けていたそうです。

 

フランス軍の軍事裁判を待っているそんなある時、親しくしていたベトナム人の、部族の酋長のような方が、わざわざ訪ねて来てくれたそうです。

「藤田氏は犯罪人ではない、むしろ温厚な素晴らしい人です」と占領軍に申し出てくれました。その酋長の証言と弁護により、無事に解放されたそうです。

日本からの引き上げ船を待つまでは暫らくベトナムに現地の人にお世話になりながら滞在していたようです。

迎えに来てくれた船は、今は練習船になっている帆船「日本丸」だったそうです。

 

そして、帰国してからの戦友との再会のシーンです。

 

このような体験の下、後になって教職に就いてからも、ある時、校下の差別問題が発生して大勢の父兄が連なって学校まで寄せて来た際に、他の先生方は校長、教員共に一斉に教員室から避難しましたが、父は独りで残り、「私がお話をお聞きします」と堂々と対応して、穏便にその場を話し合いで治めました。その後は「猟で取ってきた山鳥をあげる」と一羽まるごといただいたりしてお付き合いが続いたそうです。そういったようなエピソードは数多く残っています。 戦前の教育は日教組とは全く違います。

 

「身命を賭ける」

人は、時として、命に賭けても苦難を乗り越えなければならない事に、遭遇する事もあります。

それらを勇気をもって自分で解決して克服乗り越えていくのがこの世に生まれて生きていく本当の意味なのです。

真に、このように立派に、他の戦友の為に自我、我欲を捨てて、命を賭けた父の勇気ある行動を褒め称えて、その人生に学び、私たちも見習いたいと思います。

それは「人の為になろう」との、愛の姿でもあるでしょう。

 

何もしないで怠惰な人生を長く過ごすよりも、むしろ、この世でのカリキュラムを何度も経験して生きていく。

65歳で突然の死が訪れましたが、父は満足してあの世に迎えられていることでしょう。

私は、そう信じます。

勲五等瑞寶賞授与

光栄な人生を送った父の縁者であることの幸せを、あの世にいる、父に感謝の念を捧げて、二十五回忌の供養とさせていただきたいと思います。

 

2008年3月   藤田 正美

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インドが潜水艦発射弾道ミサイルの開発に成功か 対中国・パキスタンに向けて

2012-08-02 00:34:23 | 日記

ザ・リバティーweb より

インドが潜水艦発射弾道ミサイルの開発に成功か 対中国・パキスタンに向けて

インド政府はまだ公式発表していないが、同国が潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の開発に初めて成功した、とインドPTI通信が31日報じた。シン首相が同日開かれた式典で開発成功を讃えたという。

 

インドは今年4月に中国全土を射程に収める大陸間弾道ミサイル「アグニ5」(射程約5000kmの発射実験に成功。今回のSLBMの開発成功と合わせ、中国やパキスタンに対する核抑止力を一段と高めたことになる。

 

このSLBM(射程約700km)は、すでに完成しているインド初の国産原子力潜水艦「アリハント」に搭載されることになる。同艦はまだ就役していないが、実戦配備されれば、アメリカとはいかずともイギリス並みの核戦略を取ることができるようになる。

 

日本の外務省公式サイトによれば、インドの核戦略は「信頼できる最小限の核抑止力の保持、核の先制不使用、非核保有国への核兵器不使用、核実験の自発的な 停止等を内容とする核政策を採用。弾道ミサイル開発は継続」となっている。合同訓練を何度も行っているアメリカとの関係を強化しつつ、先制核攻撃を受けて も戦略原潜による反撃を行うことができる。だから敵は第一撃をためらう、という核戦略を実現させつつある。

 

本欄でも度々触れてきたが、国境問題などでインドと中国の関係は悪い。日・米・印・豪・韓が連係しての中国封じ込めの観点から見て、インドの核強化は抑止力として働くだろう。

 

尖閣諸島において中国側が「核心的利益」としたり、沖縄にオスプレイが配備されるなど、にわかにアジアの緊張が高まりつつある。日本国民の多くは未だ気づいていないが、中国は核ミサイルの照準を日本の主要都市に合わせているのだ。

 

インドは既に対応しつつある。しかし日本では核兵器どころか反原発のデモが行われる始末だ。ことが起きてから準備するのでは遅いのだ。(悠)

 

【関連記事】

2012年6月6日付本欄 海自とインド海軍が初の共同訓練 中国の脅威に日印同盟を

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4405

 

2012年5月30日付本欄 「中国包囲網」か インド首相、25年ぶりにミャンマー訪問

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4381

 

2012年9月号記事 中国の「秘密核基地」と「宇宙人交流基地」を遠隔透視 - すでに日本の主要都市に照準は定められていた!

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4640

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すでに50年前にストロンチウムをあびている。。。

2012-08-02 00:13:11 | 日記

放射能の不安に夜も寝られない方、

すでに放射能に対する免疫ができているのです。

安心して下さい。

それでも不安を煽るマスコミは、他に記事がないのです。

嘘の記事しかありません。

 

すでに50年前にストロンチウムをあびている。。。

      

7 月 26th, 2012 | Author:

サカイヒデミツ 氏 ブログ転載

 

すでに50年前の1960年代に、
日本人は全国的に大量の放射性物質をあびている。

この中国による大気圏内核実験で、放出された放射線量は、
チェルノブイリ原発事故の800万倍。

ストロンチウムは福島第一原発事故の1万倍。

風にのって、黄砂として日本に降り注ぎ、
そのときの放射性物質は、今も、体内に蓄積されている。

その時間、およそ50年。

ストロンチウムは、水に溶けやすく、食物に移行しやすいので、
蓄積の場所は骨だときく。

放射線防護学の専門家は、その蓄積状況から年代をも割り出せるという。

放射線の健康被害の恐れは、現在の子供たちの、その将来というより、
むしろ、

これまで、日本を支えてこられたご年配の方々の、
これからの生活の上に影を落とすというのだろうか。

朝日新聞7月25日朝刊によると、福島第一原発事故後、福島、
宮城以外に、今回、10都県で検出されたストロンチウム は、

「大気圏内核実験が盛んだった1960年代に国内で観測された最大値の
60分の1程度」だというので、60倍のストロンチウム
(ストロンチウム90 半減期29年)を、すでにあびせられていた
ことになる。

本来ならば、今の「脱原発」に勝るとも劣らない勢いで、中国に対し
抗議をすべきであろう。

また、合わせて、大気圏内核実験による重篤な健康被害を受けていると
思われる中国国民の人権侵害についても、

同様に、抗議すべきだ。

大手マスコミは、こうしたことを誠実にリサーチし、世論にうったえようと
している知識人・活動家・専門家の声を、十分にとりあげてこなかった。
政府も、地方公共団体も同じだ。

良識ある世論形成の妨げをするマスコミの動きについては、言論・表現の
自由について、別途、憲法上、「公共の福祉」に対する責任を明確化し、
社会的責務を全うするよう第四権力としての自覚を促し、権力暴走の歯止めを
こうずるべきだろう。

第四権力として、マスコミの暴走が続くならば、第五権力の出現に希望を
託すしかない。その第五権力は、

「原発事故のストロンチウム 中国核実験時の60分の1 健康影響なし」とし、

国民の無用な不安を払拭するだろう。

 

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2)  生活保護依存症  

2012-08-02 00:11:11 | 日記

楽な道は地獄(堕落:怠け者)への道です。


加藤文康公氏 ブログ転載
 
2012年7月31日(火) (2)生活保護依存症  
 

生活保護については、最近のブログで何回か言及したところです。
特に生活保護受給者の公民権停止について、数多くのご意見を頂きましたが、
私としては、至極当然のことを言ったまでと思っています。


年収5千万円を自慢するお笑いタレントが、母親を扶養せずに生活保護を
受給させていたことがマスコミでも報道されたのは記憶に新しいところですが、
法律以前の、道義上許されない問題ではないですか。

二千数百万円の自己所有の高級マンションに母親を住まわせておきながら、
生活保護を受け取らせていた芸人もいましたが、
国民に対する詐欺行為そのものではないですか。

さらには、
受給率が日本人の3倍に達するとも言われる在日外国人への生活保護支給も、
もういい加減、スパッとやめるべきです。
一片の厚生省局長通達から始まった制度のようですが、そこまで外国人の
面倒を見る義務など、我が国の憲法上、全くありません。

核ミサイルを作って我が国を脅迫せんとするよう
なシナ・朝鮮系の人々にしても、戦後60年以上も経った今、生活保護が
ほしいのなら我が国に忠誠を誓って帰化すべきですし、文句があるなら
すぐにでも大陸や半島に帰ればよいだけのことです。


今、起きていることは、単なる制度上ではなく、もっと根源的な問題で
あることに、私達は気づかなければなりません。

このままでは、
“社会にさほど貢献することなく、他人様の税金を食いものにするだけの
社会底辺層”の固定化と拡大再生産が加速するだけであります。
そして、この先に待ち受けるのは、国家の衰退・崩壊以外の
なにものでもありません。


健全なルフ・ヘルプ、自助・独立の精神を取り戻すことが、
やはり何よりも大切ではないでしょうか。

 

コメント:国防依存症も同じ

自分の血を流さずに外国に守ってもらう。
他人から保護されるのはとても楽なことなんです。
病み付きになると、その援助は当然となり、
援助する側からしっぺ返しがきます。
セルフ・ヘルプの考えがなければ、滅亡するしかないです。

乞食に「何か恵んで下さい」
言われた方は「こちらこそ恵んで欲しいよ」
乞食「・・・・」
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尖閣諸島に本籍地移した人は1年で倍増 竹島は7年で3倍超

2012-08-02 00:06:38 | 日記

他人の土地であっても利用者がいると既得権(実行支配)が成り立ちます。

少しでも日本領土である確かな証を残すための行為は大切ですが、

世界へのアピールする力は政治で外交の力です。

民主党はこの力がありません。

 

堕ちた天使 さんより転載です。

3か月で13億円——石原都知事が尖閣諸島購入計画をぶち上げる と、瞬く間に多額の寄付金が集まった事実は、日本国民の領土への関心の高さと危機感の表われといえよう。尖閣諸島に限らず、北方領土、竹島、沖ノ鳥島は日 本領土でありながら、日本人が足を踏み入れることができない。しかし、日本領土である確かな証を残すため、これらの地域に本籍を移す人が着実に増えてい る。

 尖閣諸島に本籍を置く日本人は41名(2012年2月現在)。その中のひとり、会社役員の奥茂治さんは、その理由をこう語る。
 
「尖閣諸島防衛協会の幹事として、島に日本国旗の碑を作る活動をしていました。途中から上陸が認められなくなり、非暴力的に領土を主張する方法として10年前に本籍地を移しました」


 尖閣以外にも目を向けると、竹島の不法占拠を続ける韓国では、今年6月、与党セヌリ党の幹部7人が竹島に上陸して“実効支配”を誇示した。竹島に観光施設や大型ふ頭を建設する計画も進んでいる。

 北方領土でも、7月にメドベージェフ首相が国後島を再訪した。択捉島では、来年の供用開始を目指す新空港や、大型船が接岸できる船着き場の建設が進んでいる。

 韓国とロシアが不法占拠の既成事実化を着々と進める一方で、尖閣諸島や沖ノ鳥島に対しては中国の圧力が高まってい る。この7月に中国政府は「尖閣は核心的利益」と主張し、漁業監視船による巡視活動を強化する方針を打ち出した。沖ノ鳥島に対しても、国際機関の大陸棚限 界委員会が4月に周辺海域を日本の大陸棚として認めたにもかかわらず、中国は相変わらず「岩」だと主張している。


 このような事態を招いたのはひとえに日本政府が弱腰だからだ。業を煮やした国民が、政府に対する静かな抗議行動として行なっているのが、こういった領土への本籍移転である。

 日本では現住所に関係なく、他人の所有地であろうとどこにでも本籍地を置ける。竹島に本籍地を移した人は7年前の26名から3倍以上に増え、尖閣へ転籍した人は1年で2倍に増えた。この事実から民主党政権はいつまで目を背けるのか。

※週刊ポスト2012年8月10日号
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中国の「愛国教育」に反対 香港で大規模デモ

2012-08-02 00:05:38 | 日記

堕ちた天使 さんより転載です。

イメージ 1
頭上に掲げた撤回洗脳教育のスローガン(大紀元)


【大紀元日本7月31日】数万人の香港市民は29日、香港の小学校で中国の「愛国主義」教育を導入する計画に抗議 する大規模なデモを行った。デモ参加者らは、同課程の設置は香港の子供たちに対する中国共産党の「洗脳」であると主張。この日、子供連れの親や教師など約 9万人が参加したと主催者側は発表している。
大規模な洗脳教育抗議デモ1(大紀元)
大規模な洗脳教育抗議デモ2(大紀元)

問題になっている「道徳・国民教育科」は、夏休み明けの9月の新学期から小学校で試験的に導入され、2015年には必修科目になる予定。同課程で使われる 『中国模式¬』と題する教材は、中国の執政集団が「進歩、献身、団結」であると賞賛する一方、米国の二大政党は社会を混乱させ、人々の生活に脅威を与えて いると非難。さらに、中国の発展モデルは民本主義の「理想型体制」と絶賛している。

29日のデモでは参加者らが、同課程の導入は香港政府が北京政府に迎合する動きの一環と見ており、北京政府の香港への干渉に強い反発を示した。「洗脳科目 を撤回、独立思考を返せ」「香港に奴隷国民教育はいらない」「祖国を愛すは共産党を愛すではない」「一党独裁、人民の災難」などのスローガンが掲げられて いた。
抗議の横断幕を掲げた参加者(大紀元)
抗議スローガンを手にした参加者(大紀元)

また、今回のデモでは親子連れや小中学生の姿が目立ち、「史上最多の子供が参加したデモ」と主催者側は話している。
子供の参加者が目立った抗議デモ(大紀元)

香港はイギリスから中国に主権が返還され15年が経過したが、住民の意識は近年、むしろ「中国離れ」が進んでいる。今年6 月に香港大学が行った調査によると、「中国国民になったことは誇りだ」と答えた香港市民は37%で、北京五輪があった2008年より13ポイント下落して いる。このような香港人の意識の変化も北京政府の焦りにつながったと見られる。

(翻訳・池葉、編集・張凛音)
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