箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著
「人格をつくる言葉」㉜ 重い石は池に沈み、軽い油は表面に浮かぶ。しかし、煩悩の重さは、誰が決めるのか。
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水と油と石の重さは小学生の理科で習う。それは目の前で実験できるからである。しかし、目に見えない煩悩の存在を理解するには、ある程度の知識が必要である。抽象的な煩悩を理解するには、実験が一番であるが、この実験は経験を重ねるしかないのである。
煩悩の意味が分かても、凡人は煩悩があって当然でありなければ生きていけない。と悟りたる人の如く言う。これらの人たちには、煩悩に重さがあるとは理解できない。
煩悩の重さが理解出来る時は、その重さが人生の足を引っ張るものだと理解できる時であり、唯一、仏法真理を学んだ人達である。煩悩に振り回されている自分を自覚する人達である。そして、煩悩の発生源は肉体であると理解した人達でもある。
ゆえに煩悩を制御すると身軽になれるが、それには敵を知らねばならない。
敵を知ると、まだ自分には目覚めていない煩悩が残っていることが分かる。
一番やっかいな煩悩は、優越感やプライドである。重さを自覚する人は、謙虚な人生を送れますね。
さらに悟りたる人は、煩悩は本当の自分ではない、そしてこの世は仮の世界である。と実感した人達である。