猫だから

2004年9月。
変な模様のあんまり可愛くない子猫が迷い込んできた。
予想通り溺愛する自分にあきれつつ。

みにくいアヒルの子猫

2005-09-06 18:20:00 | 
出会いは昨年九月。

飼っていた犬が十六歳で死に、悲しみも癒えぬ頃。

庭で猫の声がすると母が言う。

父も小さな猫を見たという。

二人とも猫が嫌い。

なのになぜ猫好きなわたしだけ声も聞かなきゃ姿も見ない?

「見つけても絶対エサやらないでね」

当時の我が家は年内に引越しを控えていて、猫を飼うどころの状況じゃなかったし

なにより両親は本当に猫が好きじゃないのだ。

わたしとて飼えもしない猫に情を移せばつらいだけなので、

その猫を見たい気持ちと見たくない気持ちと両方であった。

しかしとうとうある夜、鳴き声を聞いてしまった。

「いやー」

ややかすれ声の不気味な声。

「エサやらないでね」と母親が念押しする。

あとでこっそりやろうと思いつつ家に入った途端に母親が

「ねえ、かわいそうだからなんかやりなよ」

どっちなんだよ。

お許しが出たところでほいほいとかつおぶしご飯を持ってゆく。

どんな猫かな・・・

「いーやー」

うわ、可愛くない。

このとき娘は子猫というより中猫になりかけていたので、すでに子猫の愛らしさがなくなりつつあったし

なにより柄がよくわからないでたらめな模様で、しかも全体的に薄汚れた灰色で

おまけに顔も貧乏くさかったので全然、謙遜でもなんでもなく可愛くなかったんである。

こんな猫、誰も拾ってくれないだろう、哀れだ・・・

エサをもってゆくと一丁前に背中を丸めてシャーシャーと威嚇する。

せっかくごはん持ってきてやったのに。

仕方ないので置いてゆくと用心してなかなか近寄ろうとしない。

しばらくしてやっとこちらを窺いながら近付き、ちらちら見ながら食べ始めた。

「うにゃうにゃうにゃ」

鳴きながら食べている。

はは、可愛いこと。

これが、今や娘と溺愛する「たら」との出会いである。
コメント
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