たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

太陽光発電とリスク対応 <九電 太陽光出力制御 43万キロワット発電停止>などを読みながら

2018-10-13 | 原子力・エネルギー・地球環境

181013 太陽光発電とリスク対応 <九電 太陽光出力制御 43万キロワット発電停止>などを読みながら

 

わが家の小さな庭には赤、白、黄、桃、紫、橙などのいろいろな色の花が秋らしさを彩っています。そういえば昨夜から結構冷えてきました。まだ当地では紅葉前線とはいきませんが、庭の花は少し華やいでいます。実のある花木がほとんどないので、まだいろんな昆虫には魅力がないのかもしれません。時折名前の知らない蝶がやってきています。

 

さて猛烈な豪雨や大型台風も過ぎ去り、すこし気候も落ち着いてきたかなとおもいつつも、油断はできませんね。以前、事件関係者が来所して話し合いをしていたとき、会議室に農業土木の雑誌を重ねて置いてあるのを見て(あまり読んでいませんが)、近くの農林地に太陽光発電のパネルができましたね、景観上どうかなと思っていますなんてことを聞き、その現場を訪ねてみました。

 

すると分譲地内の空き地や隣接崖地が太陽光パネルで覆われていました。そのそばの崖状の雑木林も開発予定の様子でした。メガソーラーというわけでなく、小規模なタイプでしたが、それでも崖地での立地は大丈夫かなとか、隣接の住宅居住者にとってはあまりに近接しているのでやっかいな存在かなとも思ってしまいました。なんらかの話し合いが行われたのかと思いながらそこを離れました。

 

たしかに当地でも太陽光パネルが至るところで見かけるようになりましたが、私が目にするようなのはだいたい小規模ですね。このように小規模分散型というのは、農地が零細錯圃の長い歴史を引きずっているのと同列には扱えない、効率性の問題も景観上もどうかと思っています。

 

ところで、太陽光発電をはじめ再生エネルギー事業は固定価格買取制度(FIT)をようやく導入して、とくに太陽光発電などは飛躍的な増大を結果しています。といってもエネルギー政策がまだ化石燃料や原発に依拠していますので、ドイツなどに比べれば大きく遅れていますが。

 

そのような中、今朝の毎日記事は<九州電力 きょう太陽光出力制御 43万キロワット発電停止 6県9759件 事業者に不安も>と九電による今日からの発電一時停止という出力制御を取り上げています。その記事を紹介しながら、太陽光発電の置かれているリスクと対応を少し考えてみたいと思います。

 

記事は<九州電力は12日、太陽光発電の事業者に一時的な発電停止を求める「出力制御」を13日午前9時~午後4時に実施すると発表した。実施は離島を除き全国初で、北部九州を中心に6県43万キロワット分の太陽光(九電の送電網との接続契約数で9759件)が発電を停止する見込み。>としています。

 

この<43万キロワットは太陽光、風力の13日の発電予想最大量の約7%に当たる。>というのですが、今回風力が含まれていないのになぜこのような説明をするのか不思議です。

 

出力制御の理由として<原発4基の再稼働や太陽光の導入拡大で、九州は昼間の電力が供給過剰気味になっており、需給バランスが保てず大規模停電(ブラックアウト)に陥るのを防ぐ。【浅川大樹、袴田貴行】>つまり電力過剰によるブラックアウトを回避するために、原発の制御はせず、太陽光だけ出力制御するという選択です。太陽光発電は出力制御が容易なのに比べ、原発はそうでないということでしょうか。その当たりの説明がされていないように思います。

 

ドイツでは、以前見たNHKの番組では、気象予測をAIなどによってより精密かつ前倒しに行い、時間も量も細かく出力制御を行っていたかと思います。それが原発についてどうかは、はっきりしませんでしたが、風力・太陽光などすべてのエネルギー源を対象にしていたのではと思うのです。

 

今日13日は晴れていましたね。<九電によると、13日は晴天が見込まれ、太陽光の発電量は正午~午後1時に最大の594万キロワットに上る見通し。これに対し、同時間帯の需要は828万キロワットで、太陽光発電だけでこの72%に達する。原発などを加えると供給過剰が避けられない見込みだ。>とブラックアウトを回避するための措置だと言うことのようです。

 

原発の制御は、<原発以外の発電を先に抑制する国のルール>という出力抑制の優先順位に従って、<火力発電所の運転を苓北(れいほく)発電所(熊本県苓北町)などに限定し、出力を抑制。>それに他の電力活用方法を講じても上記が余るため、<太陽光の出力制御が必要と判断した。>というのです。今後も出力制御の可能性があるというのは、原発再稼働による現在の発電量からすれば当然でしょうね。

 

これに対して、事業者側から不安ないし不満の声が上がるのも当然かもしれません。

<17カ所のメガソーラーを運営するチョープロ(長崎県長与町)の定富勉新エネルギー事業部長は「どう運用されるのか分からない。制御の頻度を見極めないと、更なる太陽光発電を行うための資金調達も困難だ」と述べた。>とのこと。

 

早速というか、<経済産業省は「透明性・公平性の確保が重要」(世耕弘成経産相)として、実施後に国の審議会で制御の状況を検証する方針。今後、原発を優先する国のルールの妥当性も問われそうだ。>とされています。しかし、原発再稼働に時点で、この事態は予期されていたと思うのですが、いかがなものでしょう。ドイツのようなシステム構築にもっと時間と人材・費用を投じて、送電網も含めて再構築する必要があるのでないかと思うのです。

他方で、消費量のピーク時のコントロール手法として価格設定なども含めて再構築が必要ではないでしょうか。

 

そういった大きな問題以外に、太陽光発電については(風力発電やその他の再エネも検討課題がありますが今日は取り上げません)、以前からいくつかの問題が提起されてきたようですが、ついでに今年被害の大きかった自然災害がらみのリスクと対応策についてウェブ情報がありましたので、参考にここで紹介しておきます。むろん

 

一つは感電の問題です。経産省は、79日付けで<水没した太陽電池発電設備による感電防止についてのお願い(周知)>とそのリスク対応を告知しています。なお、その文面を読むのが望ましいですが、この<(参考)(図解)太陽電池発電設備による感電の防止>を見ておく簡便かもしれません。太陽光発電施設の概要も一瞥できます。

 

浸水していても太陽が当たれば発電するわけですから、感電のリスクが高いのですね。ある意味そういった危険物が身近にあることは、洪水の際、注意しておく必要はありますね。

 

暴風による破損、しかも太陽光パネルだけでなく架台から倒壊した事例も写真等でアップされていますね。

 

この点は、太陽光発電協会が<地上設置型太陽光発電システムの設計ガイドライン 2017 年版>の中で、たとえば風圧、地震荷重などを前提に設置の安全性を確保する指針を提供していますので、最低限このガイドラインを守ってもらいたいものです。

 

今日はこの辺でおしまい、また明日。

 

 

 


刀狩りの効能 <NHK日本人のおなまえっ!魚偏漢字の謎>などを見ながら

2018-10-12 | 空海と高野山

181012 刀狩りの効能 <NHK日本人のおなまえっ!魚偏漢字の謎>などを見ながら

 

田舎で仕事をしていると、時折自然の恵みの恩恵をいただく機会があります。突然、以前仕事をした依頼者が訪問して、これうちでとれたのでと箱入りのものをもってきてくれました。「松茸」と箱に書いてあって、仕事は事業をやっていたはずだけどと思ったら、うちの山で今朝とったものですというのです。ちょうど来客中でしたので、簡単なお礼で終わりました。

 

後で箱の中を見ると、普段スーパーなんかで見たことのないでかくて美しい松茸でした。料亭でも食べたことがないほど見事な物で、お礼の電話を入れました。すると以前はたくさんとれたとか、今年は雨が多かったとか、申し訳なさそうにいうのですが、すると以前はもっと大量、それももっと大きい物がとれたのかとまたまた驚いてしまいました。そうなんですね、田舎はなんにもないとかいうけど、自然の恵みはやはり豊富ですね。

 

ところで昨夜、NHKの<ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!【鮪!鮭!魚偏漢字の謎】>を途中から一部見ました。その中で、魚偏の漢字が歴史的にぽーんと増大する時期の一つ、江戸時代のところでした。戦国時代を経て江戸時代に入って平和な250年の間に魚偏の漢字が増えた、というか魚種がたくさんになったということでした。

 

その理由はある政策によるといわれてもなかなか検討つきませんね。なんと刀狩りでした。それまで日本中を所狭しと活躍していた海賊たちが、この刀狩りによって、槍・刀・鉄砲などの武器を全部没収されたことにより、強奪事業?としても、傭兵事業としても、家業を続けられなくなったのですね。それで転職というか、新たな産業を興したというのです。それは本格的な漁業です。沿岸漁業はもちろんのこと、遠洋漁業も得意な分野として活躍することになったのです。

 

船は、海賊船として養った速くて丈夫な構造船のような形状だったのでしょう。漁業の道具も武器製造に関わっていたり利用してきたので、漁業にあった道具の開発も容易だったのでしょう。それで鱈とか鱧とか、どんどん新しい魚類を収穫していったのでしょうね。江戸の台所が豊かであった要因の一つが刀狩りとは驚きです。

 

NHKの古館氏の番組では魚偏がテーマでしたので、海賊が専門漁業者になったことでおわったのですが、私の関心は、百姓という農民であり、また、中世を支配した寺社勢力の中核的存在の僧侶(行人や聖)、神人です。

 

近世という時代に入った17世紀から、水田・畑面積も、農業生産も飛躍的な増大を示しています。私が関心をもつ大畑才蔵による大規模灌漑事業以前の、17世紀初頭より日本各地で灌漑事業や新田開発が行われています。近世で一番増大した時期ともいわれています。その背景は、海賊と同様、刀狩りが大きな要因の一つであったと思います。とりわけ戦国時代は、百姓も武器をもち、農地を守るだけでなく、傭兵として戦線に参加し、農地拡大など農業に専念できない状況があったと思われます。

 

むろん平和な社会の構築と、士農工商という身分制も農民が農業に専念することになったことの背景にあるでしょう。近世は農具の開発も進みましたし、灌漑技術も飛躍的に進展しました。百姓として農法の研究開発も農書という形で、各地で競い合うように作られ、流布していったと思います。

 

では寺社社会はどうだったのでしょう。たとえば、紀ノ川沿いは戦国時代、河口付近が雑賀衆(これは海賊ないし傭兵が中心でしょうか)、隣接して根来寺を拠点とする根来衆が70万石とか、その隣中流域の粉河寺は数十万石、上流にある高野山金剛峯寺は17万石と、大変な勢力であったわけですね。

 

その寺社勢力には金貸しという金融力に加えて、大荘園領主という農業支配、そして軍事力を兼ね備えていたと言われています。それは教義を学び修行に専念する学侶ではなく、行人という多様な職種の集団が武力を背景に、金融や貿易などをも駆使し、力を拡大したと言われています。

 

秀吉はこれら紀ノ川流域の勢力のうち高野山を除きすべて軍事力で壊滅させました。高野山が降参した後紀州に初めての刀狩りを布告し、その後に全国に展開しています。

 

その結果、寺社の中には表だっては武器がある状況にはなかったと思います。家康が秀吉との小牧長久手の戦いのとき、高野山に鉄砲の用立てを依頼したといわれています。高野山以外には鉄砲製造を裏付ける根拠がない、逆に言えば高野山のみが鉄砲製造が可能であった資料があるとも言われています(私が確認したわけではありません)。

 

なぜ余分のような話をするかというと、以前のブログでなんどか取り上げた高野元禄裁許と関係するのです。高野山行人1000人近くを追放等の処分し寺も1000か寺くらいを廃止したという1692年の寺社奉行による橋本での大がかりの裁判です。その裁判に当たり、江戸から500人近い武士を連れ、紀州藩も1万人以上が備えていたというのですから、高野山行人に対する恐れは相当な物だったと思われるのです。それが高野山人には当時、相当な武器が隠されていて、抵抗される可能性をおもんばかっていたのではないかと考えるのです。

 

とはいえ、いずれにしても寺社には中世まで力の根源の主要なものであった武器をとられたわけですから、僧侶であれば本来の宗教活動に専念し、あらたな宗教文化・社会をつくったのではと思うのですが、そこがどうもはっきりしません。

 

中世には一定程度導入されていた葬式仏教や高野山墓地への納骨といったことが、檀家制度の創設により、さらに進化したのかなと思う程度なのです。鎌倉期のような宗教改革ともいうべき新仏教は起こっていないといってもいいかと思うのです。この点はもう少し勉強したいと思います。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


アマモの力とその増殖 <アマモ増殖へ新技術 最優秀賞 楠部准教授>などを読みながら

2018-10-11 | 海・魚介類・漁業

181011 アマモの力とその増殖 <アマモ増殖へ新技術 最優秀賞 楠部准教授>などを読みながら

 

ウェブニュースでは、NY株急落を受けて、東証も一時1000円超の大幅下落と、下落率は前者に負けていませんでしたので、世界的連鎖とか話題沸騰の状況でしょうか。日経の報道番組では少し前、多少の変動があっても3万円くらいまで上昇する見込みなんて解説する人もいましたが、私には実体経済と乖離しすぎではないかと思っていました。だいたいNY株の異常な上昇に加えて失業率の低下という実体経済を反映しているのか?という不思議な状況を上塗りする東京株式市場ではないかと思いますので、今回の下落は不思議ではないです。とはいえ、上昇期待が高まるばかりのアメリカ市場ですので、今後も破裂するまで風船が上昇するのかもしれませんし、日本も右向け右のような感じなので、無事着地するまではわかりませんね。

 

と余分な話をしました。本題はアマモのことです。

 

今日の毎日記事は<マリンテックグランプリ アマモ増殖へ新技術 最優秀賞に和歌山高専・楠部准教授 /和歌山>では、<「海のゆりかご」と呼ばれる海草のアマモを増やす新技術を考案した和歌山高専(御坊市名田町野島)生物応用化学科の楠部真崇准教授(41)が、優れた海洋技術を表彰する今年の「マリンテックグランプリ」(日本財団など主催)で最優秀賞に輝いた。>という喜ばしいニュースです。

 

アマモの驚異的な力は記事でも簡潔に紹介していますが、三重県農水商工部水産基盤室作成の<アマモ場再生ガイドブック>によると、沿岸海域の水質保全、生態系の維持回復には欠かせない生物ですね。

 

ここではアマモ場の機能として、<物質循環、生物の共存、環境保全の3つの機能に大別される。>として、それぞれ詳しい解説されています。

 

物質循環機能といってもわかりにくいのですが、それは次のように説明されています。

<アマモ及びその葉上に生育する付着藻類は、光合成により有機物を生産する「一次生産」を行う。また、枯死したアマモは海底や砂浜で分解されてデトリタスとなり、底質中に有機物を供給し、動物プランクトン、ゴカイ類、貝類等の餌として利用され、食物連鎖により高次消費者を支えている。また、可溶性のものは再びアマモの葉や根から吸収される。>まるで物質循環を稼働させる血液のように、生きているときも、死んでしまっても、有機物を生産・供給して、多様な高次消費者のエサになって支えているのですね。

 

生物の共存機能もわかりにくい表現ですが、<アマモ場の複雑な空間構造は、多様な生物の生息場所となっている。>ことや<幼稚魚育成>の場であったり、<産卵場>になったりしているとのことです。

 

環境保全機能についても、さらに3つの種類が指摘されています。

まず、水質浄化機能については<アマモは、生育に伴い海中や土壌中から窒素やリンなどの栄養塩を吸収し、富栄養化を防ぐ役割を果たしている。また、アマモ場の繁茂により流れが弱められ、海中の懸濁物質の沈降を促し、水質浄化に貢献している。>このことも以前から指摘されていますね。

 

次の<底質安定化>というのは、はじめて知りました。

<アマモ場は沖からの波浪を弱くし、また、地下茎と根束の伸長により海底基盤を安定化させる。また、漂砂などを抑制することで、砂浜や干潟の縮小を防止する。>言われてみれば納得です。

 

最後の<環境形成・維持>というのもわかったようなわからないような名称ですが、次のように解説されると、納得です。

<アマモ場内の静穏な空間は、 地上部が波浪を弱めることによって形成される。また、光合成 によりを吸収し、酸素を供 CO2 給することによって、アマモ場内の環境形成や維持に貢献している。>結局は、物質循環機能や生物の共存機能と同一の基盤でしょうか。

 

さてこのように沿岸域の生態系や地形保全にとって欠かせないアマモですが、わが国の多くの自然海岸は埋立により大幅に減少し、また、さまさま汚濁物質の海洋への流入により、さらに気候変動に伴う温暖化の影響もあって、アマモが減少している状況は長く続いているのではないかと思います。

 

その増殖に向けた研究は以前からされてきていますが(上記ガイドブックも再生計画がメインです)、それほど実効性のある成果はあまりない状況にあるように思うのですが、私のような狭い認識でわかっていないだけならいいのですが。

 

毎日記事では<人工増殖に向けては、これまでアマモの種子を分解性の容器や麻のシートに植え付けて海底に設置する手法などが取られてきた。しかし、容器や麻がごみとして海に残ることや、ダイバーが潜って設置しなければならないなど手間がかかるのがネックだった。>人工増殖に有効策が十分ではなかったことが指摘されています。

 

今回最優秀賞に輝いた<楠部准教授らは、微生物を利用して海中の砂を固めた「バイオセメント」を開発。>ということが評価されたようです。

 

楠部氏は<実際にアマモの種子を植え付けた高さ10センチの円柱状のバイオセメント約20個を、日高町沖の水深数メートルの海底に沈める実験も行った。>

 

記事には写真が掲載されていて、<海底に沈められたアマモの種子を植え付けたバイオセメント>とキャプションがついています。

 

で、不思議に思ったのは、そのバイオセメントにはアマモの種子が植え付けられているようですが、そこからアマモが成長している様子は画面からはちょっとよく分かりませんでした。

 

他方で、そのブロックの背後にはアマモが群生した様子が映っていて、その下部に劣化したバイオセメントが映っているのかと思いつつ、はっきりしません。キャプションでそのような指摘があるとそうかと思うのですが、どうもまだ種子を植え付けたばかりのバイオセメントの段階で、成長したアマモの成長は写真では撮影されていない?ということでしょうか。

 

たしかに<今後は種子の発芽条件の検討など、事業化も視野にさらに研究を進めるという。>とか、<「アマモで成功したら、次は黒アワビなど高級な貝のエサになるクロメなどの海藻にも応用したい」と話している。>ということは、まだアマモで成功したわけではないということでしょうか。

 

う、と少しうなりつつ、でも最優秀賞を受賞するくらいですから、アマモ増殖の成功可能性が高いと評価されたのだと、期待したいと思います。

 

バイオセメント自体、その構造や材質などよくわかりませんが、これまた将来性のある技術として期待したいと思うのです。

 

そろそろ一時間になりそうです。このへんでおしまい。また明日。


おかわの古今東西 世界の「おまる」 隠された人間の営み発見>などを読みながら

2018-10-10 | 人間力

181010 おかわの古今東西 世界の「おまる」 隠された人間の営み発見>などを読みながら

 

今日は珍しく忙し忙しでした。電話が次々かかってくるや、来客も多くて、肝心の仕事は進んだのかしらと業務時間終了時刻が近づいてふと思ってしまいます。

 

本日もお題がぴんとこず、毎日記事をざっと見ていたら<ハマりました。世界の「おまる」 隠された人間の営み発見>というのがあって、この記事の主人公のほほえみとおまるの外観が興味深く、これにすることにしました。

 

「おまる」といい「しびん」といい、どこがどのように違うのかを確認しようとしたのですが、明確な定義があるのでしょうか。ぼやっとしている印象です。前者はうんちを、後者はおしっこを、主に対象にしているというイメージがあり、とりあえずはそれでいいのかもしれませんが、境界線をはっきりさせないのも「隠された人間の営み」領域のことだからでしょうか。

 

で、「おかわ」とも言われていますが、日本大百科全書(ニッポニカ)の[井之口章次]解説が表現といい、内容といい、なかなかよかったです。とりあえずそのまま引用します。

 

<お厠(かわや)を略した女房詞(にょうぼうことば)。屋内用の便器で、「おまる」「こばん」「しびん」などともいう。>

 

井之口氏は歴史的考察をされています。

<住宅建築の一施設として、屋内に便所を設けることは比較的新しい。農家では肥料をとるために、近年まで別棟の便所を使っていた。おかわは飛鳥(あすか)・奈良時代に中国から伝来したといわれ、平安時代には寝殿造の生活に重要な調度であった。曲物(まげもの)で小判形につくり、箱形のものもある。・・・寒い地方で多く用い、雪国では嫁入り道具の一つとして欠かせないものであった。>

 

その形態・材質にも言及され、現代事情の一端も触れています。

<上流社会では螺鈿(らでん)、蒔絵(まきえ)を施したものも使い、蓋(ふた)をして箱に収めるものもあった。現在はブリキ、ほうろう引き、ガラス製のものが多く、老人、幼児や病床で使う。>

 

で、毎日記事では、特異なコレクター、あるいは人間の営みを探る生き方をされている方として紹介されています。

<日用品は、その時代の人々の生き方を映し出す。エッセイストの村瀬春樹さん(74)=神奈川県二宮町=がのめり込んだのは、古今東西の「おまる」から見えてくる物語だ。>

 

村瀬氏がのめり込んだのは<1994年秋、フランス・パリ郊外。・・・小さな町の骨董(こっとう)市>での出会いだったそうです。

 

外観は大きなティーカップ、<持ち手がついた白い陶器のカップ。外側には青とピンクの花模様と、「花嫁へ」という意味のフランス語「A la mariee(ア・ラ・マリエ)」が、上品な筆記体で描かれている。・・・中をのぞき込むと、底に「片目」のイラストが写実的に描かれているのだ。>

 

<店番をしていた女性に「これ、何?」と聞くと、女性は笑いながら答えた。「おまるよ!」

 

村瀬氏は、その「出口の道具」に興味を惹かれたようです。

<皿や茶器をはじめ、体の中に食べ物を取り入れる「入り口の道具」は所狭しと並んでいたが、考えてみれば「出口の道具」は見たことがない。

 「入り口があれば出口もあるはずなのに、あたかも存在しないかのように隠されている。そう感じて『出口の道具』が気になり始めていた頃にパリであのおまるを見つけ、一気に興味が湧いたんです」>

 

村瀬氏は、その使われ方を調べて上記のおまるについては次のような立派な歴史があったそうです。

<1860~70年代に結婚式で使われていたようだ。当時は、新品のおまるにシャンパンやホットチョコレートを注ぎ、新郎新婦に飲ませる披露宴の余興が流行していたという。式の後には夫婦のベッド下に収納され、普通のおまるとして使用されたそうだが、底から写実的な目が見上げるデザインが何ともシュール(超現実的)だ。>

 

それから村瀬氏のコレクションが始まり、たとえば紀元前の形状のものまであるそうです。

<「吠(ほ)えるしびん」と名付けられた韓国製の一品。ソウルの古道具店で「特派員」が見つけたという。紀元前3世紀ごろのしびんのレプリカで、丸っこい胴体に脚が4本生えている。天に向かってほえているようなダイナミックさと、呼べばトコトコと歩いてきそうな可愛らしさが備わっている。>

 

村瀬氏は最近コレクションの展示会を開催し、好評を得たそうです。で、村瀬氏はおまるがもつ人間性というか身分の差を超えてその隠れた営みを彷彿させてくれることで、開放的な気分になるようです。

<「おまるに接していると、気分が解放されるんです。(排せつは)人間が素(す)になる瞬間であり、どんな高貴な身分の人も貧乏人も分け隔てない、抜き差しならぬ人間の営み。それを、はるか昔から見続けてきた道具が、おまるなんです」【塩田彩】>

 

ところで、このおまる、しびん、おかわなどをウェブで少し検索すると、なんと多種多様な商品が販売されているのを目にすることができます。

 

そうかそんなに人気商品?なんだと驚きました。ふとなんらかの規制はあるのかなとついでに調べてみましたが、とくになさそうですね。排便・排尿先としてのトイレは、浄化槽の場合浄化槽法が(浄化槽法上、平成13年改正で合併処理浄化槽のみとなっていますが)、公共下水道に接続しているトイレは下水道法が排水基準等を規制していますが、おまるなどはとくに規制対象にはなっていません。

 

ただ、病院などで使用する場合に<改正医療法・感染症法を考慮した院内感染防止ガイドライン>の中で、院内感染防止策として、おまる等との関連では、<尿量計、便器・尿器の管理>の中で、洗浄方法を指定し、尿器については共用ではなく個人使用としています。ま、毎日記事のように楽しい内容にはならないですが、場所に応じて使用制限があるのは当然でしょう。

 

ちょっと違う視点では、厚労省の<日常生活用具給付等事業の概要>で、しっかりと給付対象物に位置づけられています。<特殊尿器>とか<便器>などとして。

 

では最近の災害時対応はどうかというと、1時間以内で終わらしたいので、すこし時間がかかりそうなので、今日はこのへんでやめときます。

 

前口上が長すぎました。本題は何かというとおかわ(とくに携帯用に限った意味で)の古今東西を考えてみたかったのですが、どうもそこに行き着く前に事切れたようです。現代的多様性は驚くべき進化をとげているようで、それはコレクションの対象と言うより、より自由奔放かもしれません。あるいはリサイクルとか循環資源的な発想も重要かもしれません。

 

いつか取り上げたいと思います。今日はこれでおしまい。また明日。

 

 


AIと未来人 <NHK マネー・ワールド 仕事がなくなる!?」>を垣間見て

2018-10-09 | AI IT IoT

181009 AIと未来人 <NHK マネー・ワールド 仕事がなくなる!?」>を垣間見て

 

一昨日夜、<NHKスペシャル マネー・ワールド~資本主義の未来~第2集「仕事がなくなる!?」>を少し見ました。爆笑問題が司会?で、ゲストが孫正義氏と新井紀子氏ということで、それぞれのキャラが出ていて面白かったです。録画していたのでいつか見ようと最初しばらく見ましたが、結局、まだ全部見ていません。

 

で、今日はとくに話題も思いつかないので、中身を理解していないながら、適当にAIと未来人について考えてみようかと思い本日の話題にすることにしました。似たようなテーマはこれまでも何回か取り上げてきたように思います。

 

たしか番組では機械的な作業が取って代わられるということで、ラスベガスのホテル従業員のAI反対のデモとか、商品の配送現場で、単なる商品の選別搬送から仕入れまで、ほぼ全面的なAIロボットによる状況が放送されていたかと思います。そしてAI・ロボットによって仕事が取って代わられる職種が、代替率をランク付けされて表になっていました。ま、機械的な作業は90%を優に超えて100%近くになっていたかと思います。取って代わりにくいのはというのはちょっと見落としたようです。

 

たしか孫氏はAIプログラムのクリエイターが将来性のある仕事?みたいないい方だったように思います。新井氏はわかりやすい数学者?として少し反発していたように思うのですが、忘れてしまいました。数学者も場合によっては射程範囲に入るのかもしれません。

 

私はこれまで医師や弁護士、裁判官なども、相当なレベルでAIに代替される可能性を指摘してきました。たしか税理士や行政書士は代替率が極めて高く、公認会計士や不動産鑑定士も相当な高さにあったような記憶です。ま、これまで国家試験資格者として活躍できたりした職種も、安泰な状況ではないのかもしれません。

 

他方で、いま大変な介護職なんかはAI・ロボットにとって苦手な領域のようですね。ほんとにそういえるかは?です。もし介護職の多くがユマニチュードのような対応をしていれば、そうかもしれないと納得できます。しかし、現在の介護職の多くは、あるマニュアルにしたがって行っているのではないかと思われます。そういう方法であれば、訪問介護は別として、施設内であればAI・ロボットにチェンジされてもおかしくないように思うのです。

 

ところで、話は横にそれますが、スポーツ選手なども、場合によっては代替される未来があるのかもしれませんが、それでは面白くないということで、やはり選択の問題として、AI・ロボットが進出できないのではと思うのです。

 

たとえば、ボクシングの井上尚弥選手のKOは神業でしたね。実は私が見たときはもうお祝いの挨拶をしていました。えっと思いましたが、記録的スピードKOでした。その後何回も再放送でKOシーンを見せてくれましたが、なぜあのパンチであのように倒れるのか不思議な思いでした。それを今日のNUMBER WEB井上尚弥の衝撃KO、何が起きたか。「あの60秒で凄く駆け引きをした」>で、わかりやすい解説をしています。KO以前の状況は見ることができませんが、この解説で合点がいきました。これがAI・ロボットが闘ったのであれば面白くもないですね。ボクサー同士の緊張したつばぜり合いが60秒の間に積み重ねられていたのですね。

 

もう一つ、昨日のシカゴマラソン、大迫選手が日本新記録の2時間5分台を出して3位になりましたが、これも途中少し見たものの、どうせだめかなとすぐ読書に変えてしまい、すばらしいランニングを見るチャンスを逃しました。このランナーの名前も知りませんでしたが、日本人でも5秒台で走れるとはと驚くばかりです。挫折とチャレンジしていく精神・肉体は人間だからこそもてるわけですし、そこに魅力を感じるわけですね。

 

で、AIによって仕事を失ったとき人間はどうするかといった場合に、例としてギリシア市民の話がでることがあります。ギリシア市民は働かないで自由と平等を大事にして文化芸能などを大切にしていたとされています。ただ、スポーツでは最高を極めようと競争するものの、働くことは奴隷や外人(ポリス以外の地域からやってきた人)がします。そういったギリシア市民のように、未来人も仕事をAI・ロボットに任せて、人生をエンジョイすればよいとかいった話です。

 

ギリシア市民のように働かなくてもよいということは素晴らしいことでしょうか。人間は働くことにより人生の苦楽を享受できる要素が大きいと思うのです。私の好きな大畑才蔵は、懸命に働くことを求めました。自分が働けば、それだけ人、世のためになり、安楽を得られるというのです。儒教思想的な背景があるのかもしれませんが、江戸中葉の農民が抱いていた働くことの意義を自認し、近代市民の誕生を彷彿させるものです。

 

ギリシア市民は、奴隷にきつい仕事、嫌な仕事をすべてやらせ、自らは働かないで、その奴隷の生産性によって生活・文明を維持していたのですから、それが望ましい人間像かどうかですね。AI・ロボットは奴隷ではないから、いいではないかという議論も一理を否定しませんが、私はどうも好みではないです。

 

機械的仕事にも得る物があると思うのです。ホテルサービスなどもそうです。いまAIに取って代わることができるとされる仕事をされている人も、いずれは代替されるかもしれませんが、その仕事で充実した一生を送れればそれこそ最高でしょう。仕事に尊卑もないですし、AI・ロボットに代替されなければならない必然もないでしょう。

 

その選択は未来人に託されるのではないかと思うのです。孫氏のように必然のようにAI社会にしか道がのこされていないとは思いません。旧態依然という言葉は、仕事のあり方としてある分野に残ることも人間の選択としてあっていいと思うのです。

 

あ、そういえば、昨日でしたか映画「アイ,ロボット」がTVで放映されていて、少し見ましたが、見事なAI・ロボットで、ほとんどの仕事が彼らがになっていましたね。ついには感情や独自の判断力まで持ったという設定であったかとおもいますが、なんとま、アメリカ映画は10年以上前にその世界を描いていたのですね。

 

ま、未来人の社会はそうならないと思いますが・・・

 

今日も、まとまりがありませんでした。これにておしまい。また明日。