おはようございます。
書籍出版のご案内を致します。
昨夜(令和2年2月28日金曜日)の早い時間に何とか最終校正を終了か。
昨年9月下旬から執筆開始、11月下旬に脱稿予定。
それから一転二転、令和2年になって出版社を変更。みらいパブリッシングさんに引き受けて頂き、今日に至りました。
原稿は昨年末には完成していましたが、みらいパブリッシングさんのプロ編集者岡田淑永さんの手にかかり、磨かれ削られ加えられ、たちまち2月下旬になって本としての文章、合い整いました。
かくして全ての原稿は、昨夜のうちに印刷屋さんにまわり、いよいよ来たる4月4日に発刊の運びと相成りました。
ともあれ、ほっと一息なので、今日は少し本の表皮?をご紹介します。ご一読下さい。
a.書籍タイトル; 大亜細亜の詩(だいあじあのうた)
b. サブタイトル; 広島本照寺.東京軍事裁判インド代表判事パール博士の碑に寄せて
c. 2020年4月4日初版第1刷
d. 著者; トーマス青木
e. 発刊; みらいパブリッシング
企画;田中英子
編集; 岡田淑永
f. 発売; 青雲社(共同出版社・流通責任出版社)
g. 印刷.製本; 中央精版印刷株式会社
@ThomasAoki2020 Printed in Japan
ISBN 978-4-434-27297-4C0093
以上、
尚、定価¥1,800.- (税込¥1,980.-)
書籍出版のご案内を致します。
昨夜(令和2年2月28日金曜日)の早い時間に何とか最終校正を終了か。
昨年9月下旬から執筆開始、11月下旬に脱稿予定。
それから一転二転、令和2年になって出版社を変更。みらいパブリッシングさんに引き受けて頂き、今日に至りました。
原稿は昨年末には完成していましたが、みらいパブリッシングさんのプロ編集者岡田淑永さんの手にかかり、磨かれ削られ加えられ、たちまち2月下旬になって本としての文章、合い整いました。
かくして全ての原稿は、昨夜のうちに印刷屋さんにまわり、いよいよ来たる4月4日に発刊の運びと相成りました。
ともあれ、ほっと一息なので、今日は少し本の表皮?をご紹介します。ご一読下さい。
a.書籍タイトル; 大亜細亜の詩(だいあじあのうた)
b. サブタイトル; 広島本照寺.東京軍事裁判インド代表判事パール博士の碑に寄せて
c. 2020年4月4日初版第1刷
d. 著者; トーマス青木
e. 発刊; みらいパブリッシング
企画;田中英子
編集; 岡田淑永
f. 発売; 青雲社(共同出版社・流通責任出版社)
g. 印刷.製本; 中央精版印刷株式会社
@ThomasAoki2020 Printed in Japan
ISBN 978-4-434-27297-4C0093
以上、
尚、定価¥1,800.- (税込¥1,980.-)
こんにちは、
書籍『大亜細亜の詩』(だいあじあのうた)の出版案内を致します。
昨夜の早い時間に何とか最終校正を終了。
昨年9月下旬から執筆開始。2ケ月後の11月下旬に脱稿予定。
にもかかわらず、それから一転二転、令和2年の正月明けになって出版社を変更。みらいパブリッシングさんに引き受けて頂き、来たる4月4日にて出版の運びに相成りました。
さて、執筆を決めた時点で、気合入れて『心構えと目標』を語った(つもりの)『まえがき』と、晴れて脱稿後に言い述べた『あとがき』の両方とも本書には掲載しないこと決めました。とはいえ我ながら存分に気合を入れて書き下ろした「あとがき」は本文中の何にも況して本心を(小声で)語ったものであるから若し、
「ようし!この本を読んでやろう」等と、興味深いものを感じ取って頂く為には是非、あとがきから読んで頂きたく、そのためにも エセ男爵ブログに『あとがき』を投稿しておきました。
以下、ご一読ください。
ー あ と が き ー
「この秋は本を書こう!」
脳裏に浮かんだのは『本照寺と奇跡の人パール博士』という自分自身の合言葉だったのです。
近代史という四次元の時空を移動できる夢の特急列車『大亜細亜ファンタジー号』に飛び乗って、明治から昭和の初めまで、「日本近代史の物見遊山をやってやろうぜ!」となればこの秋、好きなジャンルの読書に耽り、好き勝手に執筆三昧をやる……
そうすれば、この秋の終わりには一冊の本が出来上がる。そのうえで『先々代住職筧義章師とパール博士を結ぶ』という歴史の絆と、さらには未来への絆を、この手で紡いでやろう……
などと簡単に考えて執筆作業を開始したのは、令和元年八月のお盆明けからでした。
書き始めてみれば、近代史の整理整頓からは程遠い難作業になっていきました。つまり、三次元に広がる洋の東西と、歴史的時間の推移を跨って行き来するメニューは多岐にわたり、『宗教』と、『戦争』と、『政治』と、『経済』と、『文化』エトセトラ、エトセトラ……
図書館に百年間通っても結論の出ない、広大で深遠な世界に迷い込むか?……
その一歩手前で、決して歴史論文ではない『小説風な一冊』が出来上がりました。
執筆を終えた今、あらためて、書くこと、とは何なのか? 整理しておきたくなりました。
その結果、私の『書くこと』とは、『本照寺のことを書き残すこと』です。
例えば、この一年の出来事は、互いに口頭で語り伝えることができます。しかし二、三十年以前の事になると、否、五十年前はどうか?となると、知っている人は少なくなり、さらに百年前となると、すでに直接語り伝える人は存在しません。こうなると何らかのカタチ、つまり文字で著されていれば、伝えらます。
そしてこの度、何を書き残すかと言いますと、『本照寺とパール博士の石碑のこと』をテーマに、『本照寺の歴史』の流れを見つめ、纏め、独り言を喋っているように、書き残しておきたいのです。
『パール博士の碑文』から始まる歴史物語。その舞台には、本照寺三世代に亘る筧住職家のご活躍のシナリオがあり、それは、滔々(とうとう)と流れる近代日本史の中に展開します。今も尚、現代から未来に向け、その時々の歴史の事実は繫がり紡がれ、そして絆と絆が結ばれ、歴史は時空の流れに乗り、継続しています。時空という川の流れは、未来という大海に向かって絶え間なく、流れ出ていきます。
この一冊は、そのような歴史の流れを行き交い、未来の大海に向けて航海する読者ご自身の船を舵取りする羅針盤になれば筆者冥利に尽きます。
令和二年 早春
トーマス青木
書籍『大亜細亜の詩』(だいあじあのうた)の出版案内を致します。
昨夜の早い時間に何とか最終校正を終了。
昨年9月下旬から執筆開始。2ケ月後の11月下旬に脱稿予定。
にもかかわらず、それから一転二転、令和2年の正月明けになって出版社を変更。みらいパブリッシングさんに引き受けて頂き、来たる4月4日にて出版の運びに相成りました。
さて、執筆を決めた時点で、気合入れて『心構えと目標』を語った(つもりの)『まえがき』と、晴れて脱稿後に言い述べた『あとがき』の両方とも本書には掲載しないこと決めました。とはいえ我ながら存分に気合を入れて書き下ろした「あとがき」は本文中の何にも況して本心を(小声で)語ったものであるから若し、
「ようし!この本を読んでやろう」等と、興味深いものを感じ取って頂く為には是非、あとがきから読んで頂きたく、そのためにも エセ男爵ブログに『あとがき』を投稿しておきました。
以下、ご一読ください。
ー あ と が き ー
「この秋は本を書こう!」
脳裏に浮かんだのは『本照寺と奇跡の人パール博士』という自分自身の合言葉だったのです。
近代史という四次元の時空を移動できる夢の特急列車『大亜細亜ファンタジー号』に飛び乗って、明治から昭和の初めまで、「日本近代史の物見遊山をやってやろうぜ!」となればこの秋、好きなジャンルの読書に耽り、好き勝手に執筆三昧をやる……
そうすれば、この秋の終わりには一冊の本が出来上がる。そのうえで『先々代住職筧義章師とパール博士を結ぶ』という歴史の絆と、さらには未来への絆を、この手で紡いでやろう……
などと簡単に考えて執筆作業を開始したのは、令和元年八月のお盆明けからでした。
書き始めてみれば、近代史の整理整頓からは程遠い難作業になっていきました。つまり、三次元に広がる洋の東西と、歴史的時間の推移を跨って行き来するメニューは多岐にわたり、『宗教』と、『戦争』と、『政治』と、『経済』と、『文化』エトセトラ、エトセトラ……
図書館に百年間通っても結論の出ない、広大で深遠な世界に迷い込むか?……
その一歩手前で、決して歴史論文ではない『小説風な一冊』が出来上がりました。
執筆を終えた今、あらためて、書くこと、とは何なのか? 整理しておきたくなりました。
その結果、私の『書くこと』とは、『本照寺のことを書き残すこと』です。
例えば、この一年の出来事は、互いに口頭で語り伝えることができます。しかし二、三十年以前の事になると、否、五十年前はどうか?となると、知っている人は少なくなり、さらに百年前となると、すでに直接語り伝える人は存在しません。こうなると何らかのカタチ、つまり文字で著されていれば、伝えらます。
そしてこの度、何を書き残すかと言いますと、『本照寺とパール博士の石碑のこと』をテーマに、『本照寺の歴史』の流れを見つめ、纏め、独り言を喋っているように、書き残しておきたいのです。
『パール博士の碑文』から始まる歴史物語。その舞台には、本照寺三世代に亘る筧住職家のご活躍のシナリオがあり、それは、滔々(とうとう)と流れる近代日本史の中に展開します。今も尚、現代から未来に向け、その時々の歴史の事実は繫がり紡がれ、そして絆と絆が結ばれ、歴史は時空の流れに乗り、継続しています。時空という川の流れは、未来という大海に向かって絶え間なく、流れ出ていきます。
この一冊は、そのような歴史の流れを行き交い、未来の大海に向けて航海する読者ご自身の船を舵取りする羅針盤になれば筆者冥利に尽きます。
令和二年 早春
トーマス青木
ご無沙汰です。
本年も宜しくお願いします。
いやなに、年末から年明けにかけ、出版関連の調整に神経をとがらせ、本日に至っております。
何事も安直にすすめられる案件は存在しない。ということ、あらためて思い知った次第です。 何とかこの連休を挟んで一歩前進し、良い方向に転進できそうです。
出版準備が相整い次第、旧満洲國の勉強を再開したいと思います。
本当を云うとだね、今年の夏場に中国東北地区とモンゴルを旅したいのだ。けれども当の本人は肺疾患による身体障碍者で、移動には酸素ボンベ乃至酸素発生装置が必携となる。
如何せん、海外旅行の長旅は不可能にに近いくらいに至難の業となってしまった。それは置いて於いて、追って満洲勉強の事、状況報告します。
(投稿;トーマス青木)
期待していない、諦めていた日誌、発見! …驚きました。
歴史ファンタジー小説執筆中のトーマスにとって、最大にして最高の発見がありました。
それは、
満洲國鞍山市における、鞍山日蓮宗法華寺の過去帳、本照寺第25世住職筧義章師の執筆によるもの。
執筆年度は、昭和7年?~昭和21年。
すなわち、
現在の、第27世本照寺住職筧義就師のお爺様にあたられる日蓮宗僧侶筧義章師の若かりし時代、満洲國鞍山市にてご活躍中の記録、自筆によるもの。東京軍事裁判インド代表判事パール博士の広島市訪問時に秘書兼通訳の重責を担われたA.M.ナイル氏の自伝書籍に記載される史実を裏付ける、最強の証拠史料が発見されました。
発見して下さいましたのは、
現27世本照寺住職・筧義就師。
よく探して下さいました。
ありがとうございます!
これ、
トーマスにとって、
令和元年の最大にして最高の贈り物です。
さあ、
がんばって執筆継続します。
<投稿:トーマス青木>
歴史ファンタジー小説執筆中のトーマスにとって、最大にして最高の発見がありました。
それは、
満洲國鞍山市における、鞍山日蓮宗法華寺の過去帳、本照寺第25世住職筧義章師の執筆によるもの。
執筆年度は、昭和7年?~昭和21年。
すなわち、
現在の、第27世本照寺住職筧義就師のお爺様にあたられる日蓮宗僧侶筧義章師の若かりし時代、満洲國鞍山市にてご活躍中の記録、自筆によるもの。東京軍事裁判インド代表判事パール博士の広島市訪問時に秘書兼通訳の重責を担われたA.M.ナイル氏の自伝書籍に記載される史実を裏付ける、最強の証拠史料が発見されました。
発見して下さいましたのは、
現27世本照寺住職・筧義就師。
よく探して下さいました。
ありがとうございます!
これ、
トーマスにとって、
令和元年の最大にして最高の贈り物です。
さあ、
がんばって執筆継続します。
<投稿:トーマス青木>
<添付画像>『大聖院さんで一番ハンサムな地蔵尊』
(撮影年月日):平成26年の初秋
(天 候):快晴、秋晴れ
(撮影場所):広島県廿日市市宮島町大聖院境内
(撮影機材):FUJIFILM X20
(撮影者):トーマス青木
宮島の大聖院さん本堂は、『波切不動明王』の祀られている勅願堂である。
その右横の小道を南方向即ち弥山山頂方向に向け約十メーターほど歩くと、進行方向右手に見えてくる異次元風景あり。
その風景景色とは、大小様々各種の仏像お地蔵さん群像の事。
さて、
この写真画像の地蔵尊様、お名前が思い出せない。
でも、
ひときわ目だつ『ハンサムな地蔵尊』・・・
あの当時、この地蔵尊から、いろいろと、知恵と元気と勇気を与えて頂いた。
感謝、、、。
令和の時代になって、初の秋、あらためて、またお礼に参上します。

『添付画像』:<南満州鉄道会社 (South Manchuria Railway Co.) 集客用宣伝.ポスター>
(昭和10年頃制作)満州鉄道の利用を喚起する旅行宣伝ポスターです。クオリティーの高い作品だと思います。
お待たせしました!
未だ推敲途中なのですが、来春(令和2年正月)発刊予定の書籍、
題して『追憶・大亜細亜の奇石』(仮題)
その『まえがき』(案)のご紹介です。
明治以降、昭和初期の時代から平成まで、めまぐるしい日本近世歴史のなか、間違った解釈をされたまま、令和の次世代に語り継がれることの無いよう、不肖トーマス青木の歴史解釈を語る一冊。ファンタジックな歴史小説として面白く語りながら、その実、真面目に描き切ってみたいと思います。
本日は(ファンタジック以前の)真面目で少し硬い前書き(案)をご紹介します。
------------------
『追憶・大亜細亜の奇石』(仮題)
ー まえがき -
(碑文の文言によせて)
東京軍事裁判インド代表判事パール博士の石碑がある。それは、広島市中区小町の本照寺境内にある。
さて、
一体全体、
石碑を建立した人は? (Who made it?)
(誰が、いかなる経緯で、パール博士の石碑を建立したか?)
碑文を書いたのは誰か? (By whom was written it?)
(何の目的で、いかなる経緯で、お書きになったか?)
何故にこの碑文なのか? (What is the purpose?)
(一体全体、何の目的をもって書いたか?)
いつ頃、この碑文の文章は書かれたのか? (When this poem was written?)
(原爆投下後、いつ頃書かれたものか?石碑に刻まれた文言の中には、それぞれの文章を揮毫した年月日がある。その日時の意味するところは、何なのか?)
あれこれ考えていると、日本を取り巻く大アジアの歴史が流れ往く四次元の空間が見えてくる。
事の始まりは、どうやら日露戦争の終りの頃からか、昭和に入り、満洲國の建国を境にインドをはじめとするアジア諸地域で独立運動が芽生え、活発になる。その活動拠点が新興国家の満洲國となる。インド人独立運動の活動家ナイル氏と、宗教家である本照寺先々代住職の筧義章(かけいぎしょう)氏との出会いがある。膨大な第二次世界大戦の荒波を乗り越えつつ日本の敗け戦さとなり、ポツダム宣言受諾前の原爆投下あり、終戦を向かえる。
明治の中頃日清日露戦争の時代から、昭和20年の終戦まで。戦後の復興から、今日に至るまで、四次元を突っ走る時空移動超特急に乗車し、日本近代史を駆け巡ってみたい。
さあ、歴史探訪の旅へ、出発しよう。
少し遠回りしながら、パール博士碑文に至るまでのアジア大陸に関わる日本の、近代歴史的背景を解きほぐしつつ、上述の疑問の答えを探り当てる、、、。
〆て、
世界平和を謳う仏教世界の在り方を将来世代に投げかけ、求めるもの必要なものを探り、後世に繋ぎたく、本書の目的としたい。
もっと早くから取り組んでおけばよかった。
言い訳がましいけれど、不肖トーマス青木の自負するところ、あり。
若かりし頃から
いろんなものに興味を持ち、手に持って、触って、耳で聞いて、両目で視て、
そう、
物理的に感じ、
食して味を感じ、
化学的に理解しようと試み、
さらに音楽を聴き絵画を視て捉えWatch & Recognizeし、それを総合して精神的に捉え理解Understandし、そのような作業をたえまなく継続して、且つ貪欲に、我が身心に取り込んだ、と思い込んでいた。
つまり、
やりたいことは全部やった。それなりの時間をかけて、許せるだけのお金かけて、肉体を駆使して、試してみた。
好き放題やってきた。
ところがこの年齢になって、何か、もう一つ、それ以外のものが、欲しくなった。 自分自身の範疇に取り込みたくなった。心身を打ち込みたくなった。
それは、
物欲でも 食欲でも 肉欲でもない。
精神的に捉えることの可能な知的な欲望が大きくなってしかたがない。
それは、
その対象は一体全体何なのか?自問自答した。
そして、
・・・答えが、出た。
あらためて宗教世界に接することである。 ということが、解った。
宗教世界と云うと大げさなので、
自己満足的哲学と言い換える。
では、当面、
何をするか?
何に取り組むか?
と問われれば、答えは一つ、、、
我が菩提寺と自分自身の関りを『小歴史』として振返って整理し、
お寺に存在する『東京裁判インド代表判事パール博士慰霊碑』に焦点をあて、
将来に向けて『お寺と自分』とは一体全体何なのか?
について整理整頓し
『お寺と自分・未来へ向って』と題し(仮題)、
令和元年(2019年)師走迄に原稿を書き上げ、
来春(令和二年 / 2020年)早々に書籍発刊し、
『読み伝えられる本』として 未来に繋ぎたく思っています。
(投稿:トーマス青木)
言い訳がましいけれど、不肖トーマス青木の自負するところ、あり。
若かりし頃から
いろんなものに興味を持ち、手に持って、触って、耳で聞いて、両目で視て、
そう、
物理的に感じ、
食して味を感じ、
化学的に理解しようと試み、
さらに音楽を聴き絵画を視て捉えWatch & Recognizeし、それを総合して精神的に捉え理解Understandし、そのような作業をたえまなく継続して、且つ貪欲に、我が身心に取り込んだ、と思い込んでいた。
つまり、
やりたいことは全部やった。それなりの時間をかけて、許せるだけのお金かけて、肉体を駆使して、試してみた。
好き放題やってきた。
ところがこの年齢になって、何か、もう一つ、それ以外のものが、欲しくなった。 自分自身の範疇に取り込みたくなった。心身を打ち込みたくなった。
それは、
物欲でも 食欲でも 肉欲でもない。
精神的に捉えることの可能な知的な欲望が大きくなってしかたがない。
それは、
その対象は一体全体何なのか?自問自答した。
そして、
・・・答えが、出た。
あらためて宗教世界に接することである。 ということが、解った。
宗教世界と云うと大げさなので、
自己満足的哲学と言い換える。
では、当面、
何をするか?
何に取り組むか?
と問われれば、答えは一つ、、、
我が菩提寺と自分自身の関りを『小歴史』として振返って整理し、
お寺に存在する『東京裁判インド代表判事パール博士慰霊碑』に焦点をあて、
将来に向けて『お寺と自分』とは一体全体何なのか?
について整理整頓し
『お寺と自分・未来へ向って』と題し(仮題)、
令和元年(2019年)師走迄に原稿を書き上げ、
来春(令和二年 / 2020年)早々に書籍発刊し、
『読み伝えられる本』として 未来に繋ぎたく思っています。
(投稿:トーマス青木)
『コケシ好きなカナダ人女性』(添付画像)
撮影日時:2014年9月初旬
撮影場所:世界遺産宮島・大聖院境内にて
撮影機材:FUJIFILM‐X20
撮影者:トーマス青木
スタートしたのは10年前?
長きにわたってお世話になった大聖院さんでの出来事 、、、
コラム『大聖院さん日録』にしたためる段取りでいたけれど、やはり日記的に日々乃至毎週投稿するのは不可能に近いくらい(この5~6年間のトーマスにとっては)大作業だったから、放っていた。
さて、
自分にとっての宮島プロジェクトが一段落した今日この頃、画像ファイルを捲れば膨大な量の物理的記録があり、あれこれ想い出を辿れば、書きたいことが山ほどある。
今から、追憶的に少しずつ、回想しながら写真投稿していきたいと思い、、、
本日はとりあえず、2014年9月上旬にFacebook投稿したエッセイと画像を掲載します。 その頃は、元気で気合入っていた。いささか長いけれどトーマス青木的メリハリのある日記風エッセイを、gooブログに書き留めたく、、、、(一気に、通読してみて下さい)
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

【以下、Facebook投稿(2013年9月初旬)分の引用転載】
予想していた以上に、9月の声を聞いた途端に外国人旅行者の絶対数が激減する。そんな中、9月2日の午後早い時間にひょっこりと、船ともつかぬ航空機ともつかぬはっきりしない交通手段で中期(1ヶ月半)旅行中のカナダ人女性がお見えになる。30分以上も店先で「ああでもない、こおでもない……」と、
ご自分の自己紹介ともつかぬ故郷カナダの紹介ともつかぬ全くの無駄話を挟まれつつ、
「アンティークコケシのメンテナンスに、カナダ中部の乾燥した空気が良いのかよくないのか?」等々、
さらにはコケシの歴史的経緯の質問から、コケシ自体の顔立ちやスガタカタチの好き嫌いを、トーマス青木めにご質問なさる。
いよいよコケシ2体お買上げ決定するかと思いきや、「もう少し考えてから決めます。ちょっといまから大聖院さん一回りしてお大師堂まで行って戻ってきます」と、一旦決定するかと思った商品を「予約しますから、他のお客様がお見えになっても売らないでおいて下さい……」等々お申し付けになっていったん店から離脱された。入れ替わりに小グループでお見えになったドイツ人男性が立ち寄られる。同行していた日本人の男女(素人)通訳が、「コケシとは、『子供を消す』乃ち間引く堕胎するという意味に繋がる」とかなんとかかんとか、上手な?ドイツ語で下手且つ無用な!薀蓄並べたて、ろくでもない翻訳通訳をやるモノだから(時々商売に繋がらない逆宣伝をしてくれる日本人ガイド多々あり、また別にお話します)ドイツ人男性はたちまち商品に興味を失って立ち去り、あっけにとられた日本人女性同行者一人残り、「何だか商品の説明は難しいですね。わずかコケシを巡るだけでも、日本の歴史文化を正しく外国人にお伝えすることの難しさがよくわかりました」等々、不肖トーマス青木のぶっきらぼう且つメリハリあるマジャール訛り英語に任せて暮れればいいものを、要らぬ事をする無粋な日本人の多いこと多いこと、、、。
とかなんとか30分も遣っていたら、カナダ女性が舞い戻られる。
いよいよ薀蓄も極まり、一本友人のお土産用が増えてコケシ3本をお買い求めになる。
年季の入った弓なりに曲がっているクレジットカードをハンドバックからとり出され、おもむろに商品代金をお支払頂いた。
間違いなく、9月はじめの宮島大聖院境内でお過ごしになったひと時を、お楽しみ頂いたに違いありません。
久しぶりに喋くり捲られたカナディアン英語の羅列にご満足頂いたはず。こうしてお話をお聞きするのも仕事の一つ。すなわち『大聖院宮島おかげ市Annex』に出店させて頂いている、重要な目的の一つと心得るのであります。
「お買上げ頂き、たいへんありがとうございます」
てなことで、
これでもって、すてきな『おかげ市Annex』夏季商戦の締めくくりが出来ました。
おっと、すてきなカナダ人女性のお名前をお聞きするのを忘れていました。
(いやお聞きしないことにしていますし、おクレジットカードのお名前など、出来るだけ見ないようにしているのであります……)
(ならば仮名にて)……
「カナダのスージーさん、ありがとうございました。ボンボヤージ……」
……すてきな日本の旅をお楽しみください。
撮影日時:2014年9月初旬
撮影場所:世界遺産宮島・大聖院境内にて
撮影機材:FUJIFILM‐X20
撮影者:トーマス青木
スタートしたのは10年前?
長きにわたってお世話になった大聖院さんでの出来事 、、、
コラム『大聖院さん日録』にしたためる段取りでいたけれど、やはり日記的に日々乃至毎週投稿するのは不可能に近いくらい(この5~6年間のトーマスにとっては)大作業だったから、放っていた。
さて、
自分にとっての宮島プロジェクトが一段落した今日この頃、画像ファイルを捲れば膨大な量の物理的記録があり、あれこれ想い出を辿れば、書きたいことが山ほどある。
今から、追憶的に少しずつ、回想しながら写真投稿していきたいと思い、、、
本日はとりあえず、2014年9月上旬にFacebook投稿したエッセイと画像を掲載します。 その頃は、元気で気合入っていた。いささか長いけれどトーマス青木的メリハリのある日記風エッセイを、gooブログに書き留めたく、、、、(一気に、通読してみて下さい)
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【以下、Facebook投稿(2013年9月初旬)分の引用転載】
予想していた以上に、9月の声を聞いた途端に外国人旅行者の絶対数が激減する。そんな中、9月2日の午後早い時間にひょっこりと、船ともつかぬ航空機ともつかぬはっきりしない交通手段で中期(1ヶ月半)旅行中のカナダ人女性がお見えになる。30分以上も店先で「ああでもない、こおでもない……」と、
ご自分の自己紹介ともつかぬ故郷カナダの紹介ともつかぬ全くの無駄話を挟まれつつ、
「アンティークコケシのメンテナンスに、カナダ中部の乾燥した空気が良いのかよくないのか?」等々、
さらにはコケシの歴史的経緯の質問から、コケシ自体の顔立ちやスガタカタチの好き嫌いを、トーマス青木めにご質問なさる。
いよいよコケシ2体お買上げ決定するかと思いきや、「もう少し考えてから決めます。ちょっといまから大聖院さん一回りしてお大師堂まで行って戻ってきます」と、一旦決定するかと思った商品を「予約しますから、他のお客様がお見えになっても売らないでおいて下さい……」等々お申し付けになっていったん店から離脱された。入れ替わりに小グループでお見えになったドイツ人男性が立ち寄られる。同行していた日本人の男女(素人)通訳が、「コケシとは、『子供を消す』乃ち間引く堕胎するという意味に繋がる」とかなんとかかんとか、上手な?ドイツ語で下手且つ無用な!薀蓄並べたて、ろくでもない翻訳通訳をやるモノだから(時々商売に繋がらない逆宣伝をしてくれる日本人ガイド多々あり、また別にお話します)ドイツ人男性はたちまち商品に興味を失って立ち去り、あっけにとられた日本人女性同行者一人残り、「何だか商品の説明は難しいですね。わずかコケシを巡るだけでも、日本の歴史文化を正しく外国人にお伝えすることの難しさがよくわかりました」等々、不肖トーマス青木のぶっきらぼう且つメリハリあるマジャール訛り英語に任せて暮れればいいものを、要らぬ事をする無粋な日本人の多いこと多いこと、、、。
とかなんとか30分も遣っていたら、カナダ女性が舞い戻られる。
いよいよ薀蓄も極まり、一本友人のお土産用が増えてコケシ3本をお買い求めになる。
年季の入った弓なりに曲がっているクレジットカードをハンドバックからとり出され、おもむろに商品代金をお支払頂いた。
間違いなく、9月はじめの宮島大聖院境内でお過ごしになったひと時を、お楽しみ頂いたに違いありません。
久しぶりに喋くり捲られたカナディアン英語の羅列にご満足頂いたはず。こうしてお話をお聞きするのも仕事の一つ。すなわち『大聖院宮島おかげ市Annex』に出店させて頂いている、重要な目的の一つと心得るのであります。
「お買上げ頂き、たいへんありがとうございます」
てなことで、
これでもって、すてきな『おかげ市Annex』夏季商戦の締めくくりが出来ました。
おっと、すてきなカナダ人女性のお名前をお聞きするのを忘れていました。
(いやお聞きしないことにしていますし、おクレジットカードのお名前など、出来るだけ見ないようにしているのであります……)
(ならば仮名にて)……
「カナダのスージーさん、ありがとうございました。ボンボヤージ……」
……すてきな日本の旅をお楽しみください。
広島市中区の本照寺山門前より、向って右手に建てられている石碑(案内標)です。
東京軍事裁判インド代表判事
パール博士筆慰霊碑 在當山
と
石碑に彫り込まれています。
場所は、本照寺
住所は、(〒730‐0041)広島県広島市中区小町7番24号
連絡先は、
Tel: 082-241-5758 寺院専用電話
または、
080-3877-0822( 当ブログ管理者(トーマス青木)
Fax: 082-241-5799 寺院専用ファックス
位置は、広島市内の満々中。
JR広島駅南口から(タクシーにて)約10分。(朝夕のラッシュアワー時になると約20分)
そのほか目標(ランドマーク)、三井ガーデンホテル広島から、平和大通りを挟んで、ちょうど南側対面に位置し、ホテル正面入口より徒歩5~7分あれば、本照寺山門に到着します。

<『三井ガーデンホテル広島』正面入り口>
(公式ホームページ『三井ガーデンホテル広島』へは、こちらから入れます・・・)
三井ガーデンホテル(ホテル建物の南側に在る)のおしゃれな看板を見上げました。
さあ、三井ガーデンホテル広島から、パール博士碑の在る本照寺へ(徒歩にて)向ってみましょう。

<三井ガーデンホテル広島>
平和大通りを横切って、南側側道辺りから、三井ガーデンホテル広島の全容を撮影しました。
なんともシンプルで美しい建物です。

<ホテル正面玄関車寄せ>
一旦、ホテル正面に立ち戻ってご案内。
あらためて、広島市中区小町の本照寺に向け、出発します。

<ホテル正面玄関より平和大通方面(南側)を望む>
車寄せ辺りから、ホテルの正面南側を眺めた風景にて。
平和大通り建造時に敷設されたグリーンベルトは、この初夏の時期は特に美しく、、、

<ホテル正面付近、平和大通り緑帯グリーンベルト>
造園のプロによって美しく整えられ、維持管理されているグリーンベルトを横切ります。
画像撮った時、見事な炎天下の快晴!
(令和元年8月7日午前中の撮影に撮影したもの)
グリーンベルトは、早朝ならば市民の憩いの場? 昼間から夜中にかけては車通行量が多すぎて、ちょいと無理か?
はたまたいつも混み合っている平和大通りを運転するドライバーの気分を和らげる働きがあるか?

<平和大通り北側歩道部分>三井ガーデンホテル正面より平和大通りを横切って北側グリーンベルト>
広島市によるグリーンベルトの維持管理は経費と人手がかかります。
かなりの税金を使って、よく整備しています。くわえてきょう日、企業や市民団体を(良い意味で)巻き込んで、グリーンベルトの保全を推進しているようです。

<平和大通り北側歩道>(広島三井ガーデンホテル正面入り口の対面付近、比治山方面南側に向いてシャッターを切る)
広島の『平和大通り』は、通称(地元の人たちからは)『100メーター道路』と呼ばれていて、被爆後焼け野原になった広島市の都市再建を計画した時、大火災からの延焼を防ぐ目的で緩衝地帯を設けるため、市の中心部を東西に横切る大通りを造る計画をした、とのことです。その道路の路幅が(おおよそ)100メーターにされた事から、通称『100メーター道路』と称されています。
まさに、100年先を見越した素晴らしい都市計画だったといえます。(被爆後の広島都市計画について、あらためて投稿したいと思います・・・)

<三井ガーデンホテルの四差路南側から、対角線上に『クリスタルビル』(ホテルより西側)を望む>
平和大通りが敷かれて約70数年も経過。したがってグリーンベルト地帯の樹木の歴史も同じく70年に亘って成長の歴史を重ね、今やほとんどの樹木は大木にまで成長を遂げている。
こうして、少し距離を置いて各樹木を観れば、灰燼から立ち上がった『復興広島市』の生きた歴史の数ページが窺えます。

<平和大通り沿い南側の道路に、『本照寺』あり>
ホテルの位置する場所からは、南対面にあたります。
道路を一本南に入った通りに、『本照寺正門』があります。
そう、
平和大通りグリーンベルト側道を、一つ南に下りますと、その辺りから進行方向左手前方に『本照寺本堂の屋根が見えてきます。

<本照寺境内の北側にある歩道>
この道路は、本照寺北側の歩道です。画像は、境内脇の壁を右手に見て、東側方向(山門方向)に向け、シャッターを切っています。
この位置から徒歩30秒以内にて、山門に到着します。
以上、
三井ガーデンホテル広島正門入口付近から(撮影なしに)ゆっくりと歩いて約7分、(平和大通りの信号待ちの時間を含めても10分以内)本照寺山門(正面入口)に到着します。
<投稿:トーマス青木>
<追伸>:
昼間であれば、山門は解放されており、(現在のところ)ご自由に『在本照寺パール博士碑』の参詣見学を行って頂けます。
尚、団体様(約5名以上)のご訪問ご見学は、事前のご連絡を取って下さるようお勧めします。
下記、
関連記事のご案内です。
前編『大亜細悲願の碑(1)』へ、(こちらから戻れます・・・)
続編『大亜細悲願の碑(2)』へ、(こちらから入れます・・・)
総括編『パール博士碑と広島市中区本照寺(3)』へ、 (こちらから入れます・・・)
東京軍事裁判インド代表判事
パール博士筆慰霊碑 在當山
と
石碑に彫り込まれています。
場所は、本照寺
住所は、(〒730‐0041)広島県広島市中区小町7番24号
連絡先は、
Tel: 082-241-5758 寺院専用電話
または、
080-3877-0822( 当ブログ管理者(トーマス青木)
Fax: 082-241-5799 寺院専用ファックス
位置は、広島市内の満々中。
JR広島駅南口から(タクシーにて)約10分。(朝夕のラッシュアワー時になると約20分)
そのほか目標(ランドマーク)、三井ガーデンホテル広島から、平和大通りを挟んで、ちょうど南側対面に位置し、ホテル正面入口より徒歩5~7分あれば、本照寺山門に到着します。

<『三井ガーデンホテル広島』正面入り口>
(公式ホームページ『三井ガーデンホテル広島』へは、こちらから入れます・・・)
三井ガーデンホテル(ホテル建物の南側に在る)のおしゃれな看板を見上げました。
さあ、三井ガーデンホテル広島から、パール博士碑の在る本照寺へ(徒歩にて)向ってみましょう。

<三井ガーデンホテル広島>
平和大通りを横切って、南側側道辺りから、三井ガーデンホテル広島の全容を撮影しました。
なんともシンプルで美しい建物です。

<ホテル正面玄関車寄せ>
一旦、ホテル正面に立ち戻ってご案内。
あらためて、広島市中区小町の本照寺に向け、出発します。

<ホテル正面玄関より平和大通方面(南側)を望む>
車寄せ辺りから、ホテルの正面南側を眺めた風景にて。
平和大通り建造時に敷設されたグリーンベルトは、この初夏の時期は特に美しく、、、

<ホテル正面付近、平和大通り緑帯グリーンベルト>
造園のプロによって美しく整えられ、維持管理されているグリーンベルトを横切ります。
画像撮った時、見事な炎天下の快晴!
(令和元年8月7日午前中の撮影に撮影したもの)
グリーンベルトは、早朝ならば市民の憩いの場? 昼間から夜中にかけては車通行量が多すぎて、ちょいと無理か?
はたまたいつも混み合っている平和大通りを運転するドライバーの気分を和らげる働きがあるか?

<平和大通り北側歩道部分>三井ガーデンホテル正面より平和大通りを横切って北側グリーンベルト>
広島市によるグリーンベルトの維持管理は経費と人手がかかります。
かなりの税金を使って、よく整備しています。くわえてきょう日、企業や市民団体を(良い意味で)巻き込んで、グリーンベルトの保全を推進しているようです。

<平和大通り北側歩道>(広島三井ガーデンホテル正面入り口の対面付近、比治山方面南側に向いてシャッターを切る)
広島の『平和大通り』は、通称(地元の人たちからは)『100メーター道路』と呼ばれていて、被爆後焼け野原になった広島市の都市再建を計画した時、大火災からの延焼を防ぐ目的で緩衝地帯を設けるため、市の中心部を東西に横切る大通りを造る計画をした、とのことです。その道路の路幅が(おおよそ)100メーターにされた事から、通称『100メーター道路』と称されています。
まさに、100年先を見越した素晴らしい都市計画だったといえます。(被爆後の広島都市計画について、あらためて投稿したいと思います・・・)

<三井ガーデンホテルの四差路南側から、対角線上に『クリスタルビル』(ホテルより西側)を望む>
平和大通りが敷かれて約70数年も経過。したがってグリーンベルト地帯の樹木の歴史も同じく70年に亘って成長の歴史を重ね、今やほとんどの樹木は大木にまで成長を遂げている。
こうして、少し距離を置いて各樹木を観れば、灰燼から立ち上がった『復興広島市』の生きた歴史の数ページが窺えます。

<平和大通り沿い南側の道路に、『本照寺』あり>
ホテルの位置する場所からは、南対面にあたります。
道路を一本南に入った通りに、『本照寺正門』があります。
そう、
平和大通りグリーンベルト側道を、一つ南に下りますと、その辺りから進行方向左手前方に『本照寺本堂の屋根が見えてきます。

<本照寺境内の北側にある歩道>
この道路は、本照寺北側の歩道です。画像は、境内脇の壁を右手に見て、東側方向(山門方向)に向け、シャッターを切っています。
この位置から徒歩30秒以内にて、山門に到着します。

以上、
三井ガーデンホテル広島正門入口付近から(撮影なしに)ゆっくりと歩いて約7分、(平和大通りの信号待ちの時間を含めても10分以内)本照寺山門(正面入口)に到着します。
<投稿:トーマス青木>
<追伸>:
昼間であれば、山門は解放されており、(現在のところ)ご自由に『在本照寺パール博士碑』の参詣見学を行って頂けます。
尚、団体様(約5名以上)のご訪問ご見学は、事前のご連絡を取って下さるようお勧めします。
下記、
関連記事のご案内です。
前編『大亜細悲願の碑(1)』へ、(こちらから戻れます・・・)
続編『大亜細悲願の碑(2)』へ、(こちらから入れます・・・)
総括編『パール博士碑と広島市中区本照寺(3)』へ、 (こちらから入れます・・・)