Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(20) ・・最終章

2007-07-31 23:45:55 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:広島県立美術館、地階1F・第55回光陽展広島展会場にて・・

 (閉館時間寸前の会場閑散としてきた中さりげなく、芸術関係者風シックないでたちで、一人静かに鑑賞されていた「うら若き美人」に出くわした。こうして拝見すると、今どき珍しく、まさしく足膝をピンと伸ばした「正しき歩き方」をなさる女性であることに気付く! 我輩、国の内外を問わず、おおよそ5~10年に一度、通りすがりに一瞬「ハッとする女性」に出くわす。年甲斐もなくこの時、美に目覚め、この瞬間を逃してはならじ!と奮起する。おそれながら「すてきな後ろ姿」を、準盗撮風?なる撮影に及ぶ・・・)




 第55回光陽展広島展の最終日、先の6月3日(日曜日)の午後遅い時間になってから、我輩は同展覧会の2度目の鑑賞に訪れた、、、。

 前もって悠々さんからご紹介を受けていた「KMさん」にお会いできたのは、最終日の午後5時前。 たいへん興味深い「絵画芸術のお話」をお聞きでき、大いなる収穫を得た。
 今にして想えば、もっと早く県立美術館会場に赴き、もっと長くKMさんのお話をお聞きしたかった。 是非とも又、お会いできる機会訪れること願います。
 
 今年は、昨年鑑賞した同じ画家による(昨年とは異なる)今年度新作品と出会う。 2年間にまたがる同作家の作品を比較する楽しみを覚えた。 昨年の第54回光陽会広島展に続く今年の第55回広島展も鑑賞できたこと、たいへん幸せである。

 是非来年の光陽展も鑑賞したくなる。 今から、来年の作品を想像するは、我輩の新たな楽しみである。 芸術美術の類いは、実際に現場に赴き鑑賞してこそ「心眼」や「識眼」を養えるもの、数多くの作品に接し、誰に遠慮することなく自分自身の好みを表現してこそ美術品を観た「価値」を得られるもの。と、確信する。 あくまでも自己流で構わなく、専門家や評論家の「既成論評」に影響されることなく鑑賞してこそ「楽しめる」もの、、、。
 上述屁理屈&言い訳抜きにして、
 さて、
 埒のあかぬド素人にて、広島展出展作品の論評を書き殴ったご無礼、作者の皆さまに改めて深くお詫び申します。         
     不肖エセ男爵メの非芸術的暴言雑言、どうかお許しください、、、。

  
 さらに回想すること6月中旬、
 悠悠さんにはたいへんなご無理をお願いしたこと、広島展開催ご担当の会員の皆さまにもひとかたならぬお世話になったこと、思い出します、、、。
 今年は複数枚の入場招待券をお送り頂き、広く、家族友人知人に配布いたしました。光陽展鑑賞に出向いたものから、鑑賞感想報告などあり、全員揃って喜んでおり感謝しております。 あらためて悠々さんに深く深く御礼申し上げます。

 おかげさまで、1度目の鑑賞に同行した「我が旧友N君」は、「光陽展広島展」鑑賞を切っ掛けに、本格的な「絵画ファン」の一人としてデヴュー致しましたこと、グログ記事をもってご報告申し上げます。
 あれから2度、N君と共に別の絵画展に出向きました。
 学生時代(中・高・大学ともに同じ)は異なる性格と異なる趣味の世界をそれぞれ別個に歩み、さしたる「ガキ友」付き合いは無く、一旦社会人となった後も、それそれ異なるフィールドにて異なる人生を歩んできた我々(N君と我輩を云う)にとって、この年齢に到達した頃になってようやく共通の趣味の世界を共有する「機会」を造って下さいました。 以って、あらためて親しき友人≒「中年ガキ友」となる。 その切っ掛けを与えて頂いたこと、まぎれもなく「悠悠さん」のおかげであります。             
 
  「悠悠さん、たいへんありがとうございます!!!」

 さて、
 シリーズ記事「第55回光陽展・絵画鑑賞記」、本日を以って第20回目、、、。

 振り返れば、おおよそ1ヶ月に亘って長期連載となり、気が付けば本日、7月の末日ではありませんか! 区切りよく、本日を以って一旦最終回と致したく、何とぞ宜しくご了承くださいますようお願い申上げます。

 ご継読下さった読者の皆さま、たいへんありがとうございます。 引き続き、不肖・エセ男爵ブログを応援頂きますよう、どうぞ宜しくお願い申上げます。



                  <絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」・完・・>  


* 連載中第55回・光陽展」出展絵画鑑賞感想記事の(前回掲載記事)へは、こちらから戻れます・・

* 「第55回光陽展」KMさん作品は、こちらから入れます・・・

* 「光陽会」公式ホームページは、こちらから・・


『悠々さん』こと、竹村克男さまホームページをご紹介いたします!
                              takemura 070501a竹村克男ギャラリー

絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(19)

2007-07-28 07:15:25 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『刻-07』・・


<作品の紹介>

作品番号:  9
作者氏名: 加 藤 正 男 (委員)
作品題名: 『刻-07』
住  所:  岐 阜



 漆黒を背景とし、黄金色に輝く「静物」の描写のディテールはすばらしい。

 貯蔵可能な野菜や穀物に、鳥足のオーブン焼きを連想する食材一式は、黄金色の単色に統一された結果、なぜか食欲をそそる「実りの色彩」になるから不思議である。  「Cafe & Magazine 旅遊亭」の『回想・バルセロナ長逗留』に掲載している「パスタのオブジェ」のイメージを、連想する、、、。



 絵画芸術とは、その絵画作品に描かれたモチーフを通し、その向こう側に見えるものは何か?を、連想させるチカラあり、、、。

 この絵画の題名「刻-07」から連想するものは何か?

 我輩の場合、時代は中世、欧羅巴大陸における、金持ち貴族の食卓である、、、。


                 <・続く・・>


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絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(18)

2007-07-25 15:45:45 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『舞』(染色部門)・・


<作品の紹介>

作品番号: 78
作者氏名: 古 賀 文 子 (会友)
作品題名: 『舞』
受賞名:  会友秀作賞
住  所:  福 岡


 「光陽展広島展」回想録なる先日記事に続き、本日も「染色部門」の作品をご紹介したい。

 会友・古賀文子氏作「舞」・・・

 作品の題名「舞」から連想するは、新体操種目のリボンの舞か?はたまた天女の羽衣か? リボン? はたまた羽衣的な質感は、軽やかにて空中に浮き上がっているかのごとく表現されている。 リボンの周囲は草花であるか? いすれをとってしても、画面を構成する「構図バランス」は素晴しい。

 卓越した染色の技術により発色可能となる「色彩バランス」の美しさ、みごとである。 (作者のイメージによる)架空の光線により、空に浮かぶ「リボン」の反射光線による「色彩変化の表現」は完璧にて、意図されたモノの全て、十二分に鑑賞者へ伝わってくる。

 しかし、染色の技術的な事となると、さて?

 「・・・?」

 「サッパリ解らない!」

 そうなんです。 絵筆を以ってして「油彩画」を描かれる絵画作家の作品創作作業は複雑にて、我輩の友人の画家から「創作作業の至難さ」について時折聞き及んでいる。 さて、これが染色部門となると、如何なる創作過程を踏まえるか? その至難の技は、我輩の想像を絶するものなり、、、。

 以って、
 作品完成までの染色知識ご経験と芸術的感性に対し、畏敬の念あり、、、。


 <・続く・・>


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出てきた「おたから」・・

2007-07-23 23:58:30 | 趣味の話&本と雑学メモ
 よく晴れた梅雨明けの今朝(7月23日)、ちょっと「調べもたいもの」があったので、久しぶりに倉庫に入った。


 ところが「うれしいもの」! 発見した、、、。

 添付画像は、新村出編『広辞苑』第三版(岩波書店)である。昭和62年10月15日第3版第5刷発行・定価10000円、となっている。
 「手元に欲しい一冊、直ぐにでも買いたい!買って手元に置いておきたい・・・」
と、思いながら、なかなか手の出せない一冊なのでした。

 かの司馬遼太郎先生、曰く・・(数年前に読んだ司馬先生エッセイの中で見かけた、以下の流儀に記憶あり)
 「辞書は、年々新しくなる。古くなって使われなくなった言葉、つまり死語となったことばを削除していく。新しく使われ始めた新語の中、世の中に定着し始めた単語や熟語を取り入れて、新しい時代に合った辞書つくりをする。しかし、調べものをしたり、モノカキをやっていると、どうしても古い辞書を手元に於いておく必要ある。古くなったからといって捨て去れないのが『日本語の辞書』なのだ。だから(司馬先生は)古い辞書も書棚に置いて、必要に応じて使っている・・・」
 と、おっしゃっておられたのを思い出す。

 とにかく(私にとっての)「お宝」が出てきたからうれしい、、、。

広辞苑
新村 出
岩波書店

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 昭和62年発刊の広辞苑が我家に在るとは、ついぞ知らなかった。

「今迄、何故にこのような辞書が、我家に在ったを知らなかったのか?」
 等々、
         この辞書の出処経歴を考えた。

 なんと、ブックケースから取り出し、黒に白抜きの「広辞苑」とかかれているカヴァーを取り外すと、美しい青色の鮮やかな「上質クロス表紙」である。いかにも立派である。

 立派なクロスカヴァーの「表紙の下部」には、格調高くも銀文字刻み込まれ、

  *「新社屋落成記念」
  * 昭和62年11月 株式会社HY運送
              等と、文字列を刻んである!
                 これって!「限定版クロス表紙」なのか?

 これで全て解った!
 つまり、(わざわざ書店から買ったものではなく)我輩のオヤジが貰った(送呈を受けた)モノだ。と、判明!
 その昔、(我輩の親父殿は)大手運送会社を退職した後も、元気に(76歳になるまで)現役やっていた親父(一昨年、享年85歳にて他界)は、当時、下関の某運送会社の会長職をやっていた時代である。たまたま取引先の運送会社の落成記念に出席した「落成記念品」だったこと、判明する。本当にこの辞書の価値を解っていて記念品として選んだかどうか?これを貰った我家のオヤジもオフクロも、このドデカイ辞書を実際に使っていたのかどうか?
 今となって(いや、最初から)、そんなことはどうでも良い。 さっそく、多いに使わせてもらおう!
 時には倉庫に入ってごそごそしなくてはいけない!と、またなにか、お宝出てくるであろう!等と、あらためて思った。



  (投稿:執事のトーマス)
       from 「Cafe & Magazine 旅遊亭」より、引用投稿する。

 ま、時には『旅遊亭』にも立ち寄ってやってください。≒「エセ男爵」からのお願いです!

絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(17)

2007-07-21 10:45:00 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『おまもり』・・


<作品の紹介>

作品番号: 13
作者氏名: 竹 村 貴美子 (委員)
作品題名: 『おまもり』
住  所:  東 京



 この作品の構図、なぜか気に入り画面全体のバランスは調和し、落ち着き在って素晴しい。

 この作品、目を凝らせば凝らすほどに、どうやら我輩の目に映るものあり。 これ、時節は紅葉最中の晩秋、時は闇夜、森の中、、、。 木々は紅葉し、枯葉になりかかる一歩前、枝に留まり周囲を観察している「ふくろう」の子供達を描かれているようだ、、、。 なぜか、作品題名「おまもり」の意味まで解明できない、我輩の貧して鈍する感性をお許しいただきたい。 (題意解明までにはもう一年掛かるであろうか? それとも、読者のどなたかにお教えを請いたい!・・・)

 漆黒の背景に置かれた「色彩の逐一」に個性あり、なぜか特殊に美しい。

 もって、絵具塗布にて表現された色彩には思えないほどの鮮やかさと、微細な中間色も合わせ表現されているから驚いた、、、。


 すでに先日申し上げたとおり、第55回「光陽展・広島展」には都合2回足を運んだ。 昨年は気付かなかったけれど、今年は「新たな発見」あり・・・

 そう、新たな発見とは、

  A)「油彩絵具」により描かれた絵画のみならず、
  B)「そめもの(染色)」にて仕上げられた作品も、多数存在していること。
    
       以上、同一展覧会の会場にて展示されていたことに気付いたのである。


 そして本日記事冒頭にご紹介した竹村貴美子氏の作品、題して「おまもり」! 「これは絵筆による絵画」ではない。

 すなわち「染物」なのである。

 まず、我輩のような「ど素人」の眼識によれば、絵筆により描かれた絵画なのか、染料により「染め抜かれた」染物の作品なのか?全く見分けつかず、かろうじて作品の下部に表示されている葉書大の「名札?」により『染』と紹介されているから、かろうじて染物作品である。という、認識は可能となる。

 これまた先にご紹介した広島ご在住の「光陽会会員・KMさん」とお会いした際、ご質問し、ご案内頂いた一節をご紹介したい。
 (第55回光陽展KMさん作品は、こちらから入れます・・

 「一見したところ、どれが油彩絵画でどれが染色作品なのか見分けが付きません・・・」

  等と、我輩ご質問すれば、、、

          即座にKMさんお答え下さり、

 「そう、染色部門はたいへん優秀にて貴重な作品ばかりです。 我々油彩画家として、染色ご専門の作家さまたちには敬服しています。 芸術的感性はもちろんのこと、加えて職人技的技能なければ『成し得ない』高度な技術と化学的研究なくしては、成し得ない作品ばかりなのです!・・・」

 な、なるほど・・・


 我輩、あらためて想うに、そもそも芸術家たるもの全員、それぞれの作品を創作する以前から、「完成品」をイメージされた上で挑まれる空想夢想且つ想像的な創造物を創作されるわけである。
 であるからして、染色の場合、染め上げる以前の絵具に相当する染料の色彩は、染め上げた後の「結果的色彩」とは多いに異なるはず。 加えて、染色する対象物や染色にかける時間の違い、染色作業を開始した時点の季節気候及び温度湿度によって、同じ染色顔料を使用しても「染め上がった時の色彩」に違いが出てくるのではないか? 染め上げる時、どんな液体(水質?)を使用するのか? 硬水か軟水か? Phは? 酸性なのかアルカリ性か? イオンはどうなるか? その時の液体(水)の温度は如何?
 等々、計算に加えなければならぬ要素は、まだ足りないのか? 足りないであろう!
 あれやこれや次々と、我輩のようなド素人にして、なぜか染色作品完成までのありとあらゆる「心配の種」を連想空想してしまう。 こうして感想文書きながら週末の朝っぱらから気が遠くなりつつも、ふと気を取り直し、あらためて「染色作品」の素晴しさに魅了されるのである。

 他にも、すばらしい染色作品あります。 ご紹介します、、、。


 <・続く・・


* 連載中第55回・光陽展」出展絵画鑑賞感想記事の(前回掲載記事)へは、こちらから戻れます・・

* 「光陽会」公式ホームページは、こちらから・・


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 <付記>:(ウイキペディアより引用)
『染 色』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
染色(せんしょく)とは、布、革など繊維質に色素を吸着、結合させることである。 染め方で大きくは浸染系と捺染系に分けられる。

生物学の研究技術としての染色は染色 (生物学)を見よ。

種類
浸染系(無地染め) 糸染 反染 製品染
引染系(無地染めおよび柄染め) 反染
捺染系(柄染め) 直接捺染 抜染 防染

 * 「久しぶりの独り言的愚痴」=(染色の事! 「言葉の上」では理解できても、なにがなんだか解りまへん。 完全にお手上げです!)

絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(16)

2007-07-19 17:35:45 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『語らい』・・


<作品の紹介>

作品番号: 35
作者氏名: 岡 本 邦 治 (会員)
作品題名: 『語らい』
受賞名:  会員奨励賞
住  所:  東 京


 先週末、久しぶり(たぶん、半年ぶり?)に我が郷里の夜の街を徘徊した。

 我が郷里は、明治維新後の開国以来、西端の九州熊本城に続く鎮台は広島城に置かれ、江戸時代的城下町から新生軍都として生まれかわる。 かくして、日清日露の両大戦に際し、朝鮮半島や支那大陸に向け、あまたの将兵を送り出した宇品港あり、、、。 かくなる街には当然ながら軍需産業栄え、且つ血気盛んな招集兵(若者)や職業軍人の群れるところ、必ずや「夜の産業」は盛んになり、中国山脈山懐を源流とする大田川の各支流の川端には、居酒屋はじめ高級料亭なるもの栄えた。

 飲む・賭つ・買う、、、。
 これ、人間男子と生まれたからには必ずや通過しなければならぬ「諸悪の3点セット」!
 かくなる3点セット揃えば必ずや、それを取り仕切る「ヤクザ世界」はびこり、もって隣の軍港「呉」(只今「やまとミュージアム」にて再興果しつつある旧帝国海軍誇る海軍工廠のあった街)と、我が郷里を場所的背景にして製作された深作監督名画は、すべからく「ヤクザのなりわい」を再現してやまないこと、記憶にある。
 そんな我が郷里には、「流川」&「やげんぼり」と称する夜の繁華街あり。 人口に比例して、今も尚、多くの飲食店存在する。 そんな夜の巷に久しぶりに繰り出し、我が学友HN氏及びプロ画家SK氏と共に「某クラブ」に立ち寄り、午後9時過ぎから翌朝1時30分頃まで閉店過ぎた時間まで、厚かましく長逗留した。
 たまたまボックス席満席にて、初めてカウンター席に停まり、グラスを交わす。 カウンター奥の酒棚を観れば、なんとなんと、最低でもバレンタインの18年物しかない! 我輩の好きなシーバスリーガルは、これ21年物しか置いていないのである。
 我輩、それらボトルのクオリティーを観て、想った、、、。 これ、ここの常連さんたち、皆さんは、ウイスキーの味を解って召し上がっておられるか? ならば、たいしたものだ。
 ご立派である! きょうび、飲屋の選択肢も増えて、多岐多様になった・・・
 
美酒楽酔飲めば天国
阿川 弘之,丸谷 才一,遠藤 周作,開高 健,吉行 淳之介,「世界の名酒事典」編集部
講談社

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 ナイトクラブには、よい酒とよい女がいるから、「クラブ」のカテゴリーになる。 (はずである?)
 そう、
 当・某クラブには、友人SK画伯好みの女性あり。
 もちろん、(我輩の尺度で測って)美人である。
 目の前に立ち居振舞うのみにて客を適度に楽しませ、且つ客から話題を引き出す「会話術」も心得た、すてきな女性である。

 おっと、脱線しすぎている!!!!
 なぜならば、
 ダンディズムを語るエセ男爵にして、決して「女性の話題」は差し控える、曲げてはならぬ「エセ男爵的ポリシー」あり!・・・
 本日は、約一回!このポリシーから逸脱するをお許しいただきたい。

 某ナイトクラブに話題戻し、、、
               そして、思った、確信した、、、。

 「確信した何か?」とは、彼女達(ホステスさんたちのこと)の「服装」は、いかにも品よく正しい服装をしておられること、あらためて気が付いた。

 画家SK氏好みのホステス嬢の服装は、薄いキャメル色のタイトスカートなるスーツ姿である。 ブラウス(シャツ)は、真っ白。 足元は、黒のパンプス。

 かくして、彼女と画家SKを巻き込んだ「我輩の話題」は、遅ればせながら最近になって(ようやく読んだ)吉行淳之介氏のエッセイ「無作法紳士」の読書感想から入ったのである。 昭和61年初刊の一冊にて、ブックオフでも100円では手に入らない貴重本である。 彼女はたちまち興味を示し、我輩の蔵書を是非にも貸してほしい、読んでみたい。等と請願される。 事の行き掛かり上、"Yes, it's OK!",,と答えるものの、若し「お貸し」する段になると、彼女とお会いしなければならず、街中にて再会すれば夕食などご馳走せねばならぬは、この世界の常識である。 食事の後は再度某ナイトクラブにお供しなければならなくなり、またもや時間と莫大なお金を失うことになる。 蛍雪風雪40数年にも及ぶ夜遊び三昧は、もう飽きている。 卒業こそしていないけれど、今やすでに、夜遊び道楽から中退しているから、いささか頭が痛い、、、。

不作法紳士―男と女のおもてうら
吉行 淳之介
集英社

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 そう、
    そろそろ本論になる。

 この絵画作品、描かれた複数の美女! エセ男爵的物差しにても、美女である。 スタイルもよい。
 しかし、絵画を観ていて、いささか不愉快である。

 「・・・?」

 そうです。 どの姿の服装も、芳しくない。
 女性の下着や下着の名称など、我が乏しい頭脳の辞書には語彙少なく、それぞれの呼称をどう呼んで良いか分からない。
 しかし、これを男性の下着で表現すれば、
 まずは、正面を向いている衣裳に関し、一言。
 これ、Gパンの上に、ステテコつけているようなものだ。 なぜに?ジーンズの上に下着的スカートを纏わねばならんのか?
 一番右のGパン履きの後ろ姿! これ、何で?お尻の割れ目を見せねばならんのか? たぶん、これ、振り返り正面向くと、臍出しルックではあるまいか? ヘソ見せて、どうするの?

 なぜこうも、きょうびの若い女性の装束乱れているか?! 節操無さ過ぎ、逆に色気など感じようも無いではないか?

 我輩の基準が「古ぼけて」来たか? 年寄り?老人的感覚に成り下がったか?

 違う!

 我輩の女性に対する「眼識」は、いささか自信ある。

 ダンディズムを語らんとするは、対女性への心使いなるものその底流にあり、、、。

 きょうびの女性の服装の選択肢、多様になったと思う。 多様は多様で構わない。 けれども、時と場所、さらにその女性自身の個性を逸脱した「服装」を、ただ単なる流行に流されるのみにて「選択」されるは、見るに凌ぎない。
 ここまでくれば日本全国津々浦々、若き日本女性の服装は一億総売春婦的感覚の一歩手前その寸前迄さらけ出してくるか。 どんな感性でもって平気に売春婦感覚を振りまくか全く理解できなく、みっともないことこの上ない。 なりふり構わずして、ストリップ劇場以下の卑猥的日本女性の立ち居振る舞い、はたまた動く飾り窓的傾向、否、時間と場所と立場を無視した、売春婦だらけの国家に成り下がったか?
 等と、
 錯覚を起こしかねない「服装選択の自由」!? まともな外国人から観察させれば、いかなる酷評出てくるか? そら恐ろしい次第なり。 実は我輩の懸念していた通り、我が郷里に在住する友人・ドイツ人大学教授の男性(40代前半)は、きょうびの日本人女性の日常装束に嫌悪感示し、まるでフランクフルトの公営売春婦及び三流ストリッパーに勝るとも劣らない卑猥さを、真っ昼間から振り乱し、(若し、ここが欧羅巴の某国であれば)いつ強姦に遭遇しても不思議ではない。と、豪語している、、、。

 申し訳ございません。 この絵画鑑賞後に残る印象は、絵画の芸術的印象から乖離し過ぎてしまう。 且つ、鑑賞後の気分は、はなはだ悪しきものである。

  <・続く・・



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絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(15)

2007-07-16 19:45:45 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『マチュ・ピチュ』・・


<作品の紹介>

作品番号: 57
作者氏名: 田 中 静 子 (会員)
作品題名: 『マチュ・ピチュ』
受賞名:  文部科学大臣賞
住  所:  福 岡



 まことに!この作品の『構図』はみごとである。

 おもしろい。

 すなわち、この位置からマチュピチュの遺跡を「一旦は見下ろし」、その後「見上げる角度」にて描かれている。 まずは見下ろし、さらに遺跡を見上げるているからおもしろい! そして、この絵画に表現されている構図の手法にて撮影された写真画像には未だお目にかかっていないから、たいへん感動している。

 そして、流石に!・・・
      「文部科学大臣賞」受賞作品であること、後になって気付いた。

 この作品、どうやら太陽光線に逆らって、つまり、これまた「逆光線」状態にて描かれた絵画である。
                   おもしろい描き方である・・・

 最初にこの作品に出会ったとき、すなわち展覧会会場にて遠目から鑑賞した時、どこかの「段々畑を描いた」絵画かと思った。 3~4メーターの近くに寄って観たとき、およそ30年前の記憶を再び想い起こし始めたのである。 すなわち、初めてネパールに旅した時のこと。 当時、速度遅く且つジェット機のように高高度を飛行しないブロペラ機にて、高度約4~5千メーターあたりをふわふわと、インドのニューデリー空港からネパールのカトマンズ空港に向った時のこと。 ヒマラヤ山脈の麓にあるネパールの首都カトマンズ空港の近くになるにつれ、航空機の高度が下がっていると思っていたら、これが大違いにて、まだまだ航空機の高度は上がれども下がらず、一体どうしてこうなるのか?思案に耽っていた数分間の事、思い出す。 その思案に耽っていた情景とは、プロペラ機の客席窓から外部を眺めていたら、なんだか地上迫り出して来る。 旧式プロペラ旅客機のエンジン不調にて失速中、よもや段々畑に激突寸前?不時着場所の確認中とも感じつつ、薄気味悪くも非常識的航行するプロペラ機機上の人として、生と死の狭間を彷徨する如くの幻想的な気分になったのである。 そう、インドとネパールの国境を越える頃のこと、急激に高度の高くなるヒマラヤ山脈の山懐にある段々畑の田園地帯は、決して高度下げることのない水平飛行中のプロペラ機に迫ってくる状況を、思い出した、、、。

 そう、どう観ても、当時のカトマンズ空港(標高・約1,350m)到着前30分間の、プロペラ機から観ていた下界の景観に思えて仕方ない「絵画」に、『第55回光陽展・広島展』会場にて出合った・・・

 しかし当然ながら、これはネパール山中の風景ではない。 近くによって確かめれば、なんと「マチュ・ピチュ」と題されているからして、とっさにペルーの遺跡マチュピチュに違いない!と、気付いた、、、。 旅行パンフレットでしょっちゅうょ見慣れているマチュピチュの遺跡には、恥ずかしながら未だ一度も足を伸ばした経験はない。 そして、目にしている「マチュピチュ遺跡写真」のほとんどは、おおよそ頂上付近から撮影したもので、高い位置から下を見下ろす位置関係である。 だから、とっさに、この絵画に描かれたものがマチュピチュであるとは気付かなかった。

 マチュピチュ遺跡のある場所の標高は2,280メーター、おおよそネパールのカトマンズより1千メーターも高い場所に位置する。
 そんなアンデス山脈の山中にある遺跡付近の空気は薄いはず、、、。
 もって、標高ゼロメーターから突然にマチュピチュに移動すれば、間違いなく普通の人間にとって呼吸困難になるから少しずつ(徒歩移動にて)高度を上げ、人間の身体そのものを希薄な空気に慣らしてゆかねばならないとのこと。 空気希薄がゆえに経験した、幻想的且つ奇怪な過去の記憶を呼び起こす、この絵画、、、。

 そんな希薄且つ乾燥した空気の表現、「高高度の空気感」の表現! みごとである。

 〆て、
 この絵画の最も優れた「類い稀なる印象」あり、、、。 すなわち、見渡せば見渡すほどに、作者の位置するであろう場所と位置の眼下から、遠方且つ上方に延びる段々畑に表現される「光りと影のバランス」、遠く頂上付近の上空の「この世のもの」から、その先の天空の宇宙空間に近接しいていく「所」は何処であるか? 「仏の浄土」か「神の天国」か?
 とにかく「この技法」、4次元的無限大の遠近画法であるか!
 鑑賞者に対し、そんな幻想を呼び起こさせる如き淡く乾き切った雰囲気を醸し出す「各種茶色黄土色」の組み合わせは、見方によればたいへんなお洒落感覚あり。 心打たれ、作品に吸い込まれる原因は、色彩センス良き作者のそんな色彩表現感覚にあり・・・

* マチュピチュの遺跡〔ウイキペディア百科事典より〕の解説は、こちらからご参照下さい・・


    <・続く・・


* 連載中第55回・光陽展」出展絵画鑑賞感想記事の(前回掲載記事)へは、こちらから戻れます・・

* 「光陽会」公式ホームページは、こちらから・・




絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(14)

2007-07-14 13:15:25 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『北の駅』・・


<作品の紹介>

作品番号: 55
作者氏名: 高 野 元 孝 (会員)
作品題名: 『北の駅(青森駅)』
住  所:  埼 玉


 キャンバス全体のほとんどの部分を、黒と白のモノトーンで表現された非常に印象深い絵画である。

 この画面を見た瞬間、凍てつく「厳寒の荒野」の真っ只中に迷い込んだイメージなのだった。 時間は、夜明け寸前か?はたまた早い北国の夕暮れ時か? いや、間違いなく夜明け前である!!!

 この絵画鑑賞中の「この風景」は、操業廃止した鉱山の採掘場に想えたり、なにやら操業廃止して久しい工事現場にも想えた。 少なくとも工場ならば、それなりの屋根がある。 屋根があれば、工場跡地内部に圧雪滞るはずもないから、絵画の中の「この情景を」ずいぶん奇妙に感じた。

 しかし、展覧会場を離れた後、こうして画像に収めたものを改めて見直せば、「青森駅」と題してあるではないか、、、。

 一度も、実際に見たことのない青森駅。 本州最北端の終着駅。 在りし日の青函連絡船の乗り換え場所。 青森を謳った「歌謡曲」、あるいは映画「八甲田山雪中行軍」など、冬場の厳しい寒さの中のセンチメンタル、はたまたノスタルジックなイメージから、幻想的に青森駅を想像するとなると、さて大変だ、、、。
 この絵画からは、上述のようなイメージは一切沸き起こらず、我輩にして何故か、第二次世界大戦終了後間もない頃のヨーロッパ東部戦線のロシア軍とドイツ軍との市街戦戦場となった工場跡地、すなわち非日本的雰囲気の漂う東欧風の工場廃墟の一部分に感じてならない。

 知識不足のまま敢えて申上げれば、たぶん、キャンバス上部には「大型陸橋」描かれ、多くの鉄道利用者は、これを通って青森駅から青函連絡船に乗り換える、本州と北海道を結ぶ「乗り換え場所」、すなわち本州と北海道の「架け橋」を象徴するものであるか。 だからこそ「青森駅の青森駅たる所以」、此処にあるか。と、考える。 この大型陸橋、青森駅をご存知の方には直ぐに理解できるであろうけれど、青森駅を知らない鑑賞者には、これは単なる「廃墟の屋根の一部」に見えて仕方ない。
 もっと遠方から眺めたイメージを描写し、もっと陸橋たる姿を判り易く、否、陸橋を強調して描いて頂くと、もっとインパクトの強い作品になりえたのではなかろうか!
 陸橋を陸橋と解かるよう描かれていれば、つまり、陸橋の上にわずかながらでも夜明け前の夜空を描かれるとか? ならば、陸橋を通してさらに前方の「夜明け前」の空からわずかに射し込む光源から反射し発生する「雪明り」は、いっそう明確になる。 明確になれば、キャンバスに描かれている「雪の白色の強弱」も、鑑賞者にとっては、よりリーズナブルに受け止めうること可能となったのではあるまいか、、、。

 あるいは差し出がましいけれど、まずは「題目・北の駅」を払拭し、まったく駅とは関係のない「包括的イメージ」を連想させる抽象的題目を題され、逆に「北の駅・青森」を連想させ得る工夫を凝らして頂きたかった、、、。

  

 <・続く・・



* 連載中第55回・光陽展」出展絵画鑑賞感想記事の(前回掲載記事)へは、こちらから戻れます・・

* 「光陽会」公式ホームページは、こちらから・・

* 出典・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:
 青森駅(あおもりえき)は、青森県青森市柳川一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。 本州最北のターミナル駅である。奥羽本線・東北本線の終点で、かつ北海道へ向かう津軽線(津軽海峡線)の起点でもある。(詳しくは、こちらから入れます)

絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(13)

2007-07-12 23:58:45 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『独亀』・・


<作品の紹介>

作品番号: 88
作者氏名: 池 田 篤 彦 (一般)
作品題名: 『独 亀』
受賞名:  新人奨励賞
住  所:  広 島


 浮かび上がるのか?
    はたまた沈もうとしているのか?

 ミナモ(水面)ぎりぎりの水面下を、ゆっくりと遊泳する「巨大な亀」を真上から眺め、描写した! 題して「独亀」、、、。

 この作品の展示位置は、ちょうど館内証明の直接反射する場所、且つ作品表面には(作品保護のため?)透明アクリル版貼り付けてあり、よく観れば「撮影に挑んでいる不肖エセ男爵メ」の立ち姿あり、まことに恥ずかしき次第なり、、、。 この際、敢えてアクリル板からの反射を無視して頂き、作品の上部をしかとご覧頂きたい。

 ちから強くもゆったりと水を掻いている大亀の左前鰭(ヒレ)は、わずかに水面(ミナモ)にふれ、鏡の如く波立たない水面に、力強くも流麗な波紋湧き立った様子、みごとに描かれているから恐れ入った。 水面と水面下あるからこそ、この巨大亀の描写に躍動感吹き込まれるか。 微細な躍動感の表現により、静寂と長寿を連想させる「亀のイメージ」を、よりいっそう際立たせるは、これぞ画家の感性と技量であるか、、、。

 この作品も写真映像に不向きな、難しい被写体である。 かくなる場合、おおよそ偏光フィルターを駆使し、水面下の生物や植物の撮影に挑むのであるけれど、何十年探しても待ってみても、この絵画に描かれたカメと水面の情景とを撮影可能とする場所と位置は見付け難く、この絵画と同じ瞬間をカメラで切り取るは、不可能である。 画家の場合、これまた頭脳記憶による美感的昇華を促し、もって絵描き的頭脳の脳内解析フィルターを通し、ようやく描写可能となるか。
                これまた絵画芸術の成せる技か!

 この作品も、2度鑑賞した。

 一度目は、あまりにもリアル過ぎて、あまり爬虫類や両生類を好まぬ我輩にとって恐ろしき巨大亀であり、今にも画面から浮かび上がり、展示会場空間を遊泳するかに思えた。(画像下部の「作品紹介カード」は、ほとんど葉書大の大きさであるから、この作品の大きさとご比較いただきたい・・・)

 二度目は、この作品の「ミナモの描き方」のみごとさに目を奪われ、心奪われ、第55回光陽展広島展出展118作品の中、印象に残る忘れがたい作品の一つとなった、、、。


  <・続く・・

PS:絶滅種続出する「カメ」のこと、我輩はほとんど知っていない。詳しくは『爬虫綱カメ目』(ウイキペディア百科事典)をご参照下さい・・・


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絵画鑑賞記「第55回光陽展・広島展」(12)

2007-07-10 16:45:45 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:第55回光陽会出展作品、『壁』・・


<作品の紹介>

作品番号: 77
作者氏名: 國 井 清 春 (会友)
作品題名: 『壁』 (出展目録カタログには『暦』となっているけれど、記録画像をよく観れば、やはり題目は「壁」である・・・)
住  所:   岐 阜



 この建造物は、たぶん古い街並みの片隅に佇む土倉であろう。

 崩れかけた土壁に、容赦なく照りつけるは、たぶん夕日であろう。

 空にたなびく群雲から察するに、時節はたぶん、秋であろう。 晩秋の遅い午後、夕暮れ前の日光照射は意外と強く、色彩は赤みをおびているから、いやがうえにも古き土壁の色や地肌を強調してやまず、絵画として切り取るには絶好の物体か。 これ、写真芸術的表現をすれば、絶好の被写体である、、、。

 なぜか最近、こういう切り口の「風情」に視線移って仕方ない、、、。

 年齢のせいだろうか?

 忘れ去られ、失いかけていく、日本独特の建造物や町並みに郷愁を感じて止まないのである。

 我輩の生まれ育った広島旧市内の中心地は、かの1945年8月6日?の原爆投下により99%の町並みを焼失破壊された。 先日、我家の倉庫を整理していたら、小学校1年生の時の成績表やテストペーパー、加えて「懐かしき古美術的貴重品」見つかった。 古美術的価値のソレとは、戦後10年と経たぬ頃、クレヨンを使って描いた我輩幼少の折の「名画」数点、出てきたから懐かしかった。 ガキの頃に描いている絵画対象物は、(我輩の場合、たぶん特殊にて)そのほとんどが「乗り物」。 進駐軍のジープ。 当時、実際に街中を走っているはずもない流線型の乗用車、あろうはずもない真紅の大型流線型バス。 空にかもめ飛ぶ海の彼方を往く超豪華客船。 新型ロケットや、ジェット機。 はたまた各種軍艦等々。 これら全て、たぶん当時の絵本から想像し、描いたものに違いないけれど、それにしても独創的な色彩やスタイルをした夢物語的乗り物ばかりである。

 そんな超過去の思い出を、思い出させる自筆絵画の中、わずか画面の片隅に遠慮しがちに描いている「家屋の絵」入っている一枚の絵画あった。 しかし、残念ながら「タダのホッタテ小屋」なのであり、威風堂々質実剛健の格調を漂わせる典型的日本家屋ではないのである。 たぶん、焼け野原となった当時の広島市内には、幼き!科学者志向?少年の目に映る「まともな家屋」は一軒も存在せず、市内のほとんどの家屋は崩壊し、その後に建てた即席家屋しか目の当たりにしていない証であること、逆に推察した次第である。
 
 この絵画「壁」に描かれている風情や風景に出会えるのは、それから10数年経た昭和30年代の後半になるか。 父の転勤と共に転校した山口県柳井市の「オカノウエ」。 山陽本線柳井駅北口へ降り立ち、柳井の旧市内に入れば乗用車すら通れない細き迷路(に見えた)の町並みには、江戸時代から伝わる古き商家や民家あり。 今こうしてこの絵画を拝見すれば、当時の柳井市内の町並みも合わせ瞼に浮かんでくる。 そう、作家のご出身は岐阜。 岐阜は一度も訪れたことない。 かくして岐阜にも、多くの古き街並み存在するか? 

 そして今、こういう土倉や古い建物に関し、若き頃に経験していない「欠かすべからざる体験」を、この年齢になって体験したくなり、目下のところ「宮島の町並みを守る会」の研修会に参加している次第なり、、、。 加えて記すべきは、現役時代、いかにも日本中を徘徊することなく、逆に海外旅行や外国長期滞在の連続にて、本来、日本人として心得ておかねばならぬ「和の美」はたまた「侘び寂び」の世界から遠隔の挙動や体験を連ねつつ、今頃になって日本人的感性の「格調」や「浪漫」に郷愁を覚えつつ、少しばかり触れたくなったのである・・・


  <・続く・・


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