<画像> 大潮の干潮にたつ厳島神社の大鳥居
(撮影日時) 平成21年4月25日午後3時30分頃
(天 候) 雨上りの超曇天
重い雨雲の垂れ込めた空、季節はずれの低温と湿気を運ぶ清涼な空気に浮上る「大鳥居」の朱色は冴え際立っている、、、。
さて、記事更新儘ならないまま平成21年度4月も下旬、ゴールデンウイーク前半に突入。 このままブログ記事更新無きまま放っておくと、4月は『記事無し月』になってしまいそうで気が滅入っていた。 けれども本日、ようやく記事更新してみようと思い立った次第にて、昨日午後より所用あって宮島に渡り、用事済ませて(久しぶりに)厳島神社の大鳥居までぶらついた、、、。
前日夜半から明け方まで、豪雨とまでは行かないまでもかなり纏まった量の雨が降り、雨上りとしては(画像の如く)まだまだ厚く雨雲が垂れ込めていて素っきりせず。 鉛色の空は冬の再来を想わせるほどに重いけれど、黄砂や埃がしっかりと洗い流された空気は澄み切っていて、そんな清涼的空気感は画像から伝わってくる。
な、何と、滅多に見れない「大潮」時の「干潮」にて、ざっと200人以上の老若男女挙って潮干狩りをしている光景に出会う。 まるで砂糖に群がる蟻子の如く、干潟にうずくまって動かない。 この半年間というもの、所用あって頻繁に宮島に渡っているものの、こうして厳島神社大鳥居界隈をぶらつくのも海を眺めるのも久しぶりにして、なんとも長閑な光景に出会えた。
振り返れば、今年は1月中旬から、というより昨年(平成20年度)の秋口(たぶん10月下旬辺り)から『宮島問題』に振り回され、またたくまに半年が過ぎてしまった。
そして来月(5月1日)から向こう3年間、宮島観光事業の新たな組み立てに取り組むことになった。
本日、思うこと多々あり、感ずるところ多々ある、、、。
そう、嵐あり、雨あり、曇りも晴れの日もあり。 すなわち天候は自在変化に変る。
そうなんだ。 潮にも満ち欠けがある。
そして、人生にも、変わり目がある、、、。
来月、この5月、何だか我輩の人生の大きな変わり目を迎えることになるやも知れぬ。 それは、この2年間の「宮島への想い」叶い、この5月から向こう3年間、いよいよ本格的に宮島に係って行動しなければならなくなったからだ。
だから、その節目に、この画像を取り込み、且つ純粋に「日記的」な記事をしたためておきたい、、、。
(撮影日時) 平成21年4月25日午後3時30分頃
(天 候) 雨上りの超曇天
重い雨雲の垂れ込めた空、季節はずれの低温と湿気を運ぶ清涼な空気に浮上る「大鳥居」の朱色は冴え際立っている、、、。
さて、記事更新儘ならないまま平成21年度4月も下旬、ゴールデンウイーク前半に突入。 このままブログ記事更新無きまま放っておくと、4月は『記事無し月』になってしまいそうで気が滅入っていた。 けれども本日、ようやく記事更新してみようと思い立った次第にて、昨日午後より所用あって宮島に渡り、用事済ませて(久しぶりに)厳島神社の大鳥居までぶらついた、、、。
前日夜半から明け方まで、豪雨とまでは行かないまでもかなり纏まった量の雨が降り、雨上りとしては(画像の如く)まだまだ厚く雨雲が垂れ込めていて素っきりせず。 鉛色の空は冬の再来を想わせるほどに重いけれど、黄砂や埃がしっかりと洗い流された空気は澄み切っていて、そんな清涼的空気感は画像から伝わってくる。
な、何と、滅多に見れない「大潮」時の「干潮」にて、ざっと200人以上の老若男女挙って潮干狩りをしている光景に出会う。 まるで砂糖に群がる蟻子の如く、干潟にうずくまって動かない。 この半年間というもの、所用あって頻繁に宮島に渡っているものの、こうして厳島神社大鳥居界隈をぶらつくのも海を眺めるのも久しぶりにして、なんとも長閑な光景に出会えた。
振り返れば、今年は1月中旬から、というより昨年(平成20年度)の秋口(たぶん10月下旬辺り)から『宮島問題』に振り回され、またたくまに半年が過ぎてしまった。
そして来月(5月1日)から向こう3年間、宮島観光事業の新たな組み立てに取り組むことになった。
本日、思うこと多々あり、感ずるところ多々ある、、、。
そう、嵐あり、雨あり、曇りも晴れの日もあり。 すなわち天候は自在変化に変る。
そうなんだ。 潮にも満ち欠けがある。
そして、人生にも、変わり目がある、、、。
来月、この5月、何だか我輩の人生の大きな変わり目を迎えることになるやも知れぬ。 それは、この2年間の「宮島への想い」叶い、この5月から向こう3年間、いよいよ本格的に宮島に係って行動しなければならなくなったからだ。
だから、その節目に、この画像を取り込み、且つ純粋に「日記的」な記事をしたためておきたい、、、。