Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

たかがオムレツ、されどオムレツ・・「軽井沢山荘・男の料理」 終章(3/3)

2006-12-31 13:35:55 | 食彩+酒の肴
 !!!
本日・完結編!

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 出来上がりました・・・

 これ、「3-eggs'オムレツ」なのですが、、、。

 「・・・?」

 なにか?もんだいが!ありますか?

 「・・・!」

 いや、オムレツではなく、手抜きしました。

 そう、スクランブルエッグです。お許しを・・・

 もう一度手順を解説致すと・・・
1)フライパン焼けを防止するため、少しだけオリーブオイルを(フライパンに)垂らし、温度の上がったところで切り分けたソーセージを炒める。暫くすればアラ引きソ-セージからも油分が出て、少な目のオリーブオイルを補填し、野菜を炒めるに過不足なきオイルを得る。また、ソーセージそのものには既に味付けが成されており、炒めるほどに旨みが増幅される。
2)ソーセージの断片に油のまわった所でみじんに切った玉葱を放り込む。同時にバターを放り込む。少し弱火にし、入念に玉葱を炒める。玉葱の色が透明になりさらにやや狐色になるを目標とする。炒め始めのタイミングを見計らい、適宜塩コショウを加える。若干の時差を置き、さらに砂糖を少々放り込む。砂糖は「隠し味」にて、その時々の自分の要求する味覚にあわせ砂糖の量を調整する。
3)その間に卵を割る。(結局、この場合3個使った・・・)
割った卵に、塩コショウ砂糖を適量放り込み、さらに顆粒状の「カツオだしの元」を白ワインと水で解いたものを加えるけれど、決してかき混ぜすぎないよう、卵に加える。(ココが最大のポイントである!)
4)上記、生卵に、サイコロカットしたチーズを加え、チーズが満遍なく卵となじむ程度に、かき混ぜておく。
5)ほどよく狐色に近くなった玉葱の色合いを見計らって、適当な大きさに切り分けた「ピーマン」を放り込み、炒める。しかし炒め過ぎないように注意する。ここは半生状態であっても構わない。
6)フライパンの温度を一気に上げる。
その間、僅か15秒くらいか。あまり時間を掛けないようにしつつ、フライパン温度の上がった頃、上記の生卵とチーズのブレンドを、一気にフライパンに放り込む。
7)本来ならば、ココで細心の注意を払いつつ「オムレツ形式」にフライパンに放り込んだ生タマゴの焼きあがるのを調整しつつ、形を整えるのである。
8)既にこの時、我輩の空きっ腹(すきっぱら)には500ml缶ビール2本目が入っており、料理しながらも酒成分は脳細胞を回り巡る。かくして心地よく怠惰になり、ほろ酔い気分になった頃、我儘気分優先にて料理の出来栄えは二の次的状態となり手抜きしてオムレツにならず、結果的にはスクランブルエッグになってしまった・・・
9)半熟状態にてフライパンからお皿に移動するのがベスト!かくして「半熟スクランブル風似非オムレツ」の出来上がり、、、。
10)色合いと栄養のバランスを整える為、プチトマト3個とサニーレタスを添える。

 「・・・!?」

 「飲酒は如何!ですって?」

 「いや、結果、ビール1リッター、味付けに使った白ワインは少々あまり、余ったワインは後に残さない方がよい。オムレツ食しながら、白ワインを野菜ジュースとブレンドし、タンブラーグラスに一杯、チビチビと頂く。(ブラディーマリーとまでは行かぬとも、結構白ワインと野菜ジュースの取り合わせは悪くない・・)〆て、食後酒にはバレンタインウイスキー(12年もの)をdouble*にて、ロックで2~3杯。ふと時計を見れば、午後8時近くなっている。今夜も、それなりに飲んでますなあ~・・・」

 「酒の肴」兼「今夜の簡易夕食(サパー)」?となると、やはりいくばくかの炭水化物が必要か?
 通常腹膨れると、ビールの痛飲防止可能か? もって痛風発作回避可能か?
 等々、健康管理を第一?に考えつつ、画像には入れなかったけれど、これに食パン一切れをトーストし、例の苺ジャムをタップリ塗って「ご飯」の替わりとし、加えてデザートとしてヨーグルト(蜂蜜入り)を食し、今夜のサパーを締め括る・・・

 さあ如何でしょう、、、。

 これ、酒の肴になるか?

*<注釈>double:
ウイスキーの量を云う。
通常シングル、我輩の通常は「その倍」にてダブルの量を標準とする。これをロックすなわち混ぜも載せずに氷を放り込むだけで生地で飲むを好む。バレンタインの12年物は、確かアルコール度数は40度以上、結構強いアルコール度数で飲むと香り強く漂い、いかにもスコッチを飲んでる正統派的気分となる。


 <思慮困窮的軽井沢山荘風「男の食彩オムレツ編」三回連載・完・・>


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PS:<ご挨拶>
 本日、大晦日!
 今年も紆余曲折、、、。
 今年の正月に立てた年頭の目標は、ことごとく達成できなかった一年でした。 
 ブログ更新ままならない中、読者の皆様にはたいへんお世話になりました。
 来年もブログを書き続けます。ますます肩の力を抜いて自然体でのブログ記事を書きたく、読者の皆様からの叱咤激励こそ「書き続ける為のエネルギー」です。

 来年も引き続きエセ男爵ブログのご愛読方、どうそ宜しくお願い申し上げます。

 皆様、よいお年をお迎えになるよう祈念いたします。

軽井沢山荘風男の料理、創作に挑む? (2/3) 「所詮、酒の肴か・・・」

2006-12-30 02:05:45 | 食彩+酒の肴
 ?!
 先日記事に継ぐ「男の食彩」・・・

 食材は、ひとまず切り分けねばならない。

 「・・・?」

 男子厨房に入るベカラズ・・・

 なんて古い諺があるけれど、我輩には関係なし。先達の教えを素直に習うは、我輩の基本姿勢なれど、

 「寝ぼけたこと言っているか!厨房に入ろうが入るまいが、それこそ我輩の勝手である!」

      と?
          かくなる格言に対しては、異論あり!  

 そして今、我輩の入っている厨房は「ブロ仕様」のキッチンにて、夏場の盛況時には約30人のディナーをまかなえる程の、れっきとした本職コックの仕事場なのだ。昔風に申し上げれば「女子立ち入り禁制?」とまでは云わないにしても、いみじくも神聖なるプロの仕事場で在るからして、常識的に我輩のようなド素人は容易く出入りできる場所にあらず。一旦プロが入れば、我輩など出入り不可能となる場所に、今こうして勝手に手出入りできるから楽しくて仕方がない。そんなキッチンの中を右往左往しつつ、洗い場と、ガスコンロと、冷蔵庫と、あちこち行ったり来たりするだけでも、相当な運動量になる。すなわち、ここのキッチンに不慣れな我輩の手際段取りのまずさが出るけれど、これはこれで致し方ないか。
 
 料理をやっていて何が楽しいか!・・・ですって?

 なあ~に、入念に研いだ良く切れる包丁で、食材を切っているときが一番楽しいのである。加えて、揃えた食材がどのような料理になるか。を、想像しながら作業を進めているときこそ、一番楽しいひと時である。
 つまり、
 仕上がりは如何なるカタチなるか。
 如何なる味付けにて出来上がるか。
 本当に食して美味かどうか?
 そういう近未来の完成品の在るべき姿を想像しながら料理をつくるから面白い。 
 料理とは、想像力たくましき「創作の世界」であること、創作のための「段取り手順」を相整え手際よく遂行する「頭脳プレイ」であること、あらためて申し上げたい。

 (注釈:あまり口幅しく料理の精神性的蘊蓄を先に申し上げると、不肖エセ男爵のボロが出るか? すでにボロは出てしまっているぞ! 何卒、ご勘弁を・・・)

 さて、 
 玉葱とピーマンを、然るべき目的をもって切りそろえた、、、。

 さあ、いよいよ仕上げにかかろう、切り整えた食材に火を通す時が来た。

 <・続く・・>

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軽井沢ブランチ ?orサパー(1/3) 「さて本日、なにを作る?なにを食すか?」・・

2006-12-29 15:45:35 | 食彩+酒の肴
 ?!!
        (またもや軽井沢逗留中の出来事なり・・)

 朝食は?
 そう、この日は食パン一枚に軽くバターと目一杯のジャムを塗りたくって、10時半頃済ませた。それからなんだかんだやっていると、またたく間に半日経過?

 「些か空腹すぎる?」
                 と、意識する。

 ふと時計を見れば、午後4時半過ぎ、、、。

 ふらりとロビーラウンジに出れば、すでに山間の景色は薄暗い。

 夕暮れの浅間山を眺めていると、気分は躍動、あれこれ思いをめぐらせていたら、またまた、ついつい、いつもの悪癖が、出た!・・・

 急ぎキッチンに戻り、あろうことに、冷蔵庫からしっかりと冷えた缶ビールを取り出し、グラスに注いでしまっているではないか!?

 「山篭りの日々、こういう日も、あるぞよ!」

 「ま、今日は、今日のところは、これで、いいか・・・」

 自戒としては午後5時以前は決してアルコール精分を口にしないと定めているにもかかわらず、たちまちのうちに500mlのビールは私が空腹におさまってしまった。

 「やはり酒の肴がいる・・・」

 「酒の肴」無しにビールを飲む我輩の方程式は世の非常識?にて、ながらくのヨーロッパ滞在にて身に付き習慣化して久しい。健康管理を第一に考えれば、これはあまり良き習慣ではない。

 「少し早いが、そろそろ酒の肴を兼ねて、ささやかな夕食でもつくるか・・」

 と思い、あまり深く考えずにキッチンに入り、適当な食材を用意した。

 かくして今一度、画像をご覧あれ、、、。

右上から、

a)大きな玉葱 - (半個)
b)信州ハムのソーセージ -(大きさは親指を少し長くしたもの、確か2本・・)
c)ピーマン  - (1個)
d)チーズ   - (既にサイコロカットしたもの、その時の気分により適宜量)
e)タマゴ   - (2個)最終的には3個になった・・・
f)塩胡椒・バタ- - (+ダシのもと少々を、極少の白ワイン・水で割る)
d)その他、生野菜?- 少々(未だ画面には出現せず!) 

 以上、素材である。

 
 さて、これでもって冬の軽井沢山荘逗留なる極貧耐乏生活風「男の食彩」にて、酒の肴!兼、ディナー?違う!只の「早めサパー」の創作を試みたい・・・

 <・続く(次回掲載)・・>

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また、買ってしまった「パソコン参考書」!?・・

2006-12-28 19:48:15 | 趣味の話&本と雑学メモ
 !・!!

 午後の早い時間、小雪の舞うなか、外出する。

 今日は久しぶりに広島市内に繰り出し、高校大学共に同期生ついでにクラブ活動も何故か一緒だった旧友UT氏と会った。UT氏との時間調整のため、例の紀伊国屋に寄った・・・

 一目散に歴史書のコーナーに立ち寄ったものの、いやはや歴史関連の書籍は、高価である!数冊購入したい本があったが我慢して、止めた。まだ少し時間があったから「PC参考書のコーナー」に、ついフラフラと入り込んでしまったのが最後、やはり2冊の書籍を買ってしまった。

できるブログ gooブログ対応

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 この類いの参考書は、ほとんど通読しない。記事は飛ばし飛ばし虫食い状態にて、拾い読みする。読み進めるうちに自分の知識以下の内容か、はたまた全く面白くないば、もう読み進めることなく直ちに本棚入り。あるいは買ってしまった後になり、数行目を通したら直ちにギブアップ!これまた、ほとんど目を通すことなく本棚入り。かくして、PC関連本参考書なるもの書斎の本棚一角を占める割合は、この10数年間に渡り相当冊数(たぶん10数冊~辛うじて20冊以下?)になる。参考書購入は「馬鹿げた投資」か?「当然の投資か?」おかげで(曲がりなりにも)PCスクールに通うことなくお忙しい他人様にしつこく教授を迫ることなく、エセ男爵流パソコン「取扱い技術」を習得するに至る。

 しかし、なぜ今更、このようなブログ入門書を買ったか?それなりの理由がある。

その主たる理由として、

1)先月11月上旬、大学のクラブ活動OB&OG同窓会ブログを立ち上げてしまったからだ。ブログが何処を向いてどう成り立っているのか、全くわけの解らない同窓生多く、やたら初歩的な質問をEメールに寄せる連中が多く、さりとて我輩に直接問いただす輩は少なく、友人UT氏のアドレスに向け質問が多く寄せられている旨、先月末に聞いた。その質問攻めにあった友人も、ブログを良く解っていない男の一人である。
「・・・?」
そう云われれば我輩とて、五十歩百歩?ドングリの背比べ?ではないか!

2)そう、我輩も詳しいことを問いただされると、質問に答えられなくなる。
ならば、今一度あっさり「ブログ入門書」を購入すべし!
と、思い、2冊を一度に買ってしまった。四の五の言ってる同窓会の連中よ!是非買いたまえ!この類いの本を・・・
(この、OうOろうメが、甘えるなってんだ!少しは投資せんかい!)

3)もう一つの理由あり!gooのみならずFC2のブログ構成に、興味津々たるものあり!研究すべし!と思い立った。

4)ブログ上での「アフィリエイト」遊びも面白いか、、、。
  ならばFC2か?・・・

さすが!と言わせる FC2ブログ徹底攻略術

シーアンドアール研究所

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 些か、gooは「アフィリエイト」に不向きな集団であること、最初からわかっていた。解っていてgooに我がブログ「エセ男爵Part-II」を開設したものの、来年あたりは別ブログにて、そういった展開を図るのも、またよし!
 別段"gooブログ"を辞めるのではなく、新たな展開を目的とした「別種のブログ」開設も面白いではないか!
等々、あれこれ考える年末である・・・

 このブログは永遠に「アフィリエイト」且つ「物売り」には、けっして手を染めない。と、宣言する。なぜなら、このブログは「エセ男爵のブログ」だからである。
 もっと云えば、物売りやっても絶対にヒットしないブログであること、確信する・・・


kenbou-7さんの「お父上の思い出話」によせて;回想「あさま山荘事件」その3&4(終章)

2006-12-27 20:05:25 | 教養・文化・歴史
<添付画像>:題して「暮れ往く真冬の浅間山」・・
撮影日時:前回記事と同じ。
撮影後記:先日撮影画像の約3分後にシャッターを切った。心持ち増感(実際の撮影画像より人為的に画像を明るくする)を、操作した。たぶん、普通のフイルム撮影であれば、約1時間開放シャッターを切っても、何も写らないであろうほどに、この風景は冬の軽井沢の山懐独特の「シバ」れる乾燥した寒さと暗闇の中に、溶け込んでいた。いざ画像掲載してみれば、デジタル撮影画像は肉眼では感じない能力を持っていること判明する。なるほど、驚異的である。
(と、一人、ひそかに!ささやかに?自己満足しているエセ男爵なり・・)


 Kenbou-7さんからコメントを頂いてから、かれこれ一週間経過する。そのコメントとは「回想・あさま山荘事件」の一回目記事投稿が切っ掛けである。なんだかその頃を境に、のんびりする筈の軽井沢に於いて俄かに心身とも忙しくなった。軽井沢の山荘で「モノカキ」に集中するどころか余りにも気が散りすぎて、ブログすら書けない環境に激変した。そんな劣悪な環境から、ようやく昨日の午後になって脱出できた。つまり帰省して、郷里の広島に舞い戻ってきたというわけである。帰省しなければならなかった理由あり。それは昨年なくなった父と、この秋に突然に逝った母の供養のためである。年末は、両親がお世話になった友人知人を始め親戚縁者へのご挨拶と御礼に忙しく立ち回り、年始には墓参りと親戚の集まりに参加する予定である。しかしとりあえず今日は一休みし、気分を切り替えて明日から行動開始の心積もり、、、。
 「なんだか軽井沢より此方の方が冷えるぜ・・・」
 そう、いつも冬場のヨーロッパから日本に帰りついた時に毎回感じていた「日本の冬」を思い出した。真夜中の外気温はマイナス5~6度であるが、室内の温度は25度。パジャマに着替え、毛布一枚のベッドに入れば快適睡眠!そんな完全全館暖房の行き届いた軽井沢の山荘から帰ると、我家は隙間風だらけ。夜中の外気温は5度。しかし室内は14度?やはり寒い。昼間も一々ストーブをつけなくては寒くてやってれない?つまり隙間風が入り込むから足元の寒さを感じるのであり、この隙間風こそ風邪の元凶。この実態こそ、日本家屋の特徴であり、歴史的にその特徴を引き継いでるのが我が郷里の家屋である。
 そんな隙間風だらけの室内にて、精神的に落ち着かなかった軽井沢滞在の後半から、あらためて落ち着きを取り戻そうと思いつつ、もう一度、Kenbou-7さんから頂いたコメントと、先日投稿した回想記事を思い起こした。
 
 前置きが長くなってしまったが、本論に入る。

 あらためて申したい。

 「Kenbou-7さん、ありがとう!」

 よくぞお父上の「思い出ばなし」を語ってくださった・・・
「お父上思い」の貴兄と、そんな貴兄を「今まで」お育てになったご両親の子を想う人の親としての「在るべき姿」の典型を見せていただいた。父親の「我が子」に語るべきストーリーは如何あるべきか?!父親としての「あるべきすがた」を、まのあたりに見せていただいたような気がする。
 その後そして、自分自身の恥ずべき姿が目の前にさらけ出されたから、一瞬ひるんだ。怯(ひる)めば、書くべきものを書けなくなった。先週末に起こった自分の心の中の葛藤、「ためらい」や「おののき」や「躊躇」を思い返せば、たったそれだけの事である。
 今の時代、多くの父親は正面切って我が子に対峙し、(自信の有無は別として)自分自身の歩んできた「生き様」を振り返り、そして我が子にそれを語り、以って自分自身の「男の背中」を見せ得る父親が一体全体何人いるだろうか。それを聞いた、観た。その中から、素直に我が父親の言葉と、父親の背中を真直ぐに見つめ得る若者は、この世の中に何人いるか。
 さて自分自身のことを振り返れば、如何?
 つまり、
 そんな父親と息子の姿、長年にわたって渇望し続けているけれど、
 さて、
 「今、それが実現しえているかどうか?」
 いたって自信のない自分自身の精神構造の内面をえぐりとられる思いがしたのは、何を隠そう、このkenbou-7さんのコメントを拝読し読了した直後からなのであった。

 不幸にして、Kenbou-7さんのお父上は、50歳半ばでお亡くなりになった。今現在、私自身の渇望して止まない男として父親としての「成すべき業」を、kenbou-7さんの父上は成し遂げられている。これ、見事!ではないか。
 
 これを素晴しいと思わずにいられようか。

 彼の父上より少し年上の私は、まだ、この世に生きながらえている。もう暫くはこの世に生き、自分の目的を持った活動をしたいものである。と、願っている。しかし上記の願望は、未だに遂げていない。ひょっとすると時間がないかもしれないし、まだたっぷりと時間があるかも知れない。昨年は父の死の瞬間に立会い、この秋は母の急逝を体験した。そんな身近な「人の死」に出くわした自分にとって、今あらためて思うことあり。
 「人間の一生の寿命なんて、たぶん、天命によって定まっているはず・・・」
 このところ、上述の思いを日々絶えず自分自身に置き換え、何かの覚悟をしなくてはならないと考えている時、はからずもKenbou-7さんからの重くて大きなコメントを頂いた。
 「人間の生涯はマラソンランナーの如く、長くて遠いはるかな道程を往くのか・・・」
 時には走り、時には歩き、立ち止まり、歩いてきた道程を振り返るか。はたまた先の見えない霧のかかった道を遠望しようとするか。はたまた通り抜けられぬ迷路に迷い込むか、息せき切れて目標に届かず、遂に枯れ果て行き倒れになるか?
人生行路とは、どのみち、倒れたところが終点すなわちゴールである。
 それが「その人」の終着点である。
 そうか!そうなのだ。
 我が人生、何時何処で倒れたって構わない。
 しかし、いつ倒れようと、
 後輩に引き継ぐべきもの、残したい。
 残したい、残そう!と思うから、逆に残せないのであるか。
 人生の先輩として語り継げるもの、つまり「後ろ姿」の良し悪しを、若者に対して如何(美しく男らしく)見せようか?どうやら、そういうことは自分自身で決められず、全て後に続く後輩すなわち若者が若者自身の基準で判断するのか。若者に対し、今さら何も「取り繕うこと」は不可能である。
 ならば、すべからく自分自身に逆らわぬよう、自然体で立ち居振舞うのが最善か、、、。

 「よ~しゃ、こうなったらトコトン自分流儀で生きてみるか!」


               <・完・・>


PS:思い出しかけた、回想しようとした「あさま山荘事件」の後味悪き思い出?御託を語るのはもう辞めた!それは、我国戦後の左派系人種のしでかした凶悪無謀将来展望なき野蛮的「歴史の一ページ」にしか過ぎず、我が脳内歴史ノートに刻んでおくことのみ、、、。
されば我輩の視点は何処へ?、
そう、それは先の事を見据えたく、、、。
鳥瞰図的に未来将来の日本を見つめていくことにした・・・

「あさま山荘事件」<出処:ウイキペディア百科事典より>(こちらから入れます!)

回想「あさま山荘事件」・その2 (2/4) 「kenbou-7さんからのコメントに衝撃を受けて・・」

2006-12-23 03:35:20 | 教養・文化・歴史
<添付写真の解説>
撮影日時:12月14日午後4時50分頃?
先日投稿記事添付した画像撮影から、僅か5分後の画像である。先回撮影と同じ場所にて浅間山を望むものの、かくして冬の日没は早い。分刻みであたりは暗闇絵と突入しつつ、冬の夜は忍び寄る・・・
撮影場所:軽井沢レイクニュータウン「八風の郷」某山荘ラウンジのテラスより・・
撮影機材:愛機SONY旧式バカチョンデジカメにて
使用レンズの画角:たぶん、(デジカメズームを)50mmレンズ並み?に調整して撮影か?


 連載記事「回想・あさま山荘事件」の第1回投稿記事に、kenbou-7さんからお寄せ頂いたコメントを拝読しているうちに、第2回記事を素直に書けなくなった。加えてこの一両日間、次から次へ予期せぬ出来事頻発し、あまりにも忙しすぎた。予期せぬ仕事の移り変わりと精神的環境の変化に、自分の時間と精神を翻弄され、全く思いがけなく「マイペース」を侵害されてしまう。ついに昨夜、疲れはピークに到達。疲れを回復するには睡眠が一番。早く寝ようと思ったところが、眠れない。ベッドに横になっていて目をつむっていても、眠れない。そのうち、眠れない理由とは全く関係のない「先日投稿したブログ記事」のことが気になり始めた。
 ブログ記事更新は、すなわち軽井沢滞在とは関係のない事柄なのに、思いがけなく、自分の書いた記事に付けて頂いたコメントのご返事ができない、できそうでできない気分的状況が発生した。

「kenbou-7さんから頂いたコメントのご返事を早く書きたいけれど、なぜか書けない・・・」

 そうです、我輩にとって親子ほどに年齢の違うkenbou-7さんからのコメントは、ある意味kenbou-7さんらしく、既に数年前にお亡くなりになっているお父上の若かりし時代のお話を思い出され、決して短くないコメントを頂いたのである。実は、この頂いたコメントから、我輩は強烈なインパクトを受けた、、、。
 コメントにご返事する代わりに、連載第2回記事の題材として「頂いたコメント」を掲載し、記事とする。

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そうなんですよね… (kenbou-7)

2006-12-22 10:25:18

男爵さまに聞こうと思ったんですよ…『浅間山荘事件の現場からは近いんですか?』って。でも…ステキな軽井沢生活を送ってる男爵さまにね…そんなミズさすようなコト聞けなくて…。へぇ~、やっぱ近いんだ…。あの34年前の話…まだまだオレは生まれてもないです。でもちょっとだけ亡き父に聞いたことがありました。「凶悪な事件だったんだ…オレは同世代の人間だけど…この頃はもう必死になって働いていたなぁ…」とだけ言ってました…。
ウチのオヤジも大学紛争世代…団塊の世代だったんだけど…なんせ裕福な家の人間じゃなかったので大学に行く頭は持っていても働かなきゃならなかったんです。だから…オヤジはずっと言ってました。「大学で大いに学べ!」と。きっとオヤジも大学に行きたかったに違いない…大学でもっと勉強がしたかったんだろうなぁって思います。この浅間山荘事件の人間たちも大学紛争をやってた人間たちなんでしょ?詳しくは知らないけど…。もしかしたらオヤジ…彼らがしでかしたコトに対しては否定してたけど『嫉妬』してたんじゃないかなぁ…って思います。
大学には行けなかったけど…必死になって働いて俺らを育ててくれたオヤジには…ホントに感謝しています。…あ、記事と全然違うコトをダラダラと書いてしまいました…すいません…。

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 kenbou-7さんのお父上のこと、我輩自身のこと、すり合わせてみたら、眠れなくなった・・
 さりとて、自分自身なにを書こうとしていたのかすら思い出せないほどに、kenobu-7さんの「お父上」のお話されたことと、kenbou-7さんの「お父上に対する想い」の丈がいかほどのものか、気になって気になって仕方がない。めくるめく想像し、想像し回想すればするほどに、自分の記事は書けない。。。。

 平成18年12月23日・午前3時をまわった頃、今、目は冴えていても書くための頭脳は重く動かず、とりあえず殴り書きする。

 少し睡魔が襲ってきた・・・ kenbou-7さんのコメントを記事掲載したら、我心の中は、何だか一安心。これで、一区切り付いたようだ。そろそろ眠れるか・・・ 
 もう一度、眠る努力をしてみよう・・・


 <・続く・・>

 PS:そう、次回掲載記事にコメントの答えを記したい・・・

回想「浅間山荘事件」・その1:(1/4)

2006-12-21 11:35:50 | 教養・文化・歴史
<添付写真の解説>
撮影日時:12月14日午後4時45分過ぎ
撮影場所:軽井沢レイクニュータウン「八風の郷」某山荘ラウンジのテラスより・・
撮影機材:愛機SONY旧式バカチョンデジカメにて
使用レンズの画角:たぶん、(デジカメズームを)50mmレンズ並み?に調整して撮影か?


 撮影当日の天候は、終日ほぼ快晴。とにかく寒い一日であった。午前中は地元の友人と旧軽井沢で所用を済ませ、再び「プリンス通り」から「レイクニュータウン」の地域へと車を進め、いよいよ「八風の郷」に向かう途中の出来事。車を運転中しながら、何かを思い出したように、ふと、我輩に話しかけた。
 「ちょうど、この左手の山間なんですよねえ~・・・ 例の浅間山荘事件の起きた場所、この左手の山の中腹あたりなんですよ。とにかく、たいへんな騒ぎでしたよ。あの時は・・・」

 「エェ~! ほう~ こんなに近くで起こった事件なのですか。軽井沢の中心地から、わずか10Kmもはなれていない場所なんだ・・・」
 つぶやくように語る「友人の回想ばなし」に、我輩は驚いた。
 「そう、レイクニュータウンでの出来事です・・・」

 レイクニュータウン(English naming would be originally "Lake New Town", I suppose?)の中に八風の郷あり、その郷に我逗留中山荘あり。こんな背景の中、我輩は彼のツブヤキに応える。
 「いやいや、私はもっと浅間山の山懐?浅間山の近く周辺でおきた事件なのだ。と、ばかり、自分勝手に想像していました。そうなのだ、こんなに近くでおきた事件なのか・・・」

 事件の起きた場所「あさま山荘」は企業の保養所。河合楽器の所有する山荘なるものの、場所は何処や?と、この写真撮影をした後ロビーで休憩中、ふと浅間山荘事件当時を、回想し始めたのである。事件は1972年2月、今からかれこれ34~5年も前の事件なのだ。

 今になってあらためて回想すれば、なんとも腹立たしい事この上ない。事件の起こった場所は、現在逗留中の別荘タウンの中にて、当時の日本赤軍の巻き起こした凶悪卑劣且つ長期間にわたる事件!当時は大学紛争華やかりし頃、我輩はようやく社会人になってまもない頃、大学紛争に一切参加せず思想政治に興味なく触れることのなかった当時、未だ世の中見えていない我輩は、終日TV生中継にて浅間山荘の事件を「ゲーム感覚」らしき思想無関心的感性にて捉え、ただただ赤軍グループの卑劣且つ無意味な暴力行為のみを憎んでいた。
 戦後政治のもと、この事件発生当時は、先の安保反対から端を発した学生運動はその頂点に達し、左翼思想は蔓延し、左翼風純朴単純馬鹿的発想から迸(ほとばし)り出でたはず?の学生運動は、ついには狂気猟奇的内ゲバを繰り返しながら超凶悪的暴力組織集団へと変化し癌細胞の如く肥大化する。そしてこの事件(あさま山荘事件)に至ったのであること時系列的に整理しつつ、当時の時代背景を思い起こしつつ、夕暮れ時の浅間山を眺めていた。

 そう、あさま山荘事件の起きた場所は?

 この添付画像でご説明すれば、右手の木々の枝のさらにその下辺りが、友人の話している浅間山荘事件のあった「山の中腹」に該当し、さらに説明を付け加えるならば、我輩の逗留している「山荘」から、直線距離にしてわずか5kmと離れていない(であろう)ごく至近距離にて起こった「忌まわしい事件」は、目と鼻の先に在する。

あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)<ウイキペディア百科事典に「事件の経緯」等、詳細説明されており、こちらからご参照いただけます・・>

以下、百科事典の当該記事に関する「入り口」を、すこし抜粋しておきたい。

   ----------------------------------------------------------

《あさま山荘事件》
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)とは、1972年2月19日に始まる、長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が起こした事件である。

目次 [非表示]
1 概説
2 事件の発端
3 警察の対応
4 事件の収束
5 事件が長期化した要因
6 特徴
7 記録・参考
8 関連項目
                <以下省略。後日部分掲載予定>
----------------------------------------------------------------

 等々と、
 ウイキペディア百科事典は、かなり詳細なあさま山荘事件の概要と事件の流れを説明している。



さてさて、、
 「浅間山荘事件」と、当時の時代背景を回想したく思い立ち、
 
 都合4回の連載を致したく、読者諸氏に於かれましては、連載記事継読方、どうぞ宜しくお願い致します、、、。


 <・続く・・・>

「峠の釜飯」<3/3> サプライズ!なんと、宮内庁御用達とは・・

2006-12-19 10:58:00 | 食彩+酒の肴
?????

 「たいへんお待たせしました・・・」

 「さあ今から、名物『峠の釜飯』とやらを、食するぞ!」

 「・・・XXOxxxxx?!」(左記、エセ男爵のセリフなり)

 「で、味の方は如何?」

       「・・・!」
                     そして、「・・・?」


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<以下、ウイキペディア百科事典より部分抜粋掲載・・

『外観・内容』
A)釜めしの中身直径15cmほどの栃木県産の益子焼の釜に入った醤油味の炊き込みご飯である。
B)釜の上半分の上薬が塗ってある茶色い部分には「横川駅」「おぎのや」という文字が刻まれている。
C)釜の上には厚さ5mmほどの蓋が付いており、さらにその上に包装紙が被せられ紐で割り箸とともにくくりつけてある。
D)具は鶏肉、ささがき牛蒡、しいたけ、たけのこ、うずらの卵、紅生姜、栗、杏。
E)別に香の物が付く。
*)また、皇室専用の釜めしがあり、しいたけではなく松茸が入っている。

 以上、
   ウイキペディア百科事典の(筆者)による説明解説文である。外観とイングリーディエント(ingredient):食材構成)の紹介である。

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 「・・・?」

 「あのう?何か、この説明ではどうも、もの足りません?」

                           ですって?
 その通り!

 「味は如何か?」

 という、肝心な説明は(ウイキペディア百科事典では禁物!)為されようはずもなかろうよ、、。

 全国で「峠の釜飯ファン」の方々にはたいへん失礼だが、味は物足りなくどちらかといえば薬品使用っぽい後味悪き甘さのみ口の中に残り、それぞれの食材の味はテンデンバラバラ且つ均一に甘口味に整えられ、真にもって食した後の満足感と「バランスのとれた旨み」を感じないのは、なぜであろうか、、、。

 ウム、どうも鶏肉の出汁(トリガラスープ)などを活かし効かし、巧く鳥のスープを処理しつつ炊き込んでいないのでは?等と、我輩は思うのである。つまり、はっきり言わせて貰いますと『人口調味料』独特の味が舌に残って後味悪く、これで「宮内庁ご用達だの名物駅弁だの・・・」とは、けしからん!

 もう一つ、何故か我輩の食感の基本にてこの手の和食に対しては、必ずや「磯の香り」を求めている遺伝子が存在していること、あらためて気付いた。

 「釜飯には、どうしても磯の香りがほしい・・・」

 焚き込みご飯にも、海老で出汁をとるとか、ファイナルに海苔をまぶすとか、そういった芸当を求めてはいけないのであろうか。そう、かの地は群馬県。海の幸など本来的に在ろうはずもなく、また、求めてもいけない。

 最後にもう一つ、駅弁たるもの朝早くから本店の厨房で大量にこしらえて据え置き、数時間の後「冷たく」なった状態で食すもの。ならば、思い切ってもう少し「濃い味付け」にしては如何(どう)か?我輩関西以西の地域の出身であるが、「濃い味付け」も納豆も焼き鳥も、ほとんど関東以北の食品食材且つ味の付け方は、受け入れ可能である。かの「釜飯」(添付写真)を食したときのことを思い出せば、鶏肉の調理方法は、どうも「鶏のから揚げ」程度?いや、煮込んでいるか?を。添えてあった記憶あり。やはり鶏肉は、別途調理する段階で(全ての食材は別々に調理されたものを添えてある。と、判断する!)、たれ付け「焼きとり」の如く「甘辛い濃い口」の味付けをすべし。

 やはり、
         「名物に旨いものなし!」
                            で、あるか。

 しかししかし、まだ諦めたわけではなく、完全に失望し「峠の釜飯」に決別した訳ではない。

 「そうだ!そうなんだ!」

 「そう、是非そうしなくては・・・」

   来春はぜひとも、あらためて「おぎのや本店」に繰り出し、あたたかい出来立ての釜飯に挑戦する。そうしてもう一度記事にしなくては、、、。


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<編集後記>:わが故郷広島に(歴史的には、たぶん)釜飯で名乗りを上げた「酔心本店」という和食の老舗あり。(こちらから酔心本店のホームページに入れます・・)
 広島っ子なら誰でも一度は足を運んだ経験は、あろう。また他県(特に東京?)からお見えになった客人を接待する時も、必ず一度は「酔心本店」に案内する?或いはすでに案内されたご経験をお持ちの方もいらっしゃるか。

 名物「峠の釜飯」を食した後、あらてめて思のである。

 「酔心の釜飯」の味を、あらてめて見直した。

 我輩は特に「あなご釜飯」を好んで食す。広島駅弁の「あなご飯」弁当も、大好きだ。瀬戸内海の「あなご」の味は抜群か。そう、いよいよ師走。ならば、きょうび既に牡蠣シーズン到来なるか。カキ釜飯も良い、、、。

 かくして磯の香り、いよいよ懐かしくなった・・・


有名駅弁「横川駅・峠の釜飯」、いざ食さん・・<2/3>

2006-12-18 13:50:30 | 食彩+酒の肴

    なになに、なるほど、、。
 
 この釜飯の容器は、きょうび珍しくも「プラスチック製品」ではないのだ・・・
 
 これ全て、土器風?陶器製なので感心した。(食し終わった後、キッチンのはかり絵重量を調べたら、何と650gもあった・・・)
 そう、昔の駅弁屋さんや車内販売の「お茶」の容器は全て陶器製であったことを思い出し、ノスタルジックな気分になる。その後、プラスチック製の容器に変わり、現在は缶入りのお茶になってしまったのだ。

 昔懐かしい「ふるさとの風情」は失われつつあり、情緒は薄くなり平べったくなりつつある。こうして「峠の釜飯」のイレモノを観ていると心は和み、古き時代の日本のよさを思い出させてくれるから、うれしい、、、。

 「・・・!?」

 そう、そうなのです。
 この土器は(敢えて土器と称したい!)、釜飯を食べ終わった後も捨ててしまわずに大切にとっておきたい。聞くところによると、一人前の「おかゆ」を作るのに重宝すると云う。また、軽井沢の知人の某事務所では「この釜飯土器」を灰皿に使っている。釜飯の土器釜を「タバコの吸殻入れ」に使用するとは、なんたるちあ?
 しかし灰皿利用も一計か?

 さて、読者の場合、「如何に利用されるであろうか?」

 「・・・!XXooX!」

 「おお、お待ち下さい!」

 「・・・・?」

 「かしこまりました。明日記事にて釜飯の具(中身)をとくとご覧頂き、ご一緒に食しましょうぞ!まま、しばしお待ちを・・・」 


<・続く(明日投稿!)・・>


* <参考資料>:峠の釜飯本舗おぎのやホームページ

名物「峠の釜飯」(今尚愛され続く、群馬県横川駅の駅弁!?)<1/3>

2006-12-17 13:45:20 | 食彩+酒の肴

 さて、我輩の(旅行屋稼業)現役時代のこと、

「旅行屋稼業たるもの、お正月には特に力を注ぎ、ひたすら仕事すべし!」

 それはまるで、永きに渡りシリーズ化された山田監督&渥美清コンビによる歴史に残る映画作品「男はつらいよ!」の主役トラさんこと車寅次郎先生と我輩は、まさに同じ行動パターンにて、毎年お正月は仕事で忙しかった。今も尚、車先生を「わが師」と仰ぎつつ、永遠の老騎士「ドンキホーテ卿」と共に、「男子!かくあるべし?」との生き様は、エセ男爵にして尊敬に値する男性像なのである。そこで、かの車先生の生業(なりわい)は「的屋(てきや)稼業(かぎょう)」にて、我輩の仕事も旅人(たびにん)稼業なり。いずれの稼業も、毎年お正月は「かきいれどき」。18年にも及ぶ現役時代の正月は、海外に滞在し日本より押し寄せてくる旅行客を千切っては投げ千切っては投げ、右往左往と捌いて行かねばならなかった。第一の結果、お正月に海外旅行されるお客様優先。第二の結果、家族の小さな幸せは全くかえりみず、無視しつつ、今想えばバカバカしくも?海外現場にて埒もない仕事に精を出し続けていた記憶あり。日本でお正月をむかえたのは、そのうち僅か数年間(記憶によると18年間の内、確か?僅か!に4回なり)であった。

 「今年の正月は、それなりの事情あり!・・・」

もって、
 「コノお正月」は、必ずや郷里に帰省する予定を立てた。

 ならば、
 「前もって新幹線切符の購入をしておかないと、まともに座席に座って帰れないか?」
 と、思い立ち、
 本日(12/15金曜日)、早い午前中に軽井沢新幹駅に向かう。
 「八風の郷」から車で走ること約15分。この時節、ウイークデーのこの時間帯(午前9時過ぎ)、平素の軽井沢プリンス通りを行き交う車は少なく、シーズン中、通常ならば30分以上かかる距離(約12~3km程度?)にて車通行極少。瞬く間に軽井沢駅に到着。軽井沢駅の切符売り場では、待たされることなく、且つ、「予定通りの日付け、希望乗車時間はこちらの云いたい放題」にて予約可能。難なく「軽井沢~東京~広島」の乗車券と新幹線指定券を入手した。
上述、くどいくらいの書き下ろし、気の焦る我輩の状況をご説明する理由あり。
 つまりこの時期、下り新幹線に乗車した経験なく、果たして「まともに無事、帰省できるかどうか?」若干の不安を胸によぎらせつつ「軽井沢駅」に向かったものの、平穏無事且つ短時間のうちに目的を果せたのである。

 事のついでに、新幹線軽井沢駅の描写もしておきたい、、、。
軽井沢駅は、新しく!機能的?
3階建ての「コンパクト!+お洒落?+シンプル!」な軽井沢新幹線駅は、「北口と南口」の2個所の出入り口にそれぞれエレベーター設置され(中高年齢層や足腰悪いヒトにも親切なる取り計いは正し?)、中高年にとっては特に、ほのぼのとした親切感溢れ、行き届いた配慮に感心する。されど、おみやげ物売店等の数は至って少なく、真にシンプルこの上ない。ゆえに(以前から)気になっていた唯一の「駅弁売り場」は、おのずと視界に入る。

 今朝(何も今朝に限らず、多分、ほとんど毎朝)山荘を出立する前、カフェオレのみを飲み干し朝食をとらずに駅向かった我輩。ついつい「峠の釜飯」の旗竿掲げてある弁当屋さんに、目的無しにフラフラと入ってしまった。
 入ったら、
 「いらっしゃいませ!」
 と、朝から元気はつらつか!売店のオバチャまから声を掛けられる。我輩として直接的に声をかけられたら、
 「何か買わねば、店のヒトに申し訳ない?」
 と、感じるのは、我輩の弱点? 且つ、ほとんど何も考えずに衝動買いする「いつもの悪癖」か、、、。
 
 こんな経緯にて、晴れて、ようやく、さほど興味をそそらない「駅弁の釜飯を買ってしまった・・・」、のである。
 
 軽井沢駅!で唯一?販売されている「釜飯」を購入。再び、ゆるりのたりと運転しながら「八風の郷」に戻る。

 戻りながら、思い出す。
 そう、
 数日前、我がブログの友人「漢の勲章」ことkenbou-7さんから頂いたコメントを、、、、。
 kenbou-7さん曰く、「一度、横川駅名物「釜飯」を食べてみたい!」という、セリフを思い出した、、、。

 「オォ!そうそう。そういえば先日、kenbou-7さんから頂いた駅弁と同じものか?いずれにしてもその一種?類い?に相違なかろう。ならば食してみる価値あり・・・」
 我輩、元来海外旅行屋にて国内旅行的有名観光スポット+有名神社仏閣+名所旧跡等々、且つ各地の有名弁当の類いの基礎知識は未だ皆無に等しく、多分、この調子でいけば一生涯?素人さま以下にて、恥ずかしき事この上なし、、、。恥をしのんで申し上げれば、実は、コノ釜飯の存在、kenbou-7さんに教わった次第。読者各位は、すでにご承知於きか?
 
 かくして山荘に到着するやいなや、初体験的『峠の釜飯』なるものブランチにて、試食を始める・・・

 果たして「釜飯の味」は如何なものか?

             きっちりとレポートいたします・・・

 <・本日より連載3回にて記事続く・・>



<関連サイト情報>

(1)「碓氷峠鉄道文化むら公式HP」は、こちらから。

(2)釜飯:「峠の釜飯」とは何ぞや?(ウイキペディア百科事典より)、こちらから入れます

(3)kenbou-7さんから頂いた記事コメントの「本記事」は、こちらから・・・

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(以下、頂いたコメントより部分抜粋し、kenbou-7さんの鉄道物知りマニヤック振りをご紹介したい・・)

* 『こんにちは!』 (kenbou-7) 2006-12-14 11:49:22

こんにちは!
久しぶりです男爵さま!
ここんとこメクルメク週末や…仕事が残業だったり…昨晩は忘年会だったり…かなりハードなスケジュールだったからなかなか伺うことができなくて…。

オレ昔電車が好きだった頃があって…(今でもたまにその血が騒ぐことがあるんすけどね)横川と軽井沢の間が廃止される前に行きたかったんですけど…なんせ遠いんで結局行けずジマイでした…。
                    (以下、省略・・)
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 そしてPS:
(不肖エセ男爵の独り言)「ウム、いちど来年春先あたり、kenbou-7さんと「横川駅」界隈にてご一緒に釜飯を食したいなあ~・・・」
 「・・・!」
 「そうだ!」
 「・・・?」
 「ならば、東京在住TS隊長もご同行願わねばならぬ!?」
 「・・・OOO!]
 「嗚呼、是非、TS隊長もお招きしたい・・・」