Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

冬の軽井沢、長期滞在計画・・

2006-10-28 21:38:45 | つれずれ紀行

 先週、軽井沢を訪ねた。
 
 昨年9月末に始めて軽井沢の地に足を踏み入れ、この度の軽井沢訪問は生まれてこの方、これで2度目である。この度は、金曜日から日曜日にかけての3日間(10月20日~23日)、東京の友人に誘われ、急ぎ旅にて軽井沢界隈を周遊したのである。

 結果、どうやら今年11月中旬より来年2月まで、部屋数約25室を有する小型ホテル並みの「別荘」に、単身、長期滞在しなければならなくなった。
 というより、我輩自ら、望んで別荘の留守居役を引き受けた。同居人は約5名。さる大学の講師が交代で滞在、加えて約4人の研究生達と同居になる。今のところ、互いに何も係わり合いを持たねばならぬ必然性はない、との事。我輩たるもの左様な関わりは、あってもなくても一向に構わない。

 事実この度は、別荘の場所と施設確認のため、軽井沢に足を運んだ次第である。

 新幹線軽井沢駅付近より、車にて僅か約20~30分か。タクシーのメーターは昼間にて約3千円前後の距離であるから、結構な距離である。大それた僻地といわないまでも、滞在予定別荘に近くなれば全く閑散とした単なる長野県の山間。すでに軽井沢らしからぬ小山を二つ越えなくては到達できない僻地の別荘地なのである。無論、暖房設備完備且つ電気は通っているものの、インターネット環境は自前にて構築せねばならないようだ。当面、執事はおろか、秘書役?お手伝いさんなど居ようはずも無く、自給自足の生活であるからして不自由この上ない。正直言ってしかし、この「不自由さ」を味わいたいのである。

 聞こえてくる音といえば、湧き水出でて谷間を流れる小川のせせらぎの「水の声」と、杜の合間から聞こえてくる「野鳥の囀(さえず)り」、風にさらされる木々の枝と葉っぱの奏でる「風の声」のみ、、、。
 静かなること、この上なし!
 これ、我輩好みの「静けさ」であり、気分は爽快である。

 そう、こんな最高の環境で、思いっきり(書き掛けの)小説を書きたい!そして、本年中に完成させたい。

 こういう環境こそ、我輩の精神生活を活発にする。快適な環境は最高の健康管理も可能となるか!

 読みたい本を多いに読み、
 書きたいことを思いっきり書き、
 毎朝コーヒーを飲みながら、好きなクラシック音楽を聴き、
 昼は昼で野山の散策か、
 週一度くらいは山を下り、軽井沢タウン界隈に出向きぶらつくか、
 夜は夜で適度にビールを飲み、ラテンやモダンジャズを聴き、
 思いつけば酒の肴は自前で造りつつ、ワインを少々・・・
 時に美味しいスコッチを(適度に)あおりたい・・・

 たぶん、毎週2度くらいは軽井沢の友人知人は山荘を訪ねてくるであろう。たぶん、月に2度くらい、東京の友人も繰り出してくることであろう。そんな時、多いに語り、多いに食し、美味しい酒を(適度に)気分好く飲みたいものである・・・



<画像画像>:
撮影場所:長期滞在予定となった軽井沢南西部地区の別荘地。ロビーのテラスから、浅間山を望む・・
撮影日:2006年10月21日(土曜日)午前10時頃

遂に出合った「瞬間死」?「頓死」?これぞまさに「大往生」・・・

2006-10-09 09:51:20 | つれずれ紀行
しばしブログ記事投稿無く、ご無沙汰でして・・・

実は、

 先月末(9月30日)正午前、自宅自室にて「我が母、急逝」致しました。

 テレビを見ていた母は、ほとんど「瞬間死」。

 死因は、「急性大動脈解離」。

 真っ昼間に、
 
 しかも、秋、空気爽やかにて良く晴れた週末の出来事、、、。

 享年80歳にて「大往生」、気丈な母にしていつも語っていた「往生際」を、はからずも実行できたこと、(母にとっては)この上なき『幸せ』か、、、。

 何しろ突然の出来事にて、あれこれ考えましたが当日(9月30日土曜日夜)、お通夜。昨日(10月1日日曜日)午前中に葬儀。

 大いに舞い上がり、驚き慄きつつも、冷静沈着なる「行動&手配」を敢行し、万事一連の葬祭行事終了。
 先週末には「初七日」を終え本日に至る。
 未だ、先月末までの「現実」と、10日間経過した今朝に至った迄の「現実」、現実と現実の辻褄合わせ、出来ているようで「感情」ならびに「精神的」な不一致多く、少しずつではありますが「整理整頓中」、、、。

 昨年5月末の父の逝去に続くこの度の母の逝去。
 昨年は父の通夜葬儀の日も尚ブログ記事を投稿し続けていました。が、この度は、いささか「記事の書ける」いとま少なく、またたく間に一週間経過。
 おおおよそ平々凡々と、時には機敏に忙しく、これで結構密度の高い人生過ごして来たつもりであったけれど、これほどまでに自分の意のままにならず且つ予測不可にて「多忙」な時の経過を経験したのは初めてである。
 「生あれば、死あり」・・・
 去っていくものあれば、あとに残されるものあり・・・
 この2年間、度重なる「家族の死」に直面し、いやがうえにも「人の逝く瞬間」を見せつけました。
 混沌とする精神を整理しなければならず、
 ならば今、これを機会にあらためて、
 あらためて『人生とは、いかなるものか』・・・
に、ついて対峙しせざるを得なく、ならば逃げ惑うことなく、日々日常の生活を全うしつつ悔いの残らないよう、「我が人生」を継続。つまり天命を全うしなくては・・・
 等と、思いつつ、未だ出来損ないの自分自身を叱咤激励しつつ、日々前進にて一歩一歩成長し続けて行き生きたいと考えます。
 
 やらねばならぬ事、やりたい事、まだまだたくさんあります・・・


 
PS:最近コメント頂いた諸兄へのご返事遅れに遅れ、たいへん失礼を致しております。もうしばらくの間ご返事コメントなるお時間を頂戴いたしたく、遅れておりますことお許し頂きたく何卒宜しくお願い申し上げます。

感想文=FT氏の「郷土史に関するエッセイ」に感動し、賞賛を贈った記憶・・

2006-10-02 18:38:45 | つれずれ紀行
<飴風呂転載記事>
2005-04-15
Theme:「まず読む、自分の意見と意思を持つ、そして『書くこと』の大切さ、について・・」

<投稿記事本文>

自分の意志、意見を持ち、そしてこれを「発表」することの大切さ、このブログを始めてから後あらためて感じています。

添付の読書感想文、我が郷里のテレビ局勤務FT氏により書き下された、郷土史研究に関する「研究開始宣言?と解釈「エッセイ」を拝読した後に書いたものです。

我輩、ブログを始めて2ヶ月になろうとしている今、いろんな迷いが出ています。しかし、あらためて「継続は力なり」という言葉を思い起こし、加えて意をあらたにして自分自身を叱咤し激励する「意」を込め、ここに掲載することにいたしました。

本投稿、ブログのタイトルから若干外れるものの、すべからく「これが基本」でありますからして、まことにお恥ずかしい。されど是非、ご一読いただければ幸いであります。

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『読後感想』


Tさまのエッセイは友人SK氏よりの薦めによりさっそく拝読いたしました。二編とも一気に読み切れました。

読者をして一気に読みきらせる作品は、作者が良い作品を書かれた「証し」である、と、断言できます。

昭和2?年H市に生まれ、現在もH市に住所を置くわりには、地元での人的交友の希薄な私をもってして、H市在住の文化人の手による「エッセイ」に出会えた事、初めての体験であります。

めずらしく、私の背筋には「良い音楽に出会えたとき」のごとく感動の衝撃で弱電流が走りました。弱電流が流れれば目頭が熱くなり(銀座東京に始まり、いまや日本全国から世界を徘徊なさる愛すべき中年男性・赤マント氏、すなわち椎名誠兄いの定番行動と同様、夕方のビールが美味くなり、加えて小生の場合タバコの消費量が増加するのです。おっと、余談で失礼しました。

とにかく、このような良い読後感、久方ぶりに清々しい気分にさせていただきました事、まずは御礼申し上げます。たいへんありがとうございました。

さっそくですが率直に感想を述べさせていただきますと、

 (一) 切れ味の良いみごとなストーリーを展開にされる文面による説得力は、すなわち作者がすでにセンスよい筆力を基盤に持たれ、日々これを磨きぬかれている事を証明しており、

 (二) その力と技の冴えをもって、まずは平和ボケ都市『H市』のテイタラク、現行の状態のままでの推移すれば即ち、ふるさとの衰退さえあれ発展はなし、、、。このような夢なき将来展望に対し、絶妙な切り口から「苦言」を呈され、もって同感である小生を喜ばせて頂き、

 (三) 切りかえして、新たな、いや旧知であるべき多くの市民が気付くべくして見落としている「Hの魅力再発掘」の必要性の強いご進言があり、原爆ドームや平和運動を傍におき、「OO城」に着眼され、もって中世O島の歴史的考察を宣言される、

 (四) いまや、H県およびH市を取り巻く「将来環境」は八方塞であり、ここは一つ、直接市民県民の手で、「発展的な何か?」を考え、あわせて行動する必要性を再考する、その機会を「貴エッセイ」は与え、且つ「檄」を飛ばされており、小生さっそく「それ」に共感し、感動し、喜び、

 (五) 加えて腹立たしすぎて語りたくないことに、今一度敢えて言及すれば、すでに世界遺産?に指定されている『宮島』のありていについては、言わずもがな、「魅力創り」や「分かりやすい付帯的な前後関係」の解説など、とことん地元民の工夫が必要であり、そのイントロダクションに作者が触れられ、

 (六) テーマ広島城にもどれば今まで、市民の一人一人が考え付かなかった広島城の広大な全体像を筆者ご自身のフィールドワークにより小気味よいご紹介あり、

 (七) 結びとして、調査展開の継続をベースに、中世OOの有り体、を歴史考察し、ご紹介いただけるとの事!最近になって少しずつ、自分の生まれたこの地Hの歴史に遡行したくなった今の自分にとって、まさに、歴史の局面をテーマに書き進められるであろう次号を楽しみにしているのです。

昨今、やたら物書き志向が流行している中、作品の中に作者の確固たる信念やアイデンティティーのかけらもなく、あまた感情のみが先行し、読み終えると何も残らず残れば後味悪き、読者に伝えるべき内容のかけらも持ち合わせていない物書きがあまりにも多いのではないか。そんなこんな憂慮や憤慨などしておりました中、本作品のリズミカルにして簡潔な文章表現、早くも次号を拝読したくなる爽快感に、一本筋の通ったお考え(アイデンティティー・ポリシーなどなど)が、核として力強く作品の基盤に存在する。くりかえしますが、作品の根底にある作者の頼もしいご意志と凛とした持論や意向をお持ちであり、その持論に同感です。

文章で「論陣」を張る!

書いたもので意見発表するのが論文であり、評論・論評文でありましょう。頭脳で考え、頭脳で描いたモノを文面にする難しさは、口頭で表現するより難易度が高い、と、小生は断言します。

過去の実績や訓練も無く、はずかしながら数年前から突然、自分も「ものを書いてみたい」という意欲に駆られ、切れ切れツレズレに小説執筆を重ねて約三年、思いのほか長編になりそうで、はたまた時代考証人文地理的論証の収集などに手間取り未完成の作品を引きずりつつ今日に至ります。いずれにしてもまだまだ修行が足りないようで、この度のTさまのエッセイを拝読させていただいた事、大きな刺激となりました。他人が書いた作品を批判するのは大変に楽な作業です。コロンブスの卵と同様、物書きの世界も、書いた人が一番、二番三番が無くて、論評する立場の人は、どうあがいても十番目。書いた人物の下の下の下の下にようやく位置します。論評者が大上段に構え、いくら大きな事を論評しても何も始まりません。が、時に作者は、論評を待っていることもあり、そんなときだけ論評者が作者に貢献できると信じます。

思うに、

どのようなジャンルの文章であれ、「文字で書かれているもの」の内容を理解するにはそれなりの知識の蓄積と未知の対象物に興味を持つ「意欲」が、あらかじめ「読み手=読者」に必要です。
くわえて、
書かれた作品内容を「論評」として批評表現するにあたり、当事者が面と向かって対峙し、「口頭」による議論(意見交換か?)の方法もあれば、「文章」の遣り取りによる「論議」もあります。
口頭(しゃべり)で「自分の意見発表」を正確に行い、且つ、相手の口頭(しゃべり)による意見を正確に捉え、さらに、より正確に「答える」難しさが存在します。時に誤解を生じ、時に、より深遠な相互の理解を推し進めるも可能となるのです。

さて、

これが文章による「批判論評」となった場合、上述の「口頭による方法」より、さらにその難易度は高くなるが、難易度が高いゆえ「より大きな誤差」が生ずる危険性はますます大きくなるわけでしょう。しかし、確立された信念と筆力の持ち主により、『文章』としてしたためられた場合、著者の意思から読者への意思伝達事項はけっしてその誤差は生じない。むしろ、伝達の正確性はその精度を増す。あわせて、豊かにして含蓄のある文章表現には思想の奥行きが醸し出され、そうなれば読み手それぞれ自らが無限大の想像力をもって勝手に先を創造し始める。つまりその引き金となるものが、作家の筆力というものである。その筆力により、文章全体にちりばめられたセンテンスの織り成す作品の行間には、さらなる含蓄が秘められる。

Tさまのエッセイは、すでに右の域に到達された作品であります。

作風にもいろいろ千差万別の所作があります。読者すなわち読み手側にも、作品・作風・テーマやシナリオに対する好みというものがありまして、ここは、決してそれらの良し悪しを一くくりには出来るものではない。と、思いますが、当作風は私の「好み」であります。

今ここに、

次の執筆を待ちわびている読者がまた一人増えました事ご報告するとともに、今後継続され必ずやご発展を遂げられる文筆活動に敬意を表し、恐れながらひとまずエールと喝采をお送り申し上げる次第であります。

平成十六年九月OO日

エセばろん(こと、ジョージ青木)拝

<以上、感想文・完了>


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追記(平成18年10月2日当日):

広島市内において、地元の歴史を留める史跡遺跡とは一体全体何なのか?
まずは広島城?
一番有名なものは、「原爆ドーム」と平和公園内の「原爆資料館」か、、、。
想えば、まことに以って味気ない「歴史的史跡」の見当たらない街である。
その様な我が郷里に対し、常々想ってやまない「我輩のはがゆさ」在り!
具体的には、何か?と問われれば、本来存在しなくてはならないの特徴たるものが見当たらなく、いかにも「情緒無き街の佇まい」である。
同期生のS氏(現在大学職員退職、趣味の絵画創作を続ける粋人にて、玄人画家!)の紹介された元地元テレビ局役員FT氏により著された「エッセイ」を拝読したのである。FT氏のエッセイには、今尚人知れず我が街に残る中世期の城下町的「歴史的史跡」を見出し由緒経緯を検証され、原爆投下とその後の平和運動の続行によりあまりにも有名になりすぎた「平和都市ヒロシマ」の存在により、逆に「掻き消された歴史」を再発見する必要あり!と、宣言された訳である。
我輩は「かくなる嗜好と意義」に賛同し、氏のご意志とご活動に感動するものである。

<添付画像>:約8年前に求めた[我が郷土]歴史に関する「一冊」。当記事との直接的関連性は無い。
けれども、
「あたらずと言えども遠からず」的な画像と思い、アルコール純度の軽い酒成分的気分にて添付した。広島県内の歴史の始まり「前篇」は、縄文・弥生の時代から戦国時代を経て江戸時代。後半は、ひとまず明治維新をむかえ、先の大戦終戦に至る一連の近代歴史を県史として捉える。読進めれば読むほどに、魅力乏しき地域にて、顕著にて興味深々たる史実は少ない。したがって一度読んだら二度と目を通したくない無味乾燥的な一冊か? 否、(初読当時)少なくとも記述内容には魅力を感じ無かった。魅力乏しき土地柄ではあるけれど、好むと好まざるに関わらず、自分の生まれた「郷里」の歴史は、やはり知っておきたい・・・