懐かしい人物から突然の電話が入った。
(先週金曜日・・・)
かつて(今も尚?)政治&選挙運動大好き人間!?飲食業界の大御所「MM氏」、ご本人直々の電話連絡である。我輩が日本にいるかどうか?いささか不安に思いながら電話したとの事。かれこれ5年近くお会いしていない。我輩、如何に郷里から遠のいた仕事を請け負い継続してきたか、あらためて痛感した。そして、MM氏の特技?得意技に入り、いつもの長電話。まずは互いの近況を問答する。
「そろそろ自分史を書かなくてはいけない。人生を書きとめておかねばなりません。等と、もうかれこれ3年前になりますかな、家内のほうから言い始め、自分史を書くソフトを買ってきて、書け書けといってうるさい。しかしいざ書こうと思うと、書けないものですなあ~」
(自分史を書くソフトが在ると聞いて驚いた。団塊の世代が卒業する世の中、流行であるか?巷には「自分史」を書く「俄か文士」が満ち溢れるのであろうか?)
<大なり小なりブログに関連ある自称&他称「文士」の方々、さらには自分史作成に興味をお持ちの方も、そうでない方も、まずは以下のランキングバーをクリックして頂き、不肖エセ男爵の不調振りをご確認いただきたい!>
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そこですかさず我輩曰く、
「いや、実は私も、自分史は書かないけれども小説を書いている・・・」
(若きモノカキは、すでに巷に溢れ本屋には名も知らぬ若き作家の「有名賞受賞作品」は、先を競って平積みみされているからたまらない・・・)
「ムム、さすがですな・・・ それで、小説はすでに完成しましたか?是非読んでみたい。さっそく貴殿の本ならば喜んで数冊買いますぞ!」
「いや、あのう~、それがまだ執筆中でして・・・」
「そう、ならば是非、執筆完成していただきたい。応援しますぞ!」
「・・・?!」(嬉しながら無言で陳謝)
「待ちます、待ちますよ~・・・」
俄かにMM氏の電話の口調に活気溢れてお見えになる・・・
「いや、あらためて自分の創作能力の欠如に気付きつつ、苦戦苦闘しながら今尚執筆過程にあります。ブログという得体の知れないシロモノに翻弄されつつ、今現在、ブログに嵌ってしまって小説執筆どころではありません・・・」
等と言い訳しつつ、
自分史作文ソフトがあるとは驚いた。それだけ「自分史を書く」のは流行っているのであろう。MM氏の会話の流れからは、何だか我輩に自分史作成を手伝ってほしいと仰らんばかりの「MM流、名(たぶん、「迷」が正解)台詞」が続く。しかし、電話から聞こえてくる会話の勢いは往時の頃より若干衰えて居られる様に聞こえてくる。
よくお聞きすれば、
電話のご本人MM氏曰く、
「私のよく知っている病院に、数日前に入院したばかりである・・・」
との事!
私のよく知っている病院(医院)、しかもかかり付け?といえば、さほど多くはなく、僅か?、駅ビルの中のT眼科あるいは中区のMO整形外科しかない。でもって、MO整形外科に入院されているとおっしゃる。まだ十分お若いのに(若干66歳)、肩から首が動かなくなってしまい、街中を歩くこと儘ならず、歩けば足元はふらつき足腰定まらず。と、おっしゃる。自分自身の診察のスケジュールに合わせ、翌々日さっそくお見舞いに行った。
なんと、3階にある院長室の隣の個室に鎮座!
まるでVIPルームである。目上の人大先輩といえども旧知の間柄。懐かしくも、ご挨拶はそこそこに、さっそく本論(自分史作成の云々)に入る。お手元には数十種の自分史関連メモや(2回にわたる)勲章授与関連並びに組合関係記念誌資料など、持参されているから驚いた。
そんな時、事務長MY女史が入ってこられる。
「なぜ?MM氏の入院をご存知か?なぜ今、病室に、いらっしゃるの?」
普通でも大きい目を更に大きく開かれ、完全に驚かれた様子、、、。
しかし、とっさに我輩とMM氏の「長きに亘る交友」ある事察知され、今度はMY女史が我々の会話の中に参加された。
MY女史曰く、
「診察のないときにお会いするのもよいですねえ・・」
かくしてお会いするはずのない場所にて、お会いしてもおかしくない女性(既に若くはないけれど、紛れもなく美人でいらっしゃる)にまみえ、華のある?会話は賑やかになり、お二人をお相手しなければならぬ我輩は、俄かに忙しくなった。入院中の大先輩M氏中心の会話になるべきところ、なぜか我輩のブログ記事の話になった。MY女史は我輩がブログを始める前から、M整形外科院長の代理にて、メール交信をさせていただいている旧知の仲。(残念ながら個人的交友関係は未だにない・・・)
「あの、ですねえ~」
「はい、なんでしょうか?」
「エセ男爵ブログ記事を読んで影響されました・・・」
「・・・?」
「あの~、私も買ってしまいました。桜井よしこさんの本を・・・」
「読みましたよ。あァ!ここに持ってきますから、MMさんもよかったら読んでみてください・・・」
僅か1分少々にて「論戦2006」を小脇に抱え、部屋に戻ってこられ、我輩経由にてM氏に手渡される。M氏は、表紙となっている桜井女史の和服姿に目をとられ櫻井女史的論戦の内容には、あまり興味をしめされようとしない。
さらにMY女史は、
「あのですねえ~、注文があります。私はほぼ同じような考え方なので、問題はありません。でも、政治記事よりももっともっと海外のことを書いてほしいのです。せっかく海外生活経験の豊富な人だから、海外生活の話題を交えて、今の日本を見る。今の我国の理不尽さを遠巻きに指摘するような(婉曲的且つ包括的な)内容のブログ記事にしていただいたほうがステキですし、もっともらしく、且つ、OOさんらしい・・・」
「・・・!」
「そうです。私はず~と以前からOOさん(注:OO=不肖我輩の事)を知っていますから、何だか政治記事を書かれると、現実の印象から外れてしまい、たいへん驚くのです・・・」
「・・・?」
「書いておられる記事、何しろ熱いのです。「訴え方」が、熱い。書いてらっしゃる口調が、熱すぎる!ご本人を知っている。だから驚くのです。でも、今は書いてください。OOさんのことだから、納得するまで徹底してやってしまわなければ気のすまない人でしょうから、書くだけ書いてください。そして、一段落したら優雅で楽しい記事を書いてください・・・」
と来た、、、。
我輩は、そんなにおとなしいか?
そんなに紳士然としているか?
我輩をして国を愛する心を持ち合わせていないように、ご覧になるか?
世の中の些事に左右されない高潔高貴な生活をしているとでもお思いか?
そうかも知れない・・・
確かに4~5年前の我輩は、あまり政治や思想の問題を問題にしなかった。
問題にしなかっただけで、気には留めていた。もっと若い頃の記憶を辿れば、企業に所属していた頃に一度も組合活動に参加しなかった。順送りで回ってくる大企業の御用組合の世話役などバカバカしく、時間の浪費だと思っていた。学生時代を振り返れば、幸いにも一度も「マルクス経済学者」に接したことなく、ケインズ経済学一筋で学生時代をすごせたこと、これまた時間の浪費をしなくて済んだ。
かくして半世紀に及ぶ戦後の歴史を振り返れば、いかにも胡散臭い俗称?進歩的知識人やマスコミの発する理屈や報道は、我国将来への飛躍の甚大なる妨げになっていること、明白なり。
そして今、若者と一緒になって日本の将来を考えなくてはならないのは、我々シニアの義務であろう。
そう、
決して逃げて通らないが、深入りはしない・・・
そんなスタンスで、政治の動向を見つめたい。
日本の歴史を正しく認識し、若者と一緒になって日本の伝統と文化を育み伝承していかねばならぬ。
さりとて我輩、世の中の茶飯事に捉われては居らず、政治屋やジャーナリストの仲間入りをする気分は毛頭ない。
しかし、
捻じ曲がった我国の国家歴史観は、一刻も早くこれを是正し、日本国民全員に「正しい国の歴史」を知らしめねばならない。我輩自身、今こそしっかりと学習し研究しなくてはならない。
上述の想い、MY女史にはよく理解していただいていると思う。また、MY女史から我ブログ記事の「在るべき姿」に注文を付けて下さったこと、言い換えれば、興味をもって我ブログを見てくださっているとこ、まことに光栄の至りなのである。
そんな時(先週末)東京の先輩から電話が入り、これまた俄かにモルディヴの話が出た。
「ところでサァ~、あらためてMoldivesをリサーチしないか?」
「エェ~・・・ 一体、何のことですか?」
「・・・!」
「伏してご勘弁を! 今の私には、モルディヴに長期滞在なんて、できっこありません・・・」
「・・・!?!」(かくして興味深々なる話題に突入。我輩、モルディヴに長期滞在も良かれ!?などと考えを変更しつつ・・・)
この秋、何だか、自分史作成のお手伝いと、モルディブ観光協会の話で忙しくなりそうだ。
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<モルディヴ紹介関連史料>
MACUNUDU Island of Maldives(きれいなモルディヴの写真史料をご覧になれます)
(モルディヴ政府観光局史料)
<以下、外務省モルディヴ情報基礎資料>
外務省関連史料「モルディヴ」はこちらから
「国 名: モルディブ共和国」(Republic of Maldives) 2006年7月現在
一般事情
1.面積 298km2(佐渡島の約0.35倍)
2.人口 29.9万人(2006年)
3.首都 マレ(マレ島人口:10.4万人)(2006年4月)
4.民族 モルディブ人
5.言語 ディベヒ語
6.宗教 イスラム教
7.国祭日 7月26日(独立記念日)
8.略史 1887年 英国保護国となる
1965年7月 英国保護国から独立、
同年9月国連加盟
1968年11月 共和制に移行
1985年7月 英連邦に正式加盟
政治体制・内政
1.政体 共和制
2.元首 マウムーン・アブドゥル・ガユーム(M. A. Gayoom)大統領
3.議会 一院制(議席50: 大統領任命議員8、首都マレ及び全国20環礁区(アト-ル)より夫々2名) 2004年7月、憲法改正のための特別国民議会(選出された50名、常設議会50名、非議員の閣僚から成る)が開会。
政党:モルディブ民主党、モルディブ人民党、モルディブ正義党(登録3政党)
4.政府 (1)首相名 なし
(2)外相名 アフメッド・シャヒード
5.内政 (1)78年11月に就任したガユーム大統領は、03年10月に実施された大統領選挙では有力な対抗馬が存在せず、国民投票では90.28%の票を獲得して再選された(現在6期目(任期5年))。大統領選挙に続く内閣改造では、計画・国家開発大臣にガユーム大統領の弟のハミード氏が就任するなど全24閣僚ポストのうち7つがガユーム大統領の親族で占められた。
(2)他方、大統領選挙直前の03年9月19日に、マーフシ刑務所(首都マレから南に25キロに位置する刑務所島)で受刑者が死亡する事件が発生したのをきっかけに、20日首都マレで政府関連施設への投石や警察車両への放火といった騒擾が発生。警察は沈静化のため催涙弾を使用するとともに、20日夜には外出禁止令を発出した。
(3)2004年6月、憲法改正に関する演説の中でガユーム大統領は、複数政党制導入に言及した。同年8月12日、ガユーム大統領主導の民主化政策に疑問を抱くモルディブ民主党等が主催した集会を政府が抑えようとして衝突が起こり、騒擾が発生、翌13日には非常事態宣言が発令された(10月10日解除)。2005年になって、ガユーム大統領は、今まで認めていなかった政党活動を保障し、複数政党制を導入、行政と司法の分離等民主化を進めている。現在、国民の基本的人権を拡充すべく憲法改正に取り組んでいる。
外交・国防
1.外交基本方針 独立以来非同盟中立政策を外交の基本方針とし、全ての国との良好な関係維持に努めている。
2.軍事力 (1)予算 437.9百万ルフィア (2001年予算)(対GDP比6.8%)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 約1,500人の主として国内秩序維持及び密漁防止を目的とする国家保安隊のみ。
(出典:「モ」政府資料)
経済(単位 米ドル)(出典:「モ」政府資料)
1.主要産業 漁業及び観光
2.実質GDP 753百万米ドル(2004年)、(2003年691百万米ドル)
3.一人当たり実質GDP 2,401米ドル(2004年)、(2003年2,262米ドル)
4.経済成長率 9.0%(2004年)(2003年7.8%)
5.物価上昇率 3.3%(2005年)(2004年6.4%)
6.失業率 0.9%(2000年)(95年0.8%)
7.総貿易額(2004年) (1)輸出(FOB) 162.0百万米ドル
(2)輸入(FOB) 655.5百万米ドル
8.主要貿易品目(2002年) (1)輸出 水産物、衣料製品、鉄くず
(2)輸入 機械、鉱物、食料品、繊維製品
9.主要貿易相手国(2004年) (1)輸出 米国、タイ、スリランカ、日本、英国
(2)輸入 シンガポール、スリランカ、U.A.E. 、インド、マレーシア
10.通貨 ルフィア
11.為替レート 1米ドル=12.80ルフィア(2004年平均値)
1ルフィア=8.29円(2004年平均値)
12.経済概況 モルディブ経済は水産業と観光産業が基盤となっている(実質GDPの約4割はこれら産業が寄与)。観光業が深刻な影響を受けた米国同時テロの発生した2001年以降、経済は順調に回復していたものの、2004年末に発生したインド洋大津波の影響で2005年の実質GDP成長率は-5.2%に落ち込んだ。
経済協力(単位 億円)
1.我が国の援助実績 (1)有償資金協力(2006年度、ENベース)27.33
(2)無償資金協力(2004年度まで、ENベース)242.30(内2004年度実績 22.56)
(3)技術協力実績(2004年度まで、JICAベース)48.28(内2004年度実績 2.70)
2.主要援助国
(2003年DAC資料) (カッコ内数値はDAC諸国合計に占める割合)
(1)日本(71.3%) (2)オーストラリア(13.8%) (3)ニュージーランド(4.6%)
二国間関係
1.政治関係 我が国はモルディブの独立以来良好な関係にある。
2.経済関係 (1)対日貿易
(イ)貿易額
「モ」への輸出 約 709.1万ドル(2004年)
「モ」から輸入 約2177.1万ドル(2004年)
(我が国財務省統計、IMF"International Financial Statistics")
(ロ)主要品目
「モ」への輸出 一般機械、電気機械、輸送機械、自動車
「モ」から輸入 魚介類(まぐろ、かつお等)
(2)我が国からの直接投資(我が国財務省統計、許可・届出ベース)
1989年度から2003年度までの累計3件約15億円
(3)モルディブへの邦人観光客数(「モ」観光省資料)
約23,269人(2005年)(英、伊、独に続き4番目)
3.文化関係 文化無償協力(1979年度から2003年までの累計8件、246.1百万円)、南西アジア青年招聘計画の実施。
4.在留邦人数 154人(2005年10月1日現在、在「ス」日本大使館調査)
5.在日当該国人数 23人(2001年12月末日現在、法務省)
6.主な要人往来 (1)往(1980年以降)
80年12月 愛知外務政務次官
81年8月 奥田衆議院外務委員長
81年12月 小渕日・モ友好議連会長
85年7月 小渕 〃
93年11月 小渕特派大使(大統領就任式参列)
2005年1月 谷川外務副大臣
(2)来(1980年以降)
80年5月 ジャミール外相(非公式)
80年10月 〃 (外務省賓客)
84年10月 ガユーム大統領(非公式)
88年6月 イリヤス・イブラヒム貿易工業大臣(外務省賓客)
89年2月 ガユーム大統領、ジャミール外相(大喪の礼参列)
89年3月 カマルディーン公共事業・労働大臣
(UNDPラウンド・テーブル会合事前協議)
90年11月 ガユーム大統領(即位の礼参列)
91年9月 シャフィーユ計画・環境大臣
(UNDPラウンド・テーブル会合事前協議)
92年5月 ジャミール外相(非公式)
93年11月 ジャミール内務大臣(日本国際観光会議出席)
94年11月 ザキ観光大臣(大阪ワールド・ツーリズム・フォーラム'94)
95年9月 ハミード国民議会議長(福田元総理合同葬参列)
95年11月 ザキ観光大臣(第10回日本国際観光会議)
96年3月 〃 (WTOアジア太平洋地域委員会)
97年11月 〃 (日本国際観光会議)
98年2月 ジャミール外相(非公式)
2000年6月 ジャミール外相(小渕前総理合同葬参列)
2001年9月 ガユーム大統領(WTOミレニアム観光会合)、小泉総理と会談
2004年5月 ザヒール建設・公共事業大臣
2004年8月 ヤミーン・モルディブ貿易・工業大臣
2005年9月 シャウジー観光大臣
7.二国間条約・取極 青年海外協力隊派遣取極(1981年12月6日)
<以上、外務省資料一部引用・・>
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(Foto資料提供:KURAMATHI Resrot、 Maldives..)
(先週金曜日・・・)
かつて(今も尚?)政治&選挙運動大好き人間!?飲食業界の大御所「MM氏」、ご本人直々の電話連絡である。我輩が日本にいるかどうか?いささか不安に思いながら電話したとの事。かれこれ5年近くお会いしていない。我輩、如何に郷里から遠のいた仕事を請け負い継続してきたか、あらためて痛感した。そして、MM氏の特技?得意技に入り、いつもの長電話。まずは互いの近況を問答する。
「そろそろ自分史を書かなくてはいけない。人生を書きとめておかねばなりません。等と、もうかれこれ3年前になりますかな、家内のほうから言い始め、自分史を書くソフトを買ってきて、書け書けといってうるさい。しかしいざ書こうと思うと、書けないものですなあ~」
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そこですかさず我輩曰く、
「いや、実は私も、自分史は書かないけれども小説を書いている・・・」
(若きモノカキは、すでに巷に溢れ本屋には名も知らぬ若き作家の「有名賞受賞作品」は、先を競って平積みみされているからたまらない・・・)
「ムム、さすがですな・・・ それで、小説はすでに完成しましたか?是非読んでみたい。さっそく貴殿の本ならば喜んで数冊買いますぞ!」
「いや、あのう~、それがまだ執筆中でして・・・」
「そう、ならば是非、執筆完成していただきたい。応援しますぞ!」
「・・・?!」(嬉しながら無言で陳謝)
「待ちます、待ちますよ~・・・」
俄かにMM氏の電話の口調に活気溢れてお見えになる・・・
「いや、あらためて自分の創作能力の欠如に気付きつつ、苦戦苦闘しながら今尚執筆過程にあります。ブログという得体の知れないシロモノに翻弄されつつ、今現在、ブログに嵌ってしまって小説執筆どころではありません・・・」
等と言い訳しつつ、
自分史作文ソフトがあるとは驚いた。それだけ「自分史を書く」のは流行っているのであろう。MM氏の会話の流れからは、何だか我輩に自分史作成を手伝ってほしいと仰らんばかりの「MM流、名(たぶん、「迷」が正解)台詞」が続く。しかし、電話から聞こえてくる会話の勢いは往時の頃より若干衰えて居られる様に聞こえてくる。
よくお聞きすれば、
電話のご本人MM氏曰く、
「私のよく知っている病院に、数日前に入院したばかりである・・・」
との事!
私のよく知っている病院(医院)、しかもかかり付け?といえば、さほど多くはなく、僅か?、駅ビルの中のT眼科あるいは中区のMO整形外科しかない。でもって、MO整形外科に入院されているとおっしゃる。まだ十分お若いのに(若干66歳)、肩から首が動かなくなってしまい、街中を歩くこと儘ならず、歩けば足元はふらつき足腰定まらず。と、おっしゃる。自分自身の診察のスケジュールに合わせ、翌々日さっそくお見舞いに行った。
なんと、3階にある院長室の隣の個室に鎮座!
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そんな時、事務長MY女史が入ってこられる。
「なぜ?MM氏の入院をご存知か?なぜ今、病室に、いらっしゃるの?」
普通でも大きい目を更に大きく開かれ、完全に驚かれた様子、、、。
しかし、とっさに我輩とMM氏の「長きに亘る交友」ある事察知され、今度はMY女史が我々の会話の中に参加された。
MY女史曰く、
「診察のないときにお会いするのもよいですねえ・・」
かくしてお会いするはずのない場所にて、お会いしてもおかしくない女性(既に若くはないけれど、紛れもなく美人でいらっしゃる)にまみえ、華のある?会話は賑やかになり、お二人をお相手しなければならぬ我輩は、俄かに忙しくなった。入院中の大先輩M氏中心の会話になるべきところ、なぜか我輩のブログ記事の話になった。MY女史は我輩がブログを始める前から、M整形外科院長の代理にて、メール交信をさせていただいている旧知の仲。(残念ながら個人的交友関係は未だにない・・・)
「あの、ですねえ~」
「はい、なんでしょうか?」
「エセ男爵ブログ記事を読んで影響されました・・・」
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さらにMY女史は、
「あのですねえ~、注文があります。私はほぼ同じような考え方なので、問題はありません。でも、政治記事よりももっともっと海外のことを書いてほしいのです。せっかく海外生活経験の豊富な人だから、海外生活の話題を交えて、今の日本を見る。今の我国の理不尽さを遠巻きに指摘するような(婉曲的且つ包括的な)内容のブログ記事にしていただいたほうがステキですし、もっともらしく、且つ、OOさんらしい・・・」
「・・・!」
「そうです。私はず~と以前からOOさん(注:OO=不肖我輩の事)を知っていますから、何だか政治記事を書かれると、現実の印象から外れてしまい、たいへん驚くのです・・・」
「・・・?」
「書いておられる記事、何しろ熱いのです。「訴え方」が、熱い。書いてらっしゃる口調が、熱すぎる!ご本人を知っている。だから驚くのです。でも、今は書いてください。OOさんのことだから、納得するまで徹底してやってしまわなければ気のすまない人でしょうから、書くだけ書いてください。そして、一段落したら優雅で楽しい記事を書いてください・・・」
と来た、、、。
我輩は、そんなにおとなしいか?
そんなに紳士然としているか?
我輩をして国を愛する心を持ち合わせていないように、ご覧になるか?
世の中の些事に左右されない高潔高貴な生活をしているとでもお思いか?
そうかも知れない・・・
確かに4~5年前の我輩は、あまり政治や思想の問題を問題にしなかった。
問題にしなかっただけで、気には留めていた。もっと若い頃の記憶を辿れば、企業に所属していた頃に一度も組合活動に参加しなかった。順送りで回ってくる大企業の御用組合の世話役などバカバカしく、時間の浪費だと思っていた。学生時代を振り返れば、幸いにも一度も「マルクス経済学者」に接したことなく、ケインズ経済学一筋で学生時代をすごせたこと、これまた時間の浪費をしなくて済んだ。
かくして半世紀に及ぶ戦後の歴史を振り返れば、いかにも胡散臭い俗称?進歩的知識人やマスコミの発する理屈や報道は、我国将来への飛躍の甚大なる妨げになっていること、明白なり。
そして今、若者と一緒になって日本の将来を考えなくてはならないのは、我々シニアの義務であろう。
そう、
決して逃げて通らないが、深入りはしない・・・
そんなスタンスで、政治の動向を見つめたい。
日本の歴史を正しく認識し、若者と一緒になって日本の伝統と文化を育み伝承していかねばならぬ。
さりとて我輩、世の中の茶飯事に捉われては居らず、政治屋やジャーナリストの仲間入りをする気分は毛頭ない。
しかし、
捻じ曲がった我国の国家歴史観は、一刻も早くこれを是正し、日本国民全員に「正しい国の歴史」を知らしめねばならない。我輩自身、今こそしっかりと学習し研究しなくてはならない。
上述の想い、MY女史にはよく理解していただいていると思う。また、MY女史から我ブログ記事の「在るべき姿」に注文を付けて下さったこと、言い換えれば、興味をもって我ブログを見てくださっているとこ、まことに光栄の至りなのである。
そんな時(先週末)東京の先輩から電話が入り、これまた俄かにモルディヴの話が出た。
「ところでサァ~、あらためてMoldivesをリサーチしないか?」
「エェ~・・・ 一体、何のことですか?」
「・・・!」
「伏してご勘弁を! 今の私には、モルディヴに長期滞在なんて、できっこありません・・・」
「・・・!?!」(かくして興味深々なる話題に突入。我輩、モルディヴに長期滞在も良かれ!?などと考えを変更しつつ・・・)
この秋、何だか、自分史作成のお手伝いと、モルディブ観光協会の話で忙しくなりそうだ。
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<モルディヴ紹介関連史料>
MACUNUDU Island of Maldives(きれいなモルディヴの写真史料をご覧になれます)
(モルディヴ政府観光局史料)
<以下、外務省モルディヴ情報基礎資料>
外務省関連史料「モルディヴ」はこちらから
「国 名: モルディブ共和国」(Republic of Maldives) 2006年7月現在
一般事情
1.面積 298km2(佐渡島の約0.35倍)
2.人口 29.9万人(2006年)
3.首都 マレ(マレ島人口:10.4万人)(2006年4月)
4.民族 モルディブ人
5.言語 ディベヒ語
6.宗教 イスラム教
7.国祭日 7月26日(独立記念日)
8.略史 1887年 英国保護国となる
1965年7月 英国保護国から独立、
同年9月国連加盟
1968年11月 共和制に移行
1985年7月 英連邦に正式加盟
政治体制・内政
1.政体 共和制
2.元首 マウムーン・アブドゥル・ガユーム(M. A. Gayoom)大統領
3.議会 一院制(議席50: 大統領任命議員8、首都マレ及び全国20環礁区(アト-ル)より夫々2名) 2004年7月、憲法改正のための特別国民議会(選出された50名、常設議会50名、非議員の閣僚から成る)が開会。
政党:モルディブ民主党、モルディブ人民党、モルディブ正義党(登録3政党)
4.政府 (1)首相名 なし
(2)外相名 アフメッド・シャヒード
5.内政 (1)78年11月に就任したガユーム大統領は、03年10月に実施された大統領選挙では有力な対抗馬が存在せず、国民投票では90.28%の票を獲得して再選された(現在6期目(任期5年))。大統領選挙に続く内閣改造では、計画・国家開発大臣にガユーム大統領の弟のハミード氏が就任するなど全24閣僚ポストのうち7つがガユーム大統領の親族で占められた。
(2)他方、大統領選挙直前の03年9月19日に、マーフシ刑務所(首都マレから南に25キロに位置する刑務所島)で受刑者が死亡する事件が発生したのをきっかけに、20日首都マレで政府関連施設への投石や警察車両への放火といった騒擾が発生。警察は沈静化のため催涙弾を使用するとともに、20日夜には外出禁止令を発出した。
(3)2004年6月、憲法改正に関する演説の中でガユーム大統領は、複数政党制導入に言及した。同年8月12日、ガユーム大統領主導の民主化政策に疑問を抱くモルディブ民主党等が主催した集会を政府が抑えようとして衝突が起こり、騒擾が発生、翌13日には非常事態宣言が発令された(10月10日解除)。2005年になって、ガユーム大統領は、今まで認めていなかった政党活動を保障し、複数政党制を導入、行政と司法の分離等民主化を進めている。現在、国民の基本的人権を拡充すべく憲法改正に取り組んでいる。
外交・国防
1.外交基本方針 独立以来非同盟中立政策を外交の基本方針とし、全ての国との良好な関係維持に努めている。
2.軍事力 (1)予算 437.9百万ルフィア (2001年予算)(対GDP比6.8%)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 約1,500人の主として国内秩序維持及び密漁防止を目的とする国家保安隊のみ。
(出典:「モ」政府資料)
経済(単位 米ドル)(出典:「モ」政府資料)
1.主要産業 漁業及び観光
2.実質GDP 753百万米ドル(2004年)、(2003年691百万米ドル)
3.一人当たり実質GDP 2,401米ドル(2004年)、(2003年2,262米ドル)
4.経済成長率 9.0%(2004年)(2003年7.8%)
5.物価上昇率 3.3%(2005年)(2004年6.4%)
6.失業率 0.9%(2000年)(95年0.8%)
7.総貿易額(2004年) (1)輸出(FOB) 162.0百万米ドル
(2)輸入(FOB) 655.5百万米ドル
8.主要貿易品目(2002年) (1)輸出 水産物、衣料製品、鉄くず
(2)輸入 機械、鉱物、食料品、繊維製品
9.主要貿易相手国(2004年) (1)輸出 米国、タイ、スリランカ、日本、英国
(2)輸入 シンガポール、スリランカ、U.A.E. 、インド、マレーシア
10.通貨 ルフィア
11.為替レート 1米ドル=12.80ルフィア(2004年平均値)
1ルフィア=8.29円(2004年平均値)
12.経済概況 モルディブ経済は水産業と観光産業が基盤となっている(実質GDPの約4割はこれら産業が寄与)。観光業が深刻な影響を受けた米国同時テロの発生した2001年以降、経済は順調に回復していたものの、2004年末に発生したインド洋大津波の影響で2005年の実質GDP成長率は-5.2%に落ち込んだ。
経済協力(単位 億円)
1.我が国の援助実績 (1)有償資金協力(2006年度、ENベース)27.33
(2)無償資金協力(2004年度まで、ENベース)242.30(内2004年度実績 22.56)
(3)技術協力実績(2004年度まで、JICAベース)48.28(内2004年度実績 2.70)
2.主要援助国
(2003年DAC資料) (カッコ内数値はDAC諸国合計に占める割合)
(1)日本(71.3%) (2)オーストラリア(13.8%) (3)ニュージーランド(4.6%)
二国間関係
1.政治関係 我が国はモルディブの独立以来良好な関係にある。
2.経済関係 (1)対日貿易
(イ)貿易額
「モ」への輸出 約 709.1万ドル(2004年)
「モ」から輸入 約2177.1万ドル(2004年)
(我が国財務省統計、IMF"International Financial Statistics")
(ロ)主要品目
「モ」への輸出 一般機械、電気機械、輸送機械、自動車
「モ」から輸入 魚介類(まぐろ、かつお等)
(2)我が国からの直接投資(我が国財務省統計、許可・届出ベース)
1989年度から2003年度までの累計3件約15億円
(3)モルディブへの邦人観光客数(「モ」観光省資料)
約23,269人(2005年)(英、伊、独に続き4番目)
3.文化関係 文化無償協力(1979年度から2003年までの累計8件、246.1百万円)、南西アジア青年招聘計画の実施。
4.在留邦人数 154人(2005年10月1日現在、在「ス」日本大使館調査)
5.在日当該国人数 23人(2001年12月末日現在、法務省)
6.主な要人往来 (1)往(1980年以降)
80年12月 愛知外務政務次官
81年8月 奥田衆議院外務委員長
81年12月 小渕日・モ友好議連会長
85年7月 小渕 〃
93年11月 小渕特派大使(大統領就任式参列)
2005年1月 谷川外務副大臣
(2)来(1980年以降)
80年5月 ジャミール外相(非公式)
80年10月 〃 (外務省賓客)
84年10月 ガユーム大統領(非公式)
88年6月 イリヤス・イブラヒム貿易工業大臣(外務省賓客)
89年2月 ガユーム大統領、ジャミール外相(大喪の礼参列)
89年3月 カマルディーン公共事業・労働大臣
(UNDPラウンド・テーブル会合事前協議)
90年11月 ガユーム大統領(即位の礼参列)
91年9月 シャフィーユ計画・環境大臣
(UNDPラウンド・テーブル会合事前協議)
92年5月 ジャミール外相(非公式)
93年11月 ジャミール内務大臣(日本国際観光会議出席)
94年11月 ザキ観光大臣(大阪ワールド・ツーリズム・フォーラム'94)
95年9月 ハミード国民議会議長(福田元総理合同葬参列)
95年11月 ザキ観光大臣(第10回日本国際観光会議)
96年3月 〃 (WTOアジア太平洋地域委員会)
97年11月 〃 (日本国際観光会議)
98年2月 ジャミール外相(非公式)
2000年6月 ジャミール外相(小渕前総理合同葬参列)
2001年9月 ガユーム大統領(WTOミレニアム観光会合)、小泉総理と会談
2004年5月 ザヒール建設・公共事業大臣
2004年8月 ヤミーン・モルディブ貿易・工業大臣
2005年9月 シャウジー観光大臣
7.二国間条約・取極 青年海外協力隊派遣取極(1981年12月6日)
<以上、外務省資料一部引用・・>
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(Foto資料提供:KURAMATHI Resrot、 Maldives..)