<添付画像>:
撮影場所:広島県呉市「やまとミュージアム」の正面入り口
撮影日時:平成19年3月、中旬
天候:真冬に逆戻りしたかのごとく、春遠い冬型の曇天・・
撮影機材:CONTAX GI / Lens: Carl Ziss, Biogon2,8 28mm / Film: by Kodak,ISO400, to CDR-Cpoy,,,
* 「やまとミュージアム見学」の記事連載は、
先に掲載した「拝啓 ますらお さま」・・に寄せ、
tonoゴジラさまよりご寄贈頂いた「輝く海軍写真帖」に触発され、記事投稿に至るものである、、、。
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今年3月中旬のこと、鉛色に曇った冬型気候的なる朝にもかかわらず、晴れやかな気分にて、いつもより早く起床する。前日より見学予定していた
「やまとミュージアム」に行く。
な、なるほど! たしかに変わった・・・
JR呉駅構内はこざっぱりと建替えられ、呉駅前の様相は一変し近代化されているではないか! 海運業者関係の事務所や倉庫しかなかったはずの駅裏南側には、何と大型小売店舗も併設されているではないか、、、。想えば、かれこれ20年以上も呉駅界隈に所用なかった我輩の四半世紀を回想し始めるから面白い。まるで、浦島太郎丸出しであり、かくなる「呉駅周辺の風景」は、時代錯誤甚だしき我輩の目には「異形」としか写らない、、、。
JR呉駅改札口から一旦は、正面出口に迷い出でる。
あれこれ市街案内地図を見ていたら、地元の親切なオジサンは一人、躊躇する我輩に話しかけられ、ご親切にも「やまとミュージアム」への道順且つ方角を案内して下さった。
「かくなる我輩は、広島人ぞ!」
(その昔、呉にはよく来たものだ! でも今現在、我輩の躊躇振り不案内振りを地元の人たちからご覧になれば、呉市内はおろか県外の人間に見えるかも?・・・)
たぶん、我輩の姿は、いかにも県外より呉市訪問した如く、「にわか観光客」にも見間違う立ち居振る舞い、その中年紳士は、いかにもそんな我輩のたどたどしき一挙手一投足を垣間見られた後、哀れに思われたに違いない、、、。
ま、それほど多くの人々訪れる呉市になったは、「やまとミュージアム」のおかげか?・・・
いかにも変わり果てた呉市異形(イギョウ)の一部、呉駅ビルに隣接の大型店舗を通り抜け、駅裏に出でてみれば、何と呉湾内の海岸の一部であった所は埋め立地に様変わりしている。 そこに「やまとミュージアム」と称する立派な博物館は新造されているのだ。
さっそくミュージアムの正面入り口を撮影する。
!?! 視界の右手に入る巨大鉄棒あり、、、。
鉄棒は、何と!
戦艦陸奥(to Wikipedia,,,)の主砲ではないか!
一刻も早く、目的の「やまとミュージアム」に入館するはず・・・!
しかし今、それどころではない・・・
しかと我輩自身の裸目にて、「戦艦陸奥の40サンチ主砲」の現物を、近く傍によって確かめなくてはならぬ、、、。
画像では掴みきれぬけれど、上記画像に収めた一見「巨大鉄パイプ」の管の穴は、直径40cm であるか?!
「ムム、直径40センチの弾丸を発射させるには、これだけ巨大な「鋼鉄パイプ(銃身?砲身!)を必要とするか?!」
ちなみに、戦艦大和の主砲は46センチなのだ。僅か6センチの主砲の大きさの違いは、戦艦陸奥の排水量32,700トンからほぼ倍増にして、戦艦大和の排水量約7万トンの違いに至るのである。
ま、とりあえず、(上記掲載画像をご参照・・)40サンチ主砲の巨大砲弾込めする「主砲の根元」に屯する人物(女性)の身長と巨大鉄パイプの根元の大きさ、比較していただきたい。
そして、視た!
しかと視ましたぞ!
この口径40センチ主砲の「弾丸込め」する部分を!・・・
専門兵器用語ど忘れにて、恥ずかしながら素人用語を使えば「砲門閉塞器(器≠装置!か?)」部分である。
直径40サンチの巨弾を巨砲の根元部分から込めて発射する「大砲」の根元部分にかかる「火薬炸裂圧力」なるもの、如何に莫大なものか、逆に想像できる。だから、弾丸直径(40cm)の約4倍以上の直径の大きさであること、この眼でしかと確認した。さらに驚きなるものは、この主砲閉塞装置は、純度の高い「真鍮合金」でできているのだ。膨大な火薬量の炸裂は、瞬時にして砲身内部はたいへんな高温(たぶん数千℃)に晒される。高温に晒される砲身は錆びるし腐食する。
この腐食に耐える金属こそが「
真鍮合金」であると、あらためて認識する。かくして真鍮合金は、海洋船舶の大切な部分に多用される、重要貴重な「銅の合金」であること、なんとなく知ってはいたものの、実物を見て確認し、そして再認識する。
上記画像は、ご存知!巨大戦艦の「推進器」と「舵」である。(舵は2枚、装備されていたはず!舵に使用する鋼材だけで、マグロ漁船の一艘程度なら、楽に建造できるのではないか!?・・・)
ちなみに、後ろに写っている「乗用車」の大きさと比較願いたい!
(普通乗用車の20台程度は作れそうだ・・・)
このスクュリュー2本!
* 投稿後加筆:(上記、コメント欄にて訂正!実は4本のスクリューを装備している・・)
これが戦艦陸奥(排水量2万7千トン?)の巨体を、26ノット以上の速力にて海上を突っ走らせる推進器なのだ! 見聞きしたところによると、現在船舶の推進器にも同じ素材(真鍮)が使用されているとのこと。すなわち、80年も前に建造された戦艦陸奥(姉妹戦艦・長門)のスクリュー(推進装置・船のプロペラ)と、ほぼ同じ素材を今尚使用するとは、我国はすでに80年数年の以前に、完璧なまでの造船技術を持っていたことに他ならない。
スクリューの製造は、まず設計図通りの鋳型に流し込んでスクリュー原型を鋳造してカタチを作る。その後は手作業により、経験豊富な熟練技術者の手作業により、微細な造型と厚みとバランスなど、整えられると聞く。 かれこれ100年ほど前に、我国海洋船舶造船技術は「世界の最先端」を走っていた事実を実証する歴史の証人(証拠品)は我が目前にある。 さらに、この巨大プロペラを4基もくっ付けて回す強力なエネルギーは、精工且つ巨大な重油ボイラー4~8基搭載していたはず、、、。
上記掲載の絵画、在りし日の「戦艦陸奥」の雄姿である。
そして、なぜか、戦艦陸奥の写真は少ない、、、。
上記絵画は、改装される以前の「戦艦陸奥」の竣工当時の原形をとどめた姿として、貴重であろうか、、、。
さて、
話は「やまとミュージアム」見学から大きくそれてしまい、且つ、中途半端な記事になったか、、、。
本日記事、かくして連載に入る。
<
・続く・・>
以下、
(参考資料)
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「戦艦陸奥」(
ウイキペディアより)
艦歴
発注:
起工: 1918年6月1日
進水: 1920年5日31日
就役: 1921年10月24日
その後: 1943年6月8日に爆発、沈没
除籍: 1943年9月1日
性能諸元(竣工時)
排水量: 基準:32,720t
全長: 251.80m
全幅: 28.96m
吃水:
機関: 80,000馬力
最大速: 26.7ノット
航続距離:
兵員:
兵装:
(以下、同ウイキペディア英語版より・・)
[
Japanese Battleship, 'Mutsu']
Career
Laid down: June 1, 1918
Launched: May 31, 1920
Commissioned: October 24, 1921
Status: Sunk by internal explosion, June 8, 1943
General Characteristics
Displacement: 42,850 tons
Length: 221.03 m (725 ft 2 in)
Beam: 34.59 m (113 ft 6 in)
Draught: 9.50 m (31 ft 2 in)
Propulsion: Geared turbines, 4 shafts, 80000 hp (60 MW)
Speed: 27 knots (50 km/h)
Range: 5,500 nautical miles at 16 knots (10,200 km at 30 km/h)
Complement: 1,368
Armament:
Eight 16 inch (406 mm) guns
Twenty (later eighteen) 5.5 inch (140 mm) guns
Eight 5 inch (127 mm) anti-aircraft guns
Up to 98 25 mm AA guns
Aircraft carried: 3
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以上、
ウイキペディア百科事典より、日米資料を対比転載する、、、。
なさけなや、、
日本語版よりも英語版の方が、より詳しい「緒言」在るのは如何なものか?! すなわち、逃げ隠れするばかり、あるいは大東亜戦争の現実から眼を背けるばかりがのうではない。今や21世紀。ならば「過去の現実」に眼を開き歴史として正しく認識し、認知し、将来に伝えるは「文明国家」に住まうものの責任であり、教養の一部と考える。
感情的且つ小児性痴呆症的思想の介入なくあくまでも冷徹に、社会科学的切り口により「我国の近代史」に曲解誤解あってはならず、且つ近代史の生き証人ご存命の時にこそ、書き物にされていない「口頭伝承」は大切と考える。これら現実と事実を風化させることなく後世に伝えて頂きたく、もって正しき歴史認識の必要を、あらためて想う、、、。
さて、
「やまとミュージアム」とは、上述の目的を全うすべき「性格」をもった博物館といえるかどうか? たった一度の見学では、よく理解できない、、、。
そんなこんな、平成19年春爛漫の真っ只中なる本日の心境なり、、、。