Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

バリ島「第3隠れ家」にて・・

2006-09-30 10:15:15 | インドネシアとバリ島の話
<オリジナル記事>
2005-03-14
「シャワータイム(バリの第3隠れ家にて)」テーマ:苦悩のバリ島


 夕方、サンセット30分前、

 「ビールがほしい!」

 「まず、その前にシャワーをとろうか?」

 「ウム・・・」

なかなか 気ィ~つかってるじゃないの・・・

スミニャック地区「Bali Ayu Hotel」のベッド、足元の位置にしつらえてある「タオルセッティング」・・・

まるで蓮華の花を想わせるバスタオルの折り紙(違う!タオルタタミ?)がアレンジされているのだ。

その真ん中に「花」、ハイビスカス、、

ほとんど日没に近い状態であるけれど、手前から射しこむ「夕日」に照らされた花びらの赤色にご注目いただきたい、、、。夕日のエネルギーが注ぎ込まれ、ハイビスカスの花弁発色は『超真紅』・・・

「それなりに、お洒落に考えるてるよな~・・・」

これ、熱帯地方的発想ではないか!



* 長期滞在向けホテル視察の為、当ホテルには何だかんだと1週間、滞在してしました。続き記事の稿稿します。

不良中年的中期滞在範例?「バリ島の一日」(転載分)

2006-09-29 10:12:25 | インドネシアとバリ島の話
 「インドネシア・ロングステイ(長期滞在)」に関し、昨年春先、一度纏まった記事にしたいと企画していました。
 この度「意」を決して、あらためて「それなりのエッセイ」として連載したいと考えました。
是非連載実行します。
(小説フォワイエ・ポウも書きかけですが、コレはこれとして・・・)
 以って本日、一度掲載した記事を再度掲載します。当記事、2002年度の春先から秋口にかけて約半年間、「例の安宿」に滞在中に、我が郷里における主治医の先生宛メール送信した「日記的メモ書き」記事、、、。
 いささか長文ですが是非ご通読を・・・

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2005-03-11
バリ島・隠れ家の一日
テーマ:苦悩のバリ島

乾季真っ只中の滞在です。

たぶん、一階の部屋は湿気(特に雨季)が多そうです。

わずか10数棟のコテッジの中、私は敢えて、わずか3部屋ほどしかない2階の部屋に2ヶ月近く滞在していました。

風通し良く、10畳程度の適度に日当たりの良いテラスが付いており、その奥の部屋も10畳程度です。
レラスを計算に入れなければ奥の部屋自体、そんなに広くありません。ツインルームですが、シングルベッド一つであれば逆に広く使えると考えました。さっそくホテルのスタッフに作業してもらい、もう一つのシングルベッドをテラスに持ち出し、昼寝用のスペースと訪問者が来た時の自分のソファーとして使用できるよう模様替えしました。正解でした。
昼夜を問わず、このテラスが私の居間であり、完全なプライベートな生活空間に組み込めていました。
コンピューターと携帯電話で、午前中は真面目に仕事をこなす。
室内には、(ホテル内すべての客室に)電話は一切なく、外部(外線)から電話が架かってきた場合まず事務所に架かり、ホテルスタッフがわざわざ客室まで連絡に来た後、滞在客は事務所まで出向き、電話にでる。という、大変複雑な、前時代的な単純人的作業でとり行われる訳ですから、たいていの場合、私の知人は直接私の携帯電話に電話をしてきました。最初は不便に感じましたが、部屋に電話が無いのもいいものです。

さて、私のホテル滞在の行動は、おおむね以下のとおりです。
おおよそ起床は7時半。低血圧ですからなかなか頭脳のエンジンがかからない。
まず、熱いコーヒー、ボトルウオーターをたっぷりとのむ。
この間約20分。
それからシャワーを浴び、着替えを済ませてのったりとカフェに向かい、バリ・コーヒーとトーストにジャムとバターを基本としたコンチネンタルスタイルの朝食をとります。オプションで必ずフレッシュフルーツを注文します。日本円約30円ですが、私の感覚では大変価格的に高いのですが、健康を考え、必ず注文していました。このフルーツ、時として出来損ないの未熟フルツを食べさせられます。ですから、自分で買出しに行ってパパイヤを丸ごと冷蔵庫に入れさせてもらう。朝、必要な量をカットしてもらって、朝食に具していました。さらにはチーズも持ち込み、冷蔵庫に預け、優雅な自分のオリジナル朝食を楽しんでいます。
週一回は必ず、朝食時間に仕事の打ち合わせがあり、そのときは迎えの車でデンパサールかサヌールにでかけてゆき、仕事仲間で朝食を取ります。
それ以外の通常日、特別なアポイントや外出予定がない限り、朝食は約一時間半をかけて、ゆっくりとくつろぎます。その間に読書したり、あるいは仕事の段取りの為にメモ帳やダイアリーなどをチェックしたりしながら、コーヒーは最低3杯くらいおかわり(追加料金なし)します。
場合により、部屋のテラスまで朝食を運んで持ってきてもらい、そのままパソコンに向かって仕事時間に移行することもあります。

昼時間(私の昼時間とは、午後1時過ぎです)になれば、その日の気分により(毎日ではありませんが)はたまた、先のコーヒーショップから冷たい瓶ビールを一本持ってこさせ、食前の一杯を引っ掛ける。私の場合、さしたる「つまみや酒の肴」等、これを一切必要としません。
気分がなごんだ所で近所の屋台店で中食するか?安レストラン(オーストラリア人がよくつかっている)でインドネシア料理を食す。ここのナシゴレンは野菜たっぷり、変な脂っぽさが一切無く、最高です。いつもがら空きですから1時間以上、たっぷり時間をかけてくつろぎます。ホテルに帰ればすでに午後2時過ぎです。
帰ってきてからまたシャワーを浴び、テラスのベッドで昼寝開始となります。
(昼寝の時間、携帯電話が架かってきても出ない事にしています)
二階部屋のテラスを通る快適なそよ風の中、硬めのベッドで一時間半ばかり眠ると、もう気分爽快です。昼寝覚め時に、ミネラルウオーターをビアグラス程度の大きめのグラス一杯。一息に飲みほします。こうしておけば、あまり酔いは残っていないのです。
早い夕方から日が落ちるまで、ほとんど読書に時間を費やしました。
夜はパソコンに向かって気分が集中する限り何時になろうとも仕事をする。(朝の早い時間、あるいは夜になってからが、仕事に集中しやすいのです。理由は?涼しいからか?)
夕刻になると、部屋の中に一箇所とテラスに2箇所、蚊取り線香をセットしていますが、風向きにより、それでも十分に蚊に噛まれます。

午後9時近くになって、蚊取り線香持参で、ホテル入り口左横の「ホテル事務室」に向かいます。事務所のコンピューターケーブルを拝借し、Eメール通信をする。(なにしろ自分の部屋からは、通信不可!ですから、、、)もちろんメモにまとめて週一回、通信料は必ず払います。1分間80ルピア。日本円で1円10銭程度、納得の通信料金設定です。しかし通信速度が極めて遅いので通常メールだけで10~15分繋ぎっ放しになります。 返信の緊急を要するメールがある場合、さらにそこで作文し、送りなおす。さらに10分かかるか。それが終了してから、ようやくビールを飲み始める。
以上全て、テラスで「作業」し、且つ、テラスで「くつろぐ」のであります。
夕食は取ったり取らなかったり、、、。
時には、ホテルの近所の屋台で買ってくる焼き鳥と、「買い置きのチーズ(乳製品は輸入商品だから大変高価なのです!)」をかじりながら、ビール(主食か?)で済ませたり、時にはふらふらと近所の高級?観光客向けレストランに出かけて雰囲気を楽しむ。大体、一週間に2度の間隔で地元の連中と食事しています。
時には昼食、あるいは夕食を共にするのですが、たいていの場合、昼食ミーティングをしていました。
月に2~3度、朝食ミーティング等もやり、朝7時半位に車で迎えが来てからスミニャック海岸に出向く。
高級ホテルや高級レストランの並ぶ「クタ・ビーチ」沿を避ける。観光客が多くて、うるさい気分になるからです。
クタ海岸からほんの2~3キロ、少し西北に向かったところ、「スミニャック地域」の然るべき行きつけのレストランに集合し、朝食ミーティングなどしていました。スミニャックとは、最近になってコッテッジなどが開発され、主として欧米人の長期滞在者が住み着き始めた地域です。おしゃれで高級感もあり、逆に、まだ田舎っぽさ(バリ島らしさ)が十分に残っている大変環境のよい場所です。

さてさて、
住み着くには「足の確保」が必要です。
レンタカーはもちろん、貸しバイク(ホンダの250cc単機筒が多かったです)があります。
中長期滞在している豪・欧・米人の若い?連中は、ほとんどこのバイクで行動しています。
私も一時は、この手のバイクを借りようか?とも思ったのですが、「危機管理」を第一と考え、自らの運転ましてや二輪の運転は拒否しました。

同じホテルに長期滞在している白人連中、OO出身の30代の男性JICAスタッフとも仲良しになり、ホテル内の狭っくるしいプールサイドカフェに集まる。ホテルの冷蔵庫にそれぞれの飲み物を常にキープしており、適宜自分のものを取り出し自分勝手に飲みながら小宴会を開催します。気が向けば、その気になれば、コーヒーショップの安物オーディオで自前のCDを楽しむ。時にはスミニャックの海岸沿レストランまで足を運び、ささやかな夕食や豪華なブランチを楽しんだりしていました。

豪州人の老人夫婦が滞在していました。
が、
全豪州で約80数ヶ所のモーテルを経営している旦那がにわかに忙しくなり、先にオーストラリアのパースに帰ってしまったとのこと。結局、奥方(年のころどう見ても70代後半)だけが一人で居残り、昼となく夜となく、大きくて派手なストローハットを小粋にかぶってサングラスをかけ、ゆっくりとした口調の丁寧な英語を使い従業員に話しかけ宿泊客とは挨拶を交わし、いつもご機嫌麗しく、一人でうろちょろとホテルから出入りしていました。あるとき、ある日、この奥方は私が聞くオペラのCDが気に入りました。数年前にヨーロッパで買ってあちこち持ち歩いていたオペラのCDを聞いていたサウンドが、夜風に乗ってホテルの中庭を伝わり鳴り響き、部屋に居たそのオバ様がわたしのCDを聞きつけ、
「なんといい曲だこと、いいオペラですね。私も聞きたい、が、宜しいか?」
「どうぞ、歓迎いたします」
といったら、
「幸せですこと。まさか、バリ島まで来てオペラを聞けるとは思っても見なかった」
と、プールサイドでオーストラリア人のオバア様と一緒に、CD鑑賞会?を開きました。

また、
40代最前半の男性アメリカ人とも、ヒョンなことで知り合いになりました。
彼は何と、バリ島とジャワ本島間の遠泳世界記録保持者なのです。世界一の男であり、そういう男と知り合うのもうれしいものです。本人、もともと水球のオリンピック選手で、ロサンゼルス大会だったか、バルセロナ大会?に出場経験があるそうです。二人の妹がいて、二人ともオリンピック選手だとのこと、親父さんはふるさとのカリフォルニア州ドイナカにて今尚「開業外科医」を営んでいるとのこと。優雅なモンです。
彼は大学卒業後、ヨーロッパ界隈で男性ファッションモデルをやり、欧州と米国といったりきたりの生活が続き、(無論そんな中あらゆる女性モデルとの交際経験があり)そんな中、在米有名日本人音楽家や邦人服飾デザイナーならびにスポーツ選手と交流があるらしく、ポンポン私の知っている日本人なら誰でも知っている有名人の名前が正確に出てきました。そんなことで、ごく最近まで、東京にも長期滞在し、且つ、個人的なスポンサーが東京にいるので日本もしょっちゅう行ったりきたりしているとの事。東京では「英語教師」として小遣い稼ぎをしていたようですが、バブルがはじけて余りよくないとの事でした。彼は、必ず朝一(午前6時頃)でバイクに乗ってレギャン海岸に出かけていました。帰ってくるのは午前十時頃、私が朝食でカフェにいる時間帯です。バリ滞在理由は、もちろん水泳のトレーニング。しかし、第二番目の理由は「ガールハント」のようでした。彼は時に、一週間くらい外泊していた。にわかに彼女が出来ると、そちらの「滞在先」に出向き、出張サービス?をしていた様子です。
彼は彼なりの人生観があり、
『一生、贅沢せずに、人に迷惑をかけないようにしながら、しかし遊んで暮らしたい!』
と、こう本人が言っているのですから、もう手のつけようがありません。
彼の風貌は、
アラビアのロレンスの映画の主演男優(=ピーター・オツール)をもっと端整な面構えにしたような純金髪、正統派の、きりりとした甘さを持った二枚目です。こんなのが典型的なアングロサクソン男であると再確認した次第です。絶え間なく、あちこちうろつく私にとっても、こんなレベルの輩とは久方ぶりに会見した次第です。もちろんスポーツマンですから、かなり背は高く(188cmとか云ってましたが)、水泳をやっていますから体つきは決してマッチョ的ではなく、みごとに均整の取れた、きれいな身体をしているのです。まあ~、何と申しましょうか、こんな男に「正しい上流社会英語」(=流暢で、且つ、会話進行速度が適度に遅く歯切れがよく、発音やアクセントに癖がなく、すなわち聞き取りやすい英語の事、を、いう)で、上品に丁寧に話しかけられたら、洋の東西を問わず年齢問わず、どんな女性でも「イチコロ」でしょう。受け取る内容は、理解する側のレベルにより若干?大いに?違えども、、、。
ここで小生、男女問わず美しい「人物もの」には、やたらと「納得」できる性質(たち)なのです。人間だって、ある種の美術芸術品なのでしょうか?
でも正直言って、こんな男とは、一緒に歩きたくないんです。比較されたくないという、悟りきれない「下種な見得」が未だに残っているのか?!?
(ま、私もそれなりに年取ったから、もう、どうでもいいのですが、、、)
なかなか上品で雰囲気のイイ男でした。
実は、
彼が「私の観光開発に関する論文」を一晩で読破してくれました。(彼、一応、UCLAの経済学部卒業です)
さらに二回通読してくれたそうで、加えて、採点?「優」の評価を出してくれたのです。その評価基準とは、「バリ島観光開発の将来に関する発展的な構想の良さ」と、あとは「英文法を基調とする英語力?」である、というのです。
にわかに、うれしくなりました。
しかし、惟二箇所、どうしても治しておいたほうが良い「好くない文章=センテンス」があるとの事でした。
その箇所を、聴こう聞こうと思いながら、彼も私も時間がミスマッチ。で、私が日本に帰ってきてしまいました。
彼とは、あれからまだ会っていませんし、通信もやっていない。
縁があればまた会えるでしょう。
などと、
いつも思って海外旅行(滞在)を続けつつ、すでに30数年経ってしまった今日なのです。
<本記事・完・・>

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<添付画像>:安宿Pホテル中庭にあるプール。極狭なるプールサイドカフェテラスから撮影。尚、このプールにて泳いだり水に浸かったことすら、一度もありません。その理由、消毒目的にて塩素は満々、且つオーストラリア人オランダ人たち人間の垢(あか)だらけにて(我輩にとっては)不潔この上ない「悪しき水質」なのです。

続・バリ島の隠れ家(2)

2006-09-28 09:55:25 | インドネシアとバリ島の話
バリ島の隠れ家(2)
テーマ:苦悩のバリ島

長期滞在のための隠れ家「安宿」。敷地内の一角にある楕円形のプール(5mx15m?)を廻るように植え込まれた熱帯植物がうっそうと茂る中庭を「コの字」型に囲み、15棟18室(内3室が、2Fとなる)のコテッジが立てられている。
エアコンの付いている部屋とそうでない部屋、部屋の広さも大小違いがある。
この安宿を見つけた切っ掛けは、2日にあげず出入りする「エセ男爵お気に入り」のレストランバーの副支配人から紹介されたもの。
地元バリ島の友人達も、
「よく見つけましたね!さすが、あなたは海外旅行プロですよ!!」
などと、お世辞?(本心かもしれない?)を言ってくれるほどに、利便性抜群環境快適なる「棲家」である。けれども、ちょいと贅沢な日本人訪問客など「ご案内」する向きには、お勧めできないかも知れない。それには訳がある。この理由についてはまた、改めて紹介したい。

そう、
重要なるテーマは「部屋代(Room Charge)」について・・・
部屋の大きさと形はマチマチであるから、もちろん各部屋代にも違いがあり、タリフ(料金表)は「約3種類の料金」に分かれる。
おおむね1室30米ドルから15米ドルまで、若干の幅がある。

原生林のごとく欝蒼とした中庭の樹木が宿泊客の気分をやわらげてくれる。
通り抜ける風が樹木の葉っぱや枝に絡まれば、わずかな音を奏でて中庭を通り抜け、さほど暑くもない昼間の気温上昇は、意外にさらりと凌げます。

ここに住んでいて多くを望んではいけません。

所詮、単なる隠れ家ですよ。
カクレガ、ただ、それだけの事です。

オーナーはドイツ人女性。
それとなく、別に現地に「地元の男」がいる訳でもなさそうだし、粋ですね、しゃれた事しますね。
年に1~2度しか現場に来ないのですが、毎日従業員との連絡が綿密にいっているようで、ジェネラルマネジャー始め、良く躾けられた従業員の起ち居振る舞いで、ドイツ人オーナーの人となりが伺えます。

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 ブログ記事ではあまり紹介したくない事項であるけれど、まず(読者諸兄におかれて)「気になること」、ホテル滞在費。即ち部屋代であろう。
 我輩流のルームチャージの交渉と支払方法があるのでそれを紹介しておきたい。このホテルの「公示料金」は、一泊朝食付きにてUS$35~US$20or15$程度。ちなみに、2階のテラス付きの部屋は一泊35ドルであるし、エアコン付きの部屋とエアコン無しの部屋もある。US$15の部屋は、おおむねエアコン無しであり、インドネシア人のビジネスマン出張者か、現地の家族連れ旅行客の利用が多い。通常、間違っても日本人観光客は泊まらないし、このホテルの存在そのものを知っていない。
US$20x30日=US$600なり!
これ、単純に1ヶ月分の滞在費である。
いずれにしても、決して高くない。
しかし、おおいに交渉可能である。
我輩は、長期滞在(1ヶ月単位)にて料金交渉する。
たとえば、
たまたま3週間の滞在であろうと、必ず1ヶ月分の滞在費を支払うようにしている。(2年前のRoom-Chargeにて)1ヶ月約200ドルで交渉成立。当時しかし、3ヶ月間滞在にて、全額前払いして成立させたルームチャージである。半年単位、一年単位にて交渉すればどうなるか?もっと値切れるかも・・・
食費はどうか?自炊しなくてもいくらでも安くて美味しいレストランは見つかる。
宿泊費と食費(すべて外食)を含め、おおよそ日本円で5万円もあれば、バリ島で1ヶ月間、普通の生活ができる。
東ジャワと比較すればバリ島のレストランは、高い。
しかし、日本での「外食費」と比較すれば、天地の開きがあり、当然バリ島の食費は安い。
あれこれ考えれば、団塊世代の諸兄?並びにシニア世代のご夫婦連中?、年金の入るまで「繋ぎの生活」をエンジョイする?或いは年金生活をもっと有意義に過ごす目的?には、かの地「バリ島」は最適の場所かもしれない。或いはその逆かも知れない、解らない!その人それぞれによって価値観が違い、生活のレベルと人生の価値観の違う物差しでもって計測するから、測った数値は人それぞれの違い誤差が生ずる。
あれこれ考え想えば、「バリ島長期滞在プラン」を計画するのも面白いか、、、。
「生活費節約且つ高次元レベルの日常生活」実現のため、『バリ島ロングステイ研究』に関し、ブログ記事にて触るか?・・・

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バリ島「隠れ家」界隈の、小さな友人たち

2006-09-27 09:25:15 | インドネシアとバリ島の話
本来、子供の相手は不得意である。

このガキ達は、我輩のバリ島「隠れ家」付近に生息する。

親の顔、そんなもの知らない。

我輩のカメラを連中に向けたら、大喜びであった。めいめいポーズをとってその気になった。

デジカメのデータを開き、撮りたての「この写真」を見せたら、驚いていた。

いま撮った映像がすぐに見れる、あたりまえであるが、彼らにとっては驚異であろう。

それ以来、我輩の姿を見るなり、写真を撮ってくれ、とせがんで来る。

ガキと付き合うのは、はなはだ面倒だ。がしかし、大人と付き合うのは、もっと面倒である。

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 いわずもがな、本日も手抜き投稿!飴風呂転載記事である。

当時、読者から頂いた心温まるコメントがありますので、下記に転載させていただきます。

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<飴風呂より転記>

『コメント』[コメント記入欄を表示]

■言い得て、妙
最後の一行でピリっと日記が締まるあたり、さすがですね~。
ちなみに私のカメラはオリンパスデジタルキャメディア3.0メガピクセル…
広角レンズは、人力です。(しゃがんで見上げると、広角に見える…ような)
最近、熱帯雨林気候でご機嫌ナナメなんです。あと1年は使いたいッ!

水砂子 (2005-03-07 14:24:49) [コメント記入欄を表示]


■カメラと熱帯雨林気候は、肌が合わないですね
もう丸5年使っている私のデジカメは、SONY DSC-F550DX
一応ズームレンズが付いているのですが望遠?を効かせばきかすほど、ピンがめちゃくちゃ甘くなってくるのでして、この写真も50mmレンズの感覚でシャッターをきったのですが、どうしても焦点が合ってないのです。
バッテリー2個、メモリースティッカー(128M)3枚を当初より装備?し、事に当ってフル回転。もうバッテリは2個ともよれよれになってきました。ご承知の通り、当時この機種の画素はもう通用しない幼稚なものになってきました。
ここでひとつ、上級機材を入手したいのですが、なにせ手元不如意。
今しばらくの我慢です。
熱帯の気候、風呂桶をひっくり返したような熱帯スコール、カメラの天敵大敵ですよね。
あと一年、十分に気をつけられて、しっかり使ってやってください。
さぞかしカメラも満足、よろこびますでしょう。

エセ男爵 (2005-03-07 14:52:49) [コメント記入欄を表示]


■いい
笑顔ですね。
無邪気というか。
彼らには、男爵は魔法使いに見えたのでは??

花子 (2005-03-07 16:20:29) [コメント記入欄を表示]

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PS:最初にコメント頂いている「水砂子さん」!(ブログタイトル『人生は、人それぞれに宝物?・・・』こちらから入れます)
我輩(ご承知エセ男爵流身勝手に)憧れの(お会いしたこともない、ブログ記事のみ・・)の大好きな女性です。ステキな写真とポエムを、辺鄙この上ない太平洋の果ての地「米領サモア」から発信される・・・

そして、「花子さん」!?
失礼!
物忘れの専門家、不肖エセ男爵。今となっては思い出せません。たぶん、よく存じ上げている高貴な女性のお一人であると想像、且つ回想します・・・

バリ島の隠れ家(1)

2006-09-26 14:38:45 | インドネシアとバリ島の話
バリ島の隠れ家(1)
テーマ:苦悩のバリ島

今朝は、我輩の誇る「バリ島の隠れ家」で朝食を召し上がれ、、、。

「な~に、何もコーヒーショップまで足を運ぶことないさ」

「スタッフに一声かければ、コーヒーでも紅茶でも、コンチネンタルスタイルで、このバルコニーまで、セットして持って上って来てくれます・・・」

隠れ家はコテッジの2Fにあり、他の宿泊客からは一段高く逃れた位置にある。


写真は、隠れ家の部屋に付属する2Fのバルコニーであり、我輩専用のスペースとなる。
このスペースが「アウトドアー書斎」すなわち我輩のバリ島連絡事務所であり、つまり多目的スペースとなる。

朝、野鳥やニワトリの鳴き声と共に活動を開始し、昼間は海側からのそよ風を受けて涼しく、夜は山側からの塩分を含まない風が爽やかである。
レギャン通りが西に切れるあたり、海側から一本山手に入った場所に位置する。

レギャン通りまで徒歩2~3分、バイクで45秒。
クタの海岸まで徒歩12~3分、バイクで2分。
空港からおおよそ20分、デンパサールの中心街まで20分。
かけがえのないロケーションである。

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 例によってしばらく飴風呂引越記事・・・
 長らくバリ島に足を運んでいないけれども、「この安宿」には、我輩流インドネシア生活必需品一式を(約2年も経過した今も尚)、預かってもらっている。パンツやシャツの下着類やTシャツ、半パンに数本の替えズボン、インドネシアでの礼装となるバティックも高級ブーツからカジュアルシューズ等々の衣類一式、箱詰めしたままの状態にて、ホテルマネジャーに預けっぱなしである。中でも一番大切なものは、シンガポール界隈で入手しバリにて保管する洋書、専門書籍など十数冊。日本から持ち込んだ司馬遼太郎先生の著作「この国のかたち」全巻も置きっ放しである。
 海洋性気候といえども湿気の多い土地柄にて、(東ジャワ州での体験上)すでに書籍類にカビなど湧きくっ付いているかもしれない。海外出張集には常時持ち歩いているハンティングナイフにも、すでに錆が廻っているであろう。さらには、約100数十枚あるスライド写真(ポジフィルム)などにも、疵やカビがくっ付き、すでに全く使用不可なるダメージを受けているかもしれない、、、。
 「・・・!?」
 考えれば考えるほどに、書籍関連の保管状態に関する「心配事」多く、そのまま忘れてしまえばさほど「大したこと」もない・・・
 このところ、世界的なオイルの高騰にて各航空会社の航空運賃は値上げし、かつての安い航空運賃での渡航は、叶わない。現地の知人友人にお会いしなければならず、ならばこの冬場に、是非ともバリ島と東ジャワ州には足を運んでおきたいものだ、、、。

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東ジャワ州ルマジャン県の漁村にて・・

2006-09-23 17:57:25 | インドネシアとバリ島の話
本日も飴風呂引越記事、インドネシアジャワ島東ジャワ州より、、、。

<オリジナル原稿>

2005-03-15
子供シリーズ第2弾(東ジャワ州・ルマジャン県)


カメラレンズの目は、なぜか子供に向いている・・・

ジャワ島は、東ジャワ州のルマジャン県。

さる「うらびれた漁村」でのone-shot・・・

「うらびれた漁村」とは我輩の比較対照尺度であって、地元ではこれがあたりまえであり、決してしてうらびれてはいないのだ。

「朝早起きして漁村に向かい、そして撮った写真である」
と、言いたいのだが、そうはいかない。
何故か?
理由をご説明する。
まず第一に光の具合。この写真は、少し橙色(だいだいいろ)がかっている。これが朝だと、少し青みがかった色調になる。
第二に太陽光線の方向である。ご存知の通り、太陽は東から上り西に沈む。
この写真の太陽光線は右手斜めから差し込んでいる。事実、2001年の師走(日本で)、つまり南半球側に太陽が位置する午後3時過ぎ、撮影した写真である。
ちなみにインドネシアでは雨季、湿気だらけ、、。
湿気と塩分から、カメラ保護を如何に計らうか?かなり神経過敏な気分にて、かろうじて撮影す、、、。

子供の背中の方向が、海。

海はインド洋であるから、日本を背にした我輩は、当然北方向からインド洋つまり南方向に向けシャッターを切っている。
ならば、右手から射しこむ日差しは西方向からのものであるからして、簡単に東西南北の方向が判断できるのである。
西からの日差しであれば、時間は「午後」。

したがって、「朝の写真」ではない。
が、この景色は朝のショットがいい、是非撮りたい、と思う。

子供の背後は「入り江」になっており、右手をわずか数キロ下ると、海岸線から外洋に繋がる。さらに背後の椰子の木が点在する位置から2~3キロ先、ようやく海岸線に到達する。あることはあるのだろうが、なんだか日本ではあまり見なれない海岸線到達までの有態だ。はたまた、数十年前はこの入り江の場所が海岸線であったという。
南の方角の砂洲は少なくとも2キロ以上にわたって盛り上がっている。
浜の砂は、真っ黒。
重くてきらきら光を発する。磁石にくっつく。つまり、砂鉄の海岸だ。
南西から、つまりオーストラリア方向から一定の風速で四六時中、いや、年がら年中吹き上げてくる風が、この砂洲を形成していると聞く。
この砂洲は、一年間で2~30cmも海岸に伸びつつあるという。たいへんな勢いで、風が陸地を造成する現場を見た。
自然の「力」は大きく、
あらためて、
地球は生きているのだ!と、気付く。

当時、海岸線に辿り着こうとする調査隊隊員(我輩一人のみ)は、地元ルマジャン県庁職員10数名のご同行の中、まず、わずか50メートルにもならない川幅で浅い入り江を敢えてカヌーで渡り、さらに砂鉄の砂洲をひたすら4~50分歩き、ようやく海岸線に到達した。そして砂鉄海岸線に上がってきた「漁師」たちのショット、これが先にご紹介した「かじきマグロ」の写真となるのである。

写真の子供は、たぶん、初めて日本人(我輩)を見たに違いない・・・
我輩も、彼らと出会うのは初めてである。
また会える日があれば、その時、彼らは一人前の漁師になっているだろう、、、。

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ジャワ島に伝わる「宮廷ダンス」

2006-09-20 09:38:50 | インドネシアとバリ島の話
バリ島の舞踊と、どう違うのか?

ジャワ本島に住まう人たちの95%は、イスラムで、
バリ島の人たちの多くは、ヒンズー、、、

でも、よくわからなくなるのです。
なぜか、
それぞれの古典舞踊、さほど違いなく、変わらないのでして?

<上記、飴風呂記事より転載>
(原記事: 2005-03-02 伝統的宮廷ダンス テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行)

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PS(回想と追記):

 原記事の投稿は、ブログを始めて1ヶ月。初心者にてBlog記事内容はいたってシンプル(Simple)。
 Simple is best!? とはいえ、如何にも心もとない!
 よって、本日転載投稿にあたり少し加筆する。

 ジャワ島文化の歴史をみるに、古くはインドに源流があるようだ。例えば、マヤーナ物語に代表されるヒンズー教にまつわるものをして、古代ジャワ島の人々を目覚めさせた文化の全てのようである。そののち、中華系商人たちの出入りがあり、おのずと仏教が伝わる。さらに中世後半になってイスラム系商人の出入りが頻繁になる。イスラム世界の商人たちは(無節操に?)現地人と婚姻を繰り返し、血を交え、かくして父方の宗教が踏襲され、数世紀もの歳月をかけてイスラム化されていったか。

 オランダ統治は(現在から遡ること)約400年前から始まる。
 想えば不思議?にも、オランダ統治領には現地人との混血が少ない。オランダ人シーボルトと日本人妻の間に授かった混血児?=日本発の女医?「イネ」の存在は如何に?否、シーボルトはドイツ人であったそうな・・・ 当地インドネシアに於いても、青い目をした西洋人混血は未確認である。が、そういえば一人存在する。我輩の知るドイツ人とのクオーター (Quarter)。ご尊祖父がドイツ人大学教授の若き美女はスラバヤに約1名存在、地元テレビ局に勤務する才女である。これは、歴史の流れと何ら関連性はない。オランダ人の残した唯一の遺産は、今総人口の約1%にも満たないキリスト教人口であるか。となれば、やはりインドネシア人のキリスト教への教化の所業か。この比率からして、本気で布教していたとは思えない。約350年に及ぶ統治時代に、オランダ人の残したものは皆無である。「お見事!」としか、言いようがない。台湾朝鮮半島を始め、満洲に多くの痕跡を残した日本人。小さな親切、大きな迷惑となるか?19世紀型帝国主義を引きずった先の大戦即ち大東亜戦争時代に於いて、日本人の原住民に対する親切は、今となって「お節介」であったか。現代に入ってからも尚思い出せば、日本国旗に火をつけ焼き払うほどに大迷惑であったのか?大虐殺の作り話をしなければならないのか?しかし当地インドネシアに於いては、終戦後にも心ある日本兵は地元独立運動家達に知恵と力を貸し、オランダからの独立戦争に寄与したことが伝えられ、「日本の兵隊さんは頭がよく多くを教わった」等々、良き日本人のイメージは言い伝えられ、今日に至る。
 かくして20世紀、広くアジア諸国に残された日本人の遺産とは、何か?
 今の我々に伝えられるているものは「悪しき日本人の所業」しか、伝わってこない。しかしながら実際にアジア諸国を歩いて見聞きすれば、伝わってくるものは日本人の善行も良き評判も数多く存在する。
 今から、21世紀の歴史の語るところであるから、未だ結論は見えないし、今後の修正と補填により、如何様にも歴史は塗り替えられる。以って、急ぎ焦り結論を出す必要もない。

 話しを宮廷舞踊に戻す。
 ジャワ島宮廷ダンスに観る舞踊作法は、いかにもヒンズー系である。当地東ジャワ州には、当時のイスラム勢力に押され、東ジャワ山奥に逃げ込み、ひそかに生活していた名残は、今尚遺跡として残る。さらにさらに制圧され滅んでいくけれど、ある部族はバリ島に逃れた。現在は観光地となったバリ島に於いてジャワ島ヒンズー文化は再度花開き、さらに滅んでいく。
 現在に伝わるバリ島の舞踊の所作と衣装を、この画像と比較すれば、我々素人の目から見ればほとんで違いはないものの、こうして比較すればバリ島の衣装の方がきらびやか、且つ、派手すぎる。ジャワ島の宮廷ダンスは、しなやかに感じる。添付画像はインドネシア共和国東ジャワ政府観光局からの引用である。

<続く>

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(またもや舞踊の話題から強引に歴史の話に転じてしまったのはエセ男爵流の悪癖なり、、、。ひらにご容赦願いたい・・・)

東ジャワ紀行(5)「今もって食文化は語れない・・・」

2006-09-19 07:25:42 | インドネシアとバリ島の話
 ヌヌ!?!

 苦し紛れ!に?
 
 ちがう。ノーテンキに!やっている。。

 飴風呂から引越記事である、一度ご覧の方はどうかお許しいただきたい。。。

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<オリジナル投稿文>
2005-03-09
東ジャワ紀行(5)美人・ジャワ島歴史・食文化?
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行

3人はホテルからタクシーを呼び、スラバヤ市内のレストランで海鮮料理屋に出向いた。

さて、インドネシア流というか、バナナの葉っぱを敷き、その上にライスを盛り付ける。すべてバナナの葉っぱが敷いてあり、その上に料理を盛り付けている。何と何と、思いっきり南国情緒があふれているではないか。つき合わせの生野菜が出る。キャベツ、トマト、大型きゅうり、ペパーミントの葉っぱ、インゲン豆、などなど。素焼き白身魚、ボイルしたイセエビ、蟹、シャコ、などなど、ライムの二つ輪切りを添えて盛り付けられた皿が別に出て来る。少し酸味の利いた甘酸っぱい海鮮スープ。これはいける。なに、他に焼き鳥も注文しているではないか。やくみで唐辛子を練り合わせ甘みを加えた味噌状態のペーストを適宜加え、最終的にはライスとこね合わせて、食す。左手は不浄の手、食事中は右手一本で作業しなければならない。油が付こうとお米が付こうとさかなの切れ端が付こうと、ある程度辛抱して右手の指を器用に使い、人差し指と中指と薬指の3本指をスプーンに見立て、口のそばまで運び、親指をはじいて口に放り込む。こうなると、たとえ熱い料理でも、指先で触れる程度まで温度が下がらないと、口に運べないわけであるから、決して口をやけどするようなへまは一切無い。
我輩も(思い切って)右手のみで食す訓練を開始した。
やれば、慣れる。
しかし、思った。
手をじかに使って料理を食すと、結局手を使う料理しか食せなくなる。いくらなんでもアツアツのスープの類は3本指ですくって飲めないし、ビーフステーキの類もビーフシチューの類も指先で扱えない。したがって現在のインドネシアで食卓に出てくるスープは、どうでも中国文化の影響を受けているに違いない。しかし、外国文化の影響を受けていない場所、すなわち今でも東ジャワ州の田舎に入ると、食のバリエーションは限られていることが判明する。指で食す調理方法しかやっていないようである。
その実、おいおい、350年もの長きにわたってオランダ統治時代の食生活の影響も受けていることがわかってくる。それは、スラバヤから南の奥地の都市、マラン市に入れば、オランダ料理を提供するレストランがあるのだ。

上記、勘違い間違い、があるはずだ。勉強不足で恥ずかしい。

しろうとであるが、「食文化」について、もっと突っ込んで勉強したい。

<続く>

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PS:今もって食文化の造詣は一向に深まらない。もともと食道楽ではないという証拠か?

<添付画像>前回投稿に引き続き、スラバヤ市内のローカルレストランにて撮影

東ジャワ紀行(4)「ジャワ美人・ジャワ島歴史・海鮮料理」

2006-09-18 11:46:30 | インドネシアとバリ島の話
 長らく記事投稿をサボっていた・・・

 イザ記事を書くとなると、まことに躊躇する。何から書き始めてよいか迷いつつ、どうしたらよいか、我が事ながら全くわからないのである。まるで長く入院していた病人が、急にベッドから起き出して外出したくなったものの、娑婆の空気に触れるのは怖くてしかたないという感じか?さりとて、なれない外出は危険である。それと同じように、急に記事を書くのは躊躇しつつ気恥ずかしく、すべてが億劫なのだ。

 ならば本日、古い「飴風呂記事」を転載し、新記事「投稿」に代える。

オリジナルテーマ:東ジャワ紀行(4)美人・ジャワ島歴史・海鮮料理

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(そろそろ真面目に記事更新します。引き続き(娑婆の)ランキング応援方!なにとぞ宜しくお願いします・・・)

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   〔本文〕

シンガポールのホテルを午前7時に出発して、延々10時間、ようやくスラバヤのホテルに到着。

日本を出発する以前からあらかじめ予約しておいたホテルにチェックインする。
明日は午前2時にホテルロビーにてアポイント。彼の組合表敬訪問と、組合役員たちと昼食をご一緒するお約束をした。
組合長アッバス氏は男爵のチェックインを見届け、エレベーターまで見送り、事務所に帰っていった。
組合長と別れた初日同日夕刻、さらに我輩は別の重要なアポイントをこなさなければならなかった。
大学教授のB博士は、すでに同ホテルのロビーで待機し、男爵の到着を待ちわびていた。
日本のN国立大学文学部に国費留学し博士号をとったドクターBは、流暢な日本語を駆使し、夜な夜なカラオケバーに通ったとの事、帰国してさらに磨きがかかり、いまやスラバヤでは名うての遊び人である。博士論文が「インドネシア語と日本語の比較言語論」というが、内容を聞いてみると日本語の単語の欠片とインドネシア語の単語の欠片を並べたて、対語訳リストをせっせと作ったそうだ。そして今なお当時の対語表にせっせと単語を追加しているという。
「なんだ、そんな作業で博士号が取れるのか?簡単なことだ、我輩でも出来るぜ」
と、コチトラ言いたくなる。
が、我輩はいまさら学者になる気が毛頭無いので、言わない。
その博士、ホテルのロビーにいてもソワソワと落ち着かない。
聞けば、
「我輩に博士の奥様を紹介しようと、ロビーで待ち合わせしているが、まだ来ない。どうしたのだろうか?」と、言う。
ウム!
そういえば、、、、
先ほどから約一名、裏門のところのロビーで誰と待ち合わせしている風情の女性を見かけた。目鼻立ちのすっきりした、インドネシア人とは思えないほどにウリザネ顔で色白の超美人がいた。美人だから記憶にある。
博士と一緒に裏門ロビーに歩いた。
超美人がにっこり笑ってソファーを立つではないか?
「なんだ、ドクターの奥様ではないか?」
我輩は驚いた。
参りました。

ジャワ島にはびっくりするくらい色の白いインドネシア人をしばしば見かける事なる。島国のインドネシア、外部からの他民族流入はたやすく、長年にわたる混血を積み重ね、世代交代のある時期、おのずと優良品種?が飛び出してくるのは必定。
よくわかりました、こういう美人がジャワ島にいる、その理由も、、、。

3人はホテルからタクシーを呼び、スラバヤ市内の海鮮料理屋のレストランに向った。

<続く>

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<添付画像>
撮影年月:2001年11月
撮影場所:スラバヤ市内、ローカルの海鮮レストラン入り口にて

「落書き的バリ風絵画=US$20.- スピリット度数?」と成分分析結果は?

2006-05-22 01:14:45 | インドネシアとバリ島の話
<画像>:(バリ島高級リゾート地「スミニャックの海岸」を散策する・・)

昨夜遅くまで(真夜中過ぎてor早朝といった方が正しかろう)『成分分析onWEB』なるものに夢中になり、気が付けば、2時間も分析に没頭していた。
四国在住の九州男児「漢の勲章」さん、さらにご存知「TS@ひねくれ者」さん、さらには「yuyu」さんの記事を拝読した後、なぜか多大なる影響を受け、年甲斐もなく「姓名判断的ゲーム」に没頭してしまった。
分析目的は、我輩の運営する「不肖エセ男爵」ブログの行方を占うもの、さらには自分自身の「創作活動」の力量は如何なものか?などなど、その目的とするところ、あるようで、ないようで、それなりに多彩。かつ、残り人生の「有り様・有り体」に対しての欲望に満ち満ちたものであった。
とりあえず、
昨夜の分析結果に、目をお通し願いたい。

*ご承知の方も多いと思うけれど「この分析」手順とは、要するにインプットした単語文字の羅列により解析される・・・

1)本名+エセ男爵の解析結果
82%は鉄の意志で出来ています
7%は保存料で出来ています
6%はお菓子で出来ています
4%は成功の鍵で出来ています
1%は理論で出来ています

2)ジョージ青木(ブログ小説のペンネーム)+エセ男爵(ブログのタイトル)の解析結果
96%はやさしさで出来ています
3%は言葉で出来ています
1%は成功の鍵で出来ています

3)本名+執筆活動の解析結果
61%は優雅さで出来ています
28%は成功の鍵で出来ています
6%は理論で出来ています
4%は言葉で出来ています
1%はミスリルで出来ています

4)ジョージ青木+執筆活動の分析結果
54%は大人の都合で出来ています
32%は雪の結晶で出来ています
8%はマイナスイオンで出来ています
5%はミスリルで出来ています
1%は言葉で出来ています

5)本名+随筆家の解析結果
82%は愛で出来ています
8%はマイナスイオンで出来ています
6%はミスリルで出来ています
3%は心の壁で出来ています
1%は理論で出来ています

6)本名+執筆活動+紀行文と小説の創作の解析結果
83%は勇気で出来ています
13%は回路で出来ています
3%は言葉で出来ています
1%は心の壁で出来ています

7)ジョージ青木+執筆活動+紀行文と小説の創作の解析結果
94%は元気玉で出来ています
6%はマイナスイオンで出来ています

以上、分析結果である。この分析結果にご納得、はたまたその逆にて不可解さ?を思われる方、興味をお示しの方も、そうでない方も、時間をかけた分析努力に免じて、以下のランキングバーをクリック願いたい。

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分析した本人の感想は?
そう、
上記の分析結果に、85%の満足度を得ている。(同じ多くの皆さんも、ご自分自身の『成分分析onWEB』にて分析を試された場合、ほぼ同じ満足度なのか?私にはわからない。ブログを開いていなくても、分析は可能である。皆さん、宜しかったら一度お試しあれ!・・・)
かくして、
なんだか「本名」を開示してブログ小説を書き綴った方がさらによい状況になるような気分になった。
こうなったら、いっそあらためてバリ島あたりに超長期滞在し、今後の我が人生、閑に任せて、もとい、バリ島にて精神集中し、徹底的に執筆活動に委ねるか?
「・・・?」
「はい!滞在費は問題ないです」
「私ならば(という、条件付にて)月間約5万円もあれば、優雅な生活は可能。ちょいと贅沢したければ、10万円。貴族的生活可能なりか・・・」
そんな感じ、昨日記事「US$20.-云々・・」にお寄せいただいたコメントの返信を差し上げながら、真夜中の「起きたままみる夢」を描いてしまった・・・
昨今、
2007年問題の沸騰する中、
「いっそバリ島で生活し、自分独自の活動をしてみるか!」
等々と、
想われる有志あらば、ご一緒に如何か?
(我輩、すでに旅行業とかかわりのある営業活動はしないけれど、ノウハウをお伝えするは、これ、可能なり・・・)
以上、
あれやこれや、昨夜の就寝前、現実可能な夢想を「夢見ること」、その引き金となった「コメント記事」、読者のコメント内容には、いかにもロマン満ち溢れるものあり。
そして、
一日於いた本日、是非ご紹介したくなった。
 
  ================================================

昨日記事の『コメント』抜粋より・・・


A)この絵好きです。 (tono)

2006-05-20 10:55:59

私、絵画の価値は良く解りませんが、
この絵は、よく見ると人は「みずすまし」が如く描かれ、
不気味と言えば、不気味。
ファンタジックと言えばファンタジック。
ちょっと「だまし絵」的な所もあって、私は好きですね。
「鑑定団」は幾らになるか知りませんが、
今、20米ドルなら買います。

ちょっと立派な額に入れて、
「これは、ある有名な画家がバリ島滞在中に描いて、HOTELの支配人に御礼に贈った物だ」
とか言うと20万円位で売れたりして(笑)

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B)構図の感覚が・・ (風子)

2006-05-20 13:33:56

個性的ですね。
私もシンプルなものが好きです。授業中の悪戯書きは
大概 手足が長ーい人間でその手は次ぎのページまで
行くのです。教科書は長い手足と長い首で埋め尽され・
担任から白い眼で見られました。

このバリ島の「絵」で思い出しました。
どんな人が描いたのでしょう。

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C)絵の良し悪し (刀舟)

2006-05-20 14:27:22

私にわかるはずもなく・・・
すみません。

でも、
>所詮ブログとは、これでよいのかも?・・・
こちらはわかります。
ブログ=日記?
思いのままを素直に綴ればと・・・

------------------------------------

D)絵 (yuyu)

2006-05-20 17:50:06

何なんだ?と思う絵ですね。
じっくり見ないと良くわからない^_^;
不思議な感じです。
ぽちっ♪

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E)tonoさん・・ (エセ男爵)

2006-05-20 20:31:22

コメントありがとうございます。
>人は「みずすまし」が如く描かれ・・・
いかにも!
殿下的審美眼&観察眼によれば「みずすまし」なる事、我輩的には芸術的領域を超越し、もって心胆躍動。
頂いているコメントを振り返りつつ、
通して想えばtonoさんの感性、なぜか理解でき、共感に至るのであります。
さらに「だまし絵」とも表現されるか!
ご承知のとおり、
バリ島の画家は、かの横尾忠則風超極彩色にて且つしっとりと湿度を持った「ヒンズー教的現世極楽」を放言するもの多く、それに反し、この小さな「メモ書き」程度の絵画には、黄色の背景に灰色掛かった黒の極細毛筆あるいは硬筆(ペン)でもって「線のみを重ねる技法」にて描かれております。
ですから、
興味を持った・・・・
同じ画商の屋台店にて3日間、同じ「この絵画」ばかり観ていたのです。
20ドルでは(今想えば)格安にて、価値ある買い物だったかも・・・
しかし、
いかにも「鑑定団」に出品鑑定をお願いするような代物ではないのではないか?・・・
な、な~あ~んと、20ドルが20万に化けてしまうとか????
ありがたいお話、鑑定結果を頂戴したりして、、、。
なんだか、tono殿下と(記述上の)お話していると、我が思考&嗜好回路は再三再度、支離滅裂状態に陥ります。
刻一刻、云十秒の一秒単位にて、自分の書いているコメントバックの内容、よく分からなくなりました。。。。

PS:
この会話、当ブログ存続の限り、残りまますので、後はどうかよろしく、おたの、もうします・・・

------------------------------------

F)風子さん・・ (エセ男爵)

2006-05-20 20:44:43

コメントありがとうございます。
>個性的ですね。・・・・
>私もシンプルなものが好きです。授業中の悪戯書きは・・・・
そうです。
バリ島で観た絵の中でも特に特にシンプルなのです。これ以上のシンプルな絵は見たことなく、さりとて、書き掛けの落書きに見えつつも、決して落書きでもなさそうなところがある。
「?・・・!!!」
さて、
上記の文言、
翻訳いたします。
「我輩=負傷もとい不肖エセ男爵には、ようやく風子さんの『ひととなり』、すなわち個性と嗜好が見え始めてまいりました」
などと、
この絵をお気に召して下さった「風子女史」、只今貴女の運営なさるブログ、探索中です。
(未だ解明できず・・・)≒(こうして続けてお越しくださるならば、「その件=何?Blogをお開きか?」、別にたいした問題ではありません)
この絵に興味を示される、美術芸術に対する個性溢れる視線をお持ちで、当然知的で、且つ「豪胆な人生観」をお持ちのはず。そんなすてきな女性読者に「お越し」頂けること、たいへん光栄です!
(失礼しました!また少し、喋りすぎました?)

-------------------------------

G)刀舟さん・・ (エセ男爵)

2006-05-20 20:54:03

コメントありがとうございます。
>絵など分かりようはずもなく・・・
私も分かっていません。
分かっていたら、このような絵を入手していないかも!
しかし、
最近解ったことの中、
「解らない。ということが、解るようになった」
という、私自作の「セリフ」があるのです。
解らなくても構わない。
(例えば刀舟さんのように)
解ったふりをなさらず、素直に「解らない」、という事の云える人間になれない人は、今尚この世の中に大勢存在するはずです。
そんな一括りの人間群から脱却しなければ、本物の人間になれないと重い真面目たのは、私自身ごく最近のできごとなのです。
だから刀舟さんはすばらしい。
(本日もまた、いや、特に、思いのまま、素直に発言しました!)
そんな刀舟さんの「理詰めのBlog」、今からお伺いします。

----------------------------

H)yuyuさん・・ (エセ男爵)

2006-05-20 21:03:09

コメントありがとうございます。
ムム、
yuyuさんらしい・・・
すばらしき文言。

三行からなる叙情詩!

>何なんだ?と思う絵ですね。
ナンなのだ?先ずそう思います。

>じっくり見ないと良くわからない^_^;
じっくり見ても良く解らない。でも、じっくり観たくなる。

>不思議な感じです。
不思議です。絶対に不思議です。

これ、
究極的には、バリ島の歴史と文化を良く知っている人には「そこはかとない想像力」を書きたてられる作品ではないのか?
等と、
実は、
yuyuさんから頂いたコメントを読ませていただいた後になって、そう、思い始めたのです。
素人の私よりも、もっともっと「バリ島独自の芸術」に詳しい「バリ島ファン」の方、数多くいらっしゃいます。そういう方に専門的な論評を頂くのも一考です。
先の、tonoさんのお話、さらに「鑑定団」行き、、
等々、
たった一枚の落書き風絵画から、思いを馳せていくと、行き着くところはそこはかとない「夢の世界」の不思議なマジックに陥っていく。人間の想像力は無限ですね・・・

--------------------------------

I)すみません (風子)

2006-05-20 22:13:40

私はこういう方々の世界と縁が無いものですから
交ざってみたかったのかも知れません。
エセ男爵さんには「おおらかさ」を
「刀舟」さんという方からは「素直さ」を学びました。
ひとときでしたがハイレベルを味わい不思議な
快感でした。
自分の世界に戻ります。
有難う御座いました。

----------------------------------

J)不思議な感じ (あすとろ)

2006-05-20 22:28:22

なんか不思議な感じの構図ですね。
ひかれます。
(・・||||rパンパンッ

-----------------------------------------

K)風子さん・・ (エセ男爵)

2006-05-21 00:35:28

コメントありがとうございます。
エセ男爵≒おおらか・・
刀舟さん=素直さ・・
分析!
ありがとうございます。。
私メをして「おおらか」とおっしゃって下さり、たいへんな快感です。実は、その正反対だったりして、、。
刀舟さんは、果たしで如何でしょう。
ご自分の世界をお持ちの風子さん。
当然でしょう。
ご自分の世界に戻られて、また何時でも「こういう世界」に遊びにお越し下さるよう、お待ちしていますよ。
ありがとうございます。

--------------------------------------

L)あすとろさん・・ (エセ男爵)

2006-05-21 01:19:35

コメントありがとうございます。

「不思議な世界・・・」

この一枚の絵画、芸術の範疇と考えてもよいでしょう。
芸術とは人間の創作想像の世界、即ち芸術世界は不思議な世界でありましょう。

このような不思議的非現実なる世界もあれば、
政治社会問題で四の五の蘊蓄云い合うのも、現実的のようで「非現実」な行動世界かもしれないし、、、。

人それぞれの現実は、他人様にとって非現実、且つ日々の生活とは関係のない世界かもしてません。少しずつ食い違っていて、少しずつ共通な世界が重なり合って「人間集団」を構成する。そういう千差万別の小さなチリのようなものが混ざり合わさって、その結果、コングロマリット(団塊or塊)ができあがり、塊がぶつかり合ったり重なり合ったりくっ付いたり放れたりしながら、日々世の中そのものが、ころがり回って時間が経過する。
これ、
遠くから見れば夜空(大宇宙)の銀河(系)を、小さな地球の地表から眺めているのと同じか?夜空に張り巡らされた銀河の中の、ほのかな光源の一点に見えるのでしょうか?

「・・・?」

こうして、
あれこれ、いろいろ考えてみると、ますます現実からかけ離れていくのかもしれません。
これ、
こんなこと考えること自体、閑な人間のすることか?中でも一番の暇人は私エセ男爵自身なのかもしれません。

-----------------------------------

M)Unknown (あすとろ)

2006-05-21 05:11:03

さらにコメントまで頂戴し感謝しています。

今日はこれから、小学生の相撲大会の取材に出かけます。

(・・||||rパンパンッ

(以上、昨日記事コメント欄の紹介より、、、)

*ことのほか、飴風呂引越記事の再掲載という手抜き記事をして失礼しつつ、且つ、加筆記事の粗雑さにもかかわらず、沢山のコメントいただき、たいへん感謝いたしております。
ありがとうございます。
くわえて、
頂いたコメントの中、さらに想像力たくましき読者の方々のお持ちになっている芸術的感性と人生の創造性に、ブログ管理者より絶大なるエールをお贈り申し上げるものであります。
ご同感の方、是非下記の「ランキングバー」をクリックいただき、応援のほど、宜しくお願い申し上げます。

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