<添付画像>:
撮影場所:江田島中町港桟橋付近。(場所の確定は、Yahoo地図にてご参照。こちらから入れます・・)
撮影日時:平成19年2月18日午後3時過ぎ、、
2時間半以上に亘り、飲み、食し、語り、そして腹を抱えて多いに笑った、、、。
楽しかった「カキ・パーティー」はいよいよお開きの時間となる。
<添付画像>:江田島港付近の観光案内見取り掲示板。
江田島という呼名は、いわゆる総称である。アメーバの如く複雑な入り江に入りこんでいる島だから、(場所の確定は、Yahoo地図にてご参照。こちらから入れます・・)
江田島は2つの島に区分呼称され(江田島・能美島)、それぞれ広島県下の別々の郡部に属していた。島内の町村を結ぶ道路交通網の発達していなかった時代、島内の各町村は海上交通網により広島市と直結していたのだ。いよいよ近年になり、江田島島内の各町村は合併し、江田島市となる。かくして帰路は高速船に乗船。広島市の宇品港に向け、帰途に着く。
現地到着前、すでに参加者全員は飲み食い一切合財3,000円也のパーティー会費支払いを済ませていた。何と、パーティー終盤になり、(先にご紹介した)3人の新規参加者(但し、我輩は2度目にて既に新規参加者ではない!)は、赤シャツ事務局長を取り囲み、3名全員とも年間会費を支払おうとしているではないか?! 事の成り行きを観察していた我輩も、
「ココは遅れを取ってはならじ!」(ちなみに昨年は、年会費を支払っていないのだ。だから、いまだに聴講生の身分なのだ・・)
とばかりに、急遽財布の中からナケナシの1万円札をひねり出し(実はこの時万円札は一枚もなし。千円札12枚の内、10枚を数えて手渡した)、年間会費の納入に及んだ!何とか、会費納入を賄えるだけの現金は所有していたものの、広島港に到着してから自宅までの交通費ギリギリの現金のみ、わずかに手元に残ったから一安心した。
事務局長は「思わぬ年間会費納入」しかも4名分を懐に入れ、正会員の増加を俄かに喜んだ。一瞬、事務局長は我輩の財布の中を覗き、
「おぉ?大丈夫か。帰りの交通費足らないんじゃないの?」
と、来た、、、。
「いや、大丈夫だ。これで十分。問題なく帰れる。ま、足らぬようであれば広島についてから、港の何処かに、銀行の現金自動販売機があるでしょう。そこで引き出しますよ・・・」
「いくらなんでも現金の自動販売はしないよ!現金は売らない。貸したり借りたり預けたり預かったりするもんだ。それが銀行の仕事よ」
「・・・!」
「それから、あれ、Cash Dispense(r) Machine でしょうが!」
(筆者注:ディスペンスは在るけど(dispense)、ディスペンサー(dispenser)は、和製英語ではないか?いずれにしても自販機には違いないと思うけれど。ようわかりまへん・・)
(そりゃそうだ・・)
「お? それで、宇品港か?あそこは無いよ。郵便局か信用金庫のキャッシュディスペンサーしかなかろう。君の取引銀行は無いだろうよ」
さすがに元銀行マンである。
(足らなきゃ、今預かった現金を返してもいいのだぞ!)
と、言わんばかりである、、。
ココで「金返せ!?」等、云えたものじゃない。我輩はいかにも平然と構え、平常心を装った。
<添付画像>:楽農大学・平成18年度全講座学課修了記念写真?
この日、正会員4人!一挙に増加した。
事務局長曰く、
「名刺でも何でもいい。好きなだけ、自由に作ってくれ。沖美町メインキャンパスの住所はいつでも教えるぞ。役職名は何でも自分の好きなものを語ってくれ~ィ。但し、云って置くが、「学長」と「事務局長」と農学部の「学部長」はダメだよ。これはもう使っているものが決まっているからな。それ以外だったら何でもいい。こうなったら早い者勝ちだ。 好きな学部を作ってその学部長なり教授なり、勝手に就任してもらっていいからな」
と、やたら楽しく放言して止むところなし。
そんな時、後ろから声がかかる。
「おい、事務局長!ビールが余りすぎじゃないの?100本以上も残っているぞ!無駄なことするな!」
たぶん、学長の声に違いない。
「・・・!」
さすがに事務局長、ひらりとかわして答えれば、
「おお、それが我々の財産よ!何か、問題あるか?」・・・
と、事務局長はすかさず声を発した。
この日、日本シュは一升瓶4本空になり、ビールは一人平均(たぶん)4本以上?合計150本~200本の缶ビールは空っぽか?
上述その他諸々の酒精分、この時すでに、楽大メンバー各位の胃袋になだれ込んでいた。はず。。。
かくして、不肖・エセ男爵メも、晴れて楽農大学の正式メンバーとなった。
こうなったら、ありとあらゆるイヴェントに参加せねばならない。でも、そういう時間があるか? 果たして郷里に何時まで長逗留可能か? 等々、頭をよぎらせながら江田島を後にした。
<添付画像>:江田島の港を出航して間もない時、、。乗船した高速艇(カタマラン・双胴船)の後尾より、港の桟橋及び江田島市能美町を遠望する。
<添付画像>:江田島港を出航して2~3分経過。高速艇の一番後ろから「江田島方面」を眺める。(一枚上の画像撮り終え、まだ1分の経過していないのに、既に、これだけ港から離れている。双胴船は、速い!)
高速艇?高速船は、いかにも「高速」?さすがに速い。
これでおおよそ25ノット位か?戦艦大和の最高速度は時速26ノットであったという。26ノットといえば㌔に置き換えて時速50km前後か?当時(1940年代)の航空母艦や巡洋艦は、すでに36~8ノットは出ていたと聞く。70年前の日本の戦艦建造技術は信じがたいほどに、高い。しかし、巨砲を載せたが為に船腹は豚の如くに拡がり船体重く、これでは(当時の)如何なる技術を放り込んでも戦艦大和の最高速度は(26ノット以上には)速くならず、機動部隊艦隊の移動時間の足引っ張りであった。最高速度36ノットの出せない軍艦は、すでに太平洋戦争開戦当時から、機動部隊の移動速度と共に運用不可能という只一点を取り上げるだけで手足纏(てあしまとい)であり、無用の長物であった。ま、開戦後に就航した近代戦艦(第2次世界大戦当時)には違いないけれど、航空機決戦の時代到来により、巨大戦艦巨砲主義の時代はとっくに過ぎ去っていた、、、。旧日本帝国海軍将校を養成する江田島海軍兵学校の地・江田島に居ればこそ、ついつい旧日本海軍を回想したくなる先週日曜日の午後であった。
話し戻って、、、
今乗っている双胴船の場合、まだまだ半分以下の速度である。最高速度は(推定)40ノット以上か。巡航速度でも楽に35ノット(おおよ時速70km位?)はいけるであろう・・・
「馬鹿な、こしゃくな。たかが江田島と広島の間で、何ゆえに高速船運行の必要在りや? 経費と燃料の無駄ではないか!」
「なぜ、もっとゆっくり走ってくれないか・・・」
画像をご覧のとおり、いよいよ帰路に就く頃になって天気はよくなったのである。 我輩は、瀬戸内海の島々を眺め総合的包括的郷愁に浸りながら、ゆるりと広島に戻りたいのであった。
「こんな高速船など危なっかしくてどうしようもないぞ。一つ間違ったら大事故起こすぜ!」
広島~江田島の間、約20分足らずで渡り切った、、、。
さらば、ラバウルよ?(否!)
さァ~ぁらば 江田島よ~! また、くる、まあ、でぇ~、ぇわぁ~・・・
シ~バぁぁシ、わかぁレノォ~、すいへいせぇエエンよぉ~・・
瀬戸は・・・ 日暮れて・・・ 夕波みィ~ 小波み~ィィィ・・
とお、さあ~ん、 かあ、あさ~ん、ん・・・
軍歌「ラバウル小唄」のメロディーや、演歌「瀬戸の花嫁」等の旋律は次から次に「音声の走馬灯」と如く脳裏に浮かびつつ、鼻歌交じりにて気分は爽快且つ少しばかり寂しさもよぎりつつ、江田島を離れる・・
特集「楽農大学」は、これにて一件落着ゃ~く、、、。
終了です!
連載記事のお付き合い、たいへんありがとうございました。
またあらためて楽大関連記事書きたく思います。
<・完・・>
撮影場所:江田島中町港桟橋付近。(場所の確定は、Yahoo地図にてご参照。こちらから入れます・・)
撮影日時:平成19年2月18日午後3時過ぎ、、
2時間半以上に亘り、飲み、食し、語り、そして腹を抱えて多いに笑った、、、。
楽しかった「カキ・パーティー」はいよいよお開きの時間となる。
<添付画像>:江田島港付近の観光案内見取り掲示板。
江田島という呼名は、いわゆる総称である。アメーバの如く複雑な入り江に入りこんでいる島だから、(場所の確定は、Yahoo地図にてご参照。こちらから入れます・・)
江田島は2つの島に区分呼称され(江田島・能美島)、それぞれ広島県下の別々の郡部に属していた。島内の町村を結ぶ道路交通網の発達していなかった時代、島内の各町村は海上交通網により広島市と直結していたのだ。いよいよ近年になり、江田島島内の各町村は合併し、江田島市となる。かくして帰路は高速船に乗船。広島市の宇品港に向け、帰途に着く。
現地到着前、すでに参加者全員は飲み食い一切合財3,000円也のパーティー会費支払いを済ませていた。何と、パーティー終盤になり、(先にご紹介した)3人の新規参加者(但し、我輩は2度目にて既に新規参加者ではない!)は、赤シャツ事務局長を取り囲み、3名全員とも年間会費を支払おうとしているではないか?! 事の成り行きを観察していた我輩も、
「ココは遅れを取ってはならじ!」(ちなみに昨年は、年会費を支払っていないのだ。だから、いまだに聴講生の身分なのだ・・)
とばかりに、急遽財布の中からナケナシの1万円札をひねり出し(実はこの時万円札は一枚もなし。千円札12枚の内、10枚を数えて手渡した)、年間会費の納入に及んだ!何とか、会費納入を賄えるだけの現金は所有していたものの、広島港に到着してから自宅までの交通費ギリギリの現金のみ、わずかに手元に残ったから一安心した。
事務局長は「思わぬ年間会費納入」しかも4名分を懐に入れ、正会員の増加を俄かに喜んだ。一瞬、事務局長は我輩の財布の中を覗き、
「おぉ?大丈夫か。帰りの交通費足らないんじゃないの?」
と、来た、、、。
「いや、大丈夫だ。これで十分。問題なく帰れる。ま、足らぬようであれば広島についてから、港の何処かに、銀行の現金自動販売機があるでしょう。そこで引き出しますよ・・・」
「いくらなんでも現金の自動販売はしないよ!現金は売らない。貸したり借りたり預けたり預かったりするもんだ。それが銀行の仕事よ」
「・・・!」
「それから、あれ、Cash Dispense(r) Machine でしょうが!」
(筆者注:ディスペンスは在るけど(dispense)、ディスペンサー(dispenser)は、和製英語ではないか?いずれにしても自販機には違いないと思うけれど。ようわかりまへん・・)
(そりゃそうだ・・)
「お? それで、宇品港か?あそこは無いよ。郵便局か信用金庫のキャッシュディスペンサーしかなかろう。君の取引銀行は無いだろうよ」
さすがに元銀行マンである。
(足らなきゃ、今預かった現金を返してもいいのだぞ!)
と、言わんばかりである、、。
ココで「金返せ!?」等、云えたものじゃない。我輩はいかにも平然と構え、平常心を装った。
<添付画像>:楽農大学・平成18年度全講座学課修了記念写真?
この日、正会員4人!一挙に増加した。
事務局長曰く、
「名刺でも何でもいい。好きなだけ、自由に作ってくれ。沖美町メインキャンパスの住所はいつでも教えるぞ。役職名は何でも自分の好きなものを語ってくれ~ィ。但し、云って置くが、「学長」と「事務局長」と農学部の「学部長」はダメだよ。これはもう使っているものが決まっているからな。それ以外だったら何でもいい。こうなったら早い者勝ちだ。 好きな学部を作ってその学部長なり教授なり、勝手に就任してもらっていいからな」
と、やたら楽しく放言して止むところなし。
そんな時、後ろから声がかかる。
「おい、事務局長!ビールが余りすぎじゃないの?100本以上も残っているぞ!無駄なことするな!」
たぶん、学長の声に違いない。
「・・・!」
さすがに事務局長、ひらりとかわして答えれば、
「おお、それが我々の財産よ!何か、問題あるか?」・・・
と、事務局長はすかさず声を発した。
この日、日本シュは一升瓶4本空になり、ビールは一人平均(たぶん)4本以上?合計150本~200本の缶ビールは空っぽか?
上述その他諸々の酒精分、この時すでに、楽大メンバー各位の胃袋になだれ込んでいた。はず。。。
かくして、不肖・エセ男爵メも、晴れて楽農大学の正式メンバーとなった。
こうなったら、ありとあらゆるイヴェントに参加せねばならない。でも、そういう時間があるか? 果たして郷里に何時まで長逗留可能か? 等々、頭をよぎらせながら江田島を後にした。
<添付画像>:江田島の港を出航して間もない時、、。乗船した高速艇(カタマラン・双胴船)の後尾より、港の桟橋及び江田島市能美町を遠望する。
<添付画像>:江田島港を出航して2~3分経過。高速艇の一番後ろから「江田島方面」を眺める。(一枚上の画像撮り終え、まだ1分の経過していないのに、既に、これだけ港から離れている。双胴船は、速い!)
高速艇?高速船は、いかにも「高速」?さすがに速い。
これでおおよそ25ノット位か?戦艦大和の最高速度は時速26ノットであったという。26ノットといえば㌔に置き換えて時速50km前後か?当時(1940年代)の航空母艦や巡洋艦は、すでに36~8ノットは出ていたと聞く。70年前の日本の戦艦建造技術は信じがたいほどに、高い。しかし、巨砲を載せたが為に船腹は豚の如くに拡がり船体重く、これでは(当時の)如何なる技術を放り込んでも戦艦大和の最高速度は(26ノット以上には)速くならず、機動部隊艦隊の移動時間の足引っ張りであった。最高速度36ノットの出せない軍艦は、すでに太平洋戦争開戦当時から、機動部隊の移動速度と共に運用不可能という只一点を取り上げるだけで手足纏(てあしまとい)であり、無用の長物であった。ま、開戦後に就航した近代戦艦(第2次世界大戦当時)には違いないけれど、航空機決戦の時代到来により、巨大戦艦巨砲主義の時代はとっくに過ぎ去っていた、、、。旧日本帝国海軍将校を養成する江田島海軍兵学校の地・江田島に居ればこそ、ついつい旧日本海軍を回想したくなる先週日曜日の午後であった。
話し戻って、、、
今乗っている双胴船の場合、まだまだ半分以下の速度である。最高速度は(推定)40ノット以上か。巡航速度でも楽に35ノット(おおよ時速70km位?)はいけるであろう・・・
「馬鹿な、こしゃくな。たかが江田島と広島の間で、何ゆえに高速船運行の必要在りや? 経費と燃料の無駄ではないか!」
「なぜ、もっとゆっくり走ってくれないか・・・」
画像をご覧のとおり、いよいよ帰路に就く頃になって天気はよくなったのである。 我輩は、瀬戸内海の島々を眺め総合的包括的郷愁に浸りながら、ゆるりと広島に戻りたいのであった。
「こんな高速船など危なっかしくてどうしようもないぞ。一つ間違ったら大事故起こすぜ!」
広島~江田島の間、約20分足らずで渡り切った、、、。
さらば、ラバウルよ?(否!)
さァ~ぁらば 江田島よ~! また、くる、まあ、でぇ~、ぇわぁ~・・・
シ~バぁぁシ、わかぁレノォ~、すいへいせぇエエンよぉ~・・
瀬戸は・・・ 日暮れて・・・ 夕波みィ~ 小波み~ィィィ・・
とお、さあ~ん、 かあ、あさ~ん、ん・・・
軍歌「ラバウル小唄」のメロディーや、演歌「瀬戸の花嫁」等の旋律は次から次に「音声の走馬灯」と如く脳裏に浮かびつつ、鼻歌交じりにて気分は爽快且つ少しばかり寂しさもよぎりつつ、江田島を離れる・・
特集「楽農大学」は、これにて一件落着ゃ~く、、、。
終了です!
連載記事のお付き合い、たいへんありがとうございました。
またあらためて楽大関連記事書きたく思います。
<・完・・>