Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

GT300レース観戦小記 Fuji GT 300km Race (1/5)

2005-09-29 20:55:53 | つれずれ紀行
 先日、9月16日金曜の午後の事、未だKIKAKUと格闘中、ようやく完成に向け最終ゴールが見えてきたと思いきや、久しぶりに東京の友人から電話がかかってきた。

聞けば、
「9月24~25日開催の富士スピードウエイ観戦のチャンスである、出むいて来ないか、スタッフと一緒に御殿場に泊まらないか?」
と、云う。

話しの裏には、友人の仕事に絡まる「仕掛け」の相談事があり、すなわち我輩にその一端を担って欲しいという下心(言い換えれば高尚且つ名誉ある依頼)?が丸見え(言い換えれば言葉と言葉、行間と行間の間に婉曲に格調高く包み込まれ)?で、何だかきな臭い。いや、ありがたくも我輩の実力を評価しあらためて現場に立ち戻って頂きたいというお願いとお誘いが、見え隠れする。(この話、ノンフィクションで書けば面白い。しかししかし友人の会社に関する企業秘密?上、これ以上この関連にはギリギリ触れないであろう?・・・)

我輩答えるに・・・
「もうこの歳になって、仕掛人稼業は中退したい(一生、卒業?はできそうもない)し、まして刺客人になるなどなどもってのほか!きったはったの修羅場に引き戻さないでほしい!」
「いやいや、一度現場の様子だけは見ておいてほしい。ひざ付き合わせて詳しい話を聞いてくれないか・・・」
と、云う。

「・・・」

となると、
パソコンキーボードから、しばし(4~5日間)手を離さねばならず、KIKAKUを中断せねばならず、迷ったあげく、友人の誘いに嵌ってしまった。
大好きなカーレース観戦の誘惑に絆(ホダ)され、下手すると立上げ途中のKIKAKUから暫く離れる状況に成りかねない危険性を感じながらも、友人の「相談事」の内容の『きな臭さ』を認識しつつ、さりとて仕掛人の承諾は未承知にてお誘いの招致を受諾し、キーボードから手を離しつつ重い腰をあげ久しぶりに関東に出向いた。

先週末(9月22日)に上京し東京の定宿に一泊。
翌日(9月23日)朝9時東京出発にて御殿場に向かう。なんと東京インターから御殿場インターまで6時間かかり、連休始まりの東名高速を通過するだけでへとへとになり、足腰はぐにゃくにゃとなる。
かくして御殿場に集結した総勢5名の野郎連合は23日から25日まで、御殿場市内のさる居酒屋の奥座敷で雑魚寝とくる。加わった我輩も同じく、雑魚寝の坩堝に吸収されつつ劣悪なる環境に同化され?寝たか寝ないか?昼でもなく夜でもない数日を過ごす。
なぜなのか?どういういきさつなのか?
この4月?新装再開店?した富士スピードウエイの大型イヴェントにて、この界隈のホテルらしき宿泊施設はすでに超満室、だから雑魚寝に付き合ってくれ。(と、友人が弁解する?)

かくしてレースは終わった。

26日は東京に帰り、その足で同日夕刻に軽井沢へ向い、一泊する。
軽井沢では、これまた久しぶりに友人と歓談。さらにさらに、まさかここでは会えないと思っていた人物、すなわち我輩の敬愛するフレンチ料理人の珍人にも会えることができた。会えば、最近の料理研究とレストラン経営論にはじまり、ハンガリー産フォアグラの品質と値段の話・洋包丁と和包丁の違い・フレンチ料理人が刺身包丁を買った話・パティシェ論・和風洋風居酒屋論議・その他諸々、話は尽きず、またの再開を約束しつつ、話しに区切りをつけつつ、お互い旧交を温める。
いっそ今月末まで軽井沢に逗留しようかと、一瞬我輩独特の遊人三昧的決断が脳裏をよぎったが、翌日団体客を迎え入れるとの情報に慄き、ここはやはり喧騒空間になる可能性から遠慮する姿勢をしめし、わが身に火の子のかかる気配のする現場からの離脱を決意した。

昨日27日の午後、軽井沢から新幹線で東京へ、東京から新幹線で郷里に帰り着く。

その間、一日平均睡眠時間は2時間程度か?

いささか睡眠不足がたたり、昨日は一日中昼寝をむさぼってしまった。
御殿場界隈に長期滞在開始したのはちょうど一年前。本年一月に任務を終え郷里に帰ってから約9ヶ月目、久しぶりに御殿場を訪れると、懐かしかった。

そう・・・
話し遅れた、肝心のGTレースはどうか?

天候は芳しくなく、24日は台風の接近をみたが、このたびのメインイヴェント『Super GT 300km Race』の本番開始時刻(9月25日午後2時)には雨風共に収まり、各GTマシーンはレインタイヤを装着することなくレースは開始された。

ま、
この手の車は、世界のあちこちで見ている(展示場では)から、珍しくもない。
が、今回は違った。

本気で走っている怪物を見た!モンスターを見た!

エンジンの咆哮?轟音?爆音?に、我輩は圧倒された。
耳の鼓膜が破壊されなかったのが、まか不思議。本日尚、いまだ難聴になっていない我輩の耳の強度を、しかし疑う。
我輩の面前を、時速300km以上で走り抜けるGTカー速度に肉眼の焦点を合わせ、幾度となく右から左に我輩の頭と視線は目くるめく移動する。結果、視神経を痛めつけられた。

結論は、

我輩、まちがいなく、感動した。

久方ぶりに強烈な電流が我輩の背骨を何度も何度も貫き、後頭部に激震を起こし、感動の涙がこみ上げてきた。

複数ある持病の中、「乾き目」にもかかわらず、まちがいなく感動の涙が出掛った。が、富士東山麓の山裾から照りつける強力な初秋の太陽光線と、時折鋭く吹き荒ぶ山風のおかげで、出ているはずの涙は瞬時に乾く?したがって感涙が迸り出でる(ほとばしりいでる)実感はない。が、確実にしかも連続して涙腺から涙はでているはず、、、。しかし、両目の周りの感動の液体は、一向に確認できない。したがって我輩の『泣き顔』を第三者に確認されるような不手際は起こしていない!
という確信と自信はある。
「・・・」
「なに、なんだって?周囲の観客はどうか?」
そう、各自おのおの痴呆状態。貴重な時間を割いて当富士スピードウエイに終結した輩は、おおむね「レースきちがい」、はくち、カメラ小僧、などなど、総称=「ばかもの」の集まりであるから、我輩もばか者、大ばか者である。

GTレースの観戦に行ったとはいえ、別途に何かと、調整・打合せ・観察・確認・配慮・遠慮などなど、しなければならぬ事多く、おおっぴらに写真を撮るのは憚られ、写真はまともに取れていない。さりとて撮った写真を貼り付けつつ、しばらく富士スピードウエイに関連する記事を日記風に書いてみたい。

すなわち、感動と感激の少しばかりの断片を、あまり冷めやらぬうちに、さりとて冷ましつつ、本筋のKIKAKUに立ち戻る為にも、Blogに記しておきたい。

<・・・続く・・・>

写真:(9月25日撮影)メインイヴェント「GTレース」もいよいよ終盤。全走行66周回中、ボード上の電光掲示板をよくみれば62周目?に至っているようだ。
この撮影時点、すでに放心状態か? なにがなんだかよくわからなくなっている・・・

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ハリウッド映画往年の傑作を観た! 「大いなる西部 」

2005-09-15 08:35:55 | 趣味の話&本と雑学メモ
<添付画像>:the photo from IMDb's data: "The Big Country".


 さる9月12日月曜日の午後8時から10時45分まで、BS2衛星放送にて1958年度作品のハリウッド西部劇?「大いなる西部」を、又、観た。
めちゃくちゃ忙しくしなければならない時間を、敢えて裂き、そして、みた、みたのだ、、、。

なに?
感想ですか?

たいへんよかった!

文句の付けどころ無し!の、「5星ランク」!!!
たんなるスケールとか規模的な大きさではなく、表現力的な意としての「超大作ハリウッド映画」なのでである。

大いなる西部

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この映画を観たのはこれで確か4回目であろうか。
はじめてみたのは中学3年生のときだったか?もちろん地方都市の封切映画館。二度目はテレビ映画番組で観たがTV用に画面調整されたものであるから画面全体のバランスがよくなかった。今回はノーカット、シネマスコープ版だから画面が映画館並みで迫力物であったからよかった。
主演のグレゴリーペックがまだ若い。
まず、映画の始まりのシーンが抜群に良い。大西部の黄土色の大地に、駅馬車が走る風景をバックに、標題(Big Country)の貼り付けからはじまり、さらにさらに出演者、キャスト、音楽、舞台裏のスタッフの一通りの文字が、延々と羅列。鳥瞰図的風景を奔る駅馬車は徐々に大平原の一角に芥子粒ほどの大きさの街へ辿り着くべく近付きつつ、僅か数秒間駅馬車を引く馬がギャロップする足元のアップシーンに移り、再び鳥瞰図的遠望シーンに戻る。4分近く後に、西部の鄙びた街に駅馬車が到着する。
この間、長々と序曲が流れ、延々と土埃を立てながら同じ駅馬車が同じ大西部の大地をひたすら走るシーンが続く。この長いシーンがたまらなく良くて好く、背骨に静電気が走りぬけるほどに音楽が良く、痺れる。
映画が始まる前に映画にのめりこむ。
序曲の音楽が止む。止めば、埃の中おもむろにグレゴリーペックがあらわれる。ダンディーな背広姿で駅馬車から鄙びた西部の街に降り立つ。西部の街の地元民は訝しそうに彼の背広姿と英国式のキザな帽子を眺め回すシーンから始まる。ペックを出迎える牧童頭(カウボーイのチーフ)であるチャールトンへストンが、駅馬車の出迎えに、いささか遅れて到着する・・・
いよいよ「大いなる西部」の映画の幕開けとなる・・・
この映画では例のベン・ハーを演じた大物俳優チャールトンヘストンが単なる(しかし重要な)脇役で出ているのだから、さらなる時代の古さを感じる。加わる(重要な)脇役で、我が国TVドラマ西部劇全盛時代のシリーズドラマの「ライフルマン」で主演した(名前が思い出せない)悪人面役者も、紛れもなくこの映画で悪役を演じている。いよいよこの映画の最大の盛り上り場面である決闘シーンでの名場面がある。主役グレゴリーペックと、古式豊かな先込め式単発拳銃を用いての決闘シーンにて卑怯者のカウボーイを演じている。
女優陣は、金髪のキャロルベーカー。役柄は大牧場主の一人娘。なに不自由なく生まれ育ったオキャンでやんちゃ、くわえて気位の高い田舎娘を演ずる。東部に遊学中、グレゴリーペックと恋に芽生え、婚約。グレゴリーペックが結婚を前提としてキャロルベーカーの住むテキサスを訪ね、駅馬車で到着するところから、この物語が始まる。ちなみにペックの役柄は七つの海を航海し鍛えぬいた船乗りである。というよりも若くして世界の海を知り尽くした船長経験者であり大船主の子息。西部の荒くれカウボーイにとっては一見軟弱そうに見えるペック兄様。その実しかし、テキサス州イコール大西部(Big Country = Texas)が、この世で一番広大だと信じて止まない西部自慢の人たちを、精神肉体信念共々、はなから凌駕する海育ちの人物がグレゴリーペックなのである。
さらに、黒髪のジーンシモンズ。元大牧場主の孫娘であり、すでに祖父ならびに両親と死別している独身女性。地元小学校の教師でありながら、今尚祖先から受け継いだその近辺の牧場経営者にとって重要な水場の土地所有者の役を演ずる。ショートカットのジーンシモンズは、あいかわらずここでもさりげなく清楚である。

この映画のストーリーのあらまし。
ジーンシモンズ所有の水場のある土地をめぐっての争いが続くなか、東部から大西部テキサスにまいおりたグレゴリーペックが間に入る。水場の土地の所有権を持つジーンシモンズから土地を買取り、所有者となる。牧場経営者同士、乾季の水場争いを無くすよう、公平に水場の水を分け与えようとする。が、それに反して、揉め事はエスカレートしていく。争いの元凶であった二人の大老牧場主同士の決闘の末、古い時代の両者の死によって結末をむかえる。
もう一つの結末、ペックとキャロルベーカーとの婚約は破談。ペックは、キャロルベーカーのアメリカ西部風の田舎っぽい見栄っ張り、つまりアメリカ的なダサさに辟易するのである。
とにかくけっして台詞としては表現されないが、主演グレゴリ-ペックとジーンシモンズが一緒(結婚するということ)になるのであろう、と、思わせる感情の移行する場面が、きれいに描かれている。
いよいよ最期に二人の西部開拓者牧場主は決闘の後に相互相打ち、見事きれいな死を表現する。
つまり、キャロルベーカーの父親が死亡する。
そうなれば、当然牧童頭のチャールトンヘストンと牧場主の娘キャロルベーカーが結婚して、決闘相打ちで亡くなった牧場主の後を継ぐであろう(けっして結婚するシーンは描かないのであるぞ!文学で云えば行間と行間でそれを知らしめているのだ)ということになり、以上、めでたしめでたし、で幕引きとなる単純にして明快なストーリー、、、。

ストーリー全体を通して、ウイリアムワイラー的な表現の真骨頂が見える。
真骨頂とは・・・
当時(1950年代後半)、西部劇的西部劇全盛の頃には珍しい描き方をした西部劇が、この映画である。時代と世代の交代、東部と西部の文化の違いなどを描いているようだ。
すなわち、
ストーリーの中での時代背景にて、すでに古くなりつつある西部開拓時代の封建的暴力支配の横行するアメリカ西部白人社会のあり方から、次の新しい世代へと近代化されていくアメリカ人若者への世代交代を、これほどまでにうつくしく描いている・・・
さらに、
広大雄大な超大陸と大自然に育まれた人間は、何をしているか?そんな中にあっての砂粒ほどの大きさの、すなわち小さな人間は?どうあるか?
映画での表現は、
まず、大西部を開拓してきたアメリカ的な強欲と勇気と蛮勇と卑怯と、ひめたる勇敢と誇り、さらに新世代の夢が、最大限に表現されているか。
さらには、あくまでも付帯的に(僅か重箱の片隅的に表現?)アメリカ的恋愛表現を描いたか、描き切ったか。このあたり、アメリカは男女の恋愛表現がシャイであり奥ゆかしいのだ。ジメジメ、じとじと、していないから、おおらかだから好いのだ。

遅くなりましたが、見どころ?
*映画音楽がいい!(音楽:ジェローム・モリス)
*画像がいい!(監督:ウイリアム・ワイラー)

以上に尽きます。
ほかに何もない。
何もいらない。

「・・・・?」
「なに?役者?」
「・・・!?!」
「よいに決まっている。グレゴリーペックとジーンシモンズの漆黒の髪は、いいよ~美しいぞ~。オウ!ところでよ。にっぽんの若者よ、やたら脱色したり金色に髪を染めるでないぞ!黒髪がいかに美しいか!よく知れ!知ってくれ!・・・」

ちなみに「あまぞんどっとこむ」の詳細を参照しましたところ、在庫がない。Used-Price? つまり中古品の価格が¥12000なり?ですぞ!
しかし、供給はきわめて少ないが、需要はあるようだ。入手に難しい「大古典的逸品」、そういう基本的評価がこの映画のVTRにあるか? 
驚きました。

さらに思うところがある。だから、続編を書きます。
その内容は、
1)この映画の音楽と画像のバランスについて、
2)役者グレゴリーペックの印象の違い
3)すなわち同じ映画を観ても観方が違うのでして、中学生の頃の印象、30代後半の頃の印象、さらに今回の印象、全て微妙に違う、どこがどう違うか、などなど・・・
我輩はそのあたりをもっと突っ込んで書きたいのだ・・・

<続く>

→来週月曜日あたりか?
はたまた気分が変わったら、中止するか?

本日の最重要課題!

2005-09-11 13:23:46 | つれずれ紀行
 いまから投票に行ってきます。

おもえば、この15年間、
まともに選挙に行ってない・・・
何故か、
海外滞在中であったから・・・

戦後60年の節目?
この標語?もう、どうでもいい。
が、しかし次の選挙の争点、いや焦点は、憲法改正でしょう。
つまり、
そろそろ我が日本国を、ほんものの民主主義を基盤にした独立国家にしないと、この先21世紀の日本国民(=若者)そのものが空中分解するのではないか?
また、
憲法を改正するにあたって、日本国民はもっともっと「自由」と「民主主義」の厳しさを体得しなければならない!
体得とは、生身の身体を張って(痛みを伴うが)・・・
となると、
身体を張って対応しきれる日本人がいるかどうか?
などと危惧しています。

今朝の番組「報道2001」か?
またまたたけむらさんが「よいこと」を言ってくれました。
内容(概略?)は、
今回の選挙は、海外のメジャーな雑誌や新聞がたいへん大きく取り上げている。
外国メディアの最大関心事の一つである。
我々は知らねばならない。
我々日本国民は、それほどに重要な選挙を行なおうとしている事、すなわちこの選挙(日本の行方)は「日本国民だけの問題」ではなくなっている。
そういう世界的な問題に関し、日本国民が選挙権を放棄するような行動をとってはいけませんよ!
以下、我輩の解釈・・・
(是非投票に行ってください!)
(合わせて、高い位置から眺めもっと広い視野でもって「この国のゆくえ」を見据え、選挙して欲しい?)
と、
パイプ片手に関西弁でしゃべってました。


以下、

「近況報告」です。
いやいや、まいりました。
8月末までに仕上げようと取り組んだ「KIKAKU」が遅れに遅れてしまった。
放り投げるわけにはいかないから、最期まで仕上げます。
中旬までかかりそうです。

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