毎週日曜日の午後1時半から何と午後3時までの1時間30分の間、読売テレビ系大阪版にてやしきたかじんの『そこまで言って委員会』を、見た。
若貴兄弟骨肉の争いについての話題が最初の30分間。その後は続けて約1時間30分、「靖国参拝問題」での議論が交わされた。半端なアメリカ人デーブスペクトル以外の参加者は、ほとんどが我輩と同意見であり、小泉首相の靖国参拝にいちゃもん付ける輩は出演しておらず、何故、どんな理由が「小泉首相の靖国参拝の妨げになっているのか?」という理由の究明、が命題となり、議論のテーマであった。
各種意見が出た中、おおむね以下の著書の内容に含まれる原因や理由が挙げ連ねられた。
つまり、
日曜日の午後の番組にもかかわらず、今やまさに高視聴率(20%前後らしい)番組となった上記タイトル番組の主たる同意見が以下の著作に全て書き記してあり、一昨日本屋で購入(平成17年6月13日初版のもの)し、昨日読み終えたばかりの本であったが、あえてここに抜粋記事として記し、本日テレビ番組の結論を総括し、もって読者にご紹介したい。
中でも第12章の、(我輩が最も嫌悪する作家)大江健三郎氏あての挑戦状を抜粋、した。
尚、
我輩の本件に関する意見は先日『アーリントン墓地・・・』の関連記事にてご案内済み。
したがって、我が敬する「谷沢永一」先生の文章を切り取り、ご紹介するのみに留め、私語を慎みたい。
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『以下、抜粋文章』
谷沢永一 著『自虐史観もうやめたい』からの抜粋
<ユスリ・タカリの共犯者・大江健三郎>
第12章 国家間の原理をわきまえない謝罪補償論者
(p353 ~ p367)
シナに「しっかりとした謝罪と補償」を行なえ、というのが大江健三郎の主張です。しかし中華民国総統蒋介石は日本に対する賠償請求権を放棄する旨、公的に声明しました。ゆえに中華民国の正統な継承者であるという建て前の中華人民共和国は当然の事前政権の方針を受け継いで賠償は不要であると認めました。したがって大江健三郎の言う補償とは実は献金を意味します。日本人約六千万の勤労者に対して大江健三郎は、貴様たち、こぞって金を出せ、と叫んでいるのです。税務署より恐ろしい人ですね。
良識の府・参議院が示した見識
平成七年が戦後50年にあたることから、これを機会に、我が国はアジア諸国に謝罪の意を表すべきであるという提唱が出てきました。例によって一部の言論界(ジャーナリズム)がはやしたてて、政界では社会党左派が言い出し兵衛となり、それに同調する議員も現れたという次第です。
しかし、もともと謝罪なんていうわけのわからぬ言辞は、政治の次元で課題となるべき性質のものではありませんから、それは問題にならない一時の発作的な筋違いの言い立てであると正当に判断し、反対する議員も少なくありませんでした。
しかるに、社会党左派の当時の首相・村山富一が、それを推進しようと熱を入れます。衆議院では議長が土井たか子ですから、なにがなんでもと、ごり押しの議論が進められました。
一方、それを非とする常識ある議員の反対も少なく、結局はあれこれ妥協の産物として、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」という妙珍奇(みょうちきりん)な文章が捏ねあげられました。当初の発想からすればかなり調子低下(トーンダウン)したものの、謝るという基本の姿勢に変わりはありません。
果たして、それが上程された6月9日、衆議院本会議では、まず賛成しない議員の意識的な欠席もおおく、また出席して積極的に反対する議員も少なくないという情勢でした。それでもなおかつ、出席者の過半数という計算により、辛うじて衆議院では可決ということになりました。
しかし、その決議がまわされてきたとき、参議院は断固として独自の立場を貫いたのですから、お見事です。6月14日、参議院は理事会で、この決議案の協議を打ち切ることに決めました。つまり、審議未了として流したわけです。その結果、この恥ずべき決議は衆議院を通ったものの参議院では蹴られたという実績が残り、衆参両議院の国会を上げての決議ではないという厳然たる事実が内外に示されました。かつては盲腸のような、と陰口を叩かれていた参議院が、このたびばかりは毅然として、良識の府としての見識を示す運びとなりました。
参議院の議員諸公も、議員である以上、選挙民の意向をくみあげなければなりません。衆議院のおろかな決議をしてからわずか5日目にすぎませんけれども、その間に国民の多くが、この決議に不快の念を抱いているという気配が、たしかな手ごたえとして感じられてゆえに、参議院の諸公が、これを流すことが至当であると考えたのでしょう。
もし国民の大多数がこの決議に諸手(もろて)を挙げて賛成していたら、参議院もまた、いそいそと通したにちがいありません。6月9日夜に行なわれた衆議院の可決から始まった国民の怒りが、たった5日間に参議院の議員たちを動かして、衆参院に対する全面否定に等しい行動をとらせたのでした。
大江が犯したふたつの間違い
このように、国民はいわゆる謝罪決議に賛成していません。
その思いは、さまざまの側面がありましょうけれど、最低限に見積って、謝罪決議など余計なことだ、と反撥しているという事情がはっきりうかがえるではありませんか。しかし、それでもなおかつ謝罪せよと呼ばわっているのが大江健三郎です。
大江健三郎の言動の卑屈、卑劣、卑怯なる犯罪性については、前著『こんな日本に誰がした』(クレスト社)で縷々述べましたので、詳しくはそちらを参照していただくとして、本書では、最近の言動、特に支那(チャイナ)問題に関する発言にかぎって、その欺瞞的詐術(トリック)を告発することにいたします。しかしまあ、性懲りもなく罪悪史観、暗黒史観、謝罪史観を振り回し続けるものですなあ。
<大江・言> 私は日本が中国にしっかりした謝罪と補償を行なわないことが、現在および未来の中国の進み行きについて、日本人としてまともな勧告をしえない理由だと思う。(平成7年8月12日『朝日新聞』「初心のファックス」)
ものの考え方の根本において、大江健三郎の間違いは二つあります。
その第一は、個人と個人においてなら謝罪という儀礼はありえますが、国家と国家の間においての場合は、謝罪などという行為は成り立たないという国際関係の常識をわきまえていない頓珍漢です。
そもそも、国家はそれ自体が一個の独立した絶対価値であって、国家をとやかく合理的に品評できる資格を持つ超越的な理論は、この世にありえません。したがって、また国家を合法的に弾劾したり裁いたりする事の出来る超絶的な法体系も地球上にはありえません。国家は絶対価値であって、いかなる国家も他の国家の上に聳える事はなく、ゆえに他の国の下に屈することもない、というのが、現代における国家観念の基本です。
では、お互い絶対価値である国家と国家の間に、連帯を保つ必要が生じたり、また紛争を解決しなければならぬときはどうするか。そういう場合に採択される唯一の方法が条約です。
条約を結ぶ、あるいは条約を破棄する、それにみが国家と国家との間における行動様式です。あいてとする国家の力を借りたいときに、その国におべんちゃらを並べて表彰して見せるなどという馬鹿げたやり方があるでしょうか。個人を表彰するのは勝手ですが、国家が国家を表彰するなんて、むしろ侮辱と受けとられましょう。この場合とるべき道は、一生懸命に考えて、自国に有利な条約を結ぶことです。それだけしか方法はありません。ゆえにまた、国家が国家を表彰するなんて全く無意味であるように、国家が国家をののしる事もまた、あってはならないのです。ある国家が特定の国家の不満の念を抱いたときには、正規の外交ルートを通じての交渉に入り、理を立て、論を尽くして説得、要望に努めるべきなのです。そのためにこそ、お互い大使や公使を交換して、外交関係を樹立しているのではありませんか。もちろんあらゆる外交折衝にも国際的な根回しや予備的連絡会議はありますが、それらはあくまで予測の手段であって、最期には全権大使が公式の場で決着をつけるのは当たり前です。
繰り返しますが、ある国家が相手国に何かよからぬ如何の念を持ったときは、それを正規の外交交渉の場に持ち込み、どこから見ても無理のない解決へと、事態を理性的に進行させるべきなのです。
それを為(な)し能(あた)わぬ国は、近代国家としての道を踏みはずしていると申さねばなりません。
したがって、支那(チャイナ)および韓国(コリア)が、正常な手続きをとることなく、政治担当者の放言談話や言論界(ジャーナリズム)の舞文曲筆(ぶぶんきょくひつ)や国民の声と称する動員儀式(キャンペーン)やいよってわが国をみだりに罵るは、彼らがまだ近代国家としての成長を遂げていないからなのです。
彼らが冷静な外交交渉み持ちこもうとはせず、鉦(どら)を叩いて喚きたてるについては、理由がふたつあります。その第一は、彼らの言い分が外交界を納得させるだけの明白な論拠に欠けていることを、彼ら自身場自覚しているからです。理由の第二は、ゆえに理性的な、理性的な解決を期待せず、もっぱら情意的なユスリとタカリの非合法な手段で利得を掴み取ろうと企んでいるからです。
ゆえに彼らは、近代国家の規制(ルール)をわきまえない没義道(もぎどう)な、精神的発展途上人種なのですから、なにやら雑音がうるさいなあと、窓を閉めて耳に入れなかったらそれで済むことではありませんか。
さて、話を戻して条約について検討しましょう。
韓国(コリア)については、昭和四十年六月、日韓基本条約及び付属協定が調印されました。これによって日韓の関係は新しい段階に入り、それ以前の事柄はすべてご破算となりました。条約を結ぶということは、それを持って全てにけりをつけるという終結を意味します。
いったん条約に調印した以上は、二度と再び以前の事は問題にしないと、互いに合意したと納得するのが、近代国家共通の常識です。
条約の締結とは、その事典から以前の過去にさかのぼった言い立てはお互いにしない、という固い約束なんですよ。世界中を見わたしても、条約が成立したあとから、昔のkと徒を持ち出してダサをこねているのは韓国(コリア)と支那(シナ)だけです。放っておけばいいんですよ。常飲した以上は過去についてとやかく言わないのが近代国家の心得です。それでもしつこく昔の事を言い立てるのは、この国がまだ近代国家として成熟していない証拠なんですから、早く真っ当な外交意識を持てるように成長しなさいよと、辛抱して気長に待つより仕方がないでしょうね。
さらにまた、この国については格別の事情があります。
終戦の直後、中華民国の総統・蒋介石は、日本に対しては賠償を要求しない、と公式に声明しました。支那は政権の正当性に強くこだわる国ですから、明~清~中華民国~中華人民共和国、この系統図に固執しなければなりません。
中華人民共和国は、例えば前漢と後漢の間の新(シン)、あるいは則天武后(そくてんぶこう)の周(シュウ)のような簒奪(さんだつ)政権ではなく、中華民国から正統を受け継いだ合法政権であると主張する以上は、蒋介石がした約束をその通りに踏襲しなければ面目が立たないわけです。
それゆえ、日中平和友好条約においても賠償権は放棄されています。したがって、中華人民共和国がもしなんらかのかたちでこの問題を蒸しかえせば、彼らの政権は支那三千年の正統ではないと、自ら公表する結果になりましょうね。全ては落着しているのです。
詐術(トリック)だらけの大江・謝罪補償論
ここで、話は大江健三郎に戻ります。
大江健三郎の謝罪補償論には、論理の上で矛盾と曖昧と背理にみちています。
泰一に、これまた繰り返しになりますが、近代に於ける国家と国家の間では、謝罪といえども、それを条約の形で実現化するのが常識です。
たとえば、第一次世界大戦のヴェルサイユ条約、これは連合国側に有無を言わせず強制されたものとはいえ、内容の面ではドイツが謝罪した結果となっています。問題は、常にどういう条約を結ぶかの話し合いに落ち着くわけですから、大江健三郎が謝罪論をふりまわすのである以上、支那に対する条文原案を公表する義務があります。さあ遠慮しないで発表しなさいよ。さぞ見ものであろうと、今から楽しみですね。
第二に、若し条約を念頭においていないのなら、謝罪文を作成して我が国の代表が恭しく奉る為に北京に赴け、とでも言うのでしょう。それなら痩せてもかれても貴方は文筆の人です。その謝罪文なるものを起草するだけの労をはらってもいいじゃないですか。
もっとも、そんな紙切れ一枚をもらって北京政府が喜びますかね。その間の事情は大江健三郎だって百も承知、そこから出てきたのが賠償論だと思われます。
しかし第三に、北京政府は絶対に賠償を受け取れないのです。それをいったん受け取ったが最期、北京政府は政党政権としての面目を失うことになります。日本と支那の二国間に賠償という行為は絶対に行なわれません。ありうるのは日本が自発的に献金する事だけです。
だから、ここに大江健三郎のたくらんだ嘘があります。彼が唱えているのは献金論であり奉納論なのです。それを賠償という言葉にすりかえたのが、彼一流の詐術(トリック)なんですね。この場合、事柄が賠償ではありませんから、相互に話し合うわけにもいかんでしょう。
したがって金額は日本側で決めなければなりません。大江健三郎の案では、それはいくらなんでしょうか。どれほど出したら万事解決ということになるかを、大江健三郎は算出し公表する義務があります。
是非一刻も早く明示していただきたい。日本国民一億二千万余、そのうち働いている人の半数を六千万人と推定して、その六千万人にとって一人当たりいくらの支出になるのか、その金額をはじき出していただきたいものです。
ユスリ・タカリに与する大江の下心
大江健三郎さん、貴方はいつからどういう経過で、日本国民の勤労者六千万人に、けっして少なからぬ多額の献金をせよと、号令する資格を得たのですか。是非とも一人当たりの金額を提示し、六千万人がどういう反応を呈するかをうかがってください。いや、そんな大きい額ではないよ、ほんのちょっとの気は心だよ、と言うのかもしれません。
とすれば、貴方はわずかな涙金で支那をちょろまかしてやろうよ、と提案していることになります。肝心なのは金額です。さあ、早く金額を言いなさい。
問題の第四は、その献金奉納は一回きりで済むことなのかということです。どれほど多額の献金を奉納したところで、支那の側が、いやいやこれぐらいでは対日感情がほぐれないぞと、ますますすごんで見せたらどうなるのでしょうか。当然のこと、第二回の献金をしなければなりませんな、それでも足りない、はい、では三回目、というふうに、わが国は末ながく支那に献金を続けなければならないのですか。
私は献金など鐚一文する必要はないと思いますが、それで結構です、と言うと推定しているのか、その金額を責任もって公表してください。ついで、そう算定した根拠も教えてもらわなけらば安心できませんね。
そして最期に問題の第五は、わが国はこれから支那に対していかなる政策を採るべきか、将来に向けての建設的な展望がなにひとつ語られていない完全な欠落です。
われわれ人間は、今日を生き、明日に生きる未来への歩みをいつも念頭においているであありませんか、いつまでも過去にかかずらわっているのは愚かな停滞です。支那人(チャイニーズ)が、ひとつ覚えに昔のことを掘じくりかえすのは、それを言いがかりにして少しでも多くの援助を引き出そうという、その意味ではよく計算された下心ある企みです。
ほんとうに近代化された健康な意識のみなぎる国なら、もっと正々堂々と理に訴え、いまわが国を援助することは層来において帰国のためになる投資の意味を持つのですよと、経済発展の観点から納得のゆくように訴えてくるでしょう。そうしないで、もっぱら過ぎ去った時代を口実に用いて、ユスリ・タカリの論法で、突っ込んでくるのは彼らが精神的に発展途上国人だからです。
<・・・中間、10行の省略(同意内容の繰り返しのため)>
大江健三郎は、われわれのご先祖を悪者あつかいし、現在のわれわれを愚か者あつかいする論法に、異常なほどの情熱を燃やしています。これがどこかの外国人に対する論難であるなら、直ちに手痛い反論をくらうこと必定ですから、彼はそんな危険なまねなど決してしません。しかし日本人はめったに言上げしない性癖を共有していますから、この気にでは言いたい放題を重ねても安心です。わが国びとは、なにしろおとなしく論駁しませんから、すりきれた音盤(レコード)のように罪悪史観、暗黒史観、謝罪史観を振り回しても大丈夫です。
懸命な日本国民は何事でもすぐに見きわめをつけ、あれはああいう人だから、と啓して遠ざけ、その存在を軽く黙認してくれます。大江健三郎は、こよなくいい国に生まれたことを、深く感謝しなければいけませんね。
<上記抜粋文・終了>
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本日結論(我輩の私言)として、
今からの自分自身の将来と若者の将来に誤りのなきよう、「自分の国、母なる国、すなわち日本国の歴史認識」をしっかりと捉えなおす必要があるのではないか。
本日、
この一言に尽きます、、、。
<本文・完>
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