Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

セロレジョ湖畔の「レストラン」は、露天食堂なのか?

2005-11-30 00:21:57 | インドネシアとバリ島の話
 
     ??

 おなかが空き過ぎたせいか?なぜか、青いテントが目に沁みる・・・

  「ここ、客席か?」(人気blogランキングへ)

実は、そうなんです。

現地の案内人に、
   「ご馳走しますから、お任せ下さい・・・」

などと云われた我輩。彼ら進行方向の後にくっ付いていくのみ、、、。

(大丈夫か?まだ、レストランは営業中であるか・・・)
と、我輩、いささか不安になり、焦燥にかられる。

*画像露出オーバーにて、いささか白くとびすぎているけれども、わずかに、ご覧いただけるか・・
進行方向前方左手が、セロレジョ河畔なのである。

雨季でなければ、天気がよければ、涼しくて風光明媚で、いなかの小粋な「屋外レストラン」といったところであるか。

空腹状態にて湖畔周辺をうろつき、そこそこ足も疲れた。
「もう何でも食するから、早く、どこの席でも陣取ってくれ。席の云々は言わない。すべて、お任せるから・・・」

<・・・続く・・・>

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「セロレジョ湖畔」の東岸を望む・・・

2005-11-28 23:56:12 | インドネシアとバリ島の話
 おっと、昼食の前に、湖の東側を見ておこう。

この写真、
先の「湖畔の宿」、ゴルフ場付帯施設のヴィラを右に見た位置から、即ち、前日投稿のセロレジョ湖の土木建設工事結果?の、詳細案内看板の位置から左側を撮った。

東ジャワ州マラン県の高原地帯、なだらかな山間に建設されたダム湖水であるが、こうして周囲の湖畔を見渡すに、ダムの湖としては、そうとう浅いと思われる。しかし、浅いか?深いか?を、云々する以前に、前記事の仔細を解読できれば、おのずとその数値ははっきりする。どうみわたしても水力発電に必要な「強力なる水力」を得る落差はなさそうだ。おそらく治水と灌漑用水用に建設されたものである。インドネシアのかの地は、熱帯地域にもかかわらず終始水不足に悩まされていると聞く。雨季には大雨が降り洪水が起きてしまって終わり、乾季には本格的な水不足となる。日本の本州の面積に匹敵するジャワ本島には、日本のような豊かな水を供給する大河は無く、ほとんどは小川に毛の生えた程度の川しか見当たらない。熱帯雨林とそれを支える熱帯雨林の大地には、保水能力はさほど無いらしく、雨季に降った雨を蓄え、小出しにする山と樹木と川の三点セットが旨く機能していないらしい。にもかかわらず、農業従事者の乾季の「干ばつ」による被害に対する対策意識少なく、歴史的な風土としてインドネシア農民には定着していないような気がする。我輩、農業の専門家ではないので、これ以上の深入りはしない。

さて、視点を変える。
この写真で見るに、いささか(重大にして重要な)問題がある。それは、湖畔に、プラスチックごみが散乱している。ゴミは、ことごとく付近の景観を悪くする。

ま、それはさておき、話が少し長くなりました。
お待たせしました。そろそろ昼食のレストランにまいりましょう。(次回はレストランへ、ご案内申し上げます)

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PS:<インドネシア観光地のゴミ問題について>
このゴミを回収掃除する「誰か」がいないと、本当の保養地にはなり得ない。ホンモノにならねばならぬ。と、誰がそれを指摘し指導し地元に理解させ、それから実際の清掃作業は誰がするのか?
ならば我輩が陣頭指揮に立ち、指摘し指導しよう。としていたのは、すでに3年前、、、。
あれから3年経った。
もうすでに、誰かがやっているか?それとも未だ、やっていないのか?
(観光地のゴミ問題と自然環境保全について、少しずつであるが継続的に、今後の記事に取り上げていきます・・・)

いざ拝見!「セロレジョ湖」のデータは如何に・・・

2005-11-27 11:10:38 | インドネシアとバリ島の話
 
 セロレジョ湖のデータは、上記看板にて詳細に説明されてる。

* 建設目的?
* 建設工事開始年度?
* 工事終了年度(湖の完成年度)?
* (湖の)位置?
* 湖の大きさ、
* その他、諸々・・・

全てインドネシア語にて「標記」されている。

「・・・」
「翻訳しろって・・・」
「・・!」
「ご勘弁ただきたい。同行してもらった「通訳人(友人の大学教授)」の翻訳で、当時全ての内容を興味深く聞いた。しかし、すでに記憶にありません・・・」
「・・・?!?」
「なんだかんだと当地に長逗留していながらもインドネシア語は、全く興味なく、したがって勉強していないんです。おっしゃるとおり、どなたかインドネシア語に精通しておられる読者、是非コメントにてご教授いただければ幸いです・・・」

独り言:
(あ~、めずらしい!ことごとくアバウトでファジーなインドネシアにおいて、こういう細かなデータが表示されているのを見たのははじめてである。これ、一体全体、何処の?誰が?関心を持ってみるのかな~)

この看板見学の後、すでに午後2時をまわっていたが、ようやく昼食の時間となった。

すでに限界を超えて、
    I'm very hungry! なのである・・・
どうもインドネシア人の「食事時間」は、定まらない。(どうやら一日4回、イスラム教のお祈りの時間に引っかかった場合、(たとえお祈りのカタチをとらなくても、食を口にする行為は控えているようだ・・・)
おなかがすいた時に食べる?時間観念がない。ま、そういえば食事の時間を律儀に?守っているのは、米国人と日本人くらいであろう。
とにかく、
風光明媚なセロレジョ湖畔のレストランにご案内します。(ご馳走してもらいます)皆さんも、是非ご一緒に鮮魚料理をご賞味あれ。
 ・・・ご期待下さい。

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インドネシア「東ジャワ州・セロレジョ」の湖畔にて・・

2005-11-25 13:51:36 | インドネシアとバリ島の話
 

 インドネシアは、広い・・・

 本日は、我輩の大好きなインドネシアの「リゾ-ト地」をご覧頂きたい。

 わずか数日前、「マラン市」を回想する記事を投稿した。
そしてこの画像、「セロレジョ」という東ジャワ州の山間部(標高約1100メーター)に位置する人工湖である。画面左に青色のコッテッジ見える。この地、約20数棟のコテッジが点在するが、その奥にあるゴルフ場の付帯施設となっている。各コテッジ内には、キッチン・リヴィングルームに2室のベッドルームあり。総合受付の建物は別の場所にあり、レストランもあるので、電話一本でルームサービス?いや、コテッジサービスとしてバイクで走って出前をしてくれる。約一年間にわたるマラン市滞在中、地元大学のセミナー開催に利用した経緯があり、宿泊料金なども全て分かった。
分かって知って、そして驚いた。
何と、ワン・コテッジを一人で利用しても複数人数で利用しても、インドネシア流で、宿泊料金の差は全くない。
そう、今、思い出した。
確か、一泊朝食付きで、日本円換算にて3千円以下であった(現地人特別割引き料金の可能性もあるか?)。したがって、一つのコテッジのベッド数にあわせた4人家族にて宿泊した場合、一人当たり700円少々の計算になるが、朝食の数が増える場合、料金交渉にて調整可能となる。
我輩は一度、長期滞在を考えた。
いささか問題がある。
1)マラン市まで、(車で)約2時間。スラバヤまでは(走ったことないが)おそらく約3時間半では無理だと思う。ゆめゆめ毎日通勤ではないが、いささか仕事場までの時間がかかりすぎる。
2)最大の問題は、パソコン通信が遅すぎること。あるいは、全く不可能である。携帯電話の電波も届きにくく、天候その他、状況によっては全く電波が届かないこともある、らしい。
3)食事の問題?インドネシアの田舎料理くらいしか食せない。1週間で辟易するであろうが、我輩は新鮮な果物をしっかり食してバランスを取る。その他諸々あるが、云えばきりがない。

〆て、
風光明媚、
空気清浄、
飲料水は澄み切り、
温度ならびに湿度は低く、
物価は(飛び切り)安く、
静かで、
まるで、インドネシアの「スイス」に想えた。
こういう言い方は好くない。インドネシアのリゾートは、スイスを真似ているのではない。が、その昔オランダ統治領時代には、かなりオランダ風ヨーロッパ文化の影響を受けており、今尚当地の高級ホテルには、オランダ料理がメニューに載っており、レシピ正しく顧客に提供される。意外と、地元の職人が焼いた各種パン(Breads)&パンケーキ類が美味しい。

一段落したら、来年あたり、またかの地を訪ね、2~3週間の滞在を楽しみたい。

そうなると、

* まず暫くは、PC通信を「お休み」し、

* 我が旧式愛機を駆使して、素人写真撮影を楽しみ、

* 日々、たっぷりと読書を楽しみ、少しずつ書き物をする、

* 湖にて魚釣を楽しみたく、釣ったらホテルのキッチンを利用させていただいて「手料理」を創る? そう、自己満足的「男の食彩」を楽しみ、

* 週に2回くらいのペースにて、ゴルフが出来るし、

* いなかの集落を訪ね、現地の人々と交友し、

* その他、エトセトラ、エトセトラ・・・

・・・てな感じで、
実現可能な夢を満喫したく、すなわち、お金のかからない物質的&精神的両面を兼ね備えた「総合的贅沢三昧」を、楽しみたいなあ~・・・

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<写真について>
撮影:2002年11月下旬。
(雨季の真っ只中にて、今にも風呂桶をひっくり返したような土砂降りの雨となる一歩寸前に撮影した。乾季の、よく晴れた日に撮影すれば、もっと違った雰囲気が出るであろう。又、次回の楽しみに取っておきたい)

日本国・首相官邸より・・・

2005-11-24 16:55:42 | 教養・文化・歴史
 

  おう、いかにも美しいではないか・・・


 これ、我が国家、日本の国旗(旧帝国海軍ならびに海上自衛隊の軍艦に掲げるもの)ぞ!

「・・・」
「なぬ?やはりそうなのか!『エセ男爵』は超右翼日本人種か?と、、、」
「・・・?」
「違う!末端にまします普通の日本人。自覚症状として、若干タカ派であるが、只の愛国者であるぞ・・・」(日本男子たるもの、基本的には鷹派的精神構造を維持管理し、もって正常なる武士道精神の持ち主たるべし。と、考えているが、如何か・・・)
「・・・」
「何をばかな、いやがうえにでも真面目に正直に自分の生命を張って外国で長く生活してみろ!自分が日本人であること、うれしいこと悲しい事、悔しい事、自信の持てること、その他諸々、骨身に沁みて感ずる事多々あるぞ!周囲に同胞のいない不案内な海外滞在中、怒涛の如く押し寄せる各種修羅場を潜り抜けつつ、ふと、自国の旗を見上げれば感動して涙した経験があるか! 幸か不幸か、我輩には、あるのだ・・・」
「・・・」
「よろしく!」

では、本日の本論に入ります・・・

本日記事について、まず、日本国総理官邸出版部からの「マガジン」を、無許可転載することお詫びする。
もって、万が一にも総理官邸からお叱りを受ける事態に至るも決してやぶさかではなく、むしろ光栄の至りである。必要にして存分なるご叱責且つ罰則等、ご沙汰を仰ぎ、「お引き回し」願いたい。

加えて、我輩にして自民党党員でもなければ、現在の内閣人事に全面的に賛同しているものでもない。しかし、この際はっきり申し上げたきこと、小泉君と安倍晋三君を個人的に支持している、という事実のみ。内容について、(記事上にて)とやかく言うつもりはないし、現行内閣の単なる報告書という位置つけにて、なんら政治的云々を言及するつもりは毛頭なく、(若し、ご存じない読者がいらっしゃれば)小泉内閣発行報告書の存在をお知らせし、あわせて我輩、目を通している事、ご報告したい。
このような理由にて、
(丸写し)記事掲載の意図は、不肖・エセ男爵にして当メールマガジンを発刊当初より購読している事、ブログでお知らせしたい、という意思のみ。
(尚、同上の英文マガジンなるもの、あり。毎週発行であるから、よくがんばって英訳している。一度掲載するので、英文編集担当者の語学力なるもの、一度、吟味されたい)

本日記事、
掲載不賛成にて読みたくない方、あるいは読みたい方、いずれを以ってしても下記「村社会」をクリックして頂き、ランキング状態をチェックして頂きたい。

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小泉内閣メールマガジン 第212号 ========================== 2005/11/24

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□ 目次

[らいおんはーと ~ 小泉総理のメッセージ]
● APECと日露首脳会談

[大臣のほんねとーく]
● 改革の先にある「国・地方のかたち」を見つめて(規制改革担当大臣/
  行政改革担当/構造改革特区・地域再生担当 中馬弘毅)

[特別寄稿]
 ~イラク復興支援に参加して~
● 娘へのバトンタッチ(第7次イラク復興支援群 2等陸曹 坂本博幸)
● 憧れの父からのバトン(第8次イラク復興支援群 陸士長 坂本真未)

[政府インターネットテレビ番組ガイド]
● 新着情報 など

[小泉内閣の動き]
● 日露首脳会談 など

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[らいおんはーと ~ 小泉総理のメッセージ]

● APECと日露首脳会談

 小泉純一郎です。

 21日の月曜日、来日したロシアのプーチン大統領と官邸で会談し、その後、公邸の和室で和食を食べながら懇談しました。今年は、日露修好150周年の大きな節目の年。日本とロシアの関係は、一昨年に採択した日露行動計画に基づいて、幅広い分野で順調に発展しています。

 来年、ロシアのサンクトペテルブルクでG8サミットが開かれ、私も参加します。日本とロシアのさまざまなレベルでの政府間協議を活発化することで合意しました。

 北方領土の問題については、率直に言って両国の間に相当の開きがありますが、この問題を解決して平和条約を締結する、可能な限り早期に締結しようという方針に基づいて真剣な話し合いを続けることが、われわれ指導者の責務だという認識では一致しました。

 日本とロシアは、いまだかつてない良好な関係を持っています。両国の貿易額は、今年は100億ドルを超えるという見通しも出ています。人の往来については、3年間で3倍の約40万人を目指そうということで一致しました。

 ソ連からロシアになり、自由と民主主義、そして市場経済という共通の価値観を共有する両国として、これから協力できる分野を広げていく、そういう中で、現在両国の間にある意見の相違を乗り越え、将来の平和条約締結に向けての環境を醸成していきたいと思っています。

 先週末は、韓国の釜山(プサン)で開かれたAPEC首脳会議に出席しました。釜山は、朝鮮半島の南東部にある人口約400万人の韓国第2の都市。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の故郷でもあります。青く広がる海と美しい山並みに囲まれ、近代的なビルが建ち並ぶ活気にあふれた町でした。

 APEC首脳会議には、アジアの国々や太平洋を囲む21の国と地域が参加し、貿易や投資の自由化や知的財産権の保護、エネルギー問題、テロ対策、そして、各国に広がる鳥インフルエンザ問題など様々なテーマについて議論しました。2010年に、日本でこの会議を開催することも合意しました。

 会議の合間に、各国の首脳と会談しました。韓国のノ・ムヒョン大統領とは日韓関係、北朝鮮問題など日韓共通の関心事項について率直な意見交換をし、チリのラゴス大統領とは、日本とチリの経済連携協定の交渉を開始することで合意。カナダのマーティン首相とは日本とカナダの経済枠組み文書に署名し、創造的な経済関係を前進させていくことを確認しました。

 首脳会議の場で、私は、次のような発言をしました。

 「私は、日中友好論者であり、日韓友好論者である。この考え方に全く変わりはない。私は、日中関係も日韓関係も将来それほど心配していない。私も、日本政府も、日本国民も、日中友好、日韓友好の重要性は十分認識している。たとえ一つの問題で意見の相違や対立があっても、これが全体の友好関係を損なうようなことにしてはならないと思っているし、皆さんもそう思
っていると思う。」

 「かつて60年前にはアメリカと日本は敵対関係にあった。しかし、いま、日米は最良の同盟国、友好国になっている。ベトナムのルオン国家主席も出席し、ブッシュ大統領の隣に座っておられたが、30年前、アメリカとベトナムは敵対関係にあったが、いまや友好関係を発展させている。」

 「ペルーのトレド大統領も出席していたが、いま、フジモリ前大統領の問題をもって、日本とペルーの友好関係の発展を害するようなことにはしないということで合意した。」

 「このように、一つの問題があるから、一つの意見の相違があるから、全体の関係を損なうようなことにはしないことが必要だと思っている。日本と中国、韓国との関係は、相互互恵という観点からきわめて重要である。両国との関係は、経済的にも、文化的にも、スポーツの面でも、人的交流にしてもこれほど深まっていることはかつてない。短期的に一つの問題で意見の相
違があったとしても、中長期的にみて、この問題が両国の関係を悪化させないような方向に持っていく努力は今後ともしなければならないし、お互い時間がたてば理解されるものだと思う。」

 これは、私の外交についての基本的な考え方です。これからも、日米同盟と国際協調を日本外交の基本として、各国との一層の友好関係を深めていきたいと思います。

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[大臣のほんねとーく]

● 改革の先にある「国・地方のかたち」を見つめて(規制改革担当大臣/
  行政改革担当/構造改革特区・地域再生担当 中馬弘毅)

 私は、29年前に国政に参画して以来、地方分権、都市問題、教育問題、環境問題など様々な問題に携わってきました。その中で、私は、それらの問題の多くは、地域コミュニティや民間の活動に委ねることが可能であり、また、それが一番であること、「官」は、それらの活動のサポートに徹するべきであることを、常々主張してきました。

 戦後60年が経過し、地域コミュニティや民間の問題解決能力そして自立意識は、大きく高まっています。「抵抗勢力」という言葉がありますが、私は、「問題の解決は役所がすべき」、「役所に任せれば安心だ」といった国民一人一人の意識こそが、「抵抗勢力」を生み出す源だと考えております。

 このような意識がある限り、数多くの法律や「官」の仕事が生まれ、地域コミュニティや民間でできることも国や自治体が行い続け、財政支出や公務員数そして役所の規模も減りません。
 私が担当している「行政改革」や「規制改革」は、まさに、このような意識を乗り越えて、新たな国や自治体の形、国や自治体と国民との関係を作っていくというものです。

 また、私は、地域コミュニティや民間のアイディアの具体化を支援する「構造改革特区」、「地域再生」、「市場化テスト」も担当しております。改革続行内閣で、総理からこのような担当大臣を命ぜられたことは、非常に感慨深く、また責任の重さを痛感しております。

 総理からは、公務員の総人件費改革や政策金融改革などの行政改革の「重要方針」を、年末にまとめるよう指示をいただきました。

 「改革」というと、改革の先にある「国・地方のかたち」があまり議論されることなく、削減数などの数合わせが話題となったり、従来のお役所仕事を前提に、行政サービスの低下が心配されたりします。しかし、このたびの「改革」が達成されれば、逆に行政処理がスピードアップされ、行政サービスがよくなります。

 我が国をめぐる環境を踏まえると、時間的な余裕はありません。今後、各方面からは強い反論も予想されますが、集中的に議論を重ね、早急に結論を出してまいります。読者の皆さんの御意見もお寄せください。

※ 大臣プロフィール
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/051031/16chuma.html

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[特別寄稿]

 ~イラク復興支援に参加して~

● 娘へのバトンタッチ(第7次イラク復興支援群 2等陸曹 坂本博幸)

 私は、イラクへの派遣を熱望していた。要員決定を上司から聞いて以来、「イラクの人々のために頑張ろう」という気概に満ちていた。

 現地での私の任務は、隊員の活動を支える管理業務。サマーワ到着後は、連日50度を超す猛暑。まずは環境に体を慣らすことから始めた。真夏日の現地で行う洗濯業務は暑かったが、天気予報いらずの連日快晴、とてもスムーズかつスピーディーに業務が出来た。

 入浴業務では、6次群から引き継いだ車載型露天風呂が既に好評だったが、雰囲気作りの工夫として、風呂の周囲に板を張り、葛飾北斎の「富嶽三十六景神奈川沖浪裏」等の浮世絵を隊員たちで描き、あわせて日本の花や風景の写真を飾り、隊員たちの心を癒すことが出来たと思っている。

 決して華やかなものではないが、隊員の人道復興支援活動を陰で支える自分の任務に誇りを持っている。

 私は7次群の一員として活動してきた。我々の交代部隊である8次群には、私の娘「真未」がいる。

 10月30日、娘はサマーワに到着した。『待ちに待ったこの日が遂に来たか』。早る気持ちを抑えつつ、高機動車のルーフから日に焼けた笑顔の我が娘を発見し「真未、お疲れ様」と駆け寄ると、手を振りながら「パパー」と叫ぶ娘の第一声を聞いた。

 普段家の外では私のことを「お父さん」と呼び、家の中でしか「パパ」と呼ばないはずの娘の声に若干の恥ずかしさを感じたが、無事に会えた安堵感がこみ上げてきた。

 私は3ヶ月間『日々笑顔で任務完遂』を胸に掲げ勤務してきた。娘には、「名前の由来の通り、真の未来のために、常に問題意識を持って頑張れ」と言葉を贈りサマーワを離れた。

 今後は娘の帰国を日本で待ちたいと思う。その頃には初めての海外任務を終え、一段と成長しているだろう。そして、親子で日本の代表としてイラク復興のため活動できたことを誇りにしたい。

 最後に我々の活動を応援してくださっている日本の皆様に感謝いたします。


● 憧れの父からのバトン(第8次イラク復興支援群 陸士長 坂本真未)

 今夏、8月14日、福岡空港。父は「行ってくるけん!」と笑顔で私たち家族に言って、イラク復興支援活動に向け、日本を出発しました。

 自分の意見を通し、やると言った事は最後まで責任を持ってやる。それが父のかっこいい所。幼い頃から父の制服姿を「かっこいいな」と思っていた私にとって、父は憧れの存在であり、幼な心に女性自衛官になることを夢見ていました。

 夢が叶い、入隊してからの私の夢は国際貢献への参加でした。私は自分の夢を叶えるため、本任務を希望しました。イラクから父の応援・アドバイスを受けながら、九州での暑い夏場の訓練を経て、私自身の派遣へ向け、心と体の準備を整えていきました。

 私の出国の日、未だ9歳の弟は、「真未お姉ちゃん頑張って・・・お土産はいらないから早く帰ってきてね」と言って、私に寄り添って離れようとしませんでした。溢れる思いを抑え、ギュっと弟を抱きしめ、涙の溢れる母、妹に「夢が叶ったから最後まで任務をやり遂げてくるね!」と言葉を残し、私は飛行機へと足を進めました。

 その後、クウェートでの訓練を経て、10月30日夕、サマーワ宿営地に到着しました。宿営地内では7次群の隊員が出迎えてくれていました。その中に、両手を振って笑顔で「真未~」と呼んでくれた父を見た瞬間、思わず「パパ~」と叫んでしまいました。父は少し恥ずかしそうでしたが、喜んでいたようにも見えました。

 すっかりスリムになって日焼けした父は、とても逞しく、かっこ良かった。

 父は、私との再会後、任務を終え帰国しました。期間は僅かでしたが、その間サマーワの地で父と初めて一緒に仕事をし、多くのことを教えてもらいました。今後は、父の「日々問題意識を持て」という言葉を胸に、現地での通信担当という私の任務を完遂したいと思っています。

 父との日本での再会を楽しみに頑張ります。

※ サマーワでの再会
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2005/1124a.html

※ 陸上自衛隊ホームページ(イラク復興支援関連)
http://www.jda.go.jp/jgsdf/iraq/iraq_index_link.html

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[政府インターネットテレビ番組ガイド]

●新着情報(05/11/17~23)

 <1CH>らいおんウィークリー(05/11/14~20)
   ホワイトソックス井口選手表敬、郵政民営化推進本部、APECなど

 <2CH>ビデオで見る総理
   日米首脳会談、APEC首脳会議など

●お知らせ
 ・らいおんウィークリーに字幕を付けました。
 ・番組の視聴にはウィンドウズ版インターネットエクスプローラー6.0以上、又はネットスケープ4.7のブラウザを推奨します。 できるだけ多くの方にご覧いただけるよう改善してまいります。

※ 政府インターネットテレビ
http://nettv.gov-online.go.jp/

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[小泉内閣の動き]

● 日露首脳会談(05/11/21)
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumiphoto/2005/11/21nitiro.html
  プーチン大統領と会談し、日露行動計画に基づく協力の拡大、平和条約
 締結などについて意見交換の後、12本の文書に署名、共同記者会見

● APEC首脳会議特集(05/11/18~19)
・ 小泉総理の動き
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumiphoto/2005/11/18apec.html
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumiphoto/2005/11/19apec.html
<ビデオ> http://www.kantei.go.jp/jp/koizumivideo/2005/11/18apec.html

・ 内外記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/11/19press.html

● 日米首脳会談(05/11/16)
<ビデオ>http://www.kantei.go.jp/jp/koizumivideo/2005/11/16nitibei.html

● 大分県下視察など(05/11/12~13)
<ビデオ>http://www.kantei.go.jp/jp/koizumivideo/2005/11/12ooita.html

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[編集後記]

 今週は、イラクのサマーワで人道復興支援に入れ替わりで従事する父と娘、ご両人からご寄稿いただきました。同じように7次群で警備の任務を終えた夫から8次群で後方支援を担当する妻へのリレーもあったそうです。サマーワの青空の下での束の間の再会に親子が見せた笑顔を、私も写真で拝見しましたが、その陰には私たちがうかがい知ることのできない大変なご苦労があ
ると思います。
 今日24日には、パキスタン大地震の被災地で物資の輸送などの国際緊急援助活動を行ってきた陸上自衛隊が44日間に渡った活動を終えます。家族と遠く離れ、慣れない異国の地で日々日本代表としてがんばっている自衛隊員。彼らの活動が国際社会における日本の地位向上に大変な貢献をしていることを考えると、頭がさがる思いです。(じんえん)

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[ご意見、ご感想]

 今週号の感想はこちらから(11月27日まで)
http://www.mmz.kantei.go.jp/inq/inq_top.pl?INQCD=QA051124ap
 先週号の結果はこちらから(11月30日まで)
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/kekka2.html
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[小泉内閣メールマガジン]

<バックナンバー・配信先変更・配信中止>
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/

総編集長:内閣総理大臣 小泉純一郎
編集長:内閣官房副長官 長勢甚遠
発行:内閣官房内閣広報室(〒100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1)

拝啓 ショーン・コネリー卿 : 映画「風とライオン」に寄せて

2005-11-23 00:55:31 | 趣味の話&本と雑学メモ
 
 本日、すこし肩の力を抜いて「好きな映画」をご紹介したい。
(まず、ご承知於きの方にはお詫びして、先に申し上げる事あり!添付写真に於ける現在の「コネリー卿」の右隣の女性は、まことに失礼ながら(我輩の)見知らぬ女性なり。ゆめゆめ、おとし召されたからとて、写真家<元女優?>キャンディスバーゲン女史の現在のお姿ではありませんので、見当違いなさらぬよう・・・)

さて本日、我輩の一昔前に戻り、サラリーマン時代の話・・・

 その昔、ロンドン滞在中に観た(日本封切前)ショーンコネリー主演キャンディスバーゲン共演の映画「風とライオン「A Lion and the Wind」を思い出しました。日本ではあまりヒットしなかった?(良くわかりません)映画です。
時代背景は第一次世界大戦前後?(いや、以前でしょう)、ジブラルタル海峡をはさんだ北アフリカの軍事的要衝の地、タンジールの港町を、ショーンコネリー扮するアラブ人の族長が突如として英国大使館を襲い、キャンディスバーゲン扮する2人の子連れのアメリカ人女性を誘拐するところから、この物語が始まります。
当時の米国大統領ルーズベルトは、未だ発展途上にあるアメリカの威信を賭け、わざわざアメリカ本土より海兵隊一個連隊をかの地に派兵し、誘拐された3人(内、子供2名)のアメリカ人救出に向かいますが、一向に埒が明きません。
アメリカ人女性とその子供を誘拐した族長は、彼らと同行の旅路にてあらゆる危険に晒されながらも断固として凛として、アメリカ人家族を守り抜きます。
結果として、ショーンコネリー族長は同イスラム教の他の部族に「騙され」、逆に拉致されます。さっそく人質交換というプロセスの中、アメリカ海兵隊に反してドイツ陸軍はショーンコネリーを開放しないという作戦を立て、この際一挙に反先進国部族を撃滅しようとします。が、誘拐されたアメリカ人家族の息子の機知に助けられ、ショーンコネリーは無事拘束された牢屋から自力で脱出し、あわせて無事にアメリカ人家族を解放し、米軍海兵隊に引き渡したのち、以前と変わらない砂漠の生活に戻ります。
称して、ショーンコネリーを「砂漠の風」、アメリカ大統領ルーズベルトを「ライオン」と称し、文章にて共に「エールを交換」を交換した、という最期のくだりがあります。
小生、役者も砂漠もストーリーも、大きく評価する大好きな映画です。
この映画を観たのはすでに27~8年も前の話です。
当時は未だ、対キリスト教ターゲット的国際テロ戦争は、予想だにしなかった時代。第二次世界大戦以降の、西側諸国とソ連の間の冷戦の延長線上にある中東内部の紛争多発の時代でした。そして、この映画を観た後、思いました。
「こりゃたいへんだ。産油諸国であるこの中東地域は一筋縄ではいかぬ。いまから大いに勉強すべし!知らなければならぬこと多いそ~」
昔観た「よき映画」のストーリーを思い起こさせ髣髴させられ、あらためて砂漠の民の末裔、イラク戦争後の諸問題、決して一筋縄には往かない対中東諸国外交の難しさと、それを取材されるジャーナリストの「命がけ」の仕事、理解できます。
さらに現在、もっとも近未来において、日本人ジャーナリスト達のモラルと錬度を高め、より高次元での活躍を期待するところであり、ゆめゆめBBCに至らなくとも、よりそれに接近すべき総合的包括的な高品質の報道を期待するものであります。(と、前置きしつつ・・・)
さて、日本政府および日本国外務省にもの申す。
北朝鮮拉致被害者ならびにご家族の哀れな心痛に同情の意を表すのみに止まらず、この映画に於けるが如く、誘拐された3人の米国人救出の為に艦隊を派遣した当時の米大統領の英断、あるいは遠く植民地の英国籍原住民1名の殺傷事件の報復のため、大英帝国国会にて論議し、丸一日以上もかけ議会を説得し英国艦隊を差し向け、敢えて戦争まで引き起こした一人の英国人外務大臣がいる。と、聞く。20世紀初頭と今では、時代は違う。日本国国民が某国に拉致されていると判明していながら、漫然と狸寝入りを装っている某国政府と議会あり。傍で取巻く報道関係者は、対岸の火事的報道のみ垂れ流し、拉致被害者とその家族を無視するはおろか、時として拉致当該国に対し、贔屓味方肩入れせんばかりの粗悪な報道を垂れ流す。この映画の時代背景と今日を比較すれば、20世紀の初頭と21世紀の初頭の違いのみ。3000年の人類文明文化発展の歴史から眺めれば、僅か1世紀のひらき、なんら違いはない。僅かに、あるいは大きく、世界を取巻く諸情勢の違いあれど、今一度、欧米アングロサクソン人のリーダーの執った故事にならい、且つ日本武士道精神に則り、強く潔く、かの北朝鮮独裁者に正義と力で対決し、一刻も早い国家的規模の誘拐事件解決を願う。自国民の生命財産を自国が守れなくて、誰が守るか!いい加減にせんかい!日本のマスコミも、一部政府役人も、一部国会議員も!皆こぞって、人の親であろうが!一刻も早く、「我が子(拉致被害者)」を救わんかい・・・
尚、
今、イラクに派遣されておられる日本陸上自衛隊の各隊員殿へ。いや失礼、間違った。将兵各位に申し上げる!
熱砂地獄の真っ只中、且つ昼は熱風吹きすさび夜は晩秋の如く冷え込む日々、本当にご苦労さまです。我国日本を代表される将兵各位に於かれましては、どうか精一杯、全力を尽くしてください。がんばって下さい!
イラクの民の自立、さらには中東地域且つ広く世界の安全と和平のため、日本国民を代表され平然且つ毅然と任務遂行にあたられるよう、ご健闘をお祈りします。

風とライオン

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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(掲載写真及び下記記事、Yahooムーヴィー映画情報より転記)
R・フォーブスの小説『リフ族の首長』の映画化。数々の大国の思惑が渦巻く1904年のモロッコを舞台に、米人未亡人とその子供たちを誘拐したリフ族の首長と、人質救出の名目で艦隊を派遣する米大統領ルーズベルトとの息づまる駆け引きを描いた大作。S・コネリー、B・キースの味のある演技が見もので戦闘シーンも迫力がある。この作品当時のJ・ミリアス監督は立派であった。

製作年度 1975年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 119分
監督 ジョン・ミリアス
製作総指揮 -
原作 -
脚本 ジョン・ミリアス
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演 ショーン・コネリー 、キャンディス・バーゲン 、ブライアン・キース 、ジョン・ヒューストン 、ジェフリー・ルイス

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PS:
仮称「イイ男シリーズ」or「世界のダンディーたち」と題し、世界の男優を中心にエセ男爵好みの「世界のDANDY連中」(とりあえず芸能人に限定。個人的噂、私生活の云々は一切評価対象に含まず、映画舞台に於ける演劇演技中での印象を評価対象とする)、我輩の偏見と独断的基準にて記事掲載しようと目論んでいます。
ショーンコネリーはもちろん、往年の名男優を記事にしたいのです。自己検討として、日本人男優をどう取り扱うか?試行錯誤しましたが、10人くらいは取り上げたいと考えます。(請うご期待・・・)

Auberge Blancheの遊歩道(2/2) -名画「ドクトルジバゴ」を想う

2005-11-22 00:35:50 | つれずれ紀行
『エセ男爵の日誌』より(2004年11月12日)

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   「遊歩道のどんぐり林」

      (2)

そうだ!思い出した。
この夏、NHK・BSテレビ放送で見た。つまり同じ映画を見たわけだが、すでに三度目を観た計算になる。

そう、昔懐かしい70mmフィルムをふんだんに使った大型スクリーン映画全盛時代の頃の「さる映画」をおもいだした。どう勘定したって、今から35年か、いやいや四十年以上も前の作品であろう。
若かりし頃の、オマー・シャリフ主演の映画、映画の内容はもちろん濃い味顔が好く、この年になり、あらためてこの男優の良さが一層理解できる。が、映画に先行して「映画主題曲・ララのテーマ」があまりにもヒットしすぎた。
そんな名作映画『ドクトル・ジバゴ』、である。
オマー・シャリフは、我輩の大好きな男優の一人である。また、彼自身はみごとにこのロシア文学の大作「ドクトル・ジバゴ」を演じきっている。女優の名は、いつもの事ながら思い出せない。
ストーリーの始まりと、あらすじを思い出しておこう。
ジバゴが未だ物心付かぬときに両親を失う。
幼くして母方の親族の医者の家族に引き取られ、首都モスクワ?いや、当時はペテルブルグだったか?そんな街のど真ん中の、恵まれた穏やかな上流社会階級の環境に育ち、まずは当然ながら「一流の医者」になる。大学に残るよう勧められるが、彼の人間愛に満ち溢れた精神から「人助けをしたい」と主張し、もって若くして開業医となる。感性豊かなジバゴは文学にも秀で、詩を書きはじめ、それを生涯続ける事となる。十分な教育と感性にはぐくまれたジバゴは、文体美しく、人間愛に満ち溢れる彼の「詩集」を世に送り出す。彼の作品は当時の上級貴族社会に大きく評価され始め、一流の詩人として世に出る。
19世紀末、ロシア社会は大きく社会主義体制が胎動し始めてきた。いよいよ帝政ロシアの時代から革命が始まり、共産主義時代に移る大きな世の中の激動の中、ジバゴの人生は嵐の中の帆船のごとく、時代変遷の嵐に翻弄され続ける。結果、心身ともにボロボロに朽ち果て、モスクワ市中で心臓発作に襲われ、果てる。約3時間20分に及ぶ長編映画は、そんなドクトル・ジバゴが辿ったロシアの大地、四季折々の変化などをみごとに描ききっている、美しくも悲しい映像の連続である。そのBGMとして流れる名曲「ララのテーマ」が、より一層に映像を引き立ててくれる。

この映画の始まりと終わり、、、。
始まりはタイトルからスターの名その他の文字が出て来る時。
さらに、3時間数10分の長い映画の間合い、、、。
つまり、確か、二度にわたって5~10分間くらいの「インターミッション静止画面」を思い出したのである。話を整理すれば、まず合計4度にわたって同じ静止画面が出る。
それは、シンプルに「白樺林を描いた油絵」なのである。
同じ構図の絵に、色彩と色調を使い分け4枚の絵になっている。絵全体の色調の違いのみで、それぞれの絵でもって春夏秋冬を分け描いている。
まず、映画の始まりの絵。
タイトル表示の画面では、淡い薄緑と黄緑に白樺林を描き、春を表現していた。
夏をあらわしている二番目の絵。
それは十分に繁った濃緑色の葉に変化している。白樺の葉の合間に見え隠れする無数の白樺の幹が生き生きと真っ白に、しかも、みずみずしく描かれている。白樺林を包み込む背景の色、つまり空を描いているのであろう透き通ったスカイブルー。明らかに夏の白樺林を表現している。これが最初のインターミッションの画面である。
ようやく秋、それが三番目の絵。
前の画面で真緑に十分に生い茂った立った白樺の葉は、この絵の中では純粋な黄色と黄褐色混じりのものに変わっている。地表の色は落葉で十分に敷きつめられた濃淡混成した茶系でまとめられている。絵の背景は逆光で射し込む夕日を想わせ、淡い橙色(だいだい色)になるいや、たしか薄雲を通し、か弱く哀調を漂わせる夕日が、白樺林の幹と枝の空気を通過して描かれた「冬の訪れを予感させる」情感が、我輩の脳裏によみがえって来た。
そして冬、最終第四番目の絵。
まさに白樺林の雪景色。それは、映画終了後のラストタイトルの文字の流れの背景を十分に支えきれる絵である。十分なオゾンで清めつくされた空気を通し、林の中の全てが見通せる。清楚な白樺の幹。最後の一枚の葉も落し尽くし丸裸になった枝。地面も背景も、微細に変化を加えた白色。白樺の幹の白い皮の間にわずかに覗える黒い幹の皮下。樹氷に包まれた枝の間にもかすかな黒が見え隠れする。背景はわずかに青色と灰色を感じさせるが、色調といえば変化が加えられた白色!あるのみ。
以上、四季をあらわす色調の違う同じ油絵の画面構成は、単純な縦方向のみの、ほとんど直線に近い白樺の幹にから伸びる枝を感じさせるような左右方向斜めに延びる細い線が描かれているだけのシンプルなものである。

思えば思うほど、まことに単純な画面構成である。
しかし、白と黒をベースに置き、同系色の色調が組み合わせられ、取り立てて工夫がなされているわけでもない画面構成は逆に強いインパクトとして脳裏に残るのである。その単純な画面が、その絵画を鑑賞する人の想像力を誘引するのであろう。少なくとも我輩の場合、そうなのである。
そして今朝、この油絵とほぼ同じシーンである「映画、ドクトル・ジバゴ」の二度目のインターミッション「秋の白樺林」の印象とほぼ同じものを見た。
その瞬間、いかにも晩秋を感じた。
白樺林とドングリ林とでは大きな違いがある。なぜ、どんぐり林か、といえば、一ヶ月前まで、簡単に手のひらで救い上げることのできるくらい、数え切れないどんぐりがその林の中いたるところに落ちていたからである。観察している人物が知らないだけで、もしかするとどんぐりの樹木に混じって白樺の木があるかもしれない。この際しかし、植物学的な分類はどうでもよいのであり、肝心な事柄は「どう感じるか」という芸術的精神的な受け止め方、すなわち感性の部分を大切にすればよいのである。
いうまでもなく、この大自然が描く秋を感じている輩は、決してドクトル・ジバゴ本人ではない。映画という手法で現わされた「ドクトル・ジバゴ」のストーリーの偉大な基盤に横たわるもの、これらの全てに、あらためて十分な感性をもって理解しようとしている人物がいた。その人物とは、十数年前の自分自身の青年時代から今に到るまでを「ドクトル・ジバゴの生涯」とオバーラップさせ、すりあわせて思い出そうとしている男がいた。その男、オーベルジュ・ブランシュ富士に、二ヶ月前に着任したばかり、富士の東山麓で目にする大自然の全てが新鮮であり、感受性に反映する。
今しかし、
秋の訪れや大自然の営みと変化に反応している「この男」の心境とは、決して「人生の秋」の心境ではない。むしろ冬から春先にかけての季節的感覚、積雪から雪解けが始まり、地表には植物の若芽が吹き出す時期、そして、そんな心境である。自ら身を挺した現場の仕事を大切に、そして真心込めて、お客様に接したい。
爽快にして晴れやかな気分でる。
「そうだ、明日の午前中でいい。是非この風情を写真に撮っておきたい」
と、一人でつぶやきながら「コンシェルジュデスク」に向かった。 

         「完」

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ドクトル・ジバゴ 特別版

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<以下、「Yahoo映画情報」より抜粋>
ロシアの文豪ボリス・パステルナークの同名小説を映画した長編大作。時はロシア革命前後の動乱期。純真な心を持つ詩人でもある医者ジバゴを主人公に、ラーラとトーニャという2人の女性への愛を通して波瀾に満ちた生涯を描いてゆく。人生の軌跡を、多彩な登場人物を交えながら時代のうねりと共に描く壮大な一大叙事詩。M・ジャールによる美しい“ラーラのテーマ”も忘れがたい。


製作年度 1965年
製作国・地域 アメリカ/イタリア
上映時間 194分
監督 デヴィッド・リーン
製作総指揮 -
原作 ボリス・パステルナーク
脚本 ロバート・ボルト
音楽 モーリス・ジャール
出演もしくは声の出演 オマー・シャリフ 、ジュリー・クリスティ 、トム・コートネイ 、アレック・ギネス 、ジェラルディン・チャップリン

*主演男優:オマー・シャリフ
(我輩の好きな往年の男優、その一人である)
生年月日 1932年4月10日
出身地 エジプト/アレキサンドリア
本名はMichel Shalhoub。材木商の家庭に生れ、4歳でカイロに移住。ビクトリア大学では学生演劇会の委員長などを務めた。卒業後は父の仕事の手伝いなどをしていたが、23歳の時に渡英して王立演劇アカデミーの聴講生となり、帰国後の55年にエジプト映画でデビュー。同年にはエジプトのトップ女優と結婚して20本以上の作品に出演。次第にその名は世界的にも知られるようになった。やがて製作者のサム・スピーゲルに呼ばれて62年「アラビアのロレンス」のベドティン族長に扮して国際デビュー。アカデミー助演賞候補にもなり一躍有名になる。その後は「ドクトル・ジバゴ」、「ファニー・ガール」、「うたかたの恋」と代表作が続いた。私生活ではドヌーブなどと噂になり、66年に離婚。77年には別の女性と再婚した。またブリッジの名手としても有名で、その腕前は世界選手権に出場するほどのものだとか。

<以上、Yahoo映画情報より抜粋>

富士東山麓Auberge Blancheより、名画「ドクトルジバゴ」を想う・・・

2005-11-21 08:42:14 | つれずれ紀行
『エセ男爵の日誌(2004年11月12日)』
 (一流コンシェルジュ「日々・三文オペラ的日誌」より)

   「遊歩道のどんぐり林」

         (1)

 まわりの環境に慣れたせいか、ペース配分がうまくいき、夜はよく眠れる。このごろは六時すぎに目が覚める。早起きは、健康維持の基本である。このような環境への適合状況は、我輩にとって望ましい傾向である。
すでに晩秋、この季節この時間が日の出の時間である。場所は静岡県駿東郡小山町須走某丁目某番地、標高約八百メーターに位置する当館の南東に面する建物裏側の四階が寮になっており、富士山の真裏ではあるが我輩の部屋からの眺めはすばらしい。眼下のどんぐり林と杉林から始まり、遠く足柄山および箱根方面まで全く視界をさえぎる人口構築物がなく、ダイレクトに日の出が拝める。
しかしなぜか今朝は、朝はカーテンの外が心持ち暗く感じる。「今朝は雨か?」眠気が十分に覚めやらぬままベッド上を這い窓の方向に向かう。カーテンをおもいっきり開き、日の出の方向、つまり当館の東南方向の山々を遠望する。
「だめだ、今朝はまったく山が見えない」
夜は明けているものの、遠方の空は厚い雲に覆われ視界が悪くて全く見通せない。
「網戸越し窓越しでは仔細が分らない」
網戸を開け、さらにガラス窓を開き眼下の森林と遠方の山々を観察する。窓越しには見えなかったが、なんと、窓を開ければかなり強い雨が降っているではないか。地面はおろか窓の外には雨をさえぎるものが全くないので、雨音が全く聞き取れないのだ。
取るものも取敢えず、低血圧の状態で体をアイドリングさせながら頭脳に血液を送り、且つ目覚めながら緩々(ゆるゆる)とベッドを降りる。

こうして、おもむろに部屋の窓から箱根方面の山を眺めた後、いよいよ我輩の「朝の日課」が始まる。
まずは1Fのキッチンに降り、コーヒーメーカーにスイッチを入れる。
ここのコーヒー以外は、飲めなくなってしまった。
まちがいなく最高に美味しい。というより、この濃い口のコーヒーは、1ヶ月間で我輩の口にぴったり合った美味しさになった。
エスプレッソの濃いコーヒーがシューと蒸気音と共に「デミ・カップ」に注がれる。砂糖とミルクを多めに入れる。富士山麓の伏流水を研いだ当館にて製造するミネラルウオーターとともに、濃い味のコーヒーを、少しずつ飲むのがいい。
しかし朝一番で(おおよそ午前7時前後)キッチンに降りると、これがすぐ飲めない。まず、スイッチを入れて十分以上過たないと、メーカーの中の水温が十分に上がらない。強力に温度を上げておかないと、まともなイタリアンコーヒーが出来上がらない。従業員のワーキングタイムには、常時スイッチが入っており、いつ何時(なんどき)でも、相当おししいコーヒーが立てられるようになっている。付け加えておかねばならないが、ユメユメ従業員専用の飲物ではなく、お客様にご用意した当館のレストラン顧客に具する、上等の代物なのである。従業員が何倍飲んでもOK、問題にはならない。ちなみに、おそらく、たぶん我輩が一番たくさん愛飲していると思われる。そう、今日はまだ7時になっていない。7時乃至7時半にならないと、キッチンもレストランスタッフも誰も出てこない。誰から依頼されたわけでもないが、このところ、我輩がコーヒーメーカーのスイッチの「立ち上げ係?」の当番に着任しているらしい。
暖まるまで、とりあえず時間待ちの為に、いつもなら人気の無いパントリーでタバコを一服するのである。が、今朝はタバコを切らしている。コーヒーメーカーが暖まる間、客室専用エレベーターで3Fのタバコ自販機に出向いた。
タバコを買った後、またエレベーターのある踊場に戻りボタンを押し、少し待った。客室28室の当オーベルジュの客室エレベーターは一基しかなく、昇降速度はまことに遅い。
その間1分~1分30秒位かかるか。
エレベーターの踊場の北側、わずか3メーター程度のスペースにくり抜かれた窓枠がある。長方形で窓の上部が半円形、ヨーロッパ調のカーテン越に北側のパーキング場につながる遊歩道を覆いつくす樹林に目が向く。

当館の遊歩道といくつかの駐車場を覆う例のドングリ林が、スッカリ冬めいている。この一週間で既に鮮やかな黄色に変化していたが、今朝はその葉の数が明らかに減少し、林全体がそれぞれの幹から無数に伸び茂る枝葉で覆いつくされていたものが、今朝は幹や枝がむき出しになっているではないか。
これは今までに、確かに何所かで見ている。我輩の記憶にしっかりと残っている風景であった。
そんな記憶をたどる暇もなく、待っていたエレベーターが来た。そのまま乗った。エレベーターの中で記憶を辿っていたら、とっさに、いや、ようやく思い出した。
 
 <・・続く(合計2回)・・>

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渡部昇一先生の名著:「英文法を撫でる」

2005-11-18 01:55:10 | 趣味の話&本と雑学メモ
 
 ひとまず、ケーキ&イタリアンコーヒーを召し上がれ・・・

<先に、不肖エセ男爵の私的なる広報記事なり!>
毎度ながら、我が住まう「村社会」の健全なる発展にご協力をお願いいたしたく!
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  ・・・『本日の記事』の始まり・・・

 この名著に出会ったのは、かれこれ四十代も後半になってから、、、
本の題名になぞらえ、
「まぁ、チョイト子猫でも撫でてみるか」
等と、
気軽に買ってしまったのは、関西空港内の本屋さん(当時、丸善があったのだが、今は如何か?)だった。
その頃、ヨーロッパ長期出張が多く、たいてい2ヶ月以上にわたり、ロンドン・フランクフルト・ミュンヘン・ブダペストの間を行き来していた頃の話である。
12時間近く機上で過ごさねばならないから何か肩のこらない読み物を、、、。と思い、手にしたのがこの小さく薄っぺらな(B5判?且つ完全に300ページ以下)PHP出版本だから、たいしたことはなかろう。
「まあ、ロンドンに着くまでには読みきれるよな・・・」
と、ナメてかかり、飛行機が離陸するやいなや「読書開始」した。
ヨーロッパまで、空路10数時間。通常ならば酒でも飲んで最低でも5時間は眠っている。このときは一睡もしないで現地に着いてしまった。もちろん、好きなビールも一滴も飲まなかった。
完全に、この本に嵌ってしまった。
しかし、一両日で読破できると思ったのが大間違いであった。
英文法を撫でる

PHP研究所

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 結局、ほぼ毎日この本を開きページを読み進め、更に翌日読み進めるにあたって昨日読んだページを振り返りたくなり、又ページをバックさせて、読み進める。
日本語の図書はおおむね縦書きだから、普通縦に読む。この著も縦書きになっているのであるけれども、僅か1ページを読み進めるにあたり、縦にしたり横にしたり、忙しい。なぜならば、しょっちゅう英文のフレーズや文章が飛び出してくるので、その箇所にぶち当たると本を横にしないと読めない。英文も出れば、ドイツ語の単語や句も出てくる始末。
ようやく読み終えたのは、2ヵ月後であった。
「そんなに面倒な本ならば、読めないぜ!」
と思われる方、とんでもない。
一旦読み始めたら、途中で止めるのはもったいない。
少なくとも、自らがその気になって、
「いよいよ英会話を始めよう」
「英語をもっと深く勉強しよう」
「でも、その更なる勉強方法に迷っている・・・」
「上級英語に自ら再挑戦しよう。しかし何か、良い切っ掛が欲しい・・・」
などなど、英語独習再挑戦への意欲ある御仁には、うってつけの本である。
我輩が師事する「渡部昇一先生」は、この著書の中、どこを探しても渡部先生流政治経済向きの記事は一切書かれていない。
いかにも英語学者らしく、
構えてまじめに、一から英語の勉強方法を優しく解り易く書き記され、学生にも社会人も解読可能、且つ読破し得る内容である。
(いつもは口頭による叙述を秘書に書き取らせるという、いささか乱暴な方法で、政治歴史問題の本は著されているらしい。が、この著書は明らかに渡部先生御自らのペンで著されたものであること、明らかなり。理由は、その著を読めばわかる!)
さらに、渡部昇一先生ご自身の「若かりし頃」学生時代の環境や体験や経験にも触れられており、一昔前の秀才にしてまじめな学生の姿を想像回顧すると、いかにも愉快になる。
この著は、かならず最後まで読みきること。
そうすることにより、自分なりの英語学習の方法の間違いを見出せ、反省させられ、もっと深く学べる突破口なるものが見出せると思う。
締め括りに一言、
この書はけっして「教科書的」なものではなく、さりとて、そんじょそこらの経営?学習?英会話?などなどの「勉強法解説的ノウハウ本」ではない、と。

では、どんな本か?

渡部先生をして、英文法習得の重要性を起承転結且つ論拠正しく説かれている正真正銘の「論文」でる。この本は、最低でも2回は精読されたい。そのためには、(半年で大丈夫であるが)ほぼ、一~ニ年はかかるであろう。当著書を読めば、その後の英文の読解手順に変化が現れる事必定。まず、肩の力が抜けて、英文を読む角度が変わってくる。楽に英文を読み進めれるように、自分の内部の変化が感じられる。そのあと、突然に目から鱗が落ちる。英語の実力は一日にしてならず。ある日突然、自分の実力向上の軌跡に気付いたり、突然会話が聞こえ始めてくる。その時まで、砂を噛むような努力を積み重ねなければ、一念は達し得ない。

*独り言:こうして感想文を書いてみれば、もう一度この書を読みたくなった。

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出雲大社(旧友からのおくりもの)に寄せて・・・

2005-11-17 20:52:10 | つれずれ紀行
 
 一昨日の事、旧友US氏からメール添付にて、3枚のすばらしい写真が送られてきた。
(例の、富士山の写真ならびに鮎の写真を送ってくれた高校と大学を通しての学友である・・・)

 その中に、出雲大社の写真があったのでUS氏の承諾を得てBlog掲載した。
日本国民たるは皆さまご存知の「出雲大社」・・・

 サラリーマン時代の我輩(すでに20年も前の事)、まるまる3年間も島根県松江市に赴任を命ぜられ、数多き苦楽の思い出多き場所である。

写真を観ながら思い出すのは、
「このような清々しい出雲大社、我が肉眼を以って見た経験は一度もない!」
等と・・・
かの地、夏は湿気多く曇天の合い間におてんとうさまが顔を出し、冬となれば陰湿な寒さが襲来する。薄暗き空を見上げれば、一面鉛色の雲。午後の遅い時間ともなれば、西の空から押し寄せてくる雪雲。鉛色は一段と黒ずみ、いよいよ松江市上空に雪雲到達するやいなや、突如として風雪が吹きすさぶ・・・
(なにせ、雪国には弱いよなあ~)

ズーズー弁の地元の言語は、いくら耳を傾けても我輩には、音声解読不能にして意味不明。約3年間の滞在中、地元出身社員の通訳介在無くしては、重要なる仕事に関わる交渉事は不可能であった。

酒は?旨かった。
酒の肴も、美味しかった。
人情も、厚かった。
いきつけの「居酒屋」の大将、「クラブ」のママその他オネエサン達にも世話になった。(美人がいたかどうか?すでに記憶に無い)
しかし、3年経ったらGive-Up!
とことん閉口した。
少しだけ楽しかったけれども、そうとう辛かった。
ご苦労さんでした。(勝手なもので、自分が自分で慰めているのだ・・・)

そして今、この写真を観ると、さらに清々しい。
US氏は何故に?こうも美しい写真を(いつも)撮って来るのか?!?
まず、彼に天気が味方する、、、。
きょうび、彼の心には邪念がないと看る。
邪念and/or邪心が無いから、すなわち無邪気な心で、良いショットが可能となるか?
結果、とにかく(神社で販売されている絵葉書も含め)数ある「出雲大社」の写真を比較しても、そうとう上位にランクされる「美しいショット」である。

US氏の「美しき写真」に感銘された読者諸氏にお願い申し上げる。是非とも、以下「趣味ブログ」のバナーをクリックいただきたい。

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