お寺の京都旅行『妙満寺春の大法要参詣』に参加したのは先々週末(5月21日〈土〉~22日〈日〉)だった。 終わってほっとしながらあれこれあって、なんと今日から6月。本年も半年経過?! このままぼやぼやしていると今年も別けなく過ぎ去ってしまうではありませんか!
東日本大地震あって転変変化、天皇陛下のお言葉あって気を取り直したのも、つかの間だった。東京電力福島原発の対応と報道は出鱈目に嘘八百を並べ立てるから腹が立って腹が立って仕方無く、思いっ切り批判と抗議のブログ記事を書きなぐろうかと思いつつ、我国にとって千年に一度の大不幸に際し此処に至れば、エセ男爵ブログを以ってして通常通りのオチャラケも皮肉も冗談も書けない状態にて丸2ヵ月も経過!今日に至ってしまったのであります。
すなわち最近記事更新しないで、
「一体全体、日々何をやっているのか!?!」
「はい、京都旅行終わってから、というより、かれこれ お寺の京都旅行『妙満寺春の大法要参詣』に参加したのは先々週末(5月21日〈土〉~22日〈日〉)だった。
さらにうっかりしていると、なんと今日から6月ではありませんか。今年も半年あっという間に過ぎ去った。ぼやぼやしていると、今年もわけなく過ぎ去ってしまうではありませんか!
で、最近記事更新しないで
「一体全体、日々何をやっているのか!?!」
「はい、旅行終わってから、というよりその前から、真面目に執筆作業に取り組んでいます!」
と申上げる以外に『何もの』も存在しない、今日この頃です。
いやなに、
完全禁煙して一年以上経過。正確には15ヵ月目に入りました。
その後ただの一本もたばこは吸っていません。
にもかかわらず、相変わらず自宅からバス停までの約4分間の上り坂を歩くのが楽にならない。
途中から呼吸困難になる状態は一向に変わりません。
ひょっとすると、心臓が悪くなったのか?と思い、心臓の検査をしてもらったのはさる3月の始めから一ヶ月がかりでした。2月の終わりにまず肺臓専門のお医者さんから心臓専門のお医者さんにトランスファーして頂き、あれやこれや順番待ちだか書類作成だか肺や心臓機能の検査等々諸々時間かけて、〆て、約一ヶ月も掛けて診て下さった。
心臓専門(循環器内科という?)の先生曰く、
「心臓は年齢相応というか、きわめて普通であって、別段悪くない」
とのこと。
結局、肺(呼吸器)の先生に差し戻しになった。差し戻しされたのはいいが、今度は同じ肺でも「禁煙外来専門のドクター」のご担当ではないとの事。同じ呼吸器の別の先生にわざわざ紹介状まで書いて頂いて、全く別のドクターに担当が変わったのであります。すなわち、すごろくで言えば最初に降り戻し。
これでも若かりし頃は医者嫌いドクター嫌いで通っていた私といたしましては、見知らぬドクターに接するのが大の苦手。親しく?お話し申し上げるようになれるまで尋常なことではありません。
てなことで振り出しに戻ってから約1ヵ月経過。
まさか?と、思いきや、なんと、みっともない話であまり公にしたくないのですが『在宅酸素』等という酸素製造装置をレンタルされ、必要に応じ酸素を吸入している始末であります。
つまり、本来的な肺機能が衰えたので、外部(機器or装置)から人工的に発生させた酸素を補給し続けないと、日常的且つ正常な人間生活をおくれない。との判断をお医者さんに下された次第です。
最終的に人間の肉体が滅び去るのは、否、最終的にトータル的に、人間の肉体が壊滅するその時間的瞬間は、呼吸が止まった後に続き心臓も動かなくなることだ。と考えます。人間の死は、馬や鹿や牛や犬や猫の死とは、区別されているようです。私が考える人の死には、尊厳ある死が必要だと考えるのです。どのような死に方をしようと、人間が死を迎える事を『臨終』と言いす。
臨終とは、呼吸止まり心臓が止まることだと、あらためて気が付くのです。
なんだか今、猛烈に『死のカタチ』が見えてきた次第。
限定的に、私個人のことですが、万一、これから先、今以上に身体が衰え、いわんや痴呆症になった時に如何するか?
可能な限り、家族や他人さまに迷惑をかけたくない。
介護を受けるなどもってのほかです。
長生きしたい人のことを云々批判しません。が私は尊厳死を迎えたい。
ともあれ、
少なからず、自分の死を意識した『生き方』をすべきだ。と、決めています。
宣言すれば、今まで以上に、死を覚悟して、生きて行きます。
ひるがえ って、
生きている以上何かやらねばならぬ。とあらためて思いつつ、今真面目に執筆と取り組み始めているのです。
昨年の梅雨の頃、さらに真夏の猛暑の頃、メタボならびに禁煙後遺症と闘ってきた事を思い出します。
何度かブログ記事にしましたけれど、今思えば、メタボ的な意味合いで『頭脳への血流』が悪くなったのみならず、いくら十分な血流があっても酸素不足の血液だから一向に頭脳がさえなく、昼食をとった後、午後から眠ってばかりいたのは酸素不足のせいか?と思うのであります。
そして今、
酸素ボンベや酸素発生器が身辺にあっても、四六時中使用しているのではありません。
モノ書きするとき、集中的に本を読みたいとき、に限って酸素を摂っているのです。
酸素吸入を使用し始めて10日経ちます。
集中力が増したような気がしています。
だから頑張って、執筆途中の作品を書き上げます。
(投稿:トーマス青木)
東日本大地震あって転変変化、天皇陛下のお言葉あって気を取り直したのも、つかの間だった。東京電力福島原発の対応と報道は出鱈目に嘘八百を並べ立てるから腹が立って腹が立って仕方無く、思いっ切り批判と抗議のブログ記事を書きなぐろうかと思いつつ、我国にとって千年に一度の大不幸に際し此処に至れば、エセ男爵ブログを以ってして通常通りのオチャラケも皮肉も冗談も書けない状態にて丸2ヵ月も経過!今日に至ってしまったのであります。
すなわち最近記事更新しないで、
「一体全体、日々何をやっているのか!?!」
「はい、京都旅行終わってから、というより、かれこれ お寺の京都旅行『妙満寺春の大法要参詣』に参加したのは先々週末(5月21日〈土〉~22日〈日〉)だった。
さらにうっかりしていると、なんと今日から6月ではありませんか。今年も半年あっという間に過ぎ去った。ぼやぼやしていると、今年もわけなく過ぎ去ってしまうではありませんか!
で、最近記事更新しないで
「一体全体、日々何をやっているのか!?!」
「はい、旅行終わってから、というよりその前から、真面目に執筆作業に取り組んでいます!」
と申上げる以外に『何もの』も存在しない、今日この頃です。
いやなに、
完全禁煙して一年以上経過。正確には15ヵ月目に入りました。
その後ただの一本もたばこは吸っていません。
にもかかわらず、相変わらず自宅からバス停までの約4分間の上り坂を歩くのが楽にならない。
途中から呼吸困難になる状態は一向に変わりません。
ひょっとすると、心臓が悪くなったのか?と思い、心臓の検査をしてもらったのはさる3月の始めから一ヶ月がかりでした。2月の終わりにまず肺臓専門のお医者さんから心臓専門のお医者さんにトランスファーして頂き、あれやこれや順番待ちだか書類作成だか肺や心臓機能の検査等々諸々時間かけて、〆て、約一ヶ月も掛けて診て下さった。
心臓専門(循環器内科という?)の先生曰く、
「心臓は年齢相応というか、きわめて普通であって、別段悪くない」
とのこと。
結局、肺(呼吸器)の先生に差し戻しになった。差し戻しされたのはいいが、今度は同じ肺でも「禁煙外来専門のドクター」のご担当ではないとの事。同じ呼吸器の別の先生にわざわざ紹介状まで書いて頂いて、全く別のドクターに担当が変わったのであります。すなわち、すごろくで言えば最初に降り戻し。
これでも若かりし頃は医者嫌いドクター嫌いで通っていた私といたしましては、見知らぬドクターに接するのが大の苦手。親しく?お話し申し上げるようになれるまで尋常なことではありません。
てなことで振り出しに戻ってから約1ヵ月経過。
まさか?と、思いきや、なんと、みっともない話であまり公にしたくないのですが『在宅酸素』等という酸素製造装置をレンタルされ、必要に応じ酸素を吸入している始末であります。
つまり、本来的な肺機能が衰えたので、外部(機器or装置)から人工的に発生させた酸素を補給し続けないと、日常的且つ正常な人間生活をおくれない。との判断をお医者さんに下された次第です。
最終的に人間の肉体が滅び去るのは、否、最終的にトータル的に、人間の肉体が壊滅するその時間的瞬間は、呼吸が止まった後に続き心臓も動かなくなることだ。と考えます。人間の死は、馬や鹿や牛や犬や猫の死とは、区別されているようです。私が考える人の死には、尊厳ある死が必要だと考えるのです。どのような死に方をしようと、人間が死を迎える事を『臨終』と言いす。
臨終とは、呼吸止まり心臓が止まることだと、あらためて気が付くのです。
なんだか今、猛烈に『死のカタチ』が見えてきた次第。
限定的に、私個人のことですが、万一、これから先、今以上に身体が衰え、いわんや痴呆症になった時に如何するか?
可能な限り、家族や他人さまに迷惑をかけたくない。
介護を受けるなどもってのほかです。
長生きしたい人のことを云々批判しません。が私は尊厳死を迎えたい。
ともあれ、
少なからず、自分の死を意識した『生き方』をすべきだ。と、決めています。
宣言すれば、今まで以上に、死を覚悟して、生きて行きます。
ひるがえ って、
生きている以上何かやらねばならぬ。とあらためて思いつつ、今真面目に執筆と取り組み始めているのです。
昨年の梅雨の頃、さらに真夏の猛暑の頃、メタボならびに禁煙後遺症と闘ってきた事を思い出します。
何度かブログ記事にしましたけれど、今思えば、メタボ的な意味合いで『頭脳への血流』が悪くなったのみならず、いくら十分な血流があっても酸素不足の血液だから一向に頭脳がさえなく、昼食をとった後、午後から眠ってばかりいたのは酸素不足のせいか?と思うのであります。
そして今、
酸素ボンベや酸素発生器が身辺にあっても、四六時中使用しているのではありません。
モノ書きするとき、集中的に本を読みたいとき、に限って酸素を摂っているのです。
酸素吸入を使用し始めて10日経ちます。
集中力が増したような気がしています。
だから頑張って、執筆途中の作品を書き上げます。
(投稿:トーマス青木)